桜散る頃-紅櫻花- 

 

 月下の舞姫と誓いの宴 12

 

 

 

「はぁ…はぁ……」

 

紗羅は走った

足が縺れようが、身体が重く感じ様が 走った

服が木の枝に引っかかり、擦り切れる

気が付けば、頬も手も足も擦り切れ血が滲み出ていた

 

それでも、紗羅は走り続けた

 

「はぁ……っ、はぁ……っ」

 

泣きたくなる

どうして、自分は逃げてばかりなのだろうか

 

あの男からも、趙雲からも、逃げてばかり

立ち向かう勇気すらない

 

ただ、現実から逃げるだけで自我を保ってきた

 

いつも

そう、いつも、だ

 

現実から目を背け、逃げて―――その先に、あるのは嫌悪感

私は、弱い

立ち向かう事も出来ず、傍に居る事も出来ず、ただ、逃げるだけ

 

「はぁ……っぅ……くっ…」

 

涙が溢れる

 

一体、逃げて何処に行こうというのか

行く場所など―――ない

 

紗羅自身を受け入れてくれる所など―――ないのだ

 

「っ………うっ……っっ…」

 

ボロボロと涙が零れる

 

それでも、走って走って走った

 

『私が、曹操の手から貴女も殿も国も守ってみせます』

 

趙雲の声が木霊する

 

『私を信じて下さい』

 

あの人は、信じて欲しいと言った

 

信じてない訳じゃない

信じられない訳じゃない

それでも、もし何かあったら―――?

可能性は捨てきれない

 

きっと、趙雲は言葉の通り、国を紗羅を守るだろう

それこそ命に代えても

 

でも、それじゃ意味が無い

趙雲が居なくなってしまったら意味が無い

 

私は、趙雲様に生きてて欲しい

たとえ、それがどんな形だろうと、生きてて欲しい

その結果、紗羅自身がどうなろうと、趙雲さえ生きててくれれば―――

 

これはエゴだ

単なる自己満足でしかない

 

でも、少しでも可能性があるなら、それに賭けたい

 

少しでも、趙雲が助かる可能性があるならそうする

今までだってそうして来た

 

例え、その生き方がどんなに否定されようと

私は、何度でもその生き方を選ぶ

 

何故なら、それしか ないから

私の生きる意味がないから―――

 

「はぁっ……はぁはぁ」

 

紗羅は傍の木に寄り掛かり、息を整える様に呼吸をした

 

「はぁ……はぁ……」

 

怒る―――だろうか

 

「はぁ………はぁ……」

 

きっと、怒るだろうな……

 

「はぁ……、はぁ……」

 

怒って、今頃探しているかもしれない

 

それでも、いい―――と紗羅は思った

 

怒って、そして私の事など嫌いになってくれればいい

 

そうして、趙雲だけの”幸せ”を掴んでくれればいい

 

”私”の事など、忘れて……幸せになって欲しい

 

あの人には、誰よりも 幸せに―――

 

ふと、子供達と触れ合う趙雲の姿が頭を過ぎった

 

きっと、子供に好かれるだろうな……

 

その傍に、居るのはきっと自分じゃないけれど、それでも―――

 

よろっと紗羅は木から離れた

 

「早く……行かなきゃ……」

 

ここから、離れないと―――

 

1歩前に踏み出す

ポタッと何かが地に落ちた

 

「あ、れ……?」

 

それはポタポタと次から次へと地へ落ちる

溢れたそれは止まらず、ボロボロと流れ落ちた

 

「何で………」

 

何が、悲しいのか

どうして、私は泣いているのか

 

一体、何故…涙を流すのか

 

「どう、して……」

 

紗羅はそのまま、その場に泣き崩れる様に手を地に付いた

 

「どう、して―――………っ」

 

悲しい

悲しい 悲しい 悲しい

 

辛い

辛い 辛い 辛い

 

苦しい

苦しい 苦しい 苦しい

 

もう、頭の中はぐちゃぐちゃで

心の中は、色々な感情がひしめき合っていて

 

分からない―――

 

自分の心が分からない

 

納得していたではないか

趙雲から離れなければならない事は分かってた事ではないか

 

 

それは、初めから決まっていた事で

それを嘆くのは、今更じゃないか

 

理解している

納得している

 

そう自分に言い聞かすも……心が付いて来ない―――

 

心のどこかで、傍に居たい――と

一緒に居たいと言う己が居る

 

なんと、利己的で、自分勝手な感情だろうか

 

その、一時の感情が、趙雲を危険に晒すかもしれないと分かっているのに

己を制する事すらままならない

 

最低だ

 

なんと最低なのだろう

 

「私なんて、……相応しくない」

 

そう―――趙雲様に相応しくない

 

それでも、あの人は『愛している』と言ってくれた

こんな私を『愛している』と―――

 

それで充分じゃないか

その言葉さえあれば、もう何もいらない

 

趙雲の言ったその一言さえあれば、もう思い残す事はない―――

 

「……行かなきゃ」

 

ぐいっと涙を拭き、立ち上がる

 

「……行かないと…」

 

呪文の様に、その言葉を続ける

 

「……行かなければ…」

 

何処に?

何処に行けばいいの……?

 

道など―――ない

 

もう、”進む道”など、ない

 

それなら――――

 

 

 

「行くって、何処に行こうと言うのですか?」

 

 

 

「!?」

 

紗羅はギクッと身体を強張らせた

ガサッと音がして、木々の間から見知った姿が現れる

 

「趙……っ!」

 

趙雲様!

 

「…………っ!」

 

紗羅は慌ててその場から逃げ出そうとした

反転して、駆け出そうとする

 

しかし、それを趙雲が許さなかった

逃げようとする紗羅を後ろから抱きしめた

「………っ!?」

 

いきなり、後ろから抱きすくめられ、紗羅が硬直する

でも、それは一瞬で、直ぐに我に返った紗羅は慌ててその手から逃れようともがいた

 

「離っ!離して下さい!!」

 

喚きながら暴れるも、その手は緩む所かさらにギュッと力を込められた

 

「離して!!お願いっ……!行かせて……っ!!」

 

「行かせません!」

 

紗羅の言葉を趙雲がぴしゃりと打ち払う

 

「どう、して……っ!」

 

またボロボロと涙が零れた

 

どうして

どうして どうして どうして―――っ!?

 

そればかりが頭の中をぐるぐる回る

 

「なんで……っ、……るん、です、か…っ」

 

言葉が上手く音にならない

 

「なんで…っ!追ってくる……です、か!?」

 

放っておいてほしい

構わないで欲しい

 

そんな紗羅の気持ちは無残にも打ち負かされていた

 

心のどこかで、追ってきてくれた事に喜びを感じている自分が居る

その気持ちがどんどん大きくなっていく

 

浅ましい

なんと浅ましい心か

 

ここまで自分は醜く成り果ててしまったのか

 

「どう、して―――っ!」

 

「……………」

 

趙雲は答えなかった

 

答える代わりに、ギュッと抱きしめる手に力を込めた

 

それが、温かくて 優しくて

錯覚してしまう

傍に、居ても良いんじゃないか―――と

 

駄目

駄目よ

 

微かな自制を振り絞る

 

「お願い、行かせて…下さい」

 

「嫌だと言ったら?」

 

「……行かせて…行かせ…て」

 

声はどんどん小さくなり、消えそうな声になる

 

「紗羅殿。まだ、私が信じられませんか?」

 

「………っ」

 

心を見透かされた気分だった

心の臓を貫かれた様な錯覚さえ覚える

 

紗羅はぶるぶると首を振った

 

「なら、何故傍に居て下さらないのですか?私の傍から離れるのですか?」

 

「だって……っ!」

 

紗羅はバッと顔を上げ、振り返った

まるで言い募る様に、趙雲の衣を掴む

 

「だって!もし、私のせいで趙雲様が傷ついたり、死んだりしたら!?その可能性が少しでも少ない方があるなら、私はそっちを選ばなければならない!!」

 

「何故?

 

「それは……っ!

 

そこまで言い掛けて紗羅はギュッと唇をかみ締めた

瞳一杯に涙を溜め

 

「……死んで欲しくないからっ!」

 

震える手で趙雲の衣を握り締める

 

「傷ついて欲しく…ない、から………」

 

「幸せに、なって……欲しい、から………」

 

もう、どう言い表せばいいのか分からなかった

 

ただ、言える事は――無事で、幸せに―――

 

「傍に…居るのが、私じゃ、なく、ても……」

 

趙雲が笑っていられればそれでいい

そう思えるのだ

 

趙雲はただ静かに、紗羅の言葉を聞いていた

そして、くすっと笑みを浮かべ

 

「なら尚更、紗羅殿は私の傍に居てくれなければ」

 

「………?」

 

「私の幸せは貴女の傍にあるんです。だから、私から離れないで下さい」

 

「………っ!?」

 

明らかに紗羅は困惑していた

 

それじゃぁ駄目なのに……

駄目なのに、嬉しいと感じている自分が居

 

「そんな、の……」

 

言葉が震える

 

「信じられませんか?」

 

「………っ」

 

ドキッとして紗羅は顔を上げた

趙雲と目が合う

趙雲は、にっこりと微笑み

 

「何度だって言います」

 

「私が貴女を守ります」

 

 

「愛してます。―――傍に居てください」

 

 

「………っ!」

 

今度こそ、大粒の涙が紗羅の美しい蒼玉から流れ落ちた

 

神様―――

涙がボロボロと流れ落ちる

私は……この手を取ってもいいのでしょうか……?

 

それが、たとえ茨の道になろうとも―――この人の傍に居てもいいのでしょうか?

 

「いいんですよ」

 

紗羅の心を見透かした様に、趙雲の声が降り注いだ

 

「……うっ…」

 

溢れた涙は止まることを知らず、次から次へと流れ落ちる

 

「あ……ああ……」

 

「紗羅殿」

 

優しい趙雲の声が降り注ぐ

 

趙雲様……

 

嬉しい―――と

 

「ああ、あああ……」

 

傍に居てもいいんだ―――と

 

「うっ…うああっ……ああっ……」

 

紗羅は趙雲の胸に埋もれる様に大声で泣いた

泣いて泣いて、泣き続けた

 

そっと、そんな紗羅を趙雲が抱きしめる

 

「傍に居てくれて、ありがとうございます」

 

趙雲の優しい声が森に響く

 

 

ザァァァァ……と風が吹いた

 

 

木々がざわめき、辺りには新緑の木の葉が舞っていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと掴まえたw

本当に、逃げてばかりで困りましたw

 

さ~て、そろそろ今章の締めに入りたいと思います!

 

2010/05/01