◆ 月下の舞姫と誓いの宴 7
「――――様」
誰かが呼ぶ声
「――――様」
優しく、囁く様な声が趙雲の耳をくすぐった
「趙雲様」
呼ばれ、ふと目を開ける
「……………」
少し寝ぼけているのか、意識がはっきりしない
趙雲はぼぅ…とした眼で声のする方を見た
視界に入る 白――――
「目が覚めましたか?」
「……………」
趙雲は、瞬きをして言葉を失った
彼の視線の先には、にっこりと微笑みながら趙雲を覗き込む様に見ている少女が1人
サッと血の気が引く
「紗羅殿!?」
趙雲は慌てて起き上がった
瞬間、ズッ…と手が滑り椅子から落ちる
ガタタンと大きな音が部屋に響いた
「痛……っ……」
頭は打たなかったかが、椅子の角に腰を打ってしまった
不意に、バサッと毛布が上から降ってきた
「………?」
趙雲は毛布を除け、視線を泳がせた
「ぷ…くすくす。大丈夫ですか?」
紗羅がくすくすと笑いながら、手を差し伸べて来た
「すみません」
趙雲は少し恥しそうに、苦笑いを浮かべながらその手を取った
そして、椅子に落ち着きホッと一息付く
「お疲れなのでしょう」
「え……?」
確かに、此処の所、忙しさもあり、色々考える事もあり、あまりよく寝れてなかったが……
「でも、此処で寝ては風邪をめされますよ」
くすくすと笑いながら紗羅は趙雲から毛布を受け取り、寝台へ片付ける
ああ、そうか……
「私は紗羅殿の演奏中に寝てしまったのですね。申し訳ない」
「いいえ、お気になさらずに。良い子守唄になったのなら良かったです」
紗羅は、にっこりと微笑んだ
趙雲は何だか恥かしくて、少し頬を染め照れた様に頭をかいた
なんだ
紗羅はここに居るじゃないか
城を出る時に感じた喪失感は思い違いだったのだ
ホッと安堵し、紗羅を見る
自然と笑みが零れた
紗羅がそれに答えるかの様ににっこりと微笑んだ
「もう――――こんな時分なのですね」
紗羅が戸に手を掛け、ゆっくりと開ける
戸の向こうから差し込む夕日が異様なほど赤く 赤く輝いていた
すぅ・・・・・と紗羅の影が床に伸びた
「………趙雲様」
ゆっくりと、そして静かに、紗羅が呟いた
趙雲は、ハッとして顔を上げた
だが、紗羅の表情は夕日の影になっていて読み取る事は出来なかった
風が吹き、紗羅の髪が揺れた
「……………」
「紗羅殿?」
不可思議な異変を感じ、趙雲はガタンと椅子から立った
「………趙雲様」
「どうか、したのですか?」
「……………」
何かがおかしい
何がおかしいのかは分からないが、何かがおかしかった
「紗羅殿……」
趙雲は紗羅の元へ行こうと1歩足を踏み出そうとした
瞬間、何かが足の上に乗っている感触に襲われた
足が 動かない!?
紗羅が遠くを眺める様に、視線を動かした
ぼんやり 視界が歪む
「紗羅殿!?」
「………さようなら、趙雲様」
――――え?
バン!!
ザァ……ッ
急に、扉が大きく開き、突風が部屋の中に押し寄せて来た
「紗羅殿………っ!!」
趙雲の声が風にかき消される
視界が一斉に風で覆われた
目を開けていられないくらいの突風が吹き荒れ、風がビュォと音を立てた
不意に、フッ…と風が凪、視界が開ける
「……………」
趙雲は一瞬、何が起きたのか分からず、放心した
今のは、一体……
次の瞬間、ハッとして
「紗羅殿!大丈――――……!?」
紗羅に声を掛けようとして、趙雲は目を見開いた
つい、先ほどまで紗羅が居た場所を見る
そのこに紗羅の姿は無かった――――
「紗羅…殿……?」
趙雲は一瞬、思考が付いていかなかった
――――え……?
紗羅が 消えた!?
「紗羅殿!」
部屋の外へ探しに行こうとするも、何かが足に乗って邪魔をする
足が動かな
「くそ……!何なんだ!?」
足の上には何もない
だが、何かが乗っている感触だけがあった
「—————紗羅殿!!」
「わん!」
ハッ――――と、趙雲は目を覚ました
「わんわんわん!」
心臓がドッドッと早鐘の様に脈打っている
今の…は………
辺りを見回した
シン…と静まり返った部屋に趙雲が1人――――
室の戸が風に吹かれてキィ…キィ…と鳴っていた
外を見れば、十三夜の月が昇っていた
私は……
「眠っていたのか……?」
額に手を付き、流れ出ていた汗を拭う
嫌な夢だった
不意に、肩に掛かっていた毛布がスルッと落ちた
紗羅殿……?
紗羅が掛けたのだろうか
毛布を引き、片付けようと椅子から立とうとした時だった
「わん!」
ぐんっと足を引っ張られ、つんのめりそうになる
慌てて足元を見ると黒曜が趙雲の足にしがみ付きながら「わんわん」吼えていた
「黒曜……足の重みはお前の仕業か」
趙雲はもう一度椅子に座り、黒曜を抱き上げた
「どうした?」
すると黒曜は「うー」と唸りだし、足をバタつかせた
「ど、どうしたんだ?」
「わんわんわんわん」
「?」
じたばたと足をバタつかせ、黒曜は趙雲の腕からするりと抜けると、だーと戸の所まで走り出した
そして、戸の所で止まり、「わん」と吼える
「………来いと言っているのか?」
趙雲は訳が分からないまま、黒曜の側に行った
不意に、風が吹き、趙雲の髪を揺らした
一瞬、静まり返った室が視界に入る
「……………」
嫌な気配だった
何とも言えない、不安感が漂う
ぐいっと黒曜が趙雲の服の裾を引っ張った
そのまま、ぐいぐいと引っ張っていく
「分かった。分かったから引っ張るな」
妙な違和感を感じながらも、趙雲はその室を後にした
黒曜に連れて来られたのは紗羅の室の前だった
黒曜が、扉の向こうに行こうとがりがりと爪を立てる
「こら、行儀悪いぞ」
黒曜に注意し、戸を叩く
「紗羅殿、私です」
だが、中から返事は無かった
居ないのか?
だが、この時間紗羅が部屋以外に居るという事は考えられなかった
「紗羅殿?」
もう一度戸を叩く
不意に、キィ…と扉が開いた
その隙間をぬって黒曜が室へ入り込む
「あ、こら!」
注意しようと、趙雲が戸に手を掛けた時だった
キィ……と戸が半開きになり、室の中が露になる
中には誰も居なかった
「……………」
悪いと思いつつも、趙雲は静かに、室の中に足を踏み入れた
中は冷たかった
もし、少しの間何処へ出ているのだったら、明かりも付いているだろうし、中もまだ暖かみがあっただろう
だが、室の中は冷たく、真っ暗だった
燭台も灯りを付けた気配は無く、部屋事態に誰かが居た形跡すら無かった
少なくとも、数刻は誰も入っていない
「……紗羅殿?」
趙雲の声だけが室内に木霊する
冷たい――――
寝台も椅子も、部屋全てが冷たかった
不意に、棚の上の書がバサリと落ちた
「……………」
趙雲はその書を拾い、棚の上に置こうとした瞬間、ピクッとその手を止めた
月明かりが差し込み、棚を照らす
重なって置かれている書の横の方に薄っすらと他とは違う跡が付いていた
これは……
その跡に触れ、手を見る
少し埃が被っていた
だが、他とは違う
他の所より幾分少なかったのだ
つまり、ここに少し前まで何かがあった事を暗示していた
跡は長く、細かった
「………!」
思い当るのは1つ――――
3日前に彼女に返した剣
それが、数刻前までここにあった
そして、今 無い
「…………っ!?」
趙雲はガタッと立ち上がった
まさか
嫌な予感が脳裏を過ぎる
さっきの夢
脳裏を過ぎる紗羅の顔
紗羅殿……!
趙雲は走る様に、踵を返して室を飛び出した
まさか
まさかまさかまさか
誰も居ないくなった部屋
無くなった剣
姿が見えない――――紗羅
まさか……!!
早足で角を曲がろうとした瞬間
「きゃっ…!」
「………っ!」
誰かにぶつかった
「すまな……!」
「ちょ…趙雲様?」
ぶつかったのは佳葉だった
佳葉は不思議そうに趙雲を見て首を傾げた
「どうかなさったのですか?というか、いつお帰りに――――「佳葉!!」
切羽詰った様に趙雲は佳葉の肩を掴んだ
「紗羅殿!紗羅殿を知らないか!?」
「………え?」
佳葉が訝しげに趙雲を見る
「紗羅様ですか?この時間ならいつもはお部屋に……」
「………っ!」
趙雲の表情が険しくなる
嫌な予感がどんどん膨らむ
「わん」
不意に、黒曜が走ってきて、ぐいぐいと趙雲の服の裾を引っ張った
そしてそのまま、戸口の方へ走っていく
「くそ……っ!」
趙雲を踵を返して、戸口の方へ走り出した
「ちょ…!趙雲様!?」
佳葉が叫ぶが、趙雲は止まらなかった
そのまま、戸口から外へ出て、城から乗ってきた愛馬に跨る
「趙雲様!」
佳葉が心配そうに邸から出てきた
趙雲は険しい顔のまま、馬の手綱を引っ張った
愛馬が嘶く
「趙雲様!一体、どうしたというのですか!?」
佳葉が慌てて趙雲の側に翔って来た
「紗羅殿が居ない!私は外を探してくる!!佳葉はもう一度邸を探してくれ」
「え!?趙雲様!?」
言うが早いか
趙雲はそう言い残すと、馬腹を蹴った
そして、そのまま邸から飛び出した
趙雲は馬を走らせた
街中だろうが構っていられなかった
人々が走り抜ける馬を見て慌てて道を開ける
前兆は あった
あの日、紗羅に剣を渡した日
彼女はどうだった?
あの日以来、気まずくて何を話して良いのか分からなくて彼女を避けた
何故、無理にでも彼女に会わなかったのか……!
今日の彼女はどうだった?
まるで、3日前の出来事など無かったかの様に無理して笑っていなかったか?
自分は何かを見落としているのではないか
「く……っ!」
趙雲は歯を噛み締めた
私は愚かだ
紗羅殿の気持ちに気付いてやれなかった……!
もし、出て行ったとしたら
彼女がこの蜀で行く当てがあるとは思えなかった
となると、行く先は――――
速度を速める様に、更に手綱を撓らせた
愛馬がぐんっと疾走する
目の前の街門が見えた
もう日が落ちているので閉まっている
「開門!開門せよ!!」
怒声を上げて、馬の手綱を引っ張り止る
街門の門番達が慌てて趙雲の元へ翔って来た
「こ…これは趙将軍!」
「な…何かあったのですか?」
門番達は険しい顔の趙雲に少し怯えながら、口を開いた
「女性が…!女性が通らなかったか!?」
「……は?」
一瞬、何を言われたのかと門番がキョトンとする
あの堅物と有名な趙将軍の口から「女性」と出たのだ
それは驚きもするだろう
しかも、彼の言う言葉には要点しか入ってない
主語が無いのだ
「じょ…女性と言われましても……」
と、口をもごもごさせて門番達は目を見合わせた
趙雲は、落ち付かせる様に、息を吐き
「いや、すまない。夕刻頃女性が通らなかったか?蒼い瞳の女性だ。もしかしたら外套を被っていたかもしれん」
門番達は顔を見合わせた
「そういえば……将軍の使いだという女性が1人……」
「どっちに行った!?」
「え…に、西の方です」
「西?北じゃないのか?」
趙雲は訝しげに門番を見た
門番は首を横に振り
「西でした」
西……?
洛陽に戻るなら北西に向かうべきじゃないのか?
違うのか?
「分かった。ありがとう」
門番に一言礼を言って、趙雲は馬腹を蹴った
そのまま街門を通り抜け、西へと馬を走らせた
何処へ向かっているんだ?
紗羅が出てからどのくらい経ったか
それによっては、追いつくのが変わってくる
こうなったら、昼夜問わず走らせた方が良いな……
何処かで止まってくれればいいのだが
趙雲は手綱を撓らせ、速度を上げた
紗羅がどういう思いで、邸から姿を消したのかは分からない
だが――――
「………紗羅殿」
趙雲は唇をかみ締めた
空には真っ白な月が照らしていた――――
1話分行方不明です夢主
次回は出てくる・・・かなぁ
2009/09/24