◆ 序ノ章 “審神者” 9
「その子をね、助けて欲しいだ」
そう言って布から出てきたのは、一振のぼろぼろの諸刃の太刀だった
それを見た瞬間、鶴丸の表情が一変する
「こいつは……っ」
「……りんさん?」
鶴丸の驚いた表情に、沙紀が首を傾げる
だが、小野瀬には鶴丸が驚く理由が分かる様で、にやりと笑みを浮かべた
瞬間、鶴丸が がしっと小野瀬の襟首を掴み上げた
「お前……っ、こいつを何処で……っ!!」
ぎょっとしたのは掴まれた小野瀬ではなく、見ていた沙紀の方だ
だが尋常ではない鶴丸の怒り様に、止めに入る事すらままならなかった
だが、掴まれた当の本人はけろっとしたまま
「それは、企業秘密だよ。いくら、鶴丸君の頼みとはいえ教えられないなぁ」
そう言って、余裕の笑みを見せる
「……っ」
鶴丸がぎりっと奥歯を噛み締めるのが分かった
小野瀬は くすっと笑みを浮かべた後、いとも簡単に鶴丸の拘束を解く
いや、鶴丸が手を緩めたと言った方が正しいか
そうなる事が分かっていたのか、小野瀬はそのまま何事も無かった様に沙紀の前まで歩いていくと
「ねぇ、“審神者”殿。この子このままじゃ可哀想じゃありませんか?」
「え……」
言われて、目の前のぼろぼろの太刀を見る
刃こぼれもしているし、黒炭もある 何よりも……
「……この太刀からは“霊力”を感じません」
そう、なんの“霊力”も感じない
これでは、どんな名刀であってもただのナマクラだ
たとえ、打ち直したとしても長くはもたない
少しぶつけただけで折れるのが関の山だ
それぐらい、素人目で見ても分かった
残酷な話だが……
「打替えたとしても……長くはもたないでしょう。それならば、いっそこのまま眠らせてあげた方が――」
「駄目だ!!!」
その時だった、鶴丸が突然叫んだ
「りんさん……?」
普通ではない鶴丸の反応に、沙紀がその躑躅色の瞳を瞬かせた
もしかして……
「りんさん……この刀をご存じなのですか……?」
「……っ」
明らかに鶴丸が息を呑むのが分かった
鶴丸は、顔を顰め言い辛そうに一度その金色の瞳を伏せたが
ゆっくりと息を吐き、一言
「燭台切光忠」
「え……?」
その名には覚えがあった
280年以上前に起きた日本災害史上最大級の被害を与えたと言われている震災
その折に、焼失したとされていた刀だ
確か……その90年近くたった後に、焼身の状態で保管されている事が判明した筈だが
それが、この刀……?
190年近くも、この姿のまま保管されていたというのか
いや、手が出せなかったが正しいのかもしれない
二回の震災に合い、それでも生きようとした刀
生かしてあげたい……けれど
沙紀はそっとその刀身に触れた
煤汚れや、焼けた跡などはいくらでも治せるかもしれない
けれど――この刀にはもう“霊力”がない
神が宿っていないのだ
沙紀は鍛冶師ではない
この刀に、もう一度“神”を宿らせるなど――
「出来るでしょう?」
「え……」
不意にそう言われ、沙紀はどきっとした
すると、小野瀬は全て知っているという風に にっこりと微笑み
「出来ますよね? “審神者”殿なら――いえ、日本最高位の巫女神の貴女なら、出来る筈です」
「それは……」
まさか、小野瀬は“あの方法”の事を言っているのだろうか……
確かに、“あの方法”ならば可能性はゼロではない
しかし……
沙紀は困った様に目を伏せ
「リスクが大き過ぎます」
そう―――“あの方法”はリスクを伴う
現にあの時も、何度も失敗している
だが、小野瀬はそれすらも分かっている様に
「そうですか? 貴女がその天叢雲剣を“復活”させた時は、まだ歳十の幼い頃の話。今はそれから七年も経っています。霊力も技術も格段に上がっているでしょう。ならば、成功する確率も上がっているのでは?」
「……何の話だ?」
話しに付いていけない、山姥切国広がそう尋ねる
見ると、鶴丸も不思議そうな顔をしていた
それを見た小野瀬は「ああ……」と声を洩らし
「お二人はご存じないのかもしれませんが、彼女が宿す“神代三剣”のひとつ天叢雲剣は源平合戦の折に本物は海の底に沈んだのですよ。それを“復活”させたのが彼女です」
「あれは……っ」
そこまで反論しかけて、沙紀は言葉を詰まらせた
ぎゅっと着物を握り締める
「あれは、失敗です。何度も何度も失敗して、最後にたまたま成功しただけの産物に過ぎません。成功するまでに、何十何百という刀を駄目にしました……っ。“霊力”の宿らない空の刀に神を宿すなど――」
不可能なのだ
そう言おうとした瞬間、小野瀬はにっこりと微笑み
「可能ですよ」
と答えた
その自信満々の答えが、沙紀を更に苛立たせた
「何を根拠に――っ」
「“審神者”殿、聡明な貴女ならば考えればすぐ分かる事です。まず、第一に条件があの時とはまるで違う。貴女の霊力もあの時以上に洗練されているし、それにこんな状態とはいえ、元は“神の宿っていた刀”です。そして、何より――」
そう言って、鶴丸を見た
「ここには、この子に縁のある鶴丸君も存在している。違いますか?」
「それは……」
確かに、まるで原型すらない天叢雲剣を“復活”させた時とは条件が違う
違うが……
これだけは言いたくなかった
だが、言わなければきっと小野瀬は納得しない
沙紀はぎゅっと目を瞑り、死を宣告する様に口を開いた
「――この刀には、その“儀式”に耐えられるほどの力はありません」
そう――
一番の問題はそこだった
この太刀には、もう“儀式”に耐えられるほどの力はない
きっと、“儀式”の最中に耐えられなくなって折れてしまう
「駄目……な、のか……?」
ぽつりと、鶴丸の声が聞こえてきた
はっとして顔を上げると、哀しそうな瞳をした鶴丸と目が合った
あ……
「光忠は、もう――助からないのか……?」
「それは……」
それ以上何も言えなくなり、沙紀は俯いた
鶴丸を哀しませたくない
出来る事ならば、この刀も助けてあげたい
だが、リスクが多すぎる
どう……すれ、ば……
そう思った時だった
小野瀬が何でもない事の様に
「ああ、その点なら大丈夫ですよ。こちらでフォローします」
「え……?」
突然 降って湧いた様な言葉に、目が点になる
大丈夫……?
小野瀬の言う意味が分からず、沙紀がその躑躅色の瞳を瞬かせる
すると、小野瀬は当然の様に
「要は、この子が“儀式”に耐えられればいいんでしょう? それぐらい何とかしましょう」
「何とかって……」
そう簡単に言うが、そんなにあっさりと何とかなる問題ではない
刀身自身に“霊力”がないのに、どうするというのだ
すると、小野瀬は沙紀の考えを読んだかのように、にやりと笑みを浮かべ
「何、簡単な事ですよ。内に無いものは“外”から与えてやればいい」
「え?」
それは、どういう事
外から“与える”?
沙紀が小野瀬の考えが読めずに困惑していると、小野瀬はさくっと立ち上がり
「じゃぁ、鶴丸君。後は頼んだよ」
「は?」
「は? じゃないよ。僕は明日までに宮内庁に行った後、大阪に行かなきゃいけないから」
それだけ言うと、小野瀬は沙紀の前に歩み寄り
「では、明日。石上神宮内でお会いしましょう。“儀式”の準備宜しくお願い致しますよ? “審神者”殿」
そう言って沙紀の手を取ると、その甲に口付けを落とした
「な……っ」
ぎょっとしたのは沙紀ではなく、鶴丸だった
「小野瀬! お前……っ!!」
今にも食って掛かりそうな鶴丸をひらりと避けると、小野瀬は「じゃぁ、宜しくー」とその場を去って行った
一瞬、何をされたのか理解出来ず、沙紀はぽかんとしていたが
鶴丸が「油断も隙もあったもんじゃないな!!」と、沙紀の手をタオルで拭いていたものだから、その様子が可笑しくて、つい笑ってしまうのだった
**** ****
その日の夜
沙紀は、眠れずにいた
石上神宮に帰るにはもう遅かったので、鶴丸が自分の部屋に泊めてくれたのだが
明日の“儀式”の事が気になって眠る事が出来なかったのだ
失敗すれば、“燭台切光忠”は永遠に失われてしまう
七年前、天叢雲剣を“復活”させた時は、“失敗”しても替えがあった
依り代となる、器は何度でも造り直す事が出来た
だが、今回は違う
あの刀にそれだけに耐えうる力はない
勝負は一度きり
失敗は許されない
でも……
明らかに、失敗の可能性の方が高い賭けをしなければならない
何故ならば、あの刀は弱り過ぎている
もう、“儀式”にすら耐えられるかどうか……
それに……
あの時の、沙紀が無理だと言った時の鶴丸の顔が過ぎって頭から離れない
哀しそうな、寂しそうな瞳……
あんな顔、させたくなかった
だからと言って、安易に受けられる話でもなかった
どう、すれば……
そう思うも、今考えても答えなど浮かばなかった
眠れない理由はそれだけでは無かった
このベッドという物も初めてでどうも落ちつかない
それも、ダブルを通り越してキングサイズだ
普段、布団で寝ている沙紀が落ちつかなくて当然である
沙紀はベッドから起き上がると、キッチンに向かった
広い部屋に、がらんどうの空間
それが、鶴丸の部屋だった
ここダイニングひとつにしても、家具も必要最低限の物しか置いていない
殆ど何も無い空間となっている
りんさんは、いつもここに一人でいたの……?
こんな寂しい空間に……
そう思うと、きゅっと胸が締め付けられる様だった
蛇口を回し、水をグラスに注ぐ
沙紀はその水をこくりと飲んだ
ふと、壁一面の窓ガラスに光がさしているのが見えた
外の光ではない
振り返ると、ある一角の部屋の扉が少し空いていて、そこから光が洩れていた
あそこは……
その部屋は、鶴丸が何かあった時来いと言っていた、彼の部屋の扉だった
りんさん……、まだ起きているの……?
そう思い、そっとグラスを置くとその部屋に近づいた
が、扉を開ける前に手が止まってしまった
「……」
流石にもう夜も遅い
こんな時間に男性の部屋を訪れるなど淑女として、あってはならない
そんな気がして、その手を動かす事が出来なかった
どう、し、よう……
鶴丸の顔が一目だけでも、見たい
見たら安心して眠れそうな気がする
でも……
その時だった
中から声が聞こえてきた
「誰だ? 沙紀……?」
“沙紀”と名を呼ばれた瞬間、どきりと心臓が鳴った
「あ……」
気付かれてしまう――
慌ててその場を離れようとするが、時すでに遅く
あっという間に、出てきた鶴丸にその腕を掴まれてしまった
「あ、あの……っ」
「やっぱり、沙紀か。そんな気がしてた」
そう言って笑う鶴丸を見たら、もう何も言えなくなってしまった
鶴丸に促されるままに、おずおずと部屋の中に入っていく
部屋の中は、相変わらず殺風景だった
やはり部屋の電気は点いておらず、唯一の灯りはベッドサイドのサイドランプのみだった
そんな中で唯一目についたのは、たくさん本が並んでいる大きな本棚だった
よくよく見れば、今も本を読んでいた様だった
「本……お好きなのですね……」
沙紀がそう言うと、鶴丸はベッドに腰掛けて持っていた本を置いた
「知識が無いと馬鹿にされるからな。小野瀬に馬鹿にされるのが一番癪に障る」
そう言った鶴丸の顔が幼く見えて、思わず沙紀は笑ってしまった
瞬間、鶴丸がむっとして沙紀の頭をこつく
「笑うな」
「すみません」
そう言いつつ、やはり笑ってしまう沙紀に鶴丸は苦笑いを浮かべながら、ぽんぽんっと自分の横を叩いた
「坐れよ。どうせ、寝つけなかったんだろう?」
「え、ですが……」
あっさり言い当てられ、沙紀は恥ずかしそうに俯いた
まさか、この年になって一人で眠れないなどと……思われたのだとしたら
自分は鶴丸にとって子供のままなのかもしれない
そんな思いが過ぎるが、不意に伸びてきた手が沙紀をぐいっと引っ張った
「あ……」
あっという間に、鶴丸の腕に捕まり隣に坐らせられる
それから、よしよしという風に頭を撫でられた
「も、もう……っ。私、子供じゃありません」
そう言い張ると、鶴丸は優しげに笑みを浮かべたまま「分かってるよ」と答えた
そして、その手がするりと頭に回されそのままこつんと鶴丸の額にくっつけられた
「……っ」
まさかの鶴丸の反応に、沙紀が息を呑む
鶴丸の優しげな金色の瞳が沙紀を見ていた
「不安なんだろ? 明日の事が」
「……っ、は、い……」
素直にそう頷くと、頭を優しく撫でられた
「大丈夫だ、光忠はきっと助けられる。沙紀ならそれが出来ると俺は信じてる」
「ですが……」
成功する根拠など何処にもない
何故、鶴丸はそう言い切れるのだろうか
その強さは一体どこから来るのだろう
すると、鶴丸は少しだけおどけた様に
「まぁ、根拠なんてないんだがな。小野瀬の奴は、嫌な奴だけどやる時はきちんとやる奴なんだよ。だから、今回 宮内庁と大阪に行くのも何か策が合っての事だと思う。普段は信用ならない奴だが……こういう時は、意外と役に立つ奴だから、信じてもいいかと俺は思うんだ」
あ……
態度や口ではなんだかんだ言っても、小野瀬の事は信じているのだというのが良く分かった
でも、これを言うと鶴丸はきっと否定するだろうから、言わないでおこうと思った
「ねぇ、りんさん」
「ん?」
「燭台切さんとは、知り合いなのですよね? その……お話を聞いては、駄目……ですか?」
沙紀がそう尋ねると、鶴丸は少し考えて「いいよ」と答えた
「光忠とは俺が伊達家にいた時一緒だったんだ」
「伊達……というと仙台藩の?」
「ああ、俺と光忠と大倶利伽羅。後、太鼓鐘貞宗かな」
「大倶利伽羅さんと、太鼓鐘……さん?」
「特に、光忠と貞宗は仲が良かったなぁ……。“みっちゃん”、“さだちゃん”なんて、呼び合っててさ」
その光景が浮かびそうで、沙紀はなんだか知らず笑ってしまった
それを見た鶴丸が嬉しそうに微笑む
「俺は――結構、あっちこっち持ち主に振り回された口だけどさ、伊達家に居た時が一番楽しかったかな……」
「……」
鶴丸の由縁は知っている
墓を暴かれたり、神社に納められたり、盗まれたり――散々な目に遭ってきていた筈だ
だが、今 伊達家の話をする鶴丸は嬉しそうだった
そんな鶴丸を見るだけで、幸せな気分になれた
「まぁ、今は全員離れ離れだけどな。また、いつか一緒に会えたらいいよなって思うんだ」
「はい……」
4人が一緒に居られたらきっとそこは“楽園”なのかもしれない
そんな空間を作ってあげられたら――そう思うのは、痴がましいことだろうか
だが、そう思わずにはいられなかった
本当は、貞ちゃんと鶴はタイミングはズレていますが、
便座上一緒にしています(突っ込み禁止)
旧:2015.09.03
新:2024.06.30