朱の刻印-紅櫻緋衣- 

 

 輝き 瞬きの中に 4

 

 

 

幸村は、綾の部屋に向かっていた

信玄は、綾が織田の手の者によって怪我をしたのだという

だが、先程見た彼女からは、その様な雰囲気は感じられなかった

 

もしかしたら、無理をしているのかもしれない

 

そう思ったら、いてもたってもいられなかった

ひと目だけでもいい、様子が知りたかった

 

それに、どちらにせよ次の偵察に同行するならば打ち合わせをしておかなければならない

 

そう自分に言い聞かせると、彼女の室の前までやってきた

俄かに緊張しているからか、手の中にじわりと汗がにじみ出る

 

「あ、あの、綾殿」

 

意を決して、声を掛ける

が………

 

 

し―――――ん

 

 

返事が返ってこなかった

 

「…………?」

 

居ないのだろうか?

だが、すれ違った侍女の話だと、部屋に戻っているという話だったが……

 

「綾殿?」

 

もう一度、声を掛ける

が………

 

 

し―――――ん

 

やはり、反応は無い

 

流石に、これは予想だにしておらす、幸村は困った様に視線を泳がせた

 

出直した方がいいのだろうか……?

それとも、まさか、怪我が悪化して倒れているとか――――

 

と、その時だった

 

 

「…………っ」

 

「!?」

 

微かに、中から声が聴こえた

だが、それは声というよりも……

 

まさか……っ!!

 

「綾殿!!」

 

倒れているのでは――――!!!

そう思い、幸村は思い切って、室の戸を開けた―――が、瞬間目の前に入って来たのは―――

 

「……………」

 

「……………」

 

 

………………え……?

 

 

そこには、驚いた顔をした綾が上半身をさらけ出したまま座っていた

 

「あ……あ………」

 

一度だけその黒曜石の瞳を瞬かせた綾とは真逆に、幸村の顔がどんどん真っ赤になり

 

「す……っ、すみません……っ!!!」

 

そう叫ぶと、思いっきりバッと顔を背けて後ろを向いた

 

み……み……

見てしまった………っ!!!

 

まさかの、綾の着替え中の姿に、幸村の頭が大混乱を起こす

どうすればいいのかすら浮かばない

 

い、いや、とりあえずここは、謝って…それから、それから……っ!

はっ!そうだ!出て行かなければ……っ!!

 

そう気付くと、慌てて出て行こうとする

 

「……お待ちください、幸村様」

 

――――え?

 

何故か、綾に止められた

が、呼ばれたからといって振り向く訳にもいかず、幸村は後ろを向いたまま

 

「あ、あの……っ!本当に、見るつもりは――――っ」

 

「それは分かっておりますので。それよりも、手伝って頂けると助かるのですが……」

 

「で、ですから、本当にわざとでは――――って、え?手伝い……?」

 

一瞬、謎の単語が出てきた事に、首を傾げる

 

手伝い…?

手伝いとは、何のだ……?

まさか、着替え……!!?

 

いやいや、それはいくらなんでも……っ!!

 

と、悶々と考えている内に、綾の気配がスッと動いた

 

「振り向かれて宜しいですよ」

 

「え?いや、ですが……」

振り向いてもいいと言われても、流石にそうそう振り向けない

だが、振り向かなければ何も分からない

 

幸村はごくりと息を飲み、そっと後ろを見た

が、直ぐに元の位置に顔を戻した

 

てっきり衣を着用しているのかと思いきや、露わになっていた上半身の半分を隠しただけで、もう半分は思いっきり出ていたからだ

 

「あ、あの!綾殿!!そ、そそそその姿では……っ!」

 

困る―――と、幸村が言おうとするが

それに反する様に綾は少し困った様に顔を傾けた

 

「そう申されましても―――、これ以上は隠しては、手当て出来ませぬ」

 

「で、ですから―――……え?手当て?」

 

言われてもう一度少しだけ綾の方を見る

すると、露わになった左肩から肘に掛けて大きな傷があった

 

ぎょっとして、幸村は思わず綾に駆け寄った

 

「綾殿!?こ、この傷は……っ」

 

瞬間、信玄の言葉を思い出す

 

 『恐らく、織田の手の者じゃ。綾の持つ書状を奪わんが為じゃろうて』

 

まさか……織田の……

綾が平気そうな顔をしていたので、ここまで酷いとは思わなかった

 

幸村が深刻そうな顔になったのとは逆に、綾の反応は至って淡泊だった

 

「大した傷ではありません」

 

さらっとそう言うと、そのまま傍にあった晒しを持った

だが、幸村は見ているだけで痛くなりそうだった

 

「大した傷だと思います。痕が残ったらどうするのですか」

 

幸村の問いに、綾が一度だけその黒曜石の瞳を瞬かせた

 

「……別に困りません、忍ですから。それに、お館様のお役に立てたならそれで本望です」

 

淡々とそう言い切る綾に、幸村は何だか悲しくなった

何が、彼女をそこまでさせるのか……

だが、そんな幸村とは裏腹に 綾は淡々と持っていた晒しを差し出した

 

「巻いていただけますか?場所が場所なので、一人では少々やり辛いのです」

 

幸村はそれを受けよると、ぎゅっと握りしめた

 

そうか……

 

彼女の発言でまた一つ分かった事がある

いつもは、一人でやるのだ

誰に頼る事もなく 誰に知られる事もなく

一人で戦い、一人で傷を負い、一人で手当てする

 

綾殿………

 

それは、どんなに辛い事だろうか……

 

おそらく、ここに幸村が来なかったら、きっとまた一人でやっていたのだ

幸村が招き入れられたのは、幸村が怪我をしている事を知っていたから

知らなかったら、確実に追い返されていただろう

 

ぎゅっと唇を噛み締めると、幸村はそっと綾の腕に手を掛けた

 

「……きつく締めますよ」

 

「はい」

 

そのまま、緩まない様にきつく締めていく

時折、綾が顔を顰める事があったが、その度に「大丈夫ですか?」と問う幸村に、最後は綾が「平気ですので、毎回聞かれなくともよろしいです」と言い出した

 

 

 

一通り、手当が終わった後、綾はスッと袖を通し、着物を着直した

 

「もう、こちらを向かれても宜しいですよ」

 

その間、後ろを向いていた幸村は、きちんと着物を着た綾を見てほっと胸を撫で下ろした

その反応に、綾が首を傾げる

 

「いえ、やっと綾殿の顔をまともに見れるなっと思いまして」

 

そう言って微笑む幸村に、綾は一瞬面食らった様な顔をした後、「そうですか」とだけ答えた

どうやら、綾は露わになっていたあの姿を見られたことをあまり気にしていないらしい

それもどうかとも思うが、幸村が突っ込む訳にもいかず、あえてその話には触れなかった

 

ふと、綾が居住まいを正すと、まっすぐに幸村を見た

 

「それで、幸村様。私に何か用があったのではないでしょうか?」

 

綾にそう問われて悩む

用はあるはあるが……

その半分以上は、綾の身が気になったからであって……

おそらくそれを言えば、また「そうですか」と淡々と返されて終わってしまうのが目に見えてい

 

それはそれで、悲しい

 

「あ……、そのですね。今度の偵察についてなのですが…」

 

「それでしたら、明後日の早朝 出立致します」

 

きっぱりそう言い切られ、あっさり終わってしまった

だが、幸村としてはそれだけでは、引き下がれない

 

これだけは言っておかなければ……

 

綾を見ていて思った

彼女は危機感というものが恐ろしく無い

ただ、忠実に任務を全うしようとする

たとえ、それが自身の身を削る行為だとしても

 

傷だとか、体調とか、そういうのは彼女にとって二の次なのだ

任務さえ全う出来ればいい

そういう風に、仕込まれている

 

それでは、いつか綾殿は命を落としてしまう

 

信玄の為とはいえ、そんな事 信玄が喜ぶはずがない

 

「綾殿―――」

 

幸村はまっすぐに綾を見た

 

 

「綾殿の身は、私が必ずお守り致します。だから、綾殿も約束して下さい。無理はしない―――と。自分をもっと大切にすると」

 

…………………

…………………

…………………

 

「………え…?」

 

一瞬遅れて、綾がそう声を洩らした

黒曜石の瞳を一度だけ瞬かせた後、驚いた様な顔で幸村を見る

 

幸村はまっすぐに綾だけを見て、もう一度言った

 

「約束、して頂けますね?」

 

「………………」

 

綾は答えなかった

ただ、もう一度瞳を瞬かせた後、幸村から視線を外す

 

「………何故でしょう?」

 

「え……?」

 

今度は、幸村は驚く番だった

 

「何故って………」

 

幸村には信じられなかった

 

本気で言っているのか……?

 

彼女は、自分の身を大切のする事の意味が本気で分かっていない様だった

幸村の言った意味がまったく理解出来ないのだ

いや、意味は分かっているかもしれない

それをしなければいけない理由が分からないのだ

 

……今まで、誰も彼女に言ってこなかったのか?

 

そう考えると、背筋がぞっとした

 

だが、それと同時に理解した

綾が自身に無頓着な理由も、危機感が皆無な理由も

すべて、ここに繋がるのだ

 

だったら――――……

 

幸村は息を飲むと、ぐっと彼女の手を握った

いきなり手を握られた綾は、その黒曜石の瞳を大きく瞬かせた後、幸村を見た

 

「私を信じて下さい」

 

「幸村様?」

 

幸村の言いたい事が分からず、綾は首を傾げた

だが、幸村は退かなかった

いや、退けなかった

 

「私は、貴女を信じます。だから、貴女にも私を信じて欲しい」

 

「…………」

 

「私は、心配なのです。綾殿、貴女の事が心配なのです。私だけではありません。 お館様や山県殿や高坂殿だって同じです。 だからお願いです。もっと、自身の身を大切にしてください。 でないと、私は安心して夜も眠れません」

 

「…………」

 

綾は静かに瞳を瞬いた後、小さな声で

 

「………心配…なのですか?」

 

「そうです」

 

「…………」

 

また、綾が押し黙った

が、数分もしない内に小さな声で 「……分かりました」 とだけ答えたのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸村は、物凄い形相で廊下を歩いていた

 

お館様に聞かなくては!!

 

綾のあの反応

あきらかに普通ではない

そして、その理由を知っているのは恐らく信玄だけだ

 

そう思って、信玄の私室までやって来た

幸村は一度だけ咳払いをすると

 

「お館様、お休み中失礼いたします。少々宜しいでしょうか?」

 

幸村の声に、信玄は「開とるよ」とだけ答えた

幸村は、すっと襖を開けると、一礼する

 

「この様な時間に、申し訳ありません」

 

そう言って謝罪の言葉を述べるが、信玄は気にした様子もなく

 

「よい、来る頃だろうと思っておった」

 

そう言って、幸村を招き入れた

一瞬、その言葉に首を傾げる

 

“来る頃と思っていた”……?

それでは、まるで幸村がこうして来ることを予測していた様ではないか

 

「あの、お館様、実は……」

 

用件を話そうと切り出すが、その前に信玄に制された

 

「皆まで言わずともよい。綾の事じゃろう?」

 

「………!?何故、それを……!?」

 

どうして、綾の事だと分かったのだろうか

だが、信玄は至って当たり前の様に

 

「おことの性格からして、あの後 綾の所に行ったのじゃろう?そして、綾の反応に違和感を覚えた。違うか?」

 

鋭い……

 

「………その通りです」

 

まったくもってその通りだった

 

「綾殿は、何か変なのです。何といいますか…自身の事に無頓着なのもありますが、危機感が果てしなく薄いとか…。今回の怪我の件もそうです。あれだけ酷いのに、大した事ないとか、痕が残ってもいいとか…兎に角、何か変なのです」

 

信玄が小さく頷いた

 

「ふむ……他にはあるかのぅ?」

 

「後……私が、自身をもっと大切にして下さる様に約束をお願いしましたら、“何故か”と問われました」

 

「ふぅむ…まぁ、綾の言いそうな事じゃなの」

 

と、信玄はいとも簡単に納得してしまった

 

「何故ですか!?普通、そこで“何故か”などとは問いませんよね!?……綾殿には、何故そうしなければいけないのかが理解出来ていない様でした……」

 

「………………」

 

「………お館様、綾殿は今まで一体――――」

 

そこまで言い掛けた時だった

 

「幸村」

 

と、信玄の低い声が響いた

 

はっとして、信玄を見る

信玄はいつものおちゃらけた顔ではなく、真顔で真っ直ぐに幸村を見ていた

 

「おことは、綾の過去を知りたいと申すか?」

 

「………それが、綾殿を理解するのに必要でしたら」

 

幸村が真っ直ぐにそう答えると、信玄は小さく息を吐いた

 

「そうか」

 

信玄は小さくそう呟くと、すっと立ち上がった

ゆっくりと歩き出す

 

「綾がわしに仕える様になったのは、幾つの時じゃと言ったのか覚えておるか?」

 

そういえば、最初に綾に会った時に信玄が言っていた

 

「……確か、十四の頃と」

 

そうだ

故郷の祢津村が滅んで、信玄が引き取ったと

 

「そう、十四の頃じゃ。あの時、綾のたっての願いでノノウになった―――という事になっておる・・・・・

 

「え……?」

 

幸村は一瞬耳を疑った

 

”なっておる”……?

 

「あの、それはどういう――――」

 

「幸村」

 

幸村が問うよりも先に、信玄が口を開いた

そして、幸村の前にしゃがみ、持っていた扇子で幸村の額を付く

 

「ここから先は他言無用じゃ。昌景や昌信は勿論、綾ですら知らぬ事じゃ。おことはそれを知りたいと思うか?」

 

「……………」

 

綾ですら知らぬこと……

だが――――……

 

「――――それが、綾殿を理解する事に繋がるならば」

 

聞きたいと思った

信玄が、一度だけ瞬く

 

「よいか、幸村。この事を知る事はすなわち、綾をその命を掛けて守らねばならぬという事じゃ。一生じゃ。おことは、その一生を綾の為に使ってやる事が出来るか?」

 

一生?

そんなもの、あの黒曜石の瞳に魅入られた時に答えは決まっている

 

 

 

「―――はい!」

 

 

 

 

幸村の神髄なその言葉に、信玄が満足気に頷いた

 

「おことなら、そう言ってくれると思っておったわ」

 

そう言って、にぱっと笑うと立ち上がった

 

「この事を知る者は、今はもうわしと一部の者しかおらぬ。 墓まで持っていくつもりじゃった。――――話そう、綾の事を」

 

そうして信玄から語られた綾の過去は、想像を絶するものだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…いつぶりですかね…?

もう、見るのが怖いので、あえて見ませんww

 

さて、出発前に怪我の話と夢主の話

何やら、反応がおかしい夢主ですww

まぁまぁ、仕方ない

そういう子だからww

 

気になるのは、信玄の話ですが…

そこは、あえて書かずに次回は普通に進みます(笑)←酷いww

 

2012/07/03