桜散る頃-紅櫻花- 

 

 月下の舞姫と誓いの宴 8

 

 

 

あれから、何日経ったのだろうか…

最早、趙雲には時間や日数の感覚が無くなってきていた

 

成都を出て数日は昼夜問わず馬を走らせた

馬も何度も乗り換え、先を急いだ

 

だが、ある街で彼女の足取りが微かだが掴めた

 

どうやら彼女は洛陽に向かっているのではなく江夏を南下した柴桑に向かってるという事だった

長江を西へ向かっている

何故、そこなのか

理由というものがまったく思い浮かばなかった

 

もう、趙雲は蜀から呉の国内に入っていた

 

ありがたい事に検問はさほど厳しくなかった

ので、意外とすんなり入る事が出来た

恐らく、今蜀と呉は敵対関係に無いからだろう

これが魏ならば容易に入る事は出来なかったかもしれない

 

早く追いつかなければと思うも、流石の趙雲の身体でも限界が近かった

軍の強行軍でもここまで厳しい軍行は無かった

 

止む無く、夜は必然的に休む様になった

 

恐らく、それは紗羅も同じだろう

この距離を昼夜問わず走らせる事には無理があった

紗羅殿は無事だろうか…

 

長い距離の為、紗羅の身の安全が心配された

 

旅慣れた者でも、この過密な強行軍ではかなり厳しいだろう

それを、紗羅がやっていると思うだけで、身が引きちぎられそうだった

 

趙雲はギュッと手綱を握った

 

ここまでかなりの速度で追いかけているのに、追いつけないという事は、彼女もかなりの速度で進んでいるという事だ

もし、ゆっくりな行軍にしていたなら、途中で追いつける筈

それが、皆無に等しかった

 

そこまで急ぐ理由があるのか…?

 

柴桑になにがあるのか

その理由が分からなかった

 

それとも、呉を経由して魏へ入る気だろうか

柴桑から洛陽へ向かう という考えも捨てられなかった

蜀から魏へ入るよりも、呉から魏への方が幾分安全だろうし、簡単だ

何故なら、現在蜀と魏は敵対関係にあるが、呉と魏はそこまで敵対している という訳ではない

蜀からは検問が厳しいかもしれないが、呉からならば容易に入る事が出来る筈

もし、そうならば多少の危険を冒してでも先回りして洛陽へ向かうのが得策だった

だが、実際の所 現状がよく分からない

彼女の考える事が分からなかった

よって、その考えは捨てた

可能性に掛けて、洛陽へ先回りするよりも、彼女の後を追う事の方が重要に思えた

 

ただ、紗羅が無理をしていないか

それが心配だった

 

彼女を追う、男の趙雲ですら根を上げたくなる行軍だ

女である彼女にはかなりの負担になる筈である

それぐらい、これは厳しいものだった

 

朝から夕方までは馬を走らせた

夜は街で休む事もあったが、殆どが野宿だった

 

急だった為、そこまで用意して出てきた訳ではない

必然的に、足りない物も出てくる

 

持ち合わせているもので何とかするしか無かった

 

その内、追いつくかもしれない

最初は淡い期待をいだいたが、それは叶わなかった

 

姿は愚か、影すら掴めなかった

 

街行く人に尋ねても、1日前に通過していたり、午後に見かけたという言葉しか返ってこなかった

ただ、何となくだが、足取りははっきりしていた

 

どうやら、彼女の容姿は目立つらしく、聞けば大概返事が返ってきた

 

そうこうしている内に、江夏の街に辿り着いた

 

江夏は、長江に面しているせいか、商業に発展した街だった

新鮮な果実や野菜、魚や肉などが軒並み店を並べていた

珍しい、装飾品や反物もある

それは、それだけ呉が発展している証拠だった

ここを見ているだけでも、孫権の統治が上手くいっているのが分かる

 

趙雲は馬の手綱を引きながら、街を歩いていた

宿屋へ行き、宿の手配と馬の世話を頼む

 

趙雲は部屋へ通された

 

疲労が限界値を越えていた

今にも倒れそうな己の身体を鼓舞する

 

寝台の横に置いてあった、水差しの中から杯へ水を注ぎ、ぐいっと一息に飲んだ

窓から外の風景を眺める

 

街は活気に溢れていた

行き交う人々が笑顔で、嬉しそうに微笑んでいる

 

「紗羅殿………」

 

ポツリと、それは漏れた

 

彼女は今、何処の居るのだろうか……?

 

趙雲は、息を吐き、ドサッと寝台へ腰掛けた

座った途端、一気に疲労が押し寄せてきた

予想以上に疲れていたのだろう

足が鉛の様に重く、手を上げるのもやっとだった

 

趙雲は肘を足に置き、そのまま頭を抱えた

 

もしかしたら、このまま紗羅に追いつくことは出来ないんじゃないだろうか…

このまま、彼女は許都へ 魏へ戻ってしまうんじゃないだろうか…

 

嫌な考えばかりが浮かぶ

 

それは、考えてもせん無き事だった

 

私に出来ることといったら……追いかけることぐらいだった

だが――――

 

もし、会えたら 私はどうしたいんだ……?

 

自分を拒絶した紗羅

 

会えたとしても、何を言ったらいいのか……

自分は、彼女と会ってどうしたいのか

 

あの日以来、会話もままらなくて、彼女を避けた

もし、それが原因で彼女が邸を出たのだとしたら……自分は……

 

「くそっ……!」

 

ダンッと趙雲は力任せに、傍の柱を叩いた

 

追いかけている時はまだいい

それだけに、集中出来るから

でも、もし、追いついてしまったら…?

 

彼女がやはり、自分と会うことを拒絶したら…?

心のどこかで、このまま追いつかなければ良いと思う自分が居る事に気付かされる

ずっと、追いかけるだけなら、心を保てる

 

「……………」

 

そんなの弱い考えだ

いつから、自分はそんな脆弱な考えをする様になったのだ

 

思考に心が追いつかない

焦れば焦るほど、心がざわつく

 

何を考えても、何をしていても、彼女の姿が過ぎる

 

今、彼女はどういしているだろうか

今、彼女は何を思っているだろうか

 

これは、何なのか

 

 

話したいのに、話せない

会いたいのに、会えない

この手に閉じ込めてしまいたいのに、手から砂が零れ落ちる様に、指先からすり抜けて行く

そのままいつかは消えてしまうかもしれない――――

 

これは、何と言う感情なのか

 

 

「私は………」

 

 

 

  『趙雲様』

 

 

紗羅の姿が脳裏を過ぎる

にっこり微笑み、でも、何処か寂しそうに笑う彼女は――――消えてしまいそうなほど儚げだった

 

手を伸ばせば届きそうなのに、届かない

スッと消えて、ぽっかり心に穴が開いた様な感覚に陥る

 

ああ………そうか

 

趙雲は思った

自分は、彼女が”好き”なのだと

 

彼女の傍に居たい

彼女をこの手に抱きしめたい

 

狂おしい程、彼女が”愛しい”の だと――――

 

ただ、言いたい

”愛している”と

そして、”ありがとう”と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、趙雲は夜まで休み、日が落ちるのを待って宿を出た

その足で、酒場へ向かう

酒場は所謂情報の宝庫だった

色々な情報、情勢が手に取るように入ってくる

江夏まで来たら柴桑は目と鼻の先だ

昼間、うろついて微かな情報を探すより、酒場で聞いた方が手っ取り早い

 

酒場の戸を潜ると、チリン…と可愛らしい鈴の音が響いた

そのまま、趙雲は普通の席ではなく、店主と話が出来る、向かい合わせの席に座った

程なくして、他の客の相手をしていた、店主がやって来た

 

「お客さん、ご注文は?」

 

「ん……そうだな」

 

食べる気も起きなかったし、されど飲む気にもなれない

趙雲は、品書きがら適当に飲み物を注文した

 

店主が、「少し待ってな」と言って、奥から取り出した、瓶からとぷとぷと杯に注ぎ、出してきた

趙雲は軽く頭を下げて、それを口付けた

 

「どうだい?美味いだろう?」

 

店主がにこにこ顔で話しかけてくる

 

「……そうだな」

 

確かに、その酒は美味かった

流石、長江の流通の要所なだけある

良い品が入ってくるのだろう

 

「お兄さん、旅の者かい?この辺じゃ見かけない顔だね?何処から来たんだい?」

 

店主は杯をきゅっきゅっと小刻みに拭きながら話しかけてきた

 

趙雲は少し笑い「そうだな」と答える

 

「蜀だ」

 

「ああ、四川の方からかい!あっちは野菜料理が美味いよね!でも、辛いんだろう?」

 

確かに、蜀は山間の都なだけあって、山菜が豊富だし、味付けは濃い目が多かった

趙雲的には、慣れてしまってさほど濃くは感じないが…

 

「こっちは広東料理だからね!良い海の幸が取れるし、肉も上等なのが入ってくるし、美味いけど、四川の味に慣れてたら物足りないかもしれないねぇ~」

 

あははははと笑いながら、店主は景気よくちょっと出っ張ったお腹を叩いた

 

「うちは料理も美味いんだよ?何か注文するかい?」

 

「そうだな……」

 

余り食べる気は起きないが、ここで断るのも無下に思えた

趙雲は、品書きを見て少し考える

 

「これなんかうちのお勧めだよ」

 

店主が進めたのは、海老と山芋の鉄板焼きだった

 

さすがに、今は食べれそうにないと趙雲は思った

代わりに、簡単な軽食を頼む

 

「あいよ。ちょっと待ってな」

 

そう店主は答えると、厨房へ注文しに行った

程なくして、料理が運ばれてくる

 

趙雲は、箸でそれを掴み口に運んだ

確かに、蜀の味付けとは違うらしい

だが、これはこれで悪くないと思った

さっぱりしてて、食べやすい

食欲が無い趙雲の口にも合った

 

「店主、聞きたい事があるのだが……」

 

「うん?なんだい?」

 

店主が2杯目の葡萄酒を注ぎながら、訪ねて来た

 

「昨日…いや、もしかしたら一昨日かもしれない。旅の女性が尋ねて来なかったか?」

 

「うん?女性ねぇ……」

 

はて?女性?と言う感じに店主は首を傾げた

そして、にかりと笑い

 

「うちには女性客も沢山来るからねぇ~ほら、お兄さんの後ろにも!」

と、1人の女性客を指差す

見ると、1人の女性客が食後のお茶を飲んでいる所だった

 

「あの人じゃないんだろ?」

 

「ああ、違うな」

 

「そうだねぇ~特徴とかあるかい?」

 

「……蒼い瞳に漆黒の髪をしている」

 

「蒼い瞳……」

 

店主はうう~~んと少し考え、「ああ!」と声を上げポムッと手を叩いた

 

「そうそう、昨日だったかな?えっらい美人のお客さんが来たよ!確か…瞳は蒼かった気がする」

 

うんうんと店主は頷いた

 

「本当か!?」

 

趙雲はガタンと思わず、立ち上がった

店中の目が趙雲に集まる


「まぁまぁ、お兄さん座りなよ」

 

店主がやんわりと着席を促した

ハッとして、趙雲は無言で座った

 

店主は、顎の髭を摩りながら

 

「いや~あれほどの別嬪さんは中々見かけないから、よく憶えてるよ、うん。そういえば、あのお嬢さんも蜀から来たと言っていたかな?」

 

紗羅だ!

と、趙雲は思った

思わず、身が乗り出す

 

「もう、えっらい美人さんだろ?彼女が店に入ってきた瞬間、時間が止まったかと思ったよ」

 

その時の事を思い出しているのか、店主はうんうんと頷きながら話した

 

「それで?彼女は何処の行くか言っていなかったか?」

 

「ああ、そういば…ここから1日半行った先にある鄱陽湖への行き方を聞かれたな」

 

「鄱陽湖?」

 

鄱陽湖とは、大陸一大きな淡水湖だった

長江の上流にあり、呉の流通の要になっている

鄱陽湖なら、彼女の行き先とも合致する

でも、何故鄱陽湖に?

 

イマイチ意図が分からなかった

 

「そこには何かあるのか?」

 

「鄱陽湖かい?そうだねぇ…冬だと渡り鳥がよく飛来してくるよ。でも、今の時期ならやっぱ桜だろうね」

 

「桜?」

 

趙雲は、訝しげに店主を見た

 

今の時期に桜?

時期的に桜の季節は終わっている

今、桜が咲いているのは普通に考えたらありえない事だった

 

「そう、”桜”だよ」

 

店主は、ずずいと身を乗り出して、人差し指を立てた

 

「お兄さん、”狂い咲き”って信じるかい?」

 

「……………」

 

狂い咲きというと、台風や天候などによって、時期とは違う時期に咲く――――という事だろう

無い――――訳ではなかった

 

「鄱陽湖の東岸に、有名な樹齢四百年の”狂い咲き桜”があるんだよ。毎年、今の時期満開になってるだろうよ」

 

「……彼女はそこに行った…と?」

 

「あくまでも、予想だけどね?」

 

店主はおどけた様に、首を捻った

 

「今の時期、鄱陽湖に釣り以外で行くとしたらそれしかないだろう?まさか、あのお嬢さんが釣りとは思えないしね」

 

鄱陽湖に狂い咲き桜――――か

 

少し、考えて趙雲は席を立った

 

「ありがとう。助かった。礼を言う」

 

机に金を払い、出て行こうとする

 

「あー!待ったお兄さん」

 

店主が慌てて趙雲を呼び止めた

店の戸をくぐろうとして、趙雲が振り返る

 

「桜咲樹に向かうなら夜が良いよ!」

 

「夜?何故だ?」

 

普通に考えて、向かうなら昼間の方が良いのではないだろうか

だが、店主は何かを書くと奥から出てきて、趙雲にそれを手渡した

 

「これは?」

 

手渡された紙を見る

開くと、それは地図の様なものだった

 

「桜咲樹までの地図だよ。昨日のお嬢さんにも同じも物書いてあげたんだ。あそこは入り組んでるからね」

 

「ああ、助かる」

 

「で、桜咲樹には夜に着く様に向かう事。これ絶対ね」

 

「………?」

 

趙雲は意味が分からず首を傾げた

 

「何故だ?入り組んでるなら夜は避けた方がいいだろう?」

 

逆に迷ってしまうのではないだろうか

だが、店主は人差し指をちっちっちと揺らし

 

「あまいね、お兄さん。目印があるんだからそれを活用しなくっちゃ」

 

「目印?」

 

「驚いちゃ駄目だよ?」

 

ずずいと、もったいぶる様に店主が近づいてくる

趙雲は訝しげに、店主を見た

店主は、にんまり笑い

 

「光るんだよ」

 

「光る?」

 

「そう!桜が光るんだ!」

 

「まさか……」

 

趙雲は、ははっと笑った

店主はしてやったりと言う感じに、にんまりと笑い

 

「お!お兄さん良い反応だね!やっぱり、こうでなくっちゃ!」

 

うんうんと店主は満足げに頷いた

 

「昨日の、お嬢さんは知ってたみていでイマイチ反応が微妙だったから面白くなかったんだよね」

 

「冗談でも、桜が光るとは思えないが?」

 

「いーや、光るんだよ!まぁ…正確には”光ってる様に見える”んだけどね。明後日は満月だろう?こんな日は、月の光が反射して桜が光ってる様に見えるんだよ」

 

どうやら店主は嘘を言っている様では無さそうだ

恐らく、本当に”光って見える”のだろう

 

「つまり、それを目印に進め…と?」

 

「お兄さん、頭良いね!その通りだよ」

 

店主がバンバンと趙雲の背を叩いた

余りの強さに思わず、咽る

 

店主は、にかっと笑い

 

「見つかるといいね!捜し人」

 

「あ、ああ……」

 

店主は多分、悪い人では無いのだろう

ただ、少々リアクションが大げさな気がするが……

 

そのまま、手を振る店主を後ろ目に酒場を後にした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿への帰り道、露店が所狭しと並んでいた

時間もそんなに早くないのに、露店は盛況だった

 

街の人、皆、思い思いに露店を楽しんでいる

生鮮食品を始め、首飾りや簪などの装飾品から反物、焼き物まで色々と露店が店を並べていた

 

趙雲は特に、露店に用事があった訳でないので、す通りしていた

 

「よ、そこのお兄さん!旅の人かい?」

 

不意に声を掛けられた

 

足を止めると、そこは果物の露店だった

さくらんぼや枇杷、杏などが所狭しと並んでいた

店主がにこにこしながら手招きしている

 

趙雲は少し躊躇ったが、露店に足を向けた

 

「お兄さん、買ってかないかい?良いのが入ってるよ」

 

店主が色々な果物を手に取り進めてくる

 

「いや、私は……」

 

断ろうとしたが、ずいっと1つの果物を勧められた

熟した李だった

 

「もう、こんな時期か……」

 

李が出回るのは、初夏に近くなってからである

今居る江夏が成都よりも位置的に南よりなのも関係しているだろう

 

店主は、にんまりと笑って

 

「美味そうだろ?1つどうだい?こいつは丁度今朝入ったばかりなんだ」

 

そう言って、李を差し出してくる

 

趙雲は少し考え

 

「そう……だな。なら1つ・・・…いや、2つくれ」

 

「あいよ!」

 

店主が気前よく返事をし、籠から李を取り袋に詰める

趙雲は、それを受け取って代わりに、代金を支払った

 

「まいどあり。またな、寄ってな?兄ちゃん」

 

店主はにこにこしながら手を振っていた

趙雲は曖昧に笑みを浮かべ、頭を下げて、その場を後にした

宿への帰りの道中、手にした李を見る

 

紗羅に会えたら、渡そうと思った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

趙雲、押しに弱い・・・?

夢主、出てこず

出ると予定だったのですが、次回へ持ち越しました

再会はいつになるでしょうか?

とりあえず、今回は趙雲は自覚したって事で!

 

多分、ですが、距離と日数が合って無いと思います

その辺は、大目に見てやって下さいm(_ _)m

 

2009/12/24