◆ 誓いの言霊 紡ぐ契歌:10

 

 

「ふぅ・・・・・・」

 

司馬師は硯に筆を置くと、そのまま椅子にもたれ掛った

目を押さえながら、視線を竹簡から外す

 

流石に、疲れたな・・・・・・

 

ここ数日、殆どの時間を執務に費やしていた

 

急ぎの仕事が多くて、邸にもろくに戻れていない

今日も朝から飲まず食わずで仕事を片付けていた

 

そういえば、あの女にも久しく会ってないな・・・・・・

 

名を琳琅という、瑠璃色の瞳を持つ美しい少女

 

あれだけ毎日、周りをうろちょろしていたのに

こんなに長い時間会わないのは、それはそれで変な感じだ

 

そもそも、執務中は邪魔をするなという約束をしているので

邸にまともに帰らず、城に詰めている今の状態では、ある意味当然の事なのだが・・・・・・

 

調子が狂う・・・・・・

 

あの性格なら、約束など反故にしてあっさり会いに来そうな気もするのに・・・・・・

まったくそれっぽい雰囲気すらない

 

それ所か、顔を合わすのは己の次官の李潤のみ・・・・・・

という、状況だ

 

李潤は優秀だが、いささか融通が利かない

だが、逆に言えばそれが信頼にも繋がった

 

窓の外を見ると

もう、既に太陽は中天から西へ傾き始めていた

 

小さく息を吐いた後、再び筆を取ろうかと思った時だった

 

「司馬師様」

 

李潤が大量の竹簡を抱えて執務室に入ってきた

李潤は、持ってきた竹簡を横の机に置くと

 

「少し休まれては如何ですか? 朝からずっと休憩すら取られていらっしゃらないでしょう? 何か、お口に入れた方が宜しいかと」

 

司馬師は李潤を一瞥すると、直ぐに竹簡に視線を移した

 

「これが終わったらな」

 

その答えに李潤が小さく溜息を付いた

 

「そう申されてから、既に二刻経っております。 今取りかかられているお仕事も四つ目かとお見受けしますが?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

鋭い所を突っ込んできた

李潤という男は、普段融通が利かないくせに、こういう所は無駄に頑固なのだ

 

司馬師は小さく息を吐くと

 

「分かった。 これが終われば、本当に休憩を入れる」

 

「約束で御座いますよ?」

 

そう言って、李潤がにっこりと微笑んだ

不意に、「あ、そういえば・・・・・・」と何かを思い出した様に言葉を洩らした

 

「司馬師様にお客人がいらしてますよ?」

 

「客だと? 今は、忙しい。 帰ってもらえ」

 

「そう申されると思い、日を改めていらっしゃる様に申し上げたのですが・・・・・・、司馬師様の仕事が終わるまで待つと仰って・・・・・・・・・・」

 

「何・・・・・・?」

 

日を改められないほどの急な要件なのだろうか?

それなら、会わない訳にはいかなかった

 

司馬師は手を止めると

 

「連れて来い」

 

李潤が「畏まりました」と言って廊下の方へ消えていく

が、数分もしない内に一人で戻ってきた

 

「あの・・・・・彼女が申しますに、司馬師様の仕事中は邪魔をしない約束なので終わるまで廊下で待つと・・・・・・」

 

「なんだと?」

 

急用ではないのか?

こちらが会うと言っているのに、それを蹴るとは一体どういう了見なのだろうか

まったくもって理解不能だった

 

が、ふとある事に気付いた

 

彼女・・?」

 

確かに、李潤は“彼女”と言った

 

女・・・・・・?

 

「客人とは女なのか? 女官か?」

 

「いえ、宮中の女官ではないと思います。 お見かけしない顔でしたが……」

 

李潤が少し困った様に、言葉を濁す

 

「なんだ?」

 

「いえ、その・・・・・・大変お美しい方かと・・・・・・・・・。 宮中でもあそこまでお美しい方はお見かけしません。 一度、目にしたらきっと忘れる事はないでしょう。 私は、司馬師様の新しい女性なのかと思いましたが・・・・・」

 

そう言われて、ある人物が脳裏を過ぎった

 

まさか・・・・・・・・

 

「その女の瞳は瑠璃色か?」

 

司馬師がそう尋ねると、李潤は静かに頷いた

 

「はい、宝石の様な美しい瑠璃色です」

 

宝石の様な瑠璃色の瞳の、美しい女

 

思い当たるのは一人だけだ

 

あいつ・・・・・・

 

はぁ・・・・・と、司馬師が溜息と共に頭を抱えた

 

「司馬師様? 如何いたしましたか?」

 

李潤が心配そうに尋ねてくるが、司馬師は手を払いながら

 

「何でもない。 その女は放っておけ。 その内、諦めて帰るだろう」

 

「は・・・・・・、しかし・・・・・・宜しいのですか?」

 

李潤が戸惑った様に声を上げるが、司馬師は何でもない事の様にそれを制した

 

「構わん、放っておけ。 それから李潤、その女は私の女ではない。 間違えるな」

 

きっぱりとそう言い放つと、李潤はすっと頭を下げた

 

「左様ですか、それは失礼を。 ですが・・・・・・今の時期、廊下は大変冷えます。 帰すにせよ、お待ち頂くにせよ、一度 何処か別室にでもご案内した方は宜しいのでは?」

 

それこそ無用だった

 

その女が琳琅なら、寒さから帰るのは必至

何故なら、琳琅は寒いのを苦手とし、寒さから他人で暖を取ろうとまでする女なのだから

別室など宛がって、うっかり居座られでもしたら面倒だ

 

「いらん。 無用な気遣いだ。 放っておけ」

 

冷たくそう言い放つと、李潤が「そうですか・・・・・」と答えた

 

「それは、差し出がましい事を申しました。 お許し下さい」

 

司馬師は小さく息を吐くと、また仕事に取り掛かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「司馬師様、司馬師様」

 

不意に呼ばれて、司馬師ははっとした

どうやら仕事に集中し過ぎて、呼ばれているのに気付かなかったようだ

 

「李潤か・・・・・・。 今、何時だ?」

 

筆を置き、ぐっと目を押さえながら司馬師は李潤に尋ねた

 

「もう、日が沈んでおります。 おかしいですね・・・・・司馬師様が “これが終われば” と申されていた仕事はとうに終わっておいでとお見受けしますが・・・・・・? あれから、また二刻も経っておりますよ? 休憩は一体いつになったら取って頂けるのでしょうか?」

 

そう言って、李潤がにっこりと微笑む

 

「・・・・・・分かった、これが終われば本当に取る」

 

「それは、まことですか? また、お約束を反故になさる気では・・・・・・?」

 

李潤のその満面の笑みの奥に、何やらどす黒いものを感じる

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「もし、その仕事が終わっても続けられていらっしゃったら、没収致しますよ?」

 

声音に心なしか、怒気が混じっている

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・善処しよう」

 

さわらぬ神に祟りなし だ

 

「それから・・・・・・」

 

ふと、李潤の声音が固くなった

 

「先程のお客人が、まだ廊下にいらっしゃる様なのですが・・・・・・」

 

「何?」

 

あれから二刻も経っている

日も沈み、寒さも一層増しているだろう

窓の外を見ると、ちらほら雪も降っている

 

廊下に暖房器具は無く、温度はとても冷たい筈だ

あの寒いのが大の苦手な琳琅なら、直ぐに音を上げると思っていたのに

 

この寒さの中、冷え切った廊下に二刻もじっと待っていただと・・・・・・?

 

正直、信じられなかった

 

司馬師は、はぁ・・・・と盛大な溜息を付くと、かたんと席を立った

 

「司馬師様?」

 

李潤の横を通り抜けると、真っ直ぐ扉の方へと向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司馬師はきぃ…と、廊下へ続く扉を開けた

半分だけ開けて、廊下の様子を見る

 

李潤の話では、琳琅が待っているという話だったが・・・・・・

そこには誰も居なかった

 

試しに、少し廊下に出て左右を確認するが、やはり誰も立っていない

 

帰ったのか・・・・・・?

 

そう思って、踵を返そうとした時だった

かたん・・・・・と、小さな音が下の方から聞こえてきた

不思議に思いその音のした方を見ると――——――

 

「・・・・・・・・・・・・っ」

 

司馬師は、ぎょっとした

 

そこに彼女が居たのだ

扉の真横に小さく座り込み、肩をがたがたと震わせながら膝を抱えている

 

「おい・・・・っ」

 

声を掛けてみるが、反応がない

 

「おい・・・・・・・・・・!」

 

思わず身を乗り出して肩を揺さぶった

 

「・・・・・・・・・・・・っ」

 

余りにも冷たい

人とは思えぬ様な冷たい肩に、思わずどきっとした

 

本気で、この寒い廊下にずっといたのか・・・・・・!?

 

一瞬、寝ているのかと思ったが、彼女の目は開いている

が、気を紛らわそうとしているのか、何かをぶつぶつ呟いていた

 

「おい・・・・・・返事をしろ!」

 

もう一度、声を張り上げて揺さぶった

瞬間、琳琅が何かに気付いた様に、ゆっくりとこちらを見た

 

「・・・・・・・・・・・・っ」

 

琳琅の顔を見た瞬間、ぎょっとした

 

顔色は白を通り越して蒼白で、唇も薄紫色に変色している

そして表情は無く、その美しい筈の瑠璃色の瞳には光が無かった

虚ろな瞳が、ゆっくりと一度だけ瞬いた

 

「し、げん・・・・・・? しご・・・は・・・・・・?」

 

寒さで舌が回らないのか、上手く言の葉に乗せられないらしい

 

「お前、何故帰らなかった!? こんな雪の日に、廊下に居座る馬鹿がいるか!」

 

そう怒鳴ると、琳琅はまた一度だけ瑠璃色の瞳を瞬かせた

 

「だって・・・・・よう、った・・・から・・・・・・・・・」

 

そう言って、すぅっと瞳を閉じる

 

「馬鹿が! 目を閉じるな!!」

 

そう怒鳴ると、司馬師はぐいっと琳琅の腕を掴んで立たせた

 

腕も怖い位に冷たい

生きている常人の体温では無かった

 

「とにかく、来い」

 

そう言って、そのままぐいっと肩を抱き寄せる

 

腕や肩だけではない

身体全体が氷の様に冷たかった

 

早く暖めなければ、風邪を引く所の話では無くなる

最悪、酷い肺炎などに掛かれば、命にも関わる

 

一刻の猶予もなかった

 

司馬師は、琳琅の肩を抱き寄せる形のまま室の中に入れようとするが・・・・・・

それを拒んだのは、他ならぬ琳琅だった

 

琳琅は首を左右に振ると、司馬師を押し退けようとした

 

「い・・・・・・。 しごと・・・おわる、まで・・・・・・ここで、まつ・・・。 やく、そ・・・く・・・・・・」

 

「ばっ・・・・・・馬鹿か! 死にたいのか!?」

 

びしゃりと言われて、琳琅がびくっと肩を震わせた

 

「でも・・・・・・っ!」

 

「いいから、来い」

 

そう言い放つと、無理矢理室の中に連れ込んだ

 

琳琅を連れて執務室に入ってくる司馬師を見て驚いたのは、他ならぬ李潤だった

李潤は、目を瞬かせながら

 

「司馬師様・・・・・・? 一体、どうし―――・・・・・・」

 

「李潤! 温かい茶を直ぐに持って来い! それから、毛布もだ!!」

 

普段怒鳴らない司馬師が怒鳴っている事と、彼の表情から事態を察したのか

李潤は、「直ぐにお持ちします!」と言って、慌てて室から出て行った

 

司馬師は、琳琅を続き部屋の奥―――火鉢のすぐ側の椅子に座らせると、自身もその隣に座った

琳琅はかたかたと肩を震わせながら、じっと瞳を閉じていた

 

失敗した・・・・・・・・・・

 

後悔の念が心を支配する

 

琳琅の性格はよく分かっていたつもりだった

朝と寒いが苦手であると同時に、こうと言いだしたら引かない頑固者だったのだ

 

寒さで帰る可能性もあったが

逆に、絶対に動かない可能性もあったのだ

 

私としたことが・・・見誤ったな・・・・・・・・・・

 

「まだ、寒いか?」

 

司馬師がそう尋ねると、琳琅は小さく頷いた

扉の方を見るが、まだ李潤は戻ってこない

 

司馬師は小さく溜息を付くと、そのまま琳琅の方に手を伸ばした

そして、彼女の肩を抱くと、そのまま自分の方に抱き寄せた

 

これに驚いたのは他ならぬ琳琅だった

戸惑った様に、困惑した色を瞳に写す

 

「あ、あの・・・・子元・・・・・・・・・?」

 

「寒いのであろう? 大人しくしているんだな」

 

最初は堅かった琳琅の身体から、安心したのか徐々に力が抜けていく

その手が、ぎゅっと司馬師の衣を掴んだ

 

「子元・・・・・・ごめん、ね?」

 

「何がだ?」

 

「めい、わく・・・・掛けてる・・・・・・・・・」

 

「ふん、そう思うなら、最初から来なければよかろう」

 

「ごめん・・・・・・」

 

いつもの様に悪態付いてくるかと思ったが・・・・・・

予想外に、琳琅の反応は素直だった

 

これはこれで、調子が狂う

 

司馬師は、小さく息を吐くと

自分の腕の中の琳琅を見た

 

彼女は、司馬師の腕の中で安心した様に、目を閉じたまま大人しくしている

不思議な感覚だった

 

何故か、酷く 琳琅が小さく見えた

まるで、このまま雪の様に消えてしまうのかと思う程

 

儚げで、美しく

まるで、初めて会った雪の日の様に―――――・・・・・・

 

このまま、己の手の中からかき消えてしまいそうな

 

 

私は・・・・・・

 

 

 

 

  嫌だと

 

 

 

 

彼女が・・・・・・・・・

 

 

 

 

    失うのが―――――怖いと・・・・・・・・・

 

 

 

 

その時、初めて感じた事のない“何か”が 己を支配しようとしているのを

 

 

感じた事を

 

 

  まだこの時の司馬師は知るよりもなかった――――・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新キャラ・李潤さん登場

彼は、(いつもの)オリキャラです

最初は、名前もなく次官が次官が~だったのですが・・・・・・

ちょっと可愛そうになり、急遽名前が出来ましたw

 

実は・・・・・・前のデザインの時、「李潤のぶろぐ」なるものも同時進行で書いていましたwww

まぁ、今回それを載せるかは未定~~~(どうしよう)

 

 

 

 

新:2022.02.03

旧:2011.07.03