◆ 輝き 瞬きの中に 2
「わざわざ足を運んでもらってすみません」
「いえ………」
綾は幸村に連れられて、彼の邸に来ていた
幸村の邸は躑躅ヶ崎館からそう遠くはなく、馬で少し行った所に建っていた
本当は、綾は自分で馬を出すと言ったのだが…
幸村が帰りも送ると言い、仕方なく幸村の馬に相乗りする形で来る事になった
幸村の存在自体は知っていた
信玄の信頼も厚く、並み居る武将達の中でも中々の腕前だと聞いている
まだ、若いのに大したものだと思ったのを覚えている
実は、綾は幸村の事を少し怖い人ではないだろうかと思っていた
あの若さで並み居る武将達の中でそれなりの地位に就くのだから、それなりの事をして来たのだろう
事実、それは表立って見えなかったが、綾を考えらせるには充分だった
戦場での目覚しい活躍を知っている側としては、困惑する
でも、実際に話した幸村は違っていて
優しそうな、戦いなどとは無縁そうな人だった
掴めない……
綾はそう思った
真田幸村と言う人物が掴めなかった
幸村に通された一室は、綺麗に片付いていた
でも、片付いてはいるが、至る所に書物がある
恐らく、兵法書の類だろう
幸村は「少し待っていてください」と言って、室を後にした
綾は1人残され、室の中を見渡した
室には燈台に明かりが灯されてはいるが、少し薄暗かった
机の上に何かの書物が置かれている
綾はそっとそれを手に取った
「孫子………」
それは大陸では有名な孫子の兵法書だった
「勉強してるのね……」
きっと夜な夜な兵法書に目を通し、遅くまで勉強しているのだろうと思われた
そういった、努力の賜物が”真田幸村”その人なのだろう
その時、スッと障子戸が開いた
「あ………」
入ってきたのは、幸村だった
持っている盆に茶と何か包みの様な物を乗せている
「すみません。散らかっていて」
幸村は少し恥かしそうにそう言った
「いえ……こちらこそ勝手に触って申し訳ありません」
人の物に勝手に触ったのだからと、綾は非礼を詫びた
でも、幸村は気にした様子もなく、微笑んだ
「構いませんよ。でも、女性には興味の無いものかもしれません」
そう言って、お茶を差し出す
「あ、ありがとうございます」
綾は湯呑を受け取り、素直に礼を言った
幸村はにこっと笑い、自身も腰を降ろす
「これ…孫子、ですね」
「ええ。興味がおありですか?」
「…私も少し読んだ事があります。一応、これでもお館様に仕える者ですから、一通り知識としては知っています。幸村様は、これを?」
「ちょっと復習しようと思いまして」
一通りは読んでいると幸村は告げた
綾は書物を見た
至る所が擦り切れていて、きっと何度も何度も読み返したのだろう
「ちょっと…と言う感じには見えませんが?」
少し、意地悪だな…と思いながら綾はそう口を開いた
幸村が少し驚いた様に目を瞬きさせた
それから、少し解れた様に笑みを作り
「ばれてしまいましたか。実は何度も読み返しております」
幸村は一冊の書物を取ってパラパラと捲った
「孫子、三略、六韜、呉子…大陸の兵法書は色々と勉強になりますから」
幸村が持っている書物も擦り切れていた
何となく、幸村の言わんとする事が分かった
きっと、幸村は信玄の役に立ちたいのだ
その気持ちは自分と一緒だと綾は思った
全ては信玄の為
あの方に天下を見せる為
その為ならどんな事でもしようと思った
「幸村様は、お館様が好きなのですね」
言われて、幸村がパッと赤くなった
「好き…というか、尊敬しています」
少し、照れながらそう言う幸村は年相応の青年に見えた
「私も、好きですよ。お館様。 好き…と言うより、敬愛しています。 あの方の為なら何でもしよという気になります」
それから、綾はじっと幸村を見た
幸村もその視線に気付き、少し頬を染めながらにこりと笑った
「私達、一緒ですね」
「その様ですね」
幸村と気持ちが同じと考えるのは失礼にあたるかもと思ったが
それも、悪くないと思った
「それで、ご用とはなんでしょうか?」
綾は、この話はこれで終わりという感じに、用件を尋ねた
幸村は「あ」と声を洩らし
「今日、来ていただいたのはこれをお渡ししようと思ったからなんです」
そう言って、盆の上に乗っていた包みを差し出した
「これは……?」
「開けてみて下さい」
言われて、綾は包みの紐をシュルッと解いた
中から色とりどりの小さな星が出てきた
「あの……?」
これを渡される意味が分からず、少し困惑した様に、綾は幸村を見た
幸村はにっこりと微笑み
「金平糖ですよ」
それは分かる
分かるが……
「もしかして、甘い物お嫌いでしたか?」
幸村が少し心配そうにそう尋ねて来た
「いえ…そんな事は、ありませんが……」
それを聞いて幸村がホッとした様に微笑んだ
「実は頂いた物なのですが、私はあまり食べないので、どうしようか迷っていたんですよ」
返すのは非礼になるし
かと言って、処分するのも失礼になる
どうしようか、悩んでいたと幸村は言った
それが、どうして自分に渡そうと思ったのか……
「意味が分かりません」
処分係りにされたのだろうか?
それを察したのか、幸村は慌てて口を開いた
「いえ!あの…綾殿は少しお疲れの様に見えたので、甘いものは疲れを取るのに良いと言いますし……」
どう言い訳しようか考えあぐねいているといった感じだった
つまり、幸村は綾が疲れているかもしれないと思って、金平糖を渡したのだと言う
「…………」
余りにも予想外な言葉に一瞬、綾は目を瞬いた
そして、ふと思い当たる
「それは、幸村様もじゃないでしょうか?」
「え………?」
そっと金平糖の包みを撫でながら
「これを渡した人も、きっと幸村様が疲れていると思ったから、渡したのでは?」
「え……?あっ…」
いま、それに思い当ったという感じに幸村はハッとした
恐らく、言われるまで気付かない人なのだろう
他人の事にはこんなにも敏感なのに、自分の事になると疎い人だと綾は思った
きっと、こうやって無理をしているに違いない
「その様な物を頂く訳には……」
これには、幸村への想いが入っている
その様に大事な物を頂く訳にはいかないと綾は思った
きっとこれを渡した人は女性ではないかと思った
これを渡した人は幸村が好きなのだろう
それで、彼を心配してこれを渡したのだ
「うーん、そう言われると…困ります」
どうやら、幸村は本気で困っているらしい
きっと、この分だと本気で気付いてないのかもしれない
かと言って、その気持ちを綾が伝えてしまうのはどうかと思った
「でしたら―――」
綾は金平糖の入った包みを広げて床に置いた
「2人で食べては如何でしょうか?」
「しかし……」
「幸村様」
綾は幸村を窘める様に促した
「人の思いを無下にしてはいけません」
「……分かりました」
観念したかの様に幸村が息を吐き、金平糖に手を伸ばした
1つ取り、それを口に運ぶ
カリッ…と音がした
「甘い……ですね」
幸村が少し困った様に呟いた
どうやら、本当に甘いものが苦手らしい
そんな幸村が少し可愛らしいと思えたし、苦手でも食べる幸村がらしいとも思えた
綾も1つ取って口に運んだ
金平糖は口の中で甘く溶けていく
疲れた身体には、その甘さが染みた
「……女性は甘い物が好きだと聞きますが…」
「………?」
「……どこら辺がいいのでしょう?」
「………」
綾はじっと金平糖を見た
確かに、一般的に甘い物に女性は惹かれる
好きな人が大半だろう
「きっと、幸せな気持ちになるからではないでしょうか」
「幸せ?」
甘い物を食べると幸せな気持ちになる
そういった感情は珍しくない
「……私は別段好きという訳ではありませんが、嫌いではないです」
「それは好きという事ですか?」
「……そうとも取れるかもしれません」
好きな訳ではないが
嫌いでもない
それは即ち、”好き”なのかもしれない
「多分、どちらかに比重を置くなら”好き”なんだと思います」
きっと、それはそういう事なのだろう
「やっぱり、女性は甘い物が好きなんですね。私には理解出来ないかもしれません」
納得した様に、幸村はそう呟いた
その言葉に綾は少し目を見開き
「男性にも甘い物好きはいらっしゃいますよ。ご存知ないのですか? お館様など無類の甘い物好きです」
「ええ!?」
幸村は初めて知ったのか、驚いた様に声を上げた
言われてみれば、よく信玄はほくほく顔で甘い物を食べている気がする……
甘い物を人に薦めるのも好きらしく
そして、よくその被害に合うのが幸村と言いう訳だ
「そういえば、よくお館様から甘い物を頂きます……」
今知った、という感じに幸村は白くなっていた
「私もよく頂きますよ。お館様は自分の気にいった物を人に薦めるのが趣味の様なものですから」
「そうだったんですか……」
ショックを隠せないのか、幸村が益々白くなった
その様子が可笑しくて、綾は目を細めた
「今度、それとなくお館様にお伝えしておきましょう」
幸村様は甘い物が苦手な様です…と
「あ、いえ!お館様のお心を無下にする訳には……っ!」
慌てて止めようとする幸村だが、途中でその動きが止まった
「あ……お、お願いします」
やっぱり、本気で甘い物は苦手らしい
「はい、承りました」
なら、きっとこの金平糖もかなり無理して食べているのだろうと綾は思った
それなら、悪い事をしてしまったかもしれないわ……
少し罪悪感が募る
綾は少し考え
「この金平糖、やはり私が頂いても宜しいでしょうか?」
ぱぁっと幸村が表情を明るくさせた
「は、はい!是非」
そこまでして苦手なのか…と思うと、可笑しくなってきた
「では、頂きますね」
そう言って、綾は金平糖を包み懐へ仕舞った
そんなに苦手なら、最初から受け取らなければいいのに…
と思うも、優しい幸村の事だから無下には出来ないのだろうと容易に察しが付いた
綾は懐から何かを取り出し、その蓋を開けた
「もう、こんな時間なのですね」
「……それは何ですか?」
それは不思議な装飾だった
丸く模ってあり、中からカチカチと不思議な音がする
「これですか?これは懐中時計というもですよ」
「懐中……時計?」
幸村に取っては耳慣れない言葉だった
「時計というのは、長針と短針で時間を示すものなんです」
「その様な物があるのですか!?」
今の時代、時間を明確に示すものは無い
太陽や星の位置で時間を把握するのが精一杯だ
「これは大陸の代物で、以前、お館様から頂いたのです」
「大陸の……?」
「以前、高坂様に分解して量産したいから貸して欲しいと言われましたが…元に戻せそうになかったので、丁重にお断りさせて頂きました」
「はは…高坂殿なら想像付きます」
正直、あの時は冗談にならないと思ったほどだ
「確かに、量産化出きれば、戦の時など役に立つと思うのですけど…」
もし戦のとき時間が明確に分かれば、恐らくこちらの完全優位に進める事が出来るだろう
それでも、まだこれはここの合ってはならない物の様な気がした
「お館様も、きっと綾殿に持っていて欲しいんだと思いますよ」
「そう…でしょうか」
「はい。きっと」
「……そうだといいです」
綾はゆっくりと懐中時計を撫でて懐に仕舞った
「ちなみに、今は何時ごろですか?」
「今は、丁度亥の刻頃ですね」
「あ、もうそんな時間なんですか?」
亥の刻といえば、もう夜も遅い
「すっかり長居して申し訳ありません。そろそろお暇しようかと思いますが……」
「あ、引き止めてしまって申し訳ありません」
幸村は少し考え
「もし、宜しければ泊っていかれませんか?」
綾は一瞬、目を瞬いたが、ゆっくりと首を横に振った
「そこまでご迷惑は掛けられません。明日も早いですし、館に帰ります」
「……分かりました。では、お送りしましょう」
幸村は納得してくれたのか、にこっと笑って手を伸ばしてくれた
綾は素直にその手を取り、立ち上がった
「ありがとうごいざいます」
「いえ。では、行きましょうか」
帰りは行き同様、幸村の馬に相乗りして躑躅ヶ崎館まで送ってもらった
躑躅ヶ崎館の門の所で降ろしてもらう
「今日は、ありがとうごいざました」
綾はスッと幸村に頭を下げた
幸村はにっこり笑って
「いえ、こちらこそお時間を取らせてすみません」
綾はぺこりと頭を下げ、館の門を潜った
「道中、お気をつけ下さい!」
幸村が声を掛けると、綾はもう一度頭を下げて、そのまま館の中に消えていった
幸村はそんな綾の姿をずっと見ていた―――
◆ ◆
「ふぅ………」
綾は湯浴みを済ますと自室へ戻り、夜着へ着替えた
髪を拭きながら、今日の事を思い出す
真田幸村様……
変わったお方だ…と綾は思った
自分にこんなにも近寄ってくる人など限られている
殆どがノノウとしての綾を見る
綾自身を見てくれる人は殆ど居ない
そんな綾を、幸村はノノウとしてではなく、綾自身を見てくれている気がした
そもそも、綾の存在自体が余り知られていない
殆ど甲斐から遠ざかっている為でもある
甲斐には報告の為にしか寄ってない
大半が各地へ散り、情報を集めたり諜報活動をしているかだ
それでも、まだ………
心を許すべきではないと思った
まだ、幸村の真意は分からないのだから
何の為に綾に近づいたのか
どうして綾に優しく接するのか
今は、何も分かっていない
私は、お館様さえ居れば良い―――
あの方さえ私を必要としてくれたら、それで構わない
綾はゆっくりと目を閉じた
そのまま、眠りの淵へ落ちていった―――
あ~何とか、ここまでもたせる事が出来ました(-_-;)
正直、足らないかと思ったよ
さ~て、次回……一気に10日飛びます!
2010/04/25