桜散る頃-紅櫻花- 

 

 月下の舞姫と誓いの宴 5

 

 

 

「黒曜」

 

「黒曜」

 

紗羅は名を呼びながら屋敷内を歩いていた

 

「黒曜」

 

呼べども返事はない

いつもなら、息を切らせて駆け寄ってくるのに、今日に限って見つからなかった

 

庭先に出てみる

 

「わん!」

 

どこかで黒曜の声が聞こえた

紗羅は声のする方に向かった

 

向かった先は、梔子の花が咲き誇っていた

甘い香りがする

 

「黒曜?」

 

紗羅は、辺りを見回してみた

 

がさがさ

何かが動く音がする

それと同時に鳥の鳴き声が聞こえて来た

 

がさがさがさ

 

音のする方に歩み寄って見ると、急に何かが飛び出してきた

ぼふっと紗羅の足元に当たる

 

だがその影は、直ぐに方向転換し、何かを追いかけて行った

よく見ると、くりんした尻尾の黒い仔犬が小鳥を追いかけているではないか

 

「黒曜」

 

紗羅は仔犬の名を呼んだ

しゃがみ、手を差し出す

黒曜は呼ばれて気が付いたのか、鼻をふんふんとさせ、紗羅の方を向くとだーと駆け寄ってきた

尻尾を千切れんばかりに振って紗羅の胸元に飛びつく

 

「黒曜、鳥を虐めちゃ駄目よ」

 

言っても通じないだろうが、一応注意する

黒曜は、追う鳥に興味は無くなったのか、「わん」と鳴きながら紗羅にじゃれた

 

「あら、紗羅様こちらに居ましたか」

 

不意に呼ばれて振り返ると、お盆の上に茶器を乗せた佳葉が廊下に立っていた

 

「佳葉」

 

「黒曜も一緒ですか」

 

佳葉はにっこりと微笑み

「紗羅様、お茶に致しませんか?今、お部屋に行こうかと思っていた所でしたのよ」

 

「あ、今戻るわ」

 

紗羅は黒曜を抱き上げ、スッと立ち上がった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こぽぽぽぽと佳葉が茶杯にお茶を注ぐ

紗羅はそれを受け取り、香りを楽しむ

 

芳香が漂う

 

紗羅は一口、口をつけた

こくんっと飲むと、何ともいえない、甘味が口の中に広がった

 

「美味しいわ、甘いのね」

 

「これは、観音王ですわ、甘く感じるのが特徴ですね」

 

砂糖の様な甘さではなく、甘くないのに甘味を感じるのだ

不思議な感じだった

 

足元では黒曜がおやつをはぐはぐと食べている

 

茶請けに出された茶梅と蜜餞にも口付ける

茶梅は酸味は無く蜜漬けにした甘味のある菓子だった

中国茶に漬けた梅や中国酒に漬けた梅など種類も豊富だ

 

蜜餞は乾燥された果実だ

棗、くこの実、無花果、芒果や、蓮の実の砂糖漬けなどもこれも多種多様だ

ただ乾燥させただけでなく、ちゃんと味も付いている

 

「そうそう」

 

佳葉が二煎目を入れながら、紗羅に話しかけた

 

「今日は趙雲様早く帰られるそうですよ」

 

「本当?」

 

「はい、先ほど連絡がありました」

 

ここ最近、城勤めが忙しく、朝は早く、帰りは遅かった

酷い時は、皆が寝静まった後に帰ってきていた程だ

 

紗羅も、ここ数日趙雲の姿を見ていなかった

少し、寂しい…とも感じたが我侭は言えない

こうして、一緒に住まわしてもらえるだけでも、いや、一緒の国内に居るというだけでもありがたいと思わなくては

どうも、最近は贅沢になってきている様だ

 

魏に居た頃は、ただ一目 姿さえ見れればそれで良いと思っていた

それが、叶った今、話したいと、一緒に居て欲しいとすら思ってしまう

なんて我侭なんだろう…と紗羅は思った

これ以上望むなど、おこがましい

これ以上近づけば、もっと望んでしまう

それは駄目だ

 

紗羅は視線を落とした

 

黒曜が、無くなったおやつをもっと欲しいと佳葉に強請っている

 

黒曜の様に正直になれたらどんなに楽だろうか

だが、それは叶わない 望んではいけない

これ以上は、望んではいけない―――――

 

私は”去る者”だ

いずれはここを去らなければならない

遅かれ早かれ、その時は来る

 

「……………」

 

紗羅は目を伏せたまま、こくっとお茶を飲んだ

 

「紗羅様?お寂しいのですか?」

 

「え?」

 

不意に、話しかけられハッとする

佳葉は、紗羅の異変に直ぐに気が付いてしまう様だ

 

佳葉は、にっこりと微笑み

 

「大丈夫ですわ。今日は趙雲様と会えますよ」

 

「え……あ、そ…うね」

 

紗羅は無理して笑顔を作って答える

 

気付かれてはいけない

佳葉は鋭いから、気付かれない様にしないと――――

 

紗羅は、ギュッと茶杯を握り締めた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜半過ぎ――――

 

紗羅は自室で書物を読んでいた

何度も、読んだがやはり、兵書や軍記物と違い物語りは面白い

 

ぱらっと書を捲る

 

不意に、戸を叩く音が聞こえた

 

「はい、開いてますよ」

 

返事をすると、キィ…と戸が開き趙雲が姿を現した

 

「趙雲様?」

 

紗羅は思わず立ち上がった

数日振りに見る趙雲だ

 

「夜分遅くに、すみません」

 

趙雲は、苦笑いを浮かべ、謝罪の言葉を述べた

 

「いえ、どうぞ中へ」

 

紗羅は書物を机に置き、趙雲を室の中へと案内した

趙雲が「失礼します」といって、中に入ってくる

 

紗羅は、サッと棚の方に向かってお茶の用意をした

趙雲の分と、自分の分の茶を入れて、席に戻る

 

「どうかしたのですか?」

 

お茶を差し出しながら、紗羅は趙雲に尋ねた

趙雲は少し、苦笑いを浮かべながら茶に手を伸ばし

 

「いえ、ちょっと話がありまして………」

 

そう言って、言葉を切った

 

「…………?」

 

紗羅が不思議そうに首を傾げる

どう切り出そうか迷っているのか、趙雲は頭をかきながらふと机の上に置いていある書に目をやった

 

「書物を読んでいたのですか?」

 

「え?あ、はい」

 

「それはすみません。邪魔してしまいましたか」

 

「いえ、大丈夫ですよ」

 

紗羅は慌てて手を振った

 

「何度も読んだものですから」

 

そう言って、書物を片付ける

 

「それより、お話とは……?」

 

「あ……それは、その………」

 

趙雲は言いにくそうに視線を泳がせた

だが、少し息を吐き、落ち着かせると持ってきた布に巻かれた長い物を机に置いた

 

「それは………?」

 

趙雲は無言のまま、その布を取った

 

「……………!」

 

それを見た瞬間、紗羅の表情がサッと変わった

そこには、二振りの剣があった

 

蒼と金の装飾のその剣はまるで同じ物の様にそっくりな造りだった

それは、双子剣の倚天と青釭―――――

 

あの日、趙雲に助けられた日無くしたと思っていた倚天と

長坂で趙雲に預けた青釭

 

  『そなたも一緒に行かぬか?』

 

あの日、長坂で別れ際に趙雲が言った言葉が思い出される

 

  『このままそなたを残しては行けぬ』

 

彼はそう言った

そう言って、自分に蜀に来い――――と

 

紗羅の手が震えた

顔色がみるみる青くなる

 

じっとりと、握った手が汗ばんだ

 

趙雲はその内1本を手に取ると、スッと紗羅の前に差し出した

 

「すみません。ずっと私が持っていました。この剣は紗羅殿にお返しします」

 

そう言って、紗羅に剣を渡す

 

「―――――………」

 

紗羅は無言のまま、震える手でその剣、倚天を受け取った

久々に、持った剣はずっしり重く紗羅に圧し掛かった

 

趙雲はもう一振りの剣を手に取り

 

「この剣は、ある場所である女性から預かった物です。名を”青釭”と言うそうです」

 

「……………」

 

「彼女の持つ剣・確か”倚天”と言ったか…その剣と双子剣だそうです」

 

「……………」

 

「そして、紗羅殿。貴女の持つ剣は貴女が倒れられた日に貴女が持っていたものです。失礼かと思ったのですが、手入れをしておこうと思って鍛治師に預けました」

 

「……………」

 

「鍛冶師が言うには、その剣とこの青釭は同じ鍛冶師が造った物だと言われました。装飾、造り全てが似ている―――と。恐らく、双子剣だと言われました」

 

「……………」

 

紗羅は何も答えなかった

答える代わりに、ギュッと倚天を握り締めた

 

「彼女は私の命の恩人です。彼女が居なければ私は長坂で死んでいたかもしれない」

 

趙雲は青釭を眺め

 

「――――最初、貴女を見つけた時、驚きました。剣だけじゃない。貴女が彼女と雰囲気がそっくりだった。貴女は血の気の失せた顔で……ただその剣だけはしっかり握り締めていた」

 

趙雲は顔を上げ

 

「聞いても良いでしょうか?紗羅殿。貴女は―――――………」

 

「――――この剣は、母の形見です」

 

そう言うと、紗羅は趙雲に背を向けた

 

「………母は私が6歳の時、亡くなりました。それから、私はある人に身を寄せる事になりました。この剣はその人が生前の母に渡した物です。一度は、母の手にあった剣が今一度あの人の下に戻り、そして、私の手の中に来た」

 

紗羅はギュッと倚天を握り締めた

 

 

 

―――――もう、お終いだ

 

 

 

紗羅は目を伏せた

 

恐らく、趙雲は気付いている

 

この剣が”倚天”だと―――――

そして、あの長坂で助けたのが”私”だと

 

恐らく、ただ確信がないだけ

いや、もしかしたらもう確信しているのかもしれない

 

「趙雲様」

 

紗羅は振り返りにっこりと微笑んだ

 

「それだけ、です」

 

「―――――……!?」

 

一瞬、趙雲の表情が俄かに曇る

だが、趙雲はふっと笑い

 

「そう、ですか。分かりました」

 

そう言って、青釭を布に仕舞い席を立った

 

「お時間を取らせてしまってすみません」

 

「いいえ」

 

笑顔は崩さない

 

紗羅は微笑んだまま、趙雲を戸まで案内した

 

「では、失礼します。おやすみなさい」

 

「はい。おやすみなさいませ」

 

そう言って、趙雲は紗羅の室を後にした

バタンと閉めた音が嫌に大きく聞こえた

趙雲の足音が遠ざかる

 

「……………」

 

趙雲の気配が完全に無くなった時、紗羅はその場にずるずるとへたり込んだ

 

ギュッと倚天を握り締め、蹲る

 

「………趙雲様…」

 

紗羅は嗚咽を漏らした

 

声にならない声が、部屋に響き渡る

 

溢れ出た涙は止まる事無く、次から次へと溢れ紗羅の衣を濡らした

長い睫が濡れ、床に涙が零れ落ちる

 

ポツポツと雨が降り出していた

それは次第に酷くなり、いつしか土砂降りになっていた

 

ザ――――と雨の音が酷く耳に付く

 

この感情も、雨の様に流れてしまえば良いのに―――――

 

これは、罰だ

多くを望んだ己に科せられた罰なのだ―――と

 

わかっていた事ではないか

 

いつかはばれる日が来る

それを分かっていて、自分はここに居たのではないか と

 

もう…………

 

 

居られない―――――

 

 

傍には 居られない

 

 

 

 

 

               ここには 居られない―――――………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ……?

何だか雲行きが怪しくなってきましたよ?

 

んふふふふふふふふふ(・∀・)ニヤニヤ

2009/06/25