深紅の冠 ~鈺神朱冥~

 

 第1話 紅玉 3

 

 

「……」

 

何故かしら……嫌な予感が消えない――。

 

雨は降り続けており、伊地知が「帳」を解いたにもかかわらず、空は夜の様にどんよりしていた。横にいる伏黒を見ると、難しい顔をしたまま建物の方を見ている。まだ、建物内に残されている虎杖が気になるのだろう。

 

「……恵君」

 

ぽつりと、聞こえないぐらいの声でその名を呼ぶ。

その時だった。

 

 

ブゥゥゥ――――ン。

 

 

「……!?」

 

一瞬、世界が暗転したかの様な感覚が走った。

 

「この感覚――」

 

間違いない。建物内に展開されていた、特級呪霊の生得領域が閉じたのだ。という事は――。特級呪霊が消えた。その筈なのに――先程からの嫌な感じが消えていない。伏黒は何と言っていたか。

 

『虎杖は、宿儺の指を飲み込んだんです』

 

ま、さか……。

 

「……っ! 恵君!!」

 

「――え」

 

凛花は、素早く伏黒の腕を掴むと自分の方に引き寄せた。

 

「凛花さん? なに、を――っ」

 

 

 

「――下がって!!」

 

 

 

伏黒が言い終わる前に、凛花の声が辺り一帯に響いた。素早く、髪の鈴を弾く。その時だった。

 

「おっと。これはこれは、面倒なヤツがいたもんだな」

 

そこには、伏黒と似た制服を着た少年が立っていた。顔に紋様が浮かび出て、本来の目の下に、微かにもう二つある目――。

 

間違いない。

彼は、虎杖ではなく……。

 

「両面、宿儺……」

 

そこにいたのは、虎杖の姿をした宿儺だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ザ――――。

 

雨の音が、酷く耳に付く。

 

凛花も伏黒も険しい顔をしたまま、宿儺を睨んでいた。すると、宿儺は少しだけ肩を上げておどけた様に、

 

「おお、怖い怖い。まぁ、そう怖い顔するな。……ああ、そこの女」

 

そう言って、宿儺が凛花を指さす。だが、凛花は返事をしなかった。すると、宿儺はふっと微かに笑みを浮かべ、

 

「オマエから、あのいけ好かない男の匂いがする。貴様、何者だ?」

 

「……っ」

 

その言葉に、凛花の脳裏にあの銀髪に碧い瞳の彼の姿が浮かんだ。ホテルに乱入してきた後、強引に押し倒された時の、あの熱と香り。

 

……まさか、こんな時にまで。

 

恥ずかしさと、場違いな高揚を振り払うように、凛花は深紅の瞳を宿儺の方へ向けた時だった。

 

「ああ、オマエ――」

 

いつの間に傍まで来たのか。気付けば、凛花の目の前に宿儺の顔があったのだ。

 

「――凛花さん!!」

 

伏黒がそれに気づき、ばっと手を重ねて玉犬を呼び出そうとした。だが――。

 

「おっと、動くなよ小僧。動けば女を殺す」

 

そう言って、伏黒に向かって鋭い視線を向けたのだ。その手の爪が、凛花の首筋に触れるか触れないかの位置で止まる。

 

「……っ」

 

それを見た伏黒が、ぎりっと奥歯を噛み締めながら宿儺を睨みつけた。

 

だが、宿儺はそんな伏黒など視界にも入らないという風に凛花の方を見ると、面白いものを見つけたかのように、にやりと笑った。そして、くいっと首に突き付けていた手でそのまま彼女の顎を持ち上げると、

 

「女。オマエ、面白い“目”をしているな。その宝石の様な紅い目、何処かで見た様な……」

 

宿儺のその言葉に、凛花が一瞬その深紅の瞳を見開いた。が、次の瞬間、くすっと微かのその口元に笑みを浮かべる。

 

「……貴方様ともあろうお方が、何処でこの目を?」

 

震える声を、凛花は精一杯の微笑で隠した。喉を鳴らせば、指先の爪が肉を裂く。そんな死の淵にいながら、彼女の瞳は宿儺を真っ直ぐに見つめ返していた。すると、宿儺は片手を自身の顎に当てて考え込みながら、

 

「ふむ、何処だったかな……遠い昔過ぎて思い出せぬな」

 

「……“思い出せない”ね。それは残念だわ」

 

彼女がそう小さな声でつぶやいた時だった。

 

 

り――――ん……。

 

 

何処からともなく、鈴の音が響き渡った。瞬間、凛花の深紅の瞳がもっと深い紅色へと変わると――その瞳に何かの紋様が現れたのだ。

 

刹那。

 

 

 

「――――“静経せいけい”」

 

 

 

――世界が、反転した。

 

どくん……っ! と、宿儺の周り一体が“全て”動かなくなる。飛んでいた葉が、風が急に止まったかのように、ぽたりと地へ落ちていった。まるで何かに“縛られた”かの様に、宿儺もそのまま動かなくなってしまう。

 

瞬間、宿儺の赤い瞳が驚いたかのように、見開かれる。凛花は、するっと宿儺の手から逃れるかのように後ろへゆっくりと下がると、乱れた左の髪を後ろへと流した。

 

すると、また鈴が“り――――ん”と鳴り響く。

 

「なにをした……女」

 

宿儺が無表情のまま、凛花をその赤い瞳で睨みつける。だが、その声音には特に慌てた様子もなく、落ち着いているようにさえ見えた。

 

「その状態下で口を開けるのは、流石は“呪いの王”と言った所かしら」

 

そう言って、凛花がにっこりと微笑むと、宿儺は面白いものでも見たかの様に、声を上げて笑い出した。

 

「ははははは! 女、面白い技を使うな!! ――ああ、思い出したぞ、その紅い瞳」

 

そう言って、宿儺がにやりと笑う。

 

「オマエのそれ“紅玉眼”か。確か……“紅黎せきれい”という名だったかな。ふん、女。オマエ、神妻の姫巫女か」

 

「……」

 

凛花は答えなかった。すると、様子を見ていた伏黒が凛花の傍に来ると、

 

「凛花さん、あれは――」

 

そう言って、動けなくなっている宿儺の方を見る。すると、宿儺が伏黒を見て、ふっと余裕そうに笑った。

 

「小僧は、知らない様だから俺が折角だから教えてやろう」

 

宿儺は、ぐぐぐっと指を無理やり動かすと人差し指をくいっと曲げた。

 

「これは呪眼よ。“もの”を操るな。遥か昔より代々神妻に受け継がれる。その女の宝石の様な紅い瞳が何よりも証拠だ。“紅玉眼”……またの名を“紅黎”と言ってな、小僧もその目に魅入られれば、こうなるぞ・・・・・。俺もその目を見るのは久しぶりだ。まあ、俺には大して効かんがな」

 

「呪眼……?」

 

宿儺の言葉は俄かには信じ難かった。確かに、凛花の瞳は宝石の様に深い紅い色をしている。だが、そんな事、今まで一度も彼女は言わなかった。

 

思わず、伏黒が凛花を見ると、目が合った。どきっと、心臓が鳴り響く。が、凛花は気にした様子もなく、伏黒に向かってにっこりと微笑んだ。

 

「恵君には言っていなかったけれど、宿儺の言っている事は本当よ。この瞳は呪眼と呼ばれる代物なの。まぁ、でも、そんな“全てのもの”を操るなんて大層な事は出来ないけれどね。常時発動させている訳でもないし。それにしても……」

 

そこまで言いかけて、宿儺を見る。

 

「随分、この瞳に付いて詳しい様だけれど、一体どこで・・・知ったのかしら。私と貴方は面識はないと思うのだけれど」

 

そう問いかけると、宿儺は面白そうにふっと笑みを浮かべならが、もう一本の指を動かし始めた。

 

「なに、遥か昔・・・にいた“神妻の姫巫女”に会った事あるだけよ。その女もお前ほど深い紅ではないが、紅い目をしていたなァ」

 

「……」

 

遥か昔……。彼の言う「昔」とは、宿儺がまだ生きていた時代・・・・・・・の事を指しているのだろうか。

 

だが、今それを気にする余裕はなさそうだった。宿儺を見ると、ゆっくりとだが、一本一本指を動かし始めていたのだ。彼に施した筈の“静経”の術が解術されようとしているのである。勿論、凛花は解術していない。

 

本来、“静経”は術者の動きを封じる技だ。つまりは、宿儺にとってこの技は“過去に経験しており、その時に解術出来ている”という事に他ならないのである。

 

厄介ね……。

 

凛花が、髪の鈴を弾く。瞬間、り――――んという音が、波紋の様に何重にもなって辺り一帯に響いた。

 

「お? おお?」

 

その音に、呼応する様に宿儺の動きが鈍くなる。

 

「ほほう、その鈴は単なる飾りではないようだなァ? 女、実に面白い。ならば、これはどうであろうな――」

 

その時だった、宿儺は無理やり両手を呪縛状態から動かすと、目の前で両手を合わせると掌印を結んだのだ。人差し指と小指を折り曲げて、その他の指を立ているそれは――。

 

「……っ」

 

あれは、“閻魔天印”!?

 

にやりと、宿儺が笑う。

 

いけない……っ

 

「恵君!!」

 

凛花は、素早く伏黒の腕を掴むと、自分の背後へと庇う様に動いた。そのまま、素早く両手を羽の様に重ねる。

 

 

領域展開は――させない!!

 

 

 

「神域・天照あまてらす!!」

 

 

 

り――――ん。

 

 

大きく、鈴の音が鳴ったかと思った刹那――。

 

 

 

 

 ―――バチイイイイン!!!!

 

 

 

 

何かを弾く様な音が、辺り一帯に響いた。

 

「ほう……」

 

それを見た宿儺が、面白そうに笑った。だが、伏黒は何が起きているのか分からなかった。額から、嫌な汗が流れ落ちる。今、凛花は何をしたのか……。

 

確かに、宿儺は何かをしようとしていた。いや、おそらく領域展開をしようとしていたのだろう。だが、それを凛花が――弾いた……?

 

発動しようとした領域展開を、発動前にはじき返すなんて荒業……聞いた事ないぞ!?

 

はっとして凛花を見ると、凛花の印を結んだ手が微かに震えていた。その手から微かに、鉄錆の匂いがしてくる。それに気付いて、伏黒は慌てて凛花の手を掴んだ。

 

「――凛花さん、手!!」

 

「……っ」

 

とっさの事で、反応が遅れたのか凛花がぎくりと身体を強張らせる。掴んだ彼女の手を見た瞬間、伏黒はその瞳を大きく見開いた。その手は焼け爛れたように真っ黒になり、血が流れ出ていたのだ。

 

「凛花さん……っ!」

 

掴んでいた手が震える。間違いなかった。それは、術式を返しきれなかった事による“反動”だった。相手は、宿儺だ。やはり、完璧に防ぐなど無理だったのだ。

だが、凛花は何でもない事の様に、伏黒の手に自身の手を重ねると、そっとその手を離させた。

 

「……大丈夫よ、恵君。このぐらい、すぐ治るから」

 

実際には激痛が走っていたはずだが、凛花は伏黒に心配をかけまいと、穏やかに微笑んだ。白い光が傷をなぞり、焼けた肌が陶器のような白さを取り戻していく。

 

驚いている伏黒を見て、凛花はにっこりと微笑むと、そのまま宿儺を見た。宿儺はというと、にやにやと余裕そうに笑っていた。

 

「女、オマエは実に面白い! まだ不完全とはいえ、この俺の術を弾くとは。褒めてやろう!」

 

「……お褒めに与かり光栄だわ」

 

そう言って、凛花は反転術式で治したばかりの手を握り込み、努めて平静を装って宿儺を見た。もう、彼の動きを封じていた“静経”は完全に解けている。やはり未完全体とはいえ、宿儺相手に通じるような技ではないのだ。

 

しかも、“神域領域”の“天照”まで使ってしまった。あの技は、必中必殺の“領域展開”でも展開前で、かつタイミングさえ合えば弾ける。しかし、その“反動”は術者と相手との力量によって変わってくるのだ。

 

相手が自分より強ければ強いほど、こちらへの“反動”の負荷が大きくなる。相手が格上ならば、“反動”で下手をすれば死ぬこともある。いくら“反転術式”が使えたとしても、脳を破壊されればおしまいだ。

 

それに、呪力消費も激しい。故に、万が一の時しか使うべからずと、神妻の当主――つまりは、凛花の父・零你れいじによく言い聞かせられていた。

 

未完全体の宿儺だから、あの程度・・・・で済んだのだ。恐らく、完全体ならば凛花はきっと辛うじて弾けたとしても、死んでいただろう。

 

けれど――だからと言って、ここで宿儺に“領域展開”させる訳にはいかなかった。

 

未完全体でこれ……。悟さん、貴方は一体、何を私に押し付けてくれたのかしら。

 

心の中で五条に八つ当たりしながらも、凛花は背後にいる伏黒を守るため、再び瞳に紅い紋様を浮かび上がらせる。伏黒をここで死なす訳にはいかない。

凛花は宿儺と距離を取りながら、伏黒を庇う様に立ったまま、宿儺の方を見た。

 

「……そろそろ、虎杖君に身体を返して欲しいのだけれど」

 

そう問うと、宿儺がふっと笑いながら、

 

「残念だが、虎杖ヤツなら戻らんぞ」

 

そう言って、宿儺はにやりと笑った。その反応に、後ろの伏黒が険しい顔をする。すると、それを見た宿儺はくっと喉の奥で笑うと、

 

「そう、脅えるな。今は機嫌がいい。少し話そうではないか」

 

そう言って、ゆっくりとポケットに手を入れたまま凛花達の周りを歩き始めた。

 

「これは、なんの“縛り”もなく俺を利用したツケ・・だ。俺と代わるのに、少々てこずっているようだ。しかしまぁ……それも時間の問題だろう」

 

そう言うなり、宿儺は突然虎杖の着ていた制服の上着をインナーごと破り捨てた。その身体には、幾重にも連なる宿儺の「証」とも言える紋様が浮き出ている。

 

凛花がそれを見て、眉間に皺を寄せた。

 

「何がしたいのかしら」

 

そう問うと、宿儺は面白いものを見る様な目で凛花と伏黒を見ると、にやりと笑ったのだ。そして――。

 

「面白い、ショーを見せてやろう」

 

そう言ったかと思った瞬間――宿儺は右腕を振り上げると、そのまま自身の胸元めがけて振り下ろしたのだ。

 

「……っ!」

 

その信じられないような行動に、凛花がはっとして口元を抑えた。

 

刹那。

どしゅ……っ! という音と共に、宿儺の腕が虎杖の胸元に突き刺さったのだ。

 

「くくくく……」

 

そう笑う宿儺の口元から、赤い血が流れ落ちていく。だが、宿儺は気にした様子もなく、そのまま“何か”を掴むと、胸元から引っ張りだした。

 

それは――。

 

「な、にを……っ」

 

凛花が、信じられないものを見るかの様に、その深紅の瞳を見開いた。そこには、ドクドクと脈打つ虎杖の“心臓”があったのだ。

 

「俺は、考えたのだ」

 

宿儺は、胸元から血を流しながら、その“心臓”を見せびらかす様に凛花と伏黒の目の前に突き付けた。

 

「お前たちは、この小僧を返して欲しいらしい。しかし、俺はタダで返す気はない。だから――」

 

にやりと、宿儺が笑う。

 

 

 

「――虎杖こぞうを“人質”にする」

 

 

 

「人質……っ、だと!?」

 

伏黒の言葉に、宿儺はくっと喉の奥で笑った。

 

「ああ、俺は“心臓これ”無しでも生きていられるがな。虎杖こぞうは、そうもいかん」

 

そう言って、まるでゴミのようにその“心臓”を投げ捨てた。

 

「貴様……っ」

 

「……っ、駄目よ、恵君!」

 

今にも、宿儺に襲いかかりそうな伏黒を見て、凛花が慌てて止めに入る。今、下手に動けば“虎杖”を取り戻す事は出来ない。何とかして、宿儺に勘づかれる前に あの“心臓”を確保しなくては……。

 

「何が――目的なの」

 

凛花は宿儺を見たまま、わざと話を逸らすように訊ねた。すると、宿儺は一瞬その赤い目を瞬かせた後、にやりと笑って、

 

「決まっているだろう。“自由”だ。俺は、この身体の“自由”が欲しい!」

 

「自由、ですって?」

 

「そうだ。残念な事に、今この身体の支配権は虎杖こぞうにある。だが、俺はそれを望んでいない。完全な“自由”だ!!! 今、俺と代わる事は虎杖こぞうの“死”を意味する。そして――」

 

そう言って、ポケットから何かを取り出した。“それ”を見た瞬間、凛花と伏黒がぎょっとする。

 

それは、ここにある筈の無い特級呪物“宿儺の指”の内の一本だったのだ。凛花と伏黒の表情を見て、宿儺がにやりと笑った。そして、

 

「――駄目押しだ」

 

そう言うと、そのままその“宿儺の指”を飲み込んだのだ。ごくりと、嫌な音が辺り一帯に響き渡る。

 

「……」

 

特級呪物“宿儺の指”。まさか、中にいた呪霊が取り込んでいたということなのか。

けれど、何故・・。そんな気配は少しも無かった筈なのに……っ。

 

「さてと、晴れて“自由”の身だ」

 

そう言って、宿儺が指をばきばきと鳴らし始めた。

 

「もう脅えていいぞ。――そこの小僧は、“殺す”。だが、女。オマエの出方次第で、オマエは生かしてやろう」

 

「……どういう事かしら」

 

この男は何を言っているのか。伏黒は殺すが、凛花は生かすかもしれない。そう言っているのだ。すると、宿儺はくっと笑いながら、

 

「そこの小僧を殺す理由は、特にない。だが、女、オマエは面白い! 神妻の姫巫女、俺の物になれ。その力、俺が存分に使ってやろう――そうすれば、貴様は生かしてやる」

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

「わざわざ、貴重な“宿儺の指”を一本使ってまで、“確かめる”必要があるのかね?」

 

異形の形をした“それ”がそう尋ねる。すると、傍にいた額に傷のある袈裟を着た男が、ゆっくりと目を細めた。

 

「あるさ。面白い“もの”も、見られそうだしね」

 

そう言うと、その男は口元に笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧:2023.11.21

新:2026.03.15