◆ 黎明の雫 永久の詠吟:3

 

 

もしかしたら、自分は玲琳に避けられているのかもしれない――――

 

そう気付いてから、一ヶ月が経とうとしていた

その間、彼女と会う所か 廊下ですれちがう事すら一度として無かった

だが、陳羣の話を聞く限りでは、やはり玲琳はほぼ連日登城している様である

 

勿論、主だった理由は曹丕からの召喚であり、

最早、それ自体が彼女の中で「普通」の事と認識されていであろう

だが、曹丕とて執務がある

流石の曹丕も基本的には執務中は、玲琳を傍には置いていないらしい

公私を一緒にしない所は、郭嘉も見習わなければいけない所なのかもしれない

 

曹丕が執務で玲琳に構えないその間

所謂「玲琳の自由に出来る時間」などを使い、程昱や荀攸などの所に顔を出しているらしい

勿論、彼らの執務の邪魔をする事などはしない

そこは、きちんと心得ている様で

先触れをだし、了承が貰えた場合のみ訪れている様である

 

どうやら、その“先触れ”を受け取る機会が陳羣は多いらしい

それで、彼女が誰の元へきているなど無駄に詳しいのだ

 

平均して、日に一度は執務棟へ来ているらしい

 

のだが

何故か、郭嘉は彼女と遭遇する事は一度としてなかった

 

たまたま、時間が合わないのかもしれない

 

などと前向きに考えたくもなるが、それは初めの数日だけだ

こうも続くと、避けられているのが濃厚にしか思えなかった

 

だが、どんなに考えても玲琳に避けられる理由がまったく分からない

いや、それ以前に避けられるほど関わっていないのだ

理由など分かる筈もない

 

もしかしたら、本当にたまたま会えないだけで 別段避けられていないのではないか―――

 

などど、淡い期待を抱きたくなる

 

だが、実際問題として

曹操の参謀の中で郭嘉の元に“だけ”来ていないのも事実であり、荀彧に呼ばれたあの日に見かけた以降 会えていないのも事実だ

 

瞬間、ひゅぅっと冷たい風が郭嘉の横を通り過ぎた

 

郭嘉は、持っていた書簡を持ち直すと回廊の中腹にある中庭を見た

すっかり、「冬」に近くなった中庭の枝からは、ぱらぱらと木の葉が落ちている

 

まるで、郭嘉の心の中を表している様だ

 

ふと、そういえばここ最近は遊び歩いていなかったな、などと思った

いつもなら、数日置きに街に出ていた筈なのだが…

玲琳に会ってからは、彼女以外に声を掛ける気にならなかった

 

よく誘いの言葉などを貰うが、殆どを断っている

 

我ながら、変な感じだった

今までの郭嘉にあるまじき行為だと思われる

 

綺麗な女性は好きだし、彼女達と話すのは楽しい

だが、玲琳に会ってからは、それらがすべて色あせて見えた

玲琳以上に「美しい」とは、どうしても思えないのだ

 

彼女だけが、「鮮やか」に見える

 

だが――――

 

実際、会う事所か、すれちがう事すら叶わない

どんなに想っても、それが伝わる事はないのだ

 

「………はぁ」

 

郭嘉は、小さく息を吐いた

 

まぁ、あれこれ考えても仕方ないのだけれど…

 

“逢えないなら会いにいけばいい”と、誰かなら言うかもしれない

しかし、そういう簡単な問題ではない

 

仮にも、相手は“曹丕の奥方候補”であり、“曹丕の寵姫”なのだ

郭嘉が安易に会いに行っていい人物ではない

 

しかも、彼女は基本的に城内では曹丕の私室にいるらしい

そんな所に、どうやって行けようか

行ける筈もない

 

かといって、玲琳が滞在している荀彧の私邸に行く訳にもいかない

過去、しょっちゅう訪れていたならまだしも 実際はそうではない

そんな郭嘉が、突然荀彧邸に通いだしたら明らかに不振に思われる

世間の目が何処に向いているかも分からないのに、迂闊に訪れる事が出来ようか

 

こればかりはどうする事も出来ないのだ

 

自分から会いに行く事も出来ず

城内で偶然すれちがう事すらない

 

どんなに恋焦がれようとも、その声を聴く所か 姿を見る事すら叶わないのだ

 

まさに、八方塞がりである

 

だが

逢えない分、その想いだけが積もっていく――――

 

逢いたい

声を聴きたい

その姿を、ひと目だけでも見たい―――と

 

また、ひゅぅぅっと冷たい風が吹いた

 

ああ…私もあの風になって彼女の元へ行けたらいいのに……

また、小さく溜息を付いている内に目的地に着いてしまった

 

実は、程昱に渡す物があり届けに来たのだ

いつもなら、この程度の用事は部下に任せてしまうのだが…

毎度の如く訪れていた陳羣に「頭を冷やしてこい!!」と執務室を叩きだされたのだ

まぁ、それもこれも 郭嘉がぼんやりして仕事の手が止まっていたせいなのだが……

 

お陰で、こんな冷たい風の吹く廊下を無駄に多い書簡を持って歩く羽目になってしまった

 

郭嘉は、また小さく溜息を付くと 空いた手で程昱の執務室の扉を叩こうと手を伸ばした―――瞬間、突然 何の前触れもなく扉が開いた

 

あまりの絶妙な偶然に、一瞬目を瞬きさせる

 

その時だった

 

「程昱様、本日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございました」

 

透き通る様な美しい声が開いた扉の影から聴こえてきた

 

 

―――――え…

 

一瞬、聴き間違えかと己の耳を疑う

 

この、声は……

 

ごくりと息を飲み、郭嘉は扉の奥を見た

すると―――

そこには、焦がれて 焦がれてやまなかった彼女が―――玲琳が立っていた

 

 

 

 

 

――――どくん

 

 

と、鼓動が大きく鳴った

 

だが、玲琳は郭嘉に気付く事なく、蒼紫色の衣をふわりとなびかせると、誰をも魅了する様な美しい笑みを作り、軽く膝を折った

 

「しかも、この様な貴重な文献を頂いてしまって…。本当に宜しいのですか?」

 

そう言う彼女に手には、大事そうに抱える書物があった

 

どうやら誰かと会話している様である

だが、こちらには気付いていない

 

すると、中から見知った声が聴こえてきた

 

「ああ、いいのですよ。私はもう暗記する程読んでおりますゆえ、無くてもさして問題はありませぬ。それよりも、玲琳殿の勤勉さには頭が上がりませんな」

 

少し掠れた様なその声は、この室の主・程仲徳(程昱)のものだった

程昱といえば、曹操よりも十三歳も年上の御年六十歳の重臣だ

曹操の参謀の中で、郭嘉とは反対に最も年長といえる

 

その程昱が、いつにもまして明るい声で笑いながらそう褒めた

その言葉に玲琳が、にこりと微笑む

 

「ありがとうございます。ですが、私の知る事など まだほんの一握り。もっと沢山の事を学んでいきたいと思っております。ですから、今後ともご教授の方、宜しくお願いいたします」

 

玲琳の丁寧な挨拶に気分を良くしたのか、程昱が笑いながら

 

「うむ、いつでも来られると宜しいですぞ」

 

そう言って、自慢の白い顎髭を撫で

 

ふと、その時だった

程昱が扉の影に隠れていた郭嘉に気付いた

 

「おや、奉孝ではないか。いかがしたのかね?」

 

瞬間、玲琳の表情がサッと変わった

振り向きざまに視界に入った彼女の蒼銀の瞳は、驚いた様に見開かれていた

 

「あ……」

 

別段、隠れていた訳ではないのだが…

なんとなく、出るに出られなかったのだ

 

が、玲琳は郭嘉を認識するなり、サッと視線を反らした

そして、今までとは打って変わった様な早口で

 

「も、申し訳ありません。そろそろ戻らなければいけない時間ですので、失礼いたします」

 

それだけ言い残し、程昱に頭を下げると

そのまま、郭嘉の横をすり抜けてパタパタと走り去ってしまった

 

「あ………っ」

 

声を掛ける間もなかった

 

玲琳は、そのまま足早に回廊の角を曲って行ってしまった

 

折角、一ケ月ぶりに姿を見る事が出来たのに

挨拶すらままならなかった

 

しかも、今の態度

明らかに、郭嘉を避けていた

 

「……………っ」

 

唇を噛み締め、ぐっと握った手に力が篭る

 

「奉孝?どうしたのかね?」

 

程昱が何か言っているが、郭嘉はそれ所ではなかった

 

今を逃したら、もう二度と逢う事すら叶わないかもしれない

今、追い掛ければ まだ間に合うかもしれない

 

避けられていると、はっきりしている訳ではないし…

ここは、偶然にも曹丕の私室とも執務室とも離れている

 

“今“なら……

 

「……………っ」

 

そう思うと、居ても立ってもいられなかった

 

「奉こ……」

 

程昱の言葉など聞く前に、郭嘉は持って来た書簡をぐいっと程昱に押し付けた

 

「程昱殿!こちら、確かにお渡しし致しましたからね!!では、御前失礼!!」

 

そう言って、一礼だけするとそのまま駆け出した

 

「………………」

 

郭嘉の今までとは想像付かない行動に、一瞬ぽかんとした顔で駆け去る郭嘉のその後ろ姿を見ていた程昱だが

その後、何かに気付いた様に細く微笑んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ………っ」

 

いくつもの回廊を曲り、玲琳が走り去ったであろう場所を探す

恐らく、行きつく先は曹丕の私室

曹一族の私室が設けられている棟に入る前に、接触しなければならない

 

その時だった、先の角を曲る玲琳の姿を捉えた

 

「………っ、待って下さい…っ!!!」

 

郭嘉は、行き交う城内の者達が不思議そうに見ているのも構わずに叫んだ

だが、玲琳は振り返るどころか、そのまま角を曲って走り去って行った

「くそ……っ!」

 

だが、あの角の先は確か、広間へと続く大廊下へ出る筈

人の通りの多い所を通る気なのだ

 

そうなれば、もう郭嘉といえども迂闊に追い掛けられない

大廊下に出る前に追いつきたかった

 

郭嘉は、瞬時に城内の見取り図を脳内に導き出すと、玲琳が曲がった方向とは違う横道に入った

そのまま、その廊下を抜けて大廊下へと出る

そして、玲琳が出てくるであろう廊下へと続く道の横へと入った

 

それを知らない玲琳は、そのまままっすぐ廊下を駆け抜けようとした

が、瞬間

それは、横から出てきた郭嘉によって阻まれた

 

郭嘉は、バンッと片手で廊下の壁を叩く様に手を伸ばし、玲琳の進行を邪魔したのだ

突然目の前に現れた郭嘉の存在に、玲琳がびくりっと肩を震わせた

 

「ま……っ、待って下さい……っ!!玲琳殿っ」

 

息も切れ切れにそう吐き出す郭嘉を見て、玲琳が困惑に色をみせた

瞬間、郭嘉は後悔の念に駆られた

 

怯えさせてしまった……

 

だが、仕方なかった

こうでもしなければ、きっと彼女は自分を見てはくれなかった

 

ごくりと息を飲み、じっと玲琳を見る

玲琳の美しい蒼銀の瞳には郭嘉が写っていた

だが、その色には戸惑いの色が見える

 

郭嘉は息を飲み

 

「あ、あの……っ、玲琳殿、私は―――……」

 

上手い言葉が思いつかない

普段、あれだけ女性達に賛辞を述べているのに、こうも肝心な時に何も浮かばない

 

いつも余裕で先の事を考えている郭嘉だが、この時ばかりは“余裕”などなかった

ただ、彼女に追いつきたい一心で、その後の事など考えていなかったのだ

 

「あ―――その……」

 

郭嘉が言葉に詰まっていると、玲琳がサッと視線を反らした

そして、先程とは違うが、口早に

 

「………っ、ごめんなさい…っ!」

 

そう吐き出す様に叫ぶと、サッと郭嘉の手の下をすり抜けて、そのまま逃げる様に駆け出した

 

「待………っ!!」

 

止める間もなく、彼女はそのまま大廊下へと出て行ってしまった

 

「………………」

 

伸ばし掛けた手が宙を切る

 

に……逃げられ、た………?

 

“避けられた“ 所か、”逃げられた“のだ

 

「は……ははは………」

 

郭嘉は、頭を抱えた

壁にどんっと背を預け、天を仰ぐ

 

「……逃げる程 嫌…なのか………」

 

最悪だ………

 

結局、この手は彼女に触れる事すら叶わなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………っ」

 

玲琳は、そのまま室に駆け込むとバタンと扉を閉めた

 

「はぁ……はぁ………」

 

肩が揺れ、呼吸が荒れる

心臓が、酷く脈打ち 今にも飛び出しそうだ

 

「…………っ」

 

ぎゅっと持っていた書物を握り閉めるように、胸を掻き抱いた

 

驚いた

 

偶然でもあの郭嘉に出逢うなどと誰が想像しただろうか

それでなくとも、いつもは郭嘉の執務室の近くは避け、あえて会わない廊下を選んでいるというのに

 

それなのに……

 

逢ってしまった

 

しかも

まさか、追い掛けて来るなんて……

 

予想外過ぎて、頭が回らない

 

ぎゅっと胸が締め付けられる

この心臓の鼓動は、走った為なのか、それとも……

 

郭嘉のあの時の表情が忘れられない

必死に何かを言おうとしていた

でも、玲琳にはそれを聞く余裕などなかった

 

郭嘉…様………

 

ぎゅっと、持っていた書物に力が篭る

 

名を 呼ばれた

 

「玲琳」と“彼”が己の名を呼んだ

 

名前を呼ばれただけでこんなにも―――心が、身体が、ざわつく

 

荀彧に言われて知ってはいた

『宮城に行けば、奉孝もいますよ』

彼は、そう言っていた

 

覚悟は…していたつもりだった

 

でも、やっぱり駄目だった

 

「まだ…駄目………っ」

 

姿を見ただけで、こんなに―――

 

「……何が、駄目なのだ?」

 

不意に、居る筈のない声が聴こえ 玲琳はどきりとした

ハッとして、奥の間へと続く先を見る

すると、コツ…という足音と共に、この部屋の主・曹子桓が現れた

 

「そう、ひ様……」

 

まさかの曹丕の登場に、玲琳はごくりと息を飲んだ

 

「子桓だ」

 

「え?」

 

一瞬、何を言われたのか分からず 首を傾げる

曹丕は、一度だけ蒼紫色の瞳を瞬かせた後

 

「子桓と呼べと言ったであろう」

 

「あ……」

 

そういえば、以前そう言われていた事を思いだす

 

「申し訳ありません、子桓様」

 

そう言って、小さく頭を下げた

ふいに、曹丕の長い指がそっと玲琳の顎に触れた

ぴくりと反応する間もなく、そのまま顔を上に向けさせられる

 

「どうした?顔色が悪いな」

 

いつになく優しく問い掛けられ、玲琳が一瞬だけ辛そうに表情を歪めた

が、それは直ぐにいつもの表情に戻った

 

「……走って戻ってきましたので、少し疲れてしまっただけです」

 

そう言って、にっこりと微笑む

 

「……………」

 

玲琳の言葉に納得したのか、していないのか…

曹丕はただ静かに「そうか」とだけ答えた

そして、一度だけその手で玲琳の頬を撫でる

 

不思議とそれが心地よい

大切にされているのだという事が、痛いほど分かる

 

玲琳は、そっとその曹丕に手に触れると、ゆっくりと蒼銀の瞳を閉じた

 

「心配をお掛けして申し訳ありません。私は、何ともありませんから 気になさらないで下さい」

 

曹丕の優しさが、心に染み渡る

郭嘉に会った時とは違い、酷く落ち着く

 

ふと、ある事に気付いた

 

「そういえば、子桓様? お仕事の方は宜しいのですか? この様な時間に、こちらへお戻りになるとは思ってはおりませんでしたので、部屋を空けてしまっておりました。申し訳ありません」

 

玲琳の言葉に、曹丕が微かに笑った

 

「よい。私の居ない時間に何をしても構わぬと言ったのは私だ。今日は誰の所へ師事しに行ってきたのだ?」

 

「はい、程昱様の所へ。珍しい書物も頂いてしまいました」

 

そう言って、玲琳は嬉しそうに手に持っていた書物を見せた

その表情に、曹丕が柔らかく微笑む

 

「そうか」

 

それだけ言うと、すっと手を離した

そして、そのまま奥の間へと歩いて行く

 

玲琳は、書物を一旦机の上に置くと、そのまま曹丕の後に続いた

 

続きの間へ行くと、曹丕は長椅子に座り、傍に来るように玲琳を促した

玲琳はにこりと微笑むと

 

「その前に、お茶を淹れてまいります。何か、ご希望の品は御座いますか」

 

その言葉に、曹丕は「茶は後でよい」と言って、再度玲琳を傍に呼び寄せた

玲琳は少し困った様な表情を見せた後、曹丕の側にそっと腰を下ろす

 

すると、曹丕が彼女の長い漆黒の髪をひとすくい 指に絡めた

そして、優雅な仕草でそっとその髪に口付ける

 

「私の小夜啼鳥。一曲詠ってはくれぬか」

 

曹丕からの誘いに、玲琳がふわりと笑みを浮かべた

 

そして、透き通る様な声で「はい」と答えたのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郭嘉がめっさ避けられているのに反して

曹丕は着実に新密度上げ中ですなwww

不憫な郭嘉www

 

でも、おやおや?

何やら、彼女には思う所がおありの様です(にやり)

どういう事でしょうかねー?

 

本当は、最後の台詞「小夜啼鳥」ではなく「小夜」にする予定でした

が…なんか、「小夜」だと名前みたいだなぁ…と(-_-;)

まるで、名前変換(オフィシャル違うが…)の誤表示みたいじゃーんと思ってさー

とりあえず、小夜啼鳥とそのままにしました

でも、「小夜」で行きたいのよねーもう一個意味があるからさーう~~ん

(「小夜啼鳥」と「小夜曲」合せて「小夜」にしたかったのヨ!!)

 

ちなみに、こいつは中国にいないんじゃね?

とか思うかもしれませんが…まぁ、某童話では中国の皇帝使ってる部分もあるし…いいんじゃね?とwww

 

2012/06/04