桜散る頃-紅櫻花-

 

 月下の舞姫と誓いの宴 10

 

 

 

目の前で、焚き火の火が赤々と燃え盛っている

空には、まあるい月が昇り辺りを照らしている

 

手の中には、趙雲に貰った、赤黄色の李があった

李はたっぷりと熟れてて美味しそうだった

 

少しだけ、手の中の李をかじった

 

じわっと、甘味と酸味が口の中の広がり、ぽっかり開いた心を満たしていく

 

美味しい……

 

心からそう思った

じわっと、涙が溢れそうになるのを堪える

 

「紗羅殿、美味しいですね」

 

にっこり笑い、何気なく言ってであろう趙雲の言葉が、胸に染みた

紗羅は、膝を抱え小さく蹲りながら、消えそうな声で

 

「はい……おい、しい…です」

 

と答えた

 

焚き火が赤々と燃えていた

全てを飲み込んで燃え尽くす様に、焚き火はその炎を天上に届くほど伸ばして燃えていた

 

言葉は無く

ただ、時間だけが過ぎていく

 

紗羅は、またそっと李に口付けた

それでも、目は目の前に広がる焚き火に注がれる

 

この中に身を投げてしまえば楽になれるかもしれない

一瞬、馬鹿な考えが浮かぶ

だが、それは叶わないだろう

趙雲が全力を持って阻止するのが、容易に想像出来た

 

紗羅は、また手の中にある李を眺めた

李は柔らかく、ちょっと力を入れたら潰れてしまいそうだった

 

「……………」

 

紗羅は何をするのでもなく、ただじっと李を見つめていた

 

「紗羅殿…?」

 

問われ、趙雲の声にハッとする

紗羅は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、直ぐに元の表情に戻ってしまった

 

「いえ…なんで、も…ありませ…ん。別に……も」

 

最後は音にならなかった

ただ、沈黙が流れた

 

「紗羅ど……「――――私、……んです」

 

「え……?」

 

「……13年前、ここで……母様が死に…ある人に拾われたんです」

 

紗羅はゆっくりと顔を上げた

視界に広がる、満開の桜――――

 

あの日も、こんな夜だった

月が照らし、桜が洸に光って見えた

それなのに、雨が降っていて、おかしいなと思ったのを憶えている

 

大好きだった母が冷たくなっていくをただ見ている事しか出来なかった

ただ、泣くだけで、何も出来ない子供だった

 

「……その人は、供の人を連れてここにやって来た。私と母様を捜していたと言った」

 

それから、少し目を伏せ

 

「……その人の名は、曹孟徳。供の人は夏侯元譲様」

 

曹操は母を抱き寄せ「すまなかった」と言った

唯一、母が死に悲しんでくれている人だった

 

その時、私はよく分かっていなかった

ただ、悪い人には見えなかった

 

そのまま母を馬に乗せ、私は元譲様の馬に乗せられ、向かったのが許都

そこで母は丁寧に埋葬された

 

「私は、何も分かっていなかった……あの時の曹操が優しくて、優しかったから何も見えていなかった」

 

紗羅は、桜を見上げた

 

 

 

 

 

25年前――――

倚天と青釭という双子剣が造られた

 

その内1本・倚天は紗羅の母・静嵐の元へと渡った

そしてもう1本・青釭は曹操の元へ

そう、全ては25年前に起こった

 

あの日、あの晩、静嵐が曹操の元を去った日

全てが狂った

 

静嵐は、大陸中に名を馳せた、有名な舞姫だった

その舞は天女が降臨したかの如く、美しく、誰しもを魅了した

 

そして、あの男に出逢った――――

この桜の樹の下で

 

男は、雄雄しい容貌をした、立派な青年だった

 

そして、静嵐と男は恋に落ちた

だが、静嵐の出自が男の身分にそぐわないと周囲に反対され2人は引き裂かれた

 

あの晩、静嵐が男に別れを告げた晩

男は一振りの剣を静嵐に差し出した

 

「別れても、心は常に1つ」

 

その晩、静嵐は男の前から姿を消す

そして、再び逢ったのは、今から13年前の桜の咲く夜

 

桜の花弁が舞う中、男は静嵐の亡骸と対面する

傍に、幼い少女を見つけて――――

 

男は、幼い少女を抱えて、連れ帰った

そして、父親代わりとでもいうのか、男は少女を育てだす

 

ありとあらゆる、教養、歌舞、楽器も一通り施された

名を名乗らぬ、少女に”莉維”と名づけた

莉維――――いや、紗羅は年々、亡き静嵐に似てきていた

 

いつからだろ…曹操の自分に向ける眼差しが、父親から男の目に変わったのは

いや、違う まるで獣の様な目だった

まるで、獲物が熟すのを今か今かと待ちわびるかの様に、男は全貌の眼差しで紗羅を見た

 

それに気づいた紗羅は、極力男と2人っきりにはならない様に細心の注意を払う

 

少女から女性に変貌していく彼女に多くの求婚者達が訪れた

だが、男は彼女の目の前でその者達を無残に・・・まるでゴミの様に切り捨てた

 

「おまえは儂の物だ・・・他の誰にも心許す事も、その名を刻ませる事も許さん」

 

彼女に親しくする者、その名を呼んだ者達を次々と彼女の目の前で殺していく……

 

…私のせいで人が死んでいく……

 

紗羅は男以外の者を関わる事を恐れ奥の部屋に閉じこもる様になる

彼女と関わりがあるのは、彼女の世話をする数人の侍女達と、事情を知る夏候惇と……あの男のみ

 

人々は、彼女の事を”蒼の姫”と呼び出し、その存在は公にはされず

ただ、曹操の愛妾という事だけが伝わっていた

 

気を紛らわす為、夏侯惇の勧めもあり、彼女は本格的に武術を習いだす

その内、男は戦場にまで彼女を連れたって行く様になった

倚天と青釭もこの頃、曹操から彼女へ贈られた

 

戦闘に出ればその内逃る機会が巡ってくるかもしれない

と思った彼女は、男に自分を出陣させてくれと申し出る

 

最初、男は不振に思うが、どうせ、すぐに根を上げるだろう…と思い、許可をだした

 

ただし条件として、彼女の姿を他の者に見せない為、つねに頭から戦袍を被る事

話をする事も禁じた

 

そして、戦場では名を”蒼子”(由来は曹子)と呼び、片時も自分の側から離さなかった

 

だが、彼女の活躍は男の想像を遥かに超える程で その存在は有名に成りつつあった

それを不満に思った男は、ある日彼女の護衛兵や彼女に投降(降伏)してきた敵兵を彼女の目の前で残虐な殺し方をする

 

「そなたのその下の真の姿を見たものは敵、味方問わずに許さぬ・・・たとえ逃しても、草の根を割ってでも探し出して今以上に残虐な殺し方をしてやろう…意味がわかるな?」

 

戦いの最中、一度も彼女の戦袍の下の姿を見ないと言うのは不可能に近い

つまり、彼女と戦った者は誰一人として無事に生きてはいられないという事だった

 

「そなたが始末して来い」っと言っているのと一緒である

 

あの人にあんな人とも思えないような無残な殺され方をするぐらいなら…いっそ私が……!!

 

男は紗羅の性格を知っていてワザと前線に彼女を送り出す

……それも月夜の晩には必ず

 

それ以降、月夜の晩には紗羅は護衛兵も一切付けず、単身で最前線に立つ様に様になる

彼女が戦った後には屍巣か残らず、誰一人として生きている者はいなかった

 

そして、そこには涙を流す彼女の姿だけがあった

 

 彼の者に会った者は誰一人として生きて帰ってはこない

 月夜の晩に現れる”魏”の残虐非道な鬼神なり

 

気づけば、彼女は他の者に『月夜叉』と呼ばれその名を三国中に知られていた

 

 蒼き衣に身を纏い、まるで踊っているかの様に剣を振り回す・・・月夜の舞姫   

 情けも慈愛もない月夜の晩に現れる鬼夜叉――――『月夜叉』

 

  彼女の本当の心を誰も知らない……

  彼女が泣いている事も誰も知らない……

  彼女の前に現れて生きていた者はいないのだから――――

 

「私の手は、汚れ切っていた。何度洗っても脱ぐっても血の匂いが消えない! 西涼の一族皆殺しにした事もある。本当は、人など殺したくなかった…っ!でも…っ!」

 

抗えなかった

あの男に、曹操の思惑から逃げる事が出来なかった

 

「私は、弱い。弱くて、脆くて、抗う術すら知らない愚か者だった!」

 

自分の手で道を切り開く事も、誰かの為にこの命を断つ事も出来なかった

愚かしくて、浅はかだ

 

もう、ただなさらるがままに身をゆだね、生きる屍同然だった

 

毎日が苦しくて、辛くて、己も道すら見えてこなかった

先は真っ暗で、何もない

ただ、人形の様にそこのあるだけ

 

「もう、全てに絶望し…生きる気力もなくなった頃だった。趙雲様に出逢ったのは――――」

 

紗羅の瞳がじっと趙雲を捕らえていた

 

「私、…ですか?」

 

彼女の言わんとする意味が分からず、趙雲はそう呟いた

紗羅は、少しだけ笑みを作り、こくんと頷いた

 

「本当に、偶然だったんです。見かけたのは……」

 

その時も月が出ている夜だった

紗羅は最前線から陣地へ帰る途中だった

人の気配がして身を隠した

 

そこに居たのは蜀の劉備だった

そして、その横に劉備を守る様に佇んでいた彼を見つけた

 

趙雲は、主の横でじっと前を見据えていた

趙雲の瞳を見た瞬間、紗羅はドキッとした

鼓動が早くなり、胸の奥が締め付けられる様だった

 

・・・あんな綺麗な瞳をした人、初めて見た・・・

迷いの無い澄んだ瞳を持つ人・・・

目が――――放せなかった

 

まるで、何かに吸い寄せられるかの様に、惹きつけられた

 

魏にはそんな瞳を持つものは誰もいなかった

皆、酷く淀んだ瞳をした者ばかりで 汚い・・・とさえ感じたほどだった

 

夏候惇から彼の事を聞き”蜀の五虎大将の趙将軍(趙子龍)”だと知った

 

もう一度、彼を見たいと思ったがその思いは叶わず、一度も見ることは出来なかった

だが、その噂(武勇)だけは良く耳にする事が多かった

 

 

蒼い鎧に身を纏った”蜀の五虎大将”趙子龍様・・・

 

「最初、この気持ちが何なのか…私には分からなかった。 でも、趙雲様の事を考えている時だけは本当の自分に戻れた気がしていた」

 

救われる と思った

 

夏侯惇から持ってこられる趙雲の話だけが、彼女の楽しみだった

会話したいなどと望まない

私を知って欲しいなどとは望まない

会いたいなどと望まない

 

「ただ、私が…私だけが彼を知っていれば良い。そう思った」

 

それだけで、充分だった

それが、あんな形で再会するとは夢にも思わなかった

 

あの晩、趙雲に助けられ蜀へ連れられて、2ヶ月を一緒に過ごした

 

「ほんの2ヶ月だけど、私には夢の様なひと時でした」

 

紗羅は何かを思い出す様に、空を見上げそう呟いた

 

皆に優しくされ、過去の私など関係ない

幸せな時間だった

 

「でも……」

 

そこまで言い掛けて、紗羅は言葉を切った

グッと何かを飲み込み握る手に力を込めた

 

「怖かった…私が、”月夜叉”だと知られるのが、怖かった……」

 

それでも、いつかは知られてしまう

何人もの蜀の兵を傷つけた

何十、何百という蜀の兵を斬ってきた

その中には、勿論趙雲の部下も居ただろう

 

いつかは、知られ そして軽蔑されるのが怖かった

 

だから、私は言った

 

『私が、魏の間者だとはお思いにならないのですか!?』

『私が、蜀の君主である劉備様の命を狙う者ならどうしますか!?』

『魏の曹操の命を受け、劉備様の命を狙っていたら!?』

 

斬って欲しかった

もう、いっその事全部ぶちまけて斬られてしまいたいと思った

 

「でも……斬っては下さらなかった……」

 

紗羅はじっと手のひらを見つめた

 

多くの命を奪ってきた

数え切れない程の命をこの手で断って来た

この反動は必ず自身に返ってくる

報いはいずれ必ず受けなくてはならない

 

「趙雲様は、優しすぎます」

 

優しすぎて、勘違いしてしまいそうになっしてしまう

敵である、私にまで心を砕いて下さっている

 

その”優しさ”がいつか”憎悪”に変わるかと思うと、怖かった

 

優しさに甘え、多くを望んでしまう自分が止められなかった

何も、望まない

そう――――誓ったのに

 

もっと優しくして欲しい

抱きしめて欲しい

私を愛して欲しい――――と

 

望んではいけないと分かっているのに…

自分の感情を止められなかった

 

もし、受け入れられたとしても、私にはそれに答える資格が無い

 

そして、それをあの男が許す筈が無い

 

今はまだいい

でも、遅かれ早かれいつかはばれる

気付かれてしまった後では、遅い

 

だから、離れた

手遅れになる前に 

 

全てが手遅れになる前に、離れなければ

 

「正直、趙雲様が倚天と青釭の話をしてきた時、良い機会だと思いました。今、離れれば全て穏便に防げるかもしれないと思った」

 

これ以上、想いが育つ前に

これ以上、危険が及ばない様にする為に――――

 

「――――私は、消えなければならない と思った」

 

「趙雲様の前から消えて…いいえ、皆の前から消えれば、全て未然に防ぐ事が出来ると…そう思った」

 

「曹操の手から守るには、それしかないと思った。だから、邸を出たのに……どうして…」

 

追ってきてしまったのですか――――?

 

問い掛ける様に、じっと紗羅は趙雲を見た

趙雲は、少し躊躇いがちに笑みを作り

 

「必死、だったんです」

 

と答えた

 

そっと、紗羅の手を握りしめる

 

「紗羅殿が邸から居なくなったと知って、心臓が止まるかと思いました。それからは、無我夢中でした。 私は、貴女が私を出迎えてくれる姿が好きだった。それが当たり前の様に感じてました。 それを失いたくないと思った。だから、ここまで来たんです。戻ってきてくれませんか? 私は、以前の様にまた貴女に出迎えて欲しい」

 

「――――…っ、でも、それでは……!」

 

蜀が、趙雲様が滅んでしまう

 

「駄目、駄目です」

 

紗羅は首を横に振った

 

「紗羅殿」

 

趙雲の手が一層強まる

紗羅はそれを振りし切る様に、首を振った

 

「もし、私が戻れば趙雲様が、ひいては劉備様に危害が及びます!あの男は、それぐらい平気でする! 一国を滅ぼす事など、あの人は何とも思わない!私は、これ以上ご迷惑を掛けたくない!!」

 

必死だった

ただ、それだけが心配で 

不安でならなかった

 

自身の為にまた犠牲者出る――――

そう思うと、もう形振り構っていられなかった

 

不意に、ぐいっと引き寄せられた

気が付けば、趙雲の腕に絡め取られ抱きしめられていた

ころころ…と手から李が落ちる

 

「なん……っ」

 

「守ります」

 

グッと趙雲の腕に力が篭る

 

「私が、曹操の手から貴女も殿も国も守ってみせます」

 

「そ、そんなの――――」

 

無理――――と、言おうとして、趙雲に遮られた

 

「私を信じて下さい」

 

心髄の言葉だった

 

「私は、貴女を守りたい。貴女が――――好きです」

 

「………っ」

 

 

「貴女を愛している。紗羅殿」

 

 

涙が――――零れた

 

ずっと、好きだった

ずっと、この人の傍に居たいと願った

でも、それは叶わないと思っていた

 

 

その人が、今――――私を”愛している”と――――

 

 

ボロボロと涙が零れ出てきて止まらなかった

 

趙雲がクスリと笑い、優しく頭を撫でてくれる

 

「ちょ…うん、さ……わた、し………っ」

 

「はい」

 

駄目だと言い聞かせるも、最早全てが吹き飛んだ

もう、何もかもどうでも良いとさえ思ってしまう――――

 

「私、も…お慕い…していま、す……」

 

「はい」

 

あ――――

 

不意に、影が落ちた

そのまま、唇が重なった

 

初めて交わした口付けは、涙の味がした

 

はらり、はらりと 真っ白な桜の花びらが舞っていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祝・告白

 

やっと、ここまで来たかー

無駄に、時間食ちゃったぜ

 

2009/12/29