華ノ嘔戀 ~神漣奇譚~

 

 序ノ章 “審神者” 5 

 

 

 

しんしんと降る初雪が、庭の木々を白く染めていく

沙紀は、ぼんやりとその初雪を眺めながら小さく溜息を付いた

 

鶴丸が沙紀の元を去ってから、一ケ月以上が経とうとしていた

季節はいつの間にか紅葉の時期を終え、冷たい雪の季節に移り変わっていた

 

毎年思う

雪を見る度に想いだすのは、彼の事だった

 

白い着物の、雪がとても似合う人

彼が微笑むと、そこだけ暖かい気持ちになれた

でも――

 

『……ごめんな、沙紀……』

 

あの時の、鶴丸の言葉が脳裏を木霊する

どうして彼は「ごめん」などと言ったのだろうか

 

それはもう“二度と逢わない”、という意味の“ごめん”なのだろうか……

 

行かないでと

傍にいて欲しいと願ったのに……

彼は……応えてはくれなかった

 

また、大きな溜息が洩れた

 

自分でも分かっている

自分は、きっと鶴丸から見ればずっと子供なのだ

子供相手だから、優しくしてくれていただけなのだ

 

そうよ

だから、期待などしてはいけない

 

分かってはいる

分かってはいるが、それでも――

 

「りんさん……」

 

沙紀はそっと、彼に触れていた手を胸元で握り締めた

 

逢いたい……

逢えない時間が長い程、逢いたいという気持ちが募っていく

 

またひとつ、溜息が零れる

 

その時だった

不意に、頭にぽんっと手が乗せられた

 

「……?」

 

沙紀がゆっくり顔を上げると、そこには山姥切国広が立っていた

 

「山姥切さん……」

 

沙紀がそう呟くと、山姥切国広は呆れた様に息を吐き

 

「溜息ばかりついていると、幸せが逃げるらしいぞ」

 

そう言って、ぽんぽんっと沙紀の頭を撫でた

それがくすぐったくて、思わず沙紀の表情に微かに笑みが零れる

 

懐かしい……

 

「その言葉……前に、りんさんにも言われました」

 

『溜息をつくと幸せが逃げるらしいぞ?』

 

彼はそう言って、ひょっこり驚かせるようにあの廊下の向こうから姿を現した

でも――今ここに、彼の姿はない

 

沙紀がまた沈んだような面持ちになった瞬間、山姥切国広は一度だけその碧色の瞳を瞬かせて、奥の部屋を指さした

 

「落ち込むのはいいが、あんたの所のやつが朝餉を持ってきている。さっさと食べた方がいいんじゃないのか?」

 

「え……?」

 

言われて部屋の奥を見ると、膳が二つほど用意してあった

 

ああ……もう、そんな時間だったのかと思い

沙紀がゆっくりと立ち上がろうとした、瞬間――

ぐらり……と、視界が揺れた

 

「おい!」

 

山姥切国広の声が遠くに聞こえる

 

倒れる――

そう思った時だった

 

「あ……」

 

気が付けば、沙紀は山姥切国広の腕の中にいた

目の前にある美しい碧色の瞳に、思わずどきりと心臓が音を立てる

 

「す、すみません……山姥切さん……」

 

沙紀はそれを悟られまいと、山姥切国広をそっと手で押すと、そのまま自分の足で立った

そして、苦笑いを浮かべて

 

「ずっと縁側で外を眺めていたので、身体が冷えて上手く動かなかったみたいです」

 

そう言って、そのまま部屋の中に入って行った

山姥切国広は、小さく息を吐くとその後に続いたのだった

 

 

 

 

 

 

 

部屋の中には、朝餉の膳が二膳用意されていた

沙紀と山姥切国広のものだ

その横に、ちょこんと小さな器があった

 

「主さま! おはようございます」

 

こんのすけが、そこに坐って尻尾をぱたぱたとぱたつかせていた

それを見て、沙紀が思わずくすりと笑ってしまう

 

「おはよう、こんのすけ」

 

そう言って、沙紀は自分の膳の前に坐った

山姥切国広もいつもの様に、沙紀の向かいにある膳の前に坐る

 

「いただきます」

 

そう言って、沙紀が手を合わせると

二人も「いただきます」と言って、手を合わせた

 

山姥切国広を顕現してからのいつもの風景だ

ふと、目の前で黙々と無言で食事をする山姥切国広を見て、思わず笑みが零れた

 

「……なんだ?」

 

それに気付いた山姥切国広が、不思議そうに眉を寄せる

ふふっと、沙紀は笑みを零しながら

 

「いえ、山姥切さんも箸の持ち方がお上手になったと思いまして……」

 

最初の頃は、凄かった

としか、言い表し様がない

 

それもそうだろう

人の形を成したのが初めてなのだから、箸など持った事ある筈がなく……

掴むどころか、持つ事すら困難だった

それを教えたのが凄く昔の様に感じる

 

あの日――

 

刺客がこの部屋に現れ、鶴丸と顕現したばかりの山姥切国広が撃退してくれた

そして、鶴丸は去り 彼は残った

 

最初に駆け付けた父・一誠が見たのは荒らされた部屋と最愛の愛娘が見知らぬ若い男と一緒にいる姿だったのだ

それはもう、驚き以外の何者でもなかっただろう

 

なんとか、一誠の誤解を解き

山姥切国広は刀がひとの姿に顕現した姿なのだと説得し今に至る――――

 

今は、沙紀の“護衛”という形でこの屋敷で一緒に暮らしている

 

本当ならば、小野瀬に返さなくてはならないのだが・・・・・・

ひとがたになった刀を、刀の姿に戻す術など知らず――――結局は、そのままになっているのだ

そして、沙紀を「主」と呼ぶこんのすけも、なし崩しのままここにいる

 

沙紀は小さく息を吐くと、箸を置いた

その様子を見た山姥切国広が、不思議そうにその碧色の瞳を瞬かせる

 

「どうしたんだ? 食が進んでいない様だが……」

 

「え……? あ……」

 

無意識に置いてしまった箸を眺めながら、沙紀は困った様にその躑躅色の瞳を伏せた

 

「すみません……その、色々考えてしまって――」

 

これからの事もそう

このまま山姥切国広に、護衛をお願いしておく訳にもいかないし

こんのすけを預かっている訳にもいかない

 

何故なら、自分は“審神者”になる件を断っているのだから

 

本来であれば、彼らは“審神者”の元に現れる筈だったはずである

何の手違いか、自分の元に現れてしまったが……

 

それに……

 

銀にも似た金色の瞳をした美しい銀髪の青年の姿が脳裏を過ぎる

 

 

 

 

 

 

りんさん――

 

 

 

 

 

 

彼はどうして、去ってしまったのだろうか

何故、“ごめん”なのだろうか

 

もし、もう二度と逢えないのだとしたら――

 

そう思った瞬間、じわりと沙紀の躑躅色の瞳に涙が浮かんできた

ぎょっとしたのは、山姥切国広だ

 

「お、おい」

 

慌てて箸を置き、手を伸ばしてくる

肩に添えられた手が、酷く暖かく感じ また涙が滲み出てきそうになる

 

「大丈夫か……?」

 

「……っ」

 

優しくそう語り掛けられ、思わずその身を預けたくなる衝動を必死に堪える

小さくかぶりを振り、「大丈夫です……」と答えるだけで今の沙紀には精一杯だった

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

―――夜

 

山姥切国広は、自室の窓から外を眺めていた

しんしんと降り積もる雪が、酷く珍しくも感じると同時に手足が冷たくなるのを感じた

 

これが、“寒い”というものだろうか

 

人の身体とはこうも不便なのかと痛感する

刀の時は必要としなかったものを多く必要とする

 

休息も食事もそうだ

そして、何よりも一番戸惑いを覚えるのが“感情”という代物だ

こいつはとにかく厄介で、扱いが難しかった

 

それに、現世の“常識”というものがまるで分らないので、沙紀に迷惑を掛けてばかりだった

だが、沙紀は嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれる

それが、嬉しくもあり照れくさくもあった

 

ただ、山姥切国広には理解出来ない事があった

鶴丸国永の事だ

 

何故、彼は沙紀の元から去ったのだろうか

山姥切国広には、どうしても理解出来なかった

 

沙紀は、鶴丸が何者でも構わないと言っていたのに

鶴丸にはそうではなかったという事だろうか?

 

その時だった、障子戸の向こうに人の気配を感じ、山姥切国広は溜息を洩らした

立ち上がると、有無を言わさず障子戸を開ける

 

「……何をやっているんだ? あんたは」

 

呆れにも似た溜息を洩らしながら、そう相手に声を掛ける

すると、そこのいた者は少しばつが悪そうに苦笑いを浮かべた

 

「なんだ、気付いてたのか……驚きも無いもないじゃないか」

 

そこにいたのは

そう、渦中の人――鶴丸国永だった

 

 

 

 

 

鶴丸は、「よ!」と挨拶代わりに手を上げると、障子戸に寄り掛かったまま腕を組んでそこに立っていた

山姥切国広は、やはり呆れた様に溜息をつき

 

「それで? あんたはそこで何しているんだ?」

 

そう尋ねると、鶴丸はおどけた様に

 

「お前の事が心配で、様子を見に来てやったんじゃないか。つれないねえ」

 

そう笑いながら言うが、その言葉が取り繕っているもだという事は、山姥切国広でも分かった

はぁ……と、溜息を洩らしながら山姥切国広は、障子戸を挟んだ反対側に背を向けて坐った

 

「そうじゃないだろう? あんたが一番気にしているのは」

 

そう言うと、鶴丸は少し言い辛そうに声を洩らした後、小さな声で

 

「…………沙紀は――その……元気、か?」

 

ぽつりと呟かれたその声は、酷く弱々しいものだった

鶴丸のその言葉に、山姥切国広はやはり溜息を洩らした

 

「気になるなら自分で様子を見に行けばいいだろう? すぐそこの部屋にいるぞ」

 

「……」

 

山姥切国広のその言葉に、鶴丸は答えなかった

答えたくないのか

それとも、答えられないのか

 

山姥切国広は とん……と障子戸に背を預けると、天を仰いだ

 

「俺には理解出来ない。気になるなら気になるで、自分の目で確かめればいい。何故、わざわざ俺に聞く。そもそも、写しの俺に聞いてどうする」

 

山姥切国広の言葉に、流石の鶴丸も苦笑いを浮かべた

 

「はは……簡単にいうなぁ……」

 

そう言って鶴丸は雪の降る空を見上げた

 

「……俺だって、な……沙紀に逢えるなら逢いたさ……。でも、そう簡単な話じゃないんだよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「まぁ……色々あるんだよ……」

 

「……」

 

その“色々”は山姥切国広には分からない

分からないが、逢えない理由がこの男にはあるようだった

ただ、ひとつ言える事があった

 

「あんたからは、俺と同じであいつの霊力を感じる。あんた、あいつに現世に呼ばれたんだろう?」

 

「……っ」

 

一瞬、鶴丸が驚いた様な顔をしたが、次の瞬間苦笑いを浮かべた

 

「なんだ、やっぱりお前には分かるのか」

 

そう言って、頭をかいた

 

「……あいつは――沙紀は覚えてないのかもしれないが……。そうだよ、俺はあいつに呼ばれたんだ」

 

あの日――

 

鶴丸は、幼かった沙紀の手によって、人の姿を得た

それは、真っ白な雪の降る日だった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まんばと仲良くお食事~~~(笑)

新密度が上がっておりますww

 

そして、次回ついに鶴の顕現の時が明らかに…

 

旧:2015.07.05

新:2024.06.30