朱の刻印-紅櫻緋衣- 

 

 輝き 瞬きの中に 5

 

 

――――出発日当日

 

幸村は、躑躅ヶ崎館の前で旅支度を整えていた

必要な物を二頭の馬の背に括り付けていく

 

三河・遠江・美濃

三カ国を一ケ月に間に偵察するというのだ

しかも、綾は美濃に元美濃守護家・土岐頼次を送り込むという

 

土岐氏といえば、最盛期には美濃・尾張・伊勢の三カ国の守護大名であったが、斎藤氏・織田氏・北畠氏などの対立する諸大名との勢力争いに敗れて没落

現・美濃領主 斎藤道三らによって美濃を追われ、大和の松永久秀を頼ったと言われている

 

そして、この松永久秀だが…現在は織田信長に使えている筈だが…

かなりの、食わせ者と聞いている

 

幸村は実際に会った事はないが

以前は三好長慶に仕えていたが、長慶死後 三好三人衆と共に室町幕府第十三代将軍・足利義輝を“永禄の変”で殺害、畿内を支配したのだ

だが、織田信長が義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、信長に降伏して家臣となったと聞く

 

その松永に縁のある土岐氏が信長包囲網に加担するというのか…!?

 

綾殿は、一体どうやって土岐頼次を動かすというのだ…

 

幸村が考えあぐねている時だった、館の奥からいつもの巫女装束の綾がゆっくりと歩いていきた

持っているのは、少しの荷物と綾には似つかわしくない紅い長弓だった

 

「綾殿……? その弓は…?」

 

幸村が不思議に思いそう尋ねると、綾は一度だけその黒曜石の瞳を瞬かせた後静かに

 

「……護身用です」

 

「ですが……」

 

どうみても、綾が持つには大きすぎる

ざっと見て、二尺六寸はあるのではないだろうか…?

綾自身もそう身体は大きい方ではない
なのに、あの大きな長弓が扱えるというのだろうか……

 

だが、綾は何でもない事の様に自身の馬にその長弓と荷物を括り付けはじめる

そこで、ふとある事に気付いた

 

一ケ月近く旅をするというのに、荷物が少なすぎる

綾の持って来た荷物と言えば、その弓と、小さな小袋だけだった

 

「綾殿? 荷物はそれだけですか…?」

 

幸村がそう尋ねると、綾はやはり一度だけその黒曜石の瞳を瞬かせた後

 

「はい。必要最低限で構いません。これでも忍びで御座いますから身軽でなくては困ります」

 

それは、もしも…を想定して…

という事だろうか

 

その“もしも”が起こらない様に幸村が付いて行くというのに…

綾にはやはり、幸村を当てにする気は全くないのかもしれない

そう思うと、少し心が苦しくなった

 

綾殿は、まだ私を信用して下さっていないのだろうか…

 

そんな考えさえ浮かんでくる

幸村が、心の中で肩を落としている時だった

 

「綾! 幸村!!」

 

館の門から、聴き慣れた声が聴こえてきた

はっとして顔を上げるとそのこには、幸村の兄・真田 信之が馬を引いてやって来る所だった

 

「兄上!?」

 

まさかの、兄の登場に幸村が驚きを露わにする

何故なら、ここ数か月の間 信之は上田に行っていたのだ

 

久方ぶりの兄との再会に、幸村の心がパッと明るくなる

思わず、信之に駆け寄りたくなる

 

その時だった、信之が綾の方に向かって近づいて来た

 

そうだ、兄上に綾殿を紹介しなくては…

そう思い、幸村が「兄上、彼女は―――」と口を開いた時だった

 

それを制する様に、信之が手を上げる

 

兄上…?

 

不思議に思い、幸村が内心首を傾げている時だった

信之は綾の前に行くと、優しげに微笑みながら「綾」と名を呼んだ

 

その時だった、幸村は信じられないものを見た

 

あの綾が、笑ったのだ

それも、自然に嬉しそうに

 

「信之様。いつお戻りに?」

 

綾の問いに、信之は「ん?」と声を洩らすと

 

「ああ、今朝方な。お前達が今から三河の方に偵察に行くと聞いてな、一緒に同行しようと思ったんだ」

 

「え……」

 

まさかの信之からの申し出に、綾が一瞬戸惑いの色を見せ

 

「ですが、お戻りになられたばかりでお疲れの筈…ご無理されては お身体に触ります」

 

綾が心配そうにそう言うと、信之は何でもない事の様に「はは…」と笑って見せた

そして、ぽんっと綾の頭に手を乗せると

 

「どうした? 幸村の前だからとそんなに畏まらずに、昔の様に源三郎と呼んでくれて構わないのだぞ?」

 

その言葉に、綾がかっと頬を赤く染めて

 

「呼べません!!」

 

幸村には、綾が信之と親しげにはなす事に驚きを隠せなかった

今まで幸村の知っている綾と言えば、誰に対しても淡々としていて、表情一つ殆ど変えることのない女性だった

 

だが、信之の前だと歳相応の少女の様に見える

つまり、それだけ綾は信之に気を許しているという事…なのだろうか…

 

何故かは分からないが、幸村はぎゅっと拳を握りしめた

 

仲の良さ気な二人を見るのが、何故か辛い

大好きな兄だというのに、嫉妬してしまいそうな嫌な気持ちになる

 

ふと、信之が顔を上げると綾を伴って幸村の方にやってきた

 

「そういう訳だ、幸村。私も行くからな」

 

「信之様!!」

 

綾が尚も止めようとするが、信之は頑として譲りそうになかった

だが、それは綾も同じで信之の馬の手綱を奪い取ると

 

「信之様は、少しお休みになって下さいませ! 本当に倒れてしまってからでは遅いのですよ!?」

 

本気で心配しているのか

綾の表情が苦しそうに歪んでいく

 

だが、信之は逆に嬉しそうに顔を綻ばせた

そして、またぽんぽんっと綾の頭を撫でると

 

「安心しろ、綾。私はそんなに軟ではないよ。それに――――」

 

そこまで言って、突然 信之が綾の額をぴんっと弾いた

 

「!!?」

 

突然額を弾かれた綾は、何が何だか分からないという風に、目をぱちくりとさせた

すると、信之はくすっと笑みを浮かべ

 

「幸村の前や、二人っきりの時は昔の通り敬語でなかった時の様に話せ。いいな、綾」

 

「…………っ」

 

綾が、言葉にならない叫び声を上げる

 

え……?

 

だが、幸村は今度こそ虚を突かれた様に目を瞬かせた

 

昔の様にって……

 

この二人は、幸村が知る前からずっと知り合いだったということなのか…?

私が、知らなかっただけで……?

 

瞬間、胸の辺りに黒く嫌な物が湧いてくる感覚に囚われた

 

なんだこれは……

 

幸村は、ぎゅっと胸元を押さえた

それは、初めて感じる感覚だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで? まずは何処から行くんだ?」

 

信之の問いに、綾は馬上で地図を広げながら

 

「時間があまりませんので、まずは一番時間のかかるであろう土岐頼次を落としに掛かりたいのですが――――……」

 

「土岐頼次?」

 

「はい」

 

その名を聞いた途端、信之は少し考えて

 

「今、土岐氏は織田に従軍していると聞くが……」

 

「名目上は、将軍・足利義昭の家臣という事になっております」

 

「それは、松永久秀だろう?」

 

「ええ…その松永久秀に身を寄せているのです」

 

「なる程な…そうなると、接触はなかなか難しいな…」

 

「ですから、信之様。まずは―――」

 

「こーら」

 

ぱちんっと、信之が綾の額を叩いた

 

「様はいらない。だろう?」

 

「で、ですが……」

 

綾が何とも言えない顔で、むぅっと頬を膨らます

だが、それは逆効果だったのか…

信之は、ふっと笑みを浮かべて

 

「そんな、可愛い顔で睨んでも駄目だ。後、敬語も無しだ」

 

「む、無理です……っ」

 

綾が本格的に困った様に声を荒げた

だが、信之は頑として譲る気は無い様だった

 

「綾、少し肩の力を抜け。お前は、常に気を張り過ぎだ。今は、私も幸村もいるのだぞ? もっと頼れ」

 

「……そう…もうされましても……信之様…あの…」

 

「信之」

 

「……………っ」

 

綾が益々困った様に顔を顰かめた

すると、信之が呆れに似た様な溜息を洩らした

 

「お前は、本当に頑固だな。しかし、幼馴染に敬語で様付呼びされる私の身にもなれ」

 

「う………」

 

その言葉が、決定打だったのか…

綾が観念したかのように、小さな声で「信之…」と名を呼んだ

 

「これで…いいかしら?」

 

それに満足したのか、信之が嬉しそうに微笑む

 

そんな二人が会話する後ろを、幸村は黙って付いてきていた

とてもじゃないか、割って入れそうにないその雰囲気に、なんだか、またもやもやした嫌な何かが湧きあがってきそうになる

 

「綾殿と兄上は仲がいいのだな……」

 

自分の時とは大違いだその時だった

 

「そ~なんですよ~。もう、あの二人昔から らぶらぶなんですよねー」

 

突然頭上の木から声が聴こえたかと思うと、ひょいっと幸村の横に一人の少女が下りてきた

髪を右側で高く結い上げたその身軽な少女は、何でもない事の様ににこっと笑った

 

「そなた…付いて来ていたのか…」

 

「はい、あたしは幸村様の忍びですから!」

 

そういって、少女は幸村の横を歩きながら、前を行く綾と信之を見た

 

「昔からというのは…?」

 

幸村のその問いに、その少女は両手を頭の後ろに当てたまま

 

「要は、幼馴染ってやつです。幼い頃からずっと一緒に居たんですよーあの二人」

 

「そうなのか…? しかし、私は綾殿には会った事がなかったが…」

 

幸村も、信之の幼い頃を知っている

しかし、そこに綾の存在はなかった

 

信之の幼馴染なら、幸村も会った事がある筈である

しかし、まったく記憶にない

 

すると、その少女はその問いに答える様に

 

「それは仕方ないです。武田に来たのは信之様の方が先ですし…彼女は彼女で、色々と事情持ちですしねー」

 

その言葉に、あの時の信玄の言葉が脳裏を過ぎった

綾の出自

 

「まさか、そなた知っているのか?」

 

信玄は、自分と一部のもの以外は知らないと言っていた

まさか、その一部にこの少女も含まれているというのだろうか?

 

すると、少女は、「にゃはははは」と笑いながら

 

「いやだなー幸村様。あたしは、単なる忍びですよ? そんな極秘情報は知り様がないですって」

 

「そう…か…」

 

何故だろう

何故か、ほっとしている自分がいる

 

「でも――――……」

ちらりと、少女が信之を見た

「信之様は、ご存じなんじゃないですかねぇ~?」

「……………」

 

兄上は、お館様の話をご存じなの…だ、ろうか……

 

そんな事を考えていた時だった

不意に、綾が振り返って少女を見た瞬間、「あ…」と声を洩らした

 

「…気配がすると思ったら、やはり付いて来ていたのね…くの」

 

「はい。だって、あたし、幸村様をお守りするのが役目ですもん」

 

そう言って、くのと呼ばれた少女はちゃっと額に手を当てた

 

この少女、本名が明かせないらしく「女忍者」から「くのいち」と名乗っているのだ

だが、それは名ではない

いうなれば、綾もくノ一に変わりない

だからと言って、呼び名が無いと不便なので一般的に「くの」と呼ばれる事が多い

綾は小さく溜息を付いた

 

本当は一人で来る予定だったのに…

随分と、大所帯になってしまった

 

これでは、偵察というより旅仲間ね…

 

綾がまた心の中で大きく溜息を付いた事は、誰も知る由も無かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続

 

 

連載再開でーす!
戦国4の影響ですね

 

がっつり、信之様出しちゃいましたww

後、くのいちも登場です

 

やっと、無双らしくなってきた(笑)

 

2014/04/21