◆ 誓いの言霊 紡ぐ契歌:1

 

 

成都―――

 

先帝・劉玄徳が築いた、巴蜀の地

 

司馬昭は、その城を攻め落とさんと坂道を駆け上がっていた

後ろには、お目付け役の王元姫が続いている

 

だが、司馬昭は振り返ることなく走っていた

 

あの城を―――

暗君と言われる蜀帝・劉公嗣を捕えれば、この戦いは終わる

 

早く、終わらせたかった

ただ、それだけだった

早く、この地を平定し去りたかった

 

亡者の念に囚われて執拗に攻めてくる蜀も、私欲の為に醜く荒れる魏国内も

全て、司馬昭にとっては通り道に過ぎない

 

あの日、兄である司馬師が死んでから―――

 

いつもは「めんどくせぇ」で通していた司馬昭が、変わった

真実に目を向け、誰が正しいのか 誰が凡愚なのか

全てを見極めようとした

 

それは、死んだ父の為、兄の為

彼らが築こうとしたものを、繋げる為―――

 

誰が覇王になろうと、そんな事どうでもいい

ただ、愚かな者に任せればどうなるか―――それを目の当たりにし、それでは駄目だと思った

誰かが、やらなければならない

 

あの剣を受け取った時、それを引き継いだのだから

 

空が俄かに曇りだした

ゴロゴロと雷雲が通っていく

 

ああ、雨が降るな……と、司馬昭は思った

 

ポツ…ポツ…と、小雨が降り始めた

その雨脚が次第に激しくなる

 

走る足元が、バシャバシャと音をたてだす

 

雨はいい

気配を上手く消してくれる

 

これなら、自分たちが近づいても、敵には感づかれにくい

 

ゴロゴロゴロ

 

空が唸った

 

ピカッと光り、一瞬辺りが明るくなる

 

「・・・・・・っ」

 

司馬昭は、一瞬目を疑った

 

誰かが、城門の前にいる

 

それは、一瞬だった為判断しにくかったが・・・・・・

あれは―――

 

カッと、また空が光った

雷鳴の轟く中に、人が立ている――― 一人の女が

 

手には銀の細剣

長い漆黒の髪がなびき、それを結ぶ青い結い紐が揺れている

耳に飾られた瑠璃に銀の装飾の飾り

そして、それに合わせた様な瑠璃色の瞳が司馬昭を見ていた

 

その女は、ある少女を思い出させた

 

数年前―――

 

兄である司馬師の傍にいた美しい少女

そして、その姿をこつ然と消した―――

 

 

 

 

 

 

「―――――琳琅」

 

 

 

 

 

”琳琅”と呼ばれた女は、表情一つ変える事無く司馬昭を見据えていた

 

たった数年だ

数年会わない内に、少女は女へと変貌していた

 

元々、整った顔立ちだったが

それに、一層磨きが掛かっている

 

いつだったか

兄が”美しい青い宝玉”と言ったのは

まさに、今の彼女がそうだった

 

蜀の”青い宝玉”

 

兄が好んだ瑠璃色の瞳は、感情を表わす事無くゆっくりと司馬昭を見ていた

 

ふと、淡い桜色の唇が微かに動いた

 

 

「―――昭」

 

 

”昭”と、呼ばれるのは何年振りだろうと司馬昭は思った

彼をそう呼ぶ者は、もう いない

 

ザ――――

 

と、雨脚が強くなった

その音が煩い位耳に響く

 

司馬昭は、目が離せなかった―――彼女から

 

一度だけ

彼女が、その瑠璃色の瞳を瞬かせた

 

そう―――たった一度だった

 

音が 消える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「子元は―――死んだの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザ―――――

 

雨が 煩い

 

煩い位に、降り続いていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誓の言霊 紡ぐ契歌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、雪が降っていた

冷え冷えとした空気が、室内を蹂躙する

 

もう、四月になろうかと言うのに

北に位置する洛陽は未だに、寒い日々が続いていた

 

司馬師は、政務を行いながら報告を待っていた

 

父である、稀代の地将・司馬懿が昨年没し

司馬懿の長子である司馬師が、魏の全権を引き継ぎ大将軍となった

 

司馬一族による盤石の支配体制は、曹丕亡き後 揺れ動いていた国内に安定をもたらし

長年揺れ続けていた魏という大木は静寂を取り戻しつつあった

 

一方その頃、南の巨木は大きく揺れ動いていた

 

呉では三国定立最後の雄・孫権が四月に病没

社稷の臣・陸遜も既に他界しており、国内に不安が広まっていた

 

司馬師は、孫権の跡継ぎが幼い事を知ると十月 征呉の軍を発した

孫権の死は、魏にとって好機だったのである

 

総大将は、弟の司馬昭

その脇を、諸葛誕らが固めた

 

十二月

 

魏は諸葛誕・胡遵らを東興に

王昶を南郡に

毋丘倹を武昌に進軍させる

 

まず南郡と武昌に軍を進め、援軍が来れないようにしてから

東興に大軍を送り、建業へとなだれ込もうという戦略であった

 

そして、魏軍は呉の都・建業を目指す途上、東興の地にて呉軍と対峙した

 

その頃、呉の軍を指揮するのは諸葛瑾の子・諸葛恪である

 

諸葛恪は 以前、孫権が巣湖から合肥への水路をせき止めて東興堤という堤防を築いているのを利用し

その左右に城砦を築いて、右の城には留略、左の城には全端を守備に当たらせていた

 

一方、東興に布陣する魏軍の中では

総大将の司馬昭と、諸葛誕の不和が囁かれていた

 

正確には、何でも「めんどくせぇ」と片づけてやる気のない司馬昭に対し

諸葛誕が、業を煮やしているといった状態だった

 

諸葛誕は、司馬昭には任せられないと思い端を発した

諸葛誕・胡遵が目指したのはこの東興の左右の城であった

 

これを撃破して東興から呉領内に進入しようという作戦だった

 

これに対して、呉は諸葛恪自らが東興に出向きこれに対応

諸葛恪は丁奉・留賛・呂拠・唐咨らを先鋒として魏軍を攻撃し、撃破したのだ

 

丁奉によって、左右の城を繋げていた橋が壊され諸葛誕と胡遵は、取り残される形となったのだ

 

その報告を陣中で聞いていた司馬昭は、面倒くさそうに溜息を付いた

 

「・・・・・・・・・・」

 

それを見かねて、司馬昭のお目付け役の王元姫が小さく息を吐いた

厳しい目で司馬昭を見据え

 

「――― 子上殿。言いたい事は?」

 

司馬昭は「やれやれ」という感じに、両の手を広げ

 

「二つの城を同時に攻めれば自分達の目も分散する」

 

司馬昭が、元姫の前を横切る

 

「―――まして、ここは河の流れる地形だ。 分断されておかしくない」

 

「―――分かっていなら。 何故、諸葛誕殿に説明しない?」

 

「だって、めんどくせぇし」

 

司馬昭のこぼした言葉は、またそれだった

元姫は、また小さく息を吐くと、ぐいっと司馬昭の肩を掴んだ

 

「また”めんどくせぇ”?」

 

この男はいつもそうだった

何があっても「めんどくせぇ」の一言だった

 

「………不甲斐ない」

 

元姫が溜息と同時にこぼした言葉はそれだった

 

「これだけの兵を率いる将の筈なのにね・・・・・・」

 

「だから、嫌なんだ。人の上に立つのは」

 

だからと言って、このまま諸葛誕を見捨てる訳にもいかない

 

司馬昭が囮として西の城を攻めている最中に、諸葛誕を救出すると

魏軍は、そのまま退却したのであった

 

東興で敗れた事により、魏軍の戦略は破綻

南郡・武昌に進軍した王昶・毋丘倹も陣地を焼き払って退却する事となった

 

魏軍は、司馬昭らの奮戦により全滅を免れたのだった

 

呉の大勝利である

孫権死後、不安要素の多かった呉にとってこの勝利は久々の大戦果であった

 

この勝利は、孫権死後 危機感を持つ一部の武人たちの奮迅の戦いによる戦果と言っても過言ではない

だが、逆にこの勝利が諸葛恪に余計な自信を与えてしまった

 

東興の戦いの勝利で、魏を叩く戦略に自信を持った呉軍の大将・諸葛恪は東興より北上

四月、魏軍の籠る合肥新城を大軍を率いて包囲した

 

ここに至り、司馬昭と諸葛誕は司馬師に援軍を要請

 

司馬師が洛陽にてその報告を受けたのは、夜も更けた頃だった

伝令とおぼしき兵が慌てて城門を叩いた

 

「報告!司馬昭様ら、合肥新城にて呉軍を防戦! 援軍の要請が・・・・・っ!」

 

その知らせを聞いて、司馬師は直ぐに分かった

 

「・・・・・・昭め、しくじったな・・・」

 

司馬師は報告を受けると、直ぐに軍をまとめた

そして、夜も明けぬ内に城を出ると合肥へと向かった

 

司馬師は一隊を率いて、呉軍の包囲を破り合肥新城に入城する

動揺する兵をまとめ、呉との死闘に備えた

 

「諸葛誕…昭…。 今、ここでお前た達の責を問う事はせぬ。 だが・・・・・」

 

司馬師の目が鋭くなり、声が数段低くなる

 

「同じ相手に、二度敗北する事は許さぬ」

 

言われて、司馬昭と諸葛誕はごくりと息を飲んだ

 

先の戦いの敗戦は、自分達の意思疎通が無かった為に招いたもの

責められても、文句は言えない

 

だが、司馬師は”ここで責は問わぬ”と言ったのだ

 

「我が指揮下に入り、働きを見せるのだ。この戦いで雪辱を果たせ」

 

司馬師の言葉に、司馬昭と諸葛誕は右手を左手で包み拱手の礼を取った

 

「・・・・・分かりました。 兄上」

 

「必ず・・・・! 必ず戦果を上げてご覧に入れます!」

 

合肥新城は、魏の毋丘倹・文欽が守将の張特とともに呉の大軍を防いでいた

 

正直な話、諸葛恪が合肥新城を囲んでいるが、戦う必要は無かった

遠来した呉軍は、兵が多く兵糧が尽きて退却するのは時間の問題だった

その退却の時を待ち、攻撃すれば完全勝利が得られるだろう

 

だが、そうするには一つ問題があった

 

蜀の姜維だ

 

蜀が不穏な動きを見せている事は、司馬師の耳にも入っていた

司馬師の考えが正しければ

 

・・・・・諸葛恪は、蜀の姜維と密約している可能性がある

 

もし、そうならば、この隙に蜀が攻めてこないとも限らない

 

司馬師は郭淮と鄧艾を蜀の侵攻を防ぐのに当たらせると、呉軍に対して攻撃に転じた

 

まず、城内に侵入した敵兵を素早く殲滅した

そして、機を見ると、一気に攻撃にまわったのである

 

一軍をさいて西方に展開させると、瞬く間に呉軍本陣を急襲

呉軍が混乱すると、全軍で敵の攻勢に転じたのだ

 

「所詮、この程度か・・・・・・」

 

諸葛恪を追い詰めた司馬師は、その剣を諸葛恪へ向けた

諸葛恪は、斬られる!と思ったその時だった

 

瞬間、ドスッと槍が司馬師と諸葛恪の間に刺さった

と、同時に後ろから馬が翔って来ると、そのまま諸葛恪を引きずり上げた

それは、先の戦でも目覚ましい活躍を見せた丁奉だった

 

丁奉は、そのまま諸葛恪を乗せると、司馬師の前を走り去っていったのだった

 

司馬師は、追わなかった

追えば、とどめを刺せたかもしれない

 

だが、司馬師は追わなかった

小さく息を吐くと、自身の前に刺さった槍に手を掛けた

 

「兄上・・・その・・・・色々と面倒を・・・・・・」

 

ふと、背後から申し訳無さそうな司馬昭が声を掛けてきた

 

「・・・・・・・・・・」

 

司馬師は、一度だけ司馬昭に視線を送ると

 

「昭・・・・お前にとって、爵位とはいか程の価値がある?」

 

「は? え、えーっと・・・・正直、どうでもいいもの?」

 

何を問われているのか分からない

という風に、司馬昭は目を瞬きさせた

 

ふと、司馬師の目が鋭くなる

 

 

 

 

「ならば、捨てよ」

 

 

 

 

そう言い放つと、手に持っていた槍を投げ捨てた

 

「それを持って、前回の敗戦の罰とする」

 

「・・・・・・・・・・」

 

司馬昭が「そうきたか・・・・」という様に、息を吐いた

 

「司馬一族のみを罰し、諸葛誕らは処罰しない」

 

ゆっくりと、司馬師が振り向く

 

「この”誠意”は我が支配を築く際に大いな価値を生み出そう」

 

「兄上・・・貴方は・・・・・・」

 

司馬師が言っている意味が分かったのか、司馬昭はハッとした

 

「父上は、権力を好きに使えと言った。ならば、私は頂点を目指す」

 

司馬師の合肥新城での活躍は、呉討伐の失敗を払拭した

更に、司馬師は東興の敗戦の責任を、弟の司馬昭一人に負わせた

 

この処置は、多くの将の心を惹きつけた

 

今や、司馬師の人気と権勢は 父・司馬懿のものをも凌駕していた

 

”魏は司馬師の国”

 

魏帝は、最早飾りに過ぎなかった

 

そんな折、蜀の姜維が再び侵攻を開始しだした

姜維は、未だ覇道を歩んだ魏を、仁の世の敵と見ていたのだ

 

”覇道” ”仁の世”

 

既に実体のない、志を掲げ戦を起こす

 

「くだらぬ・・・・・・」

 

それは、頂点を目指す司馬師にとっては、目障り極まりないものだった

司馬師は、先に派遣した郭淮・鄧艾に加え、司馬昭を天水に派遣

 

蜀に味方していた羌族を寝返らせると、南安にて姜維を退け蜀を撃退した

だが、この戦いで郭淮が姜維に撃たれた

 

それは、少なからずも魏に動揺を与えるものだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司馬昭の報告を受けた後、司馬師は自室へと戻る為 外廊下を歩いていた

 

外は雪がちらちら降り始めている

 

また、この季節が来たのか…と、司馬師は思った

 

季節は冬

 

呉に東興で敗戦したのが、ついこの間の様だが

あれは、約一年前の話だ

 

だが、あの時とは状況が違う

 

呉も蜀も相次いで退け、司馬師はその目を国内に向けた

堂々と魏に置ける権力拡大に乗り出したのだった

 

そして、今や司馬師は魏をも掌握しようとしている

最早、司馬師には敵が無い様に見えた

 

が、実際は違う

 

魏国内は、魏にあくまでも忠義を示す勢力と、司馬師の支配を受け入れる新しい勢力に分かれつつある

 

油断はならない―――

 

とは、まさにこの事だ

司馬師は小さく息を吐き、自室の扉を開けた

 

キィキィと窓の軋む音が聞こえた

 

そう―――”窓”の軋む音が

 

キィ……キィ……

 

その音が、嫌に煩く聞こえる

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

司馬師は、あえて扉を閉めるとじっと、その音のする方を見据えた

 

キィ……キィ……

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

しん…と、静まり返った室の中に、その音だけが響く

 

 

 

 

雪が―――ふわりと 降っていた

 

 

 

 

  ”それ”は、そこに居た

 

 

 

 

 

 

 

「ふ……”死神”か……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         ”それ”は、美しい少女の姿をしていた―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、勢いに任せ…超見切り発進しました(-_-;)
とある、ワンシーンから勃発した、司馬師夢です

一応、長編…ではなく、中編です
た・と・え 10話超えても、私の中では中編でww
まぁ、越えるか未定ですけどねー(笑)

多分、晋伝をやった時の流れの一貫です
つか、1話目はしばちゅー死亡後の流れの説明だけで終わった気がするww
でも、これ書いておかないと、この先の司馬師の行動が意味不明になってしまうので…
まぁ、仕方ない

 

※現在、進行状況というか、内容が気に入らないので…2話目よりRewrite版でお送りしまーす笑

微調整に変更

 

2011.03.25