◆ 弐ノ章 出陣 41
――――― 丹波・亀山城
「……えっと……」
沙紀は、声をかけてきた小竜の方を見た。
すると、小竜は半分呆れた様な顔をして、
「俺の事、完全に忘れてたよね?」
「あ……、そ、それは――」
彼の言う事は正しい。
すっかり失念していた。
沙紀は申し訳なさそうに、小竜の方を向くと頭を下げた。
「申し訳御座いません。小竜様」
そう言って、謝罪の言葉を述べる沙紀を見て、小竜が「ふぅん?」と声を洩らす。
それから、くいっと自身の顎をしゃくりながら、
「これ、きつすぎて痛いんだけど?」
と、自身を縛る縄を見せつけた。
つまり、「解け」と言っているのだ。
沙紀が思わず、鶴丸や一期一振達を見る。
すると、一期一振が小さく頷いた。
それを確認してから、そっと沙紀は小竜に近づくと、
「……逃げない事と、暴れない事を約束してくださるのでしたら、その縄を解きます。如何でしょうか?」
沙紀のその問いに、小竜がくすっとその口元に笑みを浮かべた。
「へぇ? 解いてくれるんだ? キミって優しいんだね」
「……そういう訳では」
「いいから、早く解いてよ。これ、結構痛いんだよ?」
そう急かしてくる小竜に、沙紀が小さく息を吐いた。
そして、そっと彼の縄が掛かっている場所に手を掛けると、ゆっくりとその縄を解き始める。
「……あの、動かないでくださいね。動かれると上手く解けませんので――――」
思ったより、その縄は固く結ばれていた。
沙紀は何とか苦戦しつつも、その縄を解いていく。
と、その時だった。
突然、小竜が「ははっ!」と、声を出して笑い出したのだ。
「え? ――――きゃぁ!!」
それは、一瞬の出来事だった。
不意に伸びてきた腕が、沙紀の腰をかき抱いたかと思うと、そのまま抱え上げられたのだ。
「な、にを――――」
沙紀が抗議しようとするが、そんな余裕は与えてくれなかった。
「沙紀!!!」
鶴丸の声が、木霊する。
しかし、沙紀を抱えた小竜はそんな鶴丸の声など物ともせず、縄が緩くなった瞬間にその縄から自分で抜けると、彼女を抱えたまま上の欄干まで飛び上がったのだ。
「沙紀殿!!」
「沙紀!!」
一期一振や、大包平がすかさず手に持っていたナマクラの刀を構える。
が――小竜は、それを見て面白そうに笑うと、
「ははっ! そんな獲物で俺とやり合う気かい? やめときなよ。怪我だけじゃ済まされないよ――それに……」
「…………っ」
沙紀の首元に「小竜景光」が突き付けられる。
「こっちには、キミ達にとって大事な大事な“審神者”が、いるんだけど……?」
そう言って、にやりと笑った。
それを見た、鶴丸が怒りの形相で小竜を睨み付け、
「……お前、もし沙紀に怪我の一つでもさせてみろ……。その身体、二度と使えなくしてやる……」
低い声でそういう鶴丸に、小竜が面白いものでも見たかの様に、くつくつと笑いだす。
「キミは、随分彼らに好かれてるんだね? 沙紀って言ったっけ? キミの名前」
「……小竜様、縄を解く代わりに、逃げない事と暴れない事をお約束下さいと――――」
「何? 俺は“約束する”なんてひと言も言った覚えはないけど? 確認もしないで勝手に縄を解いたのはキミでしょ」
「それは―――……」
確かに、あの時小竜は「約束する」とは言わなかった。
迂闊だった。
やはり、彼の縄を解いてはいけなかったのだ――――。
「……小竜様、降ろしてください。でなければ――――」
「“でなければ――”何かな? キミが俺から逃れられるとでも? それとも――――」
不意に、小竜の顔が近づいてきたかと思うと、そっと耳打ちする様に小声で、
「……沙紀――キミは、俺を煽ってるの?」
そう言われた瞬間、かぁっと沙紀の顔が赤く染まる。
「…………っ! そ、そんな事――――」
「おっと、大きな声上げないでよ。せいぜい、キミは怖がるふりでもしてた方がいいよ」
「え……?」
ふり……?
彼は何を言っているのだろうか。
沙紀が困惑していると、小竜はにやりと笑みを浮かべ、
「じゃぁ、くれぐれも俺達を追うなんて気、起こさない方がいいよ? 彼女が“大切”なら、ね」
それだけ言うと、小竜は器用に欄干を超え、沙紀を抱えたままその場から姿を消したのだった。
鶴丸達を残して――――。
◆ ◆
―――――天正7年7月・丹波 山姥切国広部隊
―――山城・小竜寺城 城下 夕刻
「膝丸!!」
薬研が、城下の外門の前で落ち着かない様にうろうろしていた膝丸を見つけて駆け寄る。
それに気づいた膝丸が、はっとして慌てて薬研の元へ駆けてきた。
「薬研!! 山姥切は何と言っていた!?」
そう詰め寄ってくる膝丸に、髭切がやはり未だに見つかっていないのだと、薬研は気づかざるを得なかった。
「髭切は――その様子だと、見つかってないようだな」
「ああ、兄者は何処まで行ってしまったんだ!!」
ぐしゃっと、前髪を握りしめながら、膝丸が眉間に皺を寄せる。
髭切は膝丸の兄刀だ。
薬研だって、兄弟達が行方不明だったらきっと同じ気持ちだっただろう。
そう考えると、膝丸の心境は痛い程分かった。
「とりあえず落ち着け、膝丸」
「――――これが、落ち着いていられるか!! 兄者が行方不明なのだぞ!?」
「分かってる」
ここで、薬研までこれ以上慌てる訳にはいかない。
冷静さを失えば、見えるものも見えなくなってしまう――――。
「とりあえず、山姥切から言付けを預かってきた」
薬研がそう言うと、膝丸がその瞳を大きく見開いたかと思うと、がばっと薬研の肩を掴んだ。
そして、ゆっさゆっさと揺さぶりながら、
「山姥切は何と言っていたんだ!!?」
「だ、だだだ、だから落ち着けって!」
「落ち着いている!!!」
どこがだ。
と、突っ込みそうになるのをぐっと堪える。
「と、とにかく、山姥切は例の子供をよく思い出せと言っていた」
「あの子供か!」
「俺はあの子供が禿じゃないかと睨んでる」
「禿?」
「ああ」
「しかし、禿というには――――」
確かに、禿にしては髪もぼさぼさだったし、纏っていた衣もぼろぼろだった。
だが、あの子供も所作は平民のものとは違っていた。
まるで、どこかで高等な教育を受けているかの様な――そんな雰囲気すらあった。
「確かに、あの身なりではぱっと見分からないかもしれないが――――」
薬研がそういと、膝丸は「いや」と答え、
「今は、少しでも情報が欲しい。あの子供が禿と言うなら、その線を当たってみるのも――――」
そこまで言いかけた時だった。
膝丸が何かに警戒する様に、腰に履いていた「膝丸」の鯉口に手を当てた。
「――――誰だ。出て来い!」
そう叫ぶなり、かちゃっと鯉口を切った。
瞬間、まるでこちらを盗み見していたかのような位置から、見た事無い男が現れた。
男は抵抗の意思が無いのを示す様に、両手を上げて、
「おいおい、いきなり斬りかかろうとするのは無いんじゃないかい? お侍さんよ。こっちはあんた達に、“情報”を提供しにきたってのに」
そう言って、男がにやりと笑う。
だが、膝丸は鋭い目つきのまま、男を睨みつけ、
「貴様、何者だ?」
そう言って、男への尋問をしようとした時だった。
男は、ふっと微かに口元に笑みを浮かべて、
「――――俺は、“玄狼の銀”ってもんだ。あんた達のお仲間さんの“友切”って奴からの伝言を預かってる」
その言葉に、膝丸がはっとする。
「“友切”……兄者だ!!」
“友切”
それは、薬研が玉子や市に咄嗟に名乗った“偽名”であり、“友切”は髭切の“偽名”だった
それを知るや否や、膝丸は銀に詰め寄った。
「兄者は何と言っていたのだ!?」
そう言って、銀の肩を掴む。
すると、銀はにやっと笑って、片手で丸い形を作り、
「おっと、“情報”が欲しければ、払うもんを払って貰わないとね。こちとら“これ”が商売なんでな」
その言葉に、薬研がはっとする。
「お前……情報屋か!?」
「情報屋?」
あまり聞き慣れないのか、膝丸が薬研の方を見て首を傾げる。
すると、薬研は銀の方に歩み寄り、
「……幾らいるんだ?」
そう尋ねると、銀はにやっとその口元に笑みを浮かべ、
「そうだなぁ~あんたらは金持ってそうだし、金五百でどうだい?」
「「はぁ!?」」
膝丸と薬研が素っ頓狂な声を上げた。
否、上げるもの当然だった。
いきなり、情報だけで金五百とか法外な額以外の何者でもないからだ。
だが、銀は勝ち誇ったかのように、
「とれる輩からは、がっぽり取るのがうちのやり方でね。嫌ならいいんだぜ? このまま俺は帰らせてもらうだけさ。せいぜい、自力で探すんだな」
そう言って、片手をひらひらとさせながら踵を返そうとする。
このままでは、折角の情報を逃してしまう――――。
だが、幾らなんでも金五百だなんて高すぎだった。
と、その時だった。
「ちょっと、待ちな!」
薬研が声を上げたかと思うと、銀の方に歩み寄った。
そして、懐から金子の入った袋を取り出すと、
「ほらよ、金八百だ。受け取んな!」
そう言って、金子の袋を銀へ投げつける。
銀はそれを上手い具合に片手で掴むと、袋の中身を確認する様に、金子を見た。
そして、にやっとその口元に笑みを浮かべ、
「あるじゃねぇか。さっさと出せばいい物を、出し渋るのは良くないぜ?」
そう言うが、薬研はその言葉を無視しながら、絶対零度の様な低い声で、
「払うもん払ったんだ。色まで付けてな。伝言ってやつを聞かせて貰おうか?」
「いいぜ。こちとら信用第一だからな。じゃぁ、“友切”って奴からの伝言だ。――“僕は大丈夫だから、心配しないで。君達は先に任務の方をやっててくれるかな”――だそうだ」
「それ、だけなの……か?」
膝丸が呆気に取られたような顔で、その瞳を瞬かせた。
それはそうだろう。
金八百も払って聞き出した伝言が、「大丈夫だから、心配するな」だ。
「他に、他にないのか!?」
膝丸が、銀に詰め寄る様に叫ぶ。
すると、銀は慣れているのか……、平然とした顔で、
「他の言葉は頼まれてねえな」
と、はっきりとそう言った。
その言葉に、膝丸がその場にがくっと膝を付ける。
そして、ぎりっと拳を握りしめて、
「兄者……っ!」
「膝丸……」
薬研はやるせなかった。
ここまでしか本当に手がかりはないのか……?
わかっているのは、あの子供が「禿」である事。
そして――髭切の命にかかわる事はない。
それだけだった。
と、その時だった。
ふと、銀が思い出したように、
「ああ、今回は“おまけ”してやるよ。金子を八百も頂いたからな。――あの“友切”ってやつと一緒にいたガキは、“杏寿楼”って妓楼のガキさ」
「“杏寿楼”?」
「ああ、あそこを取り仕切ってる“詞羽”っていう業突くばばあが厄介でな。あのばばあに気に入られたら最後、二度と“杏寿楼”から出られないって噂だ」
「出られない……?」
「ああ、だからこの街では“行方不明者”が続出してる。それも若い男ばっかりだ。皆、詞羽のばばあのカモにされてるのさ!」
“行方不明者”
それは薬研が聞いた“噂”とも合致していた。
「……何故、警吏は動かない? そこまで分かっているんだろう?」
膝丸がそう尋ねる。
もっともな意見だった。
だが、銀は両手を広げると、肩を竦めた。
「警吏なんて、お偉いさんがそこまで掴んでると思うかい? せいぜい、花街の何処か程度しか知らねえよ。しかも、花街は――――」
「……治外法権」
ぽつりと、薬研が呟いた。
すると、銀はにやりと笑って、
「ああ、その通りさ。兄ちゃんよく知ってるじゃないか。あそこにはあそこの“規則”ってのがある。市井の中でも花街は別格なのさ」
「だから、警吏もむやみに動けない――そういう事か」
「そうさ。だから俺達の様な奴らが重宝されるって訳だ。ま、俺から話せるのは“ここまで”だ」
そう言って、銀が踵を返す。
と、その時だった。
「待て!」
膝丸が銀を引き留める様に声を上げた。
すると、銀が一瞬だけその瞳を瞬かせて振り返った。
「まだあるのかい?」
そう銀が尋ねると、膝丸は真面目な顔をして、
「お前と、連絡を取るにはどうしたらいい。ここにいる間、定期的に連絡を取りたい」
「膝丸?」
薬研が膝丸の方を見る。
だが、膝丸は真っ直ぐに銀を見据えたまま、
「金なら幾らでも払ってやる。だから、俺達が知りたい時に情報をくれ」
膝丸の言葉に、銀が珍しく驚いたような顔をした。
だが、その表情は直ぐに元の様に食えない顔に変わり、
「へぇ? 俺達の情報を定期的に買いたいって事かい?」
「ああ、そう言っている。ここにいる間だけな」
「ふぅん?」
銀が見定める様に、膝丸と薬研を見た。
それから、にやりと笑みを浮かべると、
「いいぜ、だったら付いて来な。俺達“玄狼”の頭に会わせてやるよ」
そう言って、裏路地の方に入っていく。
膝丸と薬研は顔を見合わせると、小さく頷き合い、銀の後に付いて行ったのだった。
そこが、何処へ繋がっているのかも知らずに――――。
スミマセン、約一ヶ月……全更新ストップしてました💦
別に具合が~というより、暑くて死んでましたww
や、エアコンないと、夏は辛いな!!!
2023.09.03