桜散る頃-紅櫻花-

 

 月下の舞姫と誓いの宴 13

 

 

 

――― 江夏

 

趙雲は文机に向かって、文をしたためていた

本当は、文を書く事自体余り得意ではないが…

今回は、執拗に迫られて…といった感じだろうか

その時、トントンと控えめに室の戸を叩く音が聞こえ

 

「どうそ」

 

趙雲が答えると戸が開き、紗羅姿を現した

 

「あの、趙雲様……あ」

 

趙雲が文を書いていた事に気付き、紗羅は少し躊躇った様に

 

「すみません、お邪魔してしまいましたか?」

 

「いいえ、大丈夫ですよ」

 

趙雲は筆を置くと、文を懐に仕舞った

 

「丁度、書き終えた所ででしたから」

 

「そうですか」

 

ほっとした様に、紗羅が微笑んだ

 

「……………」

 

紗羅がじっと、趙雲を見ている

趙雲はくすっと笑って

 

「誰に書いたか気になりますか?」

 

「え!?あ、その……」

 

紗羅が少し慌てた様に、頬を赤く染めた

 

どうやら、彼女に隠し事は似合わないらしい

趙雲はにこっと笑って

 

「別に隠す相手じゃないですよ、佳葉にですから」

 

「佳葉…ですか?」

 

「ええ。ずっと邸を出て連絡してなかったので、流石に拙いかと思いまして」

 

紗羅を追いかけて、邸を出て半月余り経つ

その間、紗羅の事で頭が一杯で邸の者に連絡する事すら忘れていた

流石に、半月も連絡が無かったら、心配されるだろう

 

「……でしたら、私も一筆したためた方が宜しいでしょうか?」

 

紗羅が少し申し訳無さそうな顔をして、そう申し出た

紗羅の気遣いに趙雲は胸が温かくなるのを感じた

趙雲はふわっと優しい笑みを浮かべ

 

「いいえ、大丈夫ですよ」

 

「でも…趙雲様が邸を出られたのは私が原因ですし…もし、出奔されたと思われたら…私…」

 

紗羅は心配そうな顔をした

 

「その辺りはきっと、佳葉が何とかしてますよ。それに……」

 

趙雲が少し、言い改める

 

「場所が場所ですし、理由が理由なだけに、余り余計な事は書けないのですよ」

 

ここは蜀国内ではない

同盟国とはいえ、他国だ

しかも、城や邸からの書簡で無いので、正式な使者を立てる訳でもない

民の使う一般的な手順を踏む事となる

知らぬ相手に手渡すので、何処から情報が洩れるか分からない

細心の注意を払うに越した事ないのだ

 

「簡略的にしか書いてませんし、正直…これを見て、佳葉が怒るのが目に見えてます」

 

趙雲は少し苦笑いを浮かべならが、そう答えた

紗羅はそんな趙雲を見て、目を瞬きした

 

「……?一体、どんな内容を書かれたのですか?」

 

聞くのはいけない事だと思ったが、思わず聞いてしまった

 

「見ますか?」

 

趙雲が懐から文を取り出し、紗羅に手渡す

紗羅は一瞬躊躇したが、その文を受け取って

 

「では、失礼して……」

 

文を開いた

 

「……………」

 

文を読んだ紗羅は少し呆気に取られた様に、目を瞬かせた

 

「ええっと…その……」

 

「い、言われなくても分かってます」

 

「は、はい……」

 

その文は普段の趙雲からすれば、らしくない程簡略的だった

普段の彼ならもっと、まともな文面を書くだろう

だが、そこに記されている文面は、とても彼が書いた様には思えない代物だった

 

「………その…」

 

紗羅が文を趙雲に渡しながら口を開く

 

「……佳葉に怒られる時は、私も一緒に怒られますね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、2人は夕餉を取る為に宿の外に出た

辺りは既に暗く、露店の灯す灯篭が辺り一帯を灯していた

 

朝方、鄱陽湖から出て1日半馬を走らせて、今日の午後ここ江夏に着いた

それから少し休み、今の時間になる

 

紗羅は物珍しそうの辺りを見ていた

 

「珍しいですか?」

 

「え?あ、はい」

 

趙雲が尋ねると、紗羅は少し嬉しそうにそう答えた

 

「鄱陽湖に向う途中も寄ったのですけど、その時は余り周りを見る余裕が無かったもので……」

 

聞くことだけ聞いたら、さっさと宿に戻ってしまったらしい

 

「後で見てみますか?」

 

「え?でも……」

 

趙雲はにこっと笑い

 

「江夏は呉の流通の要です。色々と珍しい物が入ってきますよ。例えば……あれとか」

 

趙雲が指差した方を見る

そこには、きらきらした美しい硝子細工の工芸品が並んでいた

 

「わ…綺麗ですね」

 

別に、硝子細工自体はさほど珍しくはない

ただ、そこにある硝子細工の透明度が珍しいのだ

 

一般的にある硝子はもっと純度が低い

だが、ここに並んでいる細工は透明で、とても美しかった

 

横の露店を見ると、美しい絹や織糸が並んでいた

 

「あの絹も綺麗です」

 

「そうですね、流石…と言った所でしょうか」

 

見た事もない様な色の織糸が、所狭しと並んでいる

あの織糸で刺繍したらどんなに美しいだろうか

 

それに、真っ白な絹が銀糸で織られた様に輝いていた

どれも、他国ではお目に掛かれない一級品だ

 

「とりあえず、食事をしませんか?」

 

お腹が空いたのだろう

趙雲がお腹を押さえてそう言う

 

紗羅はくすっと笑って

 

「そうですね、私もお腹が空きました」

 

それを聞いて、趙雲がほっとした様に笑顔になる

「何処に行きますか?」

 

小料理屋に入ってもいいし、露店を眺めながら屋台で済ますというのも悪くない気がした

普段なら、行儀が悪いと言われそうだが、今は咎める者も居ない

 

「そうですね……」

 

趙雲は少し考え

 

「あ」

 

「?」

 

「行きたい店があるのですが、良いですか?」

 

「?、はい」

 

言われて連れて来られたのは、一軒の酒場だった

戸を潜ると、チリンと可愛らしい呼び鈴がなる

 

中は大変賑わっていた

皆が皆、酒や料理を楽しんでいる

 

そこで紗羅はある事に気付いた

 

「ここは……」

 

「紗羅殿、ここで鄱陽湖までの道のりを聞かれたんですよね?」

 

「え、ええ…よくご存知で」

 

確かに、道を聞いた店に似ていた

あの時は余り周りを見ていなかったので、よく覚えていないが、こんな店だった気がする

 

「店主が紗羅殿の事を覚えておいでだったんですよ。それで私も居場所が分かったんです」

 

趙雲がにこやかに微笑んだ

 

「とりあえず、座りましょうか」

 

「あ、はい」

趙雲に混み入った店内を案内されながら、柜台に座る

すると、以前と同じく奥から人の良さそうな店主が出てきた

 

「ありゃ、いつかのお兄さん!いらっしゃい」

 

店主はにこにこ顔で趙雲に話し掛けた

 

「探し人は…見つかったみたいだね!」

 

ちらっと紗羅を見て、にかっと笑う

 

紗羅が、小さく頭を下げた

店主は、にこにこしながら

 

「やっぱり、お嬢さんだったんだね!そうじゃないかと思ってたんだよ!良かったねーお兄さん!」

 

バンバンと趙雲の背中を叩いた

 

「え、ええ。お陰さまで彼女を見つける事が出来ました。ありがとうございます」

 

少し咽ながら趙雲が店主にお礼を言うと、店主は人差し指を立てて

 

「お兄さん、お兄さん。それなら今度こそうちのオススメ!食べて行ってくれるんだろ?」

 

お勧めと言うと……

海老と山芋の鉄板焼きの事だろうか

 

思わず、紗羅と顔を見合す

 

紗羅がにこっと笑った

 

「……じゃぁ、それをお願いします」

 

「あいよ!」

 

店主が嬉しそうに笑うと、店の奥へ引っ込んで行った

 

「紗羅殿、ここで良かったのですか?」

 

夕食を食べるなら、もっと他の店の方が良かったんじゃないだろうか

だが、紗羅は微笑みながら

 

「はい、構いません。なんだか、楽しそうじゃないですか?」

 

「まぁ…そういう場ですから」

 

「私、こういう所で食事をした事ないので、ちょっと楽しいです」

 

紗羅が微笑みながらそう言うと、趙雲はホッと胸を撫で下ろした

 

「紗羅殿がいいなら、良かったです」

 

その時、奥から店主が料理を持ってやって来た

 

「はいよ~お待たせ!当店自慢の、海老と山芋の鉄板焼きだよ!」

 

目の前に置かれた料理からほかほかの湯気が出ている

 

「熱いから、気をつけて!」

 

趙雲が鉄板焼きを小皿に取り分けてくれる

 

「はい、紗羅殿」

 

「あ、ありがとうございます」

 

紗羅はそれを受け取ると、そっと口に運んだ

 

「熱っ……!」

 

「だ、大丈ですか!?」

 

「え、ええ」

 

予想外の熱さに、一瞬舌が火傷しそうになる

でも―――

 

「あ、美味しいです」

 

山芋の蕩味と、海老のぷりぷり感が良い感じに合わさって、口の中で蕩ける

 

「ふっふっふ!うち自慢の料理だよ!」

 

店主が嬉しそうにポンッと出っ張った腹を叩いた

 

「他に食べたい物はありますか?」

 

「え?ええっと…でしたら、沙拉など頂けると…」

 

「それなら、海鮮沙拉がオススメだよ!」

 

店主が品書きを持ってきて、指差す

 

「こっちの、醤鳥沙拉も美味しいよ~」

 

「じゃぁ……海鮮沙拉を」

 

「他はいいかい?」

 

普通に考えたら、鉄板焼きと沙拉だけなら物足りないだろう

それから、2・3品目頼むと、店主はまた奥へ引っ込んで行った

 

少ししてから、店主が両手に料理を持ってやって来る

 

「はいよ、おまたせ~」

 

目の前に置かれた料理はどれも美味しそうだった

趙雲が1つづつ小皿に取り分けてくれる

少し、申し訳ないと思いつつも、紗羅はそれを素直に受け取った

 

「はい、これはオマケね!」

 

店主がトンと2人の傍に飲み物を置く

 

「うちの自慢の酒だよ。是非、飲んで感想聞かせてよ!」

 

紗羅は恐る恐る杯を見た

普段お酒など殆ど飲まないので、少し怯んでしまう

 

それでも、店主の申し出がありがたいので断れない

紗羅はそっと、杯に口つけた

 

「あ、美味しい……」

 

思った以上に、それは飲みやすかった

酒に馴れていない紗羅でも飲める

 

「さっぱりしてて、飲みやすいです」

 

「本当かい!」

 

「はい、私でも飲めそうです」

 

「そうかいそうかい!そりゃぁ良かった!ささ、お兄さんも飲んで飲んで」

 

趙雲も言われて飲む

 

「ああ、美味いな」

 

喉越し柔らかく、スッと通る

だが、酒に慣れている趙雲には少し物足りない

 

「だが、もう少し強くても―――」

 

「ふっふっふ、そう言うと思ってお兄さんにはこれ!」

 

ドンと店主が大きな扎を置いた

 

「うちの地酒だよ。こっちならお兄さんにも満足してもらえるよ!」

 

扎を受け取ると、趙雲はそれを飲んだ

 

「ああ、こっちの方がいいな」

 

「だろう!」

 

店主が嬉しそうに笑う

 

そんな様子を見ていた紗羅がくすくすと笑った

 

「あ…すいません、紗羅殿。つい……」

 

趙雲が少し照れた様に頭をかく

紗羅はくすくす笑いながら

 

「いいえ、構いません。楽しそうでいいなぁ…と思っていた所です」

 

「……紗羅殿は、楽しいですか?」

 

「はい、とっても」

 

思わず、趙雲が笑顔になる

 

そんな2人を見ていて、店主がにやにやと笑った

 

「所で、お2人さんは恋人かい?」

 

「ぶっ……」

 

趙雲が吹き出した

 

「ちょ、趙雲様!?大丈夫ですか?」

 

げほげほと咳き込む趙雲の背中を紗羅が摩る

 

「え、ええ…大丈……店主!な、ななな何を……っ!」

 

趙雲が真っ赤になって店主に抗議する

だが、店主はにやにや笑いながら

 

「うんうん、お2人さんお似合いね!」

 

「………っ!」

 

思わず、紗羅まで赤面してしまう

他の人から見たら、そう見えてしまうのだろうか?

な、何だか…恥かしい……

 

紗羅が熱くなった両頬を手で押さえていると、店主が人差し指を立ててぬっと身を乗り出した

 

「そんなお2人さんにいい話!今、江夏で話題になってるおまじないがあるんだよ!」

 

「おまじない?」

 

「そ、指輪があるだろ?それを2人で交換すると、永遠に結ばれるっていうんだ!」

 

「……………」

 

「……………」

 

思わず、沈黙する2人

 

ええっと…おまじないと言うと…

 

「所謂、”呪”ですよね?」

 

趙雲が訝しげに言うと、店主は頭をブンブン振った

 

「違うね!”呪”だと呪術みたいじゃないね。そうじゃなくて”おまじない”ね!お守りみたいなものね!」

 

「お守り……」

 

「女の子は大好きね!ね?お嬢さん!」

 

「え……っ。えっと……」

 

いきなり話を振られて紗羅が口ごもる

 

「ま、まぁ…好きだと、思います」

 

多分…一般的には……

 

”おまじない”と言われると少し抵抗があるが、”お守り”と言われると何だか気になる

 

そういうの、やった事ないから分からないけど……

 

そういう物なのだろうか?

 

「お守り…ですか……」

 

趙雲が少し考える様に、手を顎にやった

 

「趙雲様?」

 

「あ…いえ、なんでもないです」

 

「?」

 

すると、店主と趙雲が何かぼそぼそと話し出した

ぐっと店主が親指を立てる

 

何だろう?

 

この時は、まさか後でこんな事になるとは思わなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ…?

まだ、江夏に居ますよ・・・?

よ、予定と大幅に違うな…(-_-;)

うーん、予定では江夏から蜀へ移動している筈だったんですけど・・・何故に

 

とりあえず、佳葉ご立腹は次回へ持ち越しですな

 

しかし、まさかの酒場の店主再登場ww

そんなに、需要が・・・?(ないです)

 

2010/06/06