CRYSTAL GATE
-The Goddess of Light-
◆ 第二夜 ルシとマギ 7
羊の鳴き声が「メー」「メー」と聴こえてくる
馬が、行き交い草を食べる
トーヤは、そんな馬の乳を搾りながらいつもの朝を迎えていた
なんの変哲もない、平和な朝
争いも、揉め事も無縁な……そんないつもの朝だった
そんなトーヤのすぐそばで、アラジンが物珍しそうにそれを眺めていた
そして、その横でドルジが誇らしげに語っている
「へーおにいさんたちは、“騎馬民族”なのかい?」
「そうだ、馬と生き、馬と駆り、馬と戦う 戦闘民族だ。何百年も前の、ご先祖様からずっとな」
ドルジの話は、アラジンには初めて聞く言葉ばかりだった
だが、ドルジはとてもそれを誇っていた
アラジンも、新しい事を知るのは好きだった
新しい知識は、“楽しい”と思える
思えるが――――………
「俺も、いざとなったら一族の為に勇敢に戦うんだ!」
誇らしげにそう語るドルジの横で、アラジンが興味を惹かれたのは――――……
「わー。お馬さんのおっぱいっておいしいねぇ~」
「ああ!直接飲んじゃだめよ……!!」
馬の乳だった
アラジンが、馬の乳にしゃぶり付いて飲むのをあわててトーヤが止めに入る
「聞いてねぇし……」
せっかくのドルジの話も、アラジンにしてみれば形無しだった
ドルジは、はぁ…と小さく溜息を付くと、ひょいっとアラジンを抱え上げて馬から引き離した
「だめだっつってんだろ」
そう言って、頭から鷲掴みにして引っ剥がす
「酷いよ、おにいさんー」
アラジンが抗議の声を上げるが、ドルジは気にした様子もなく「変なガキだぜ…」とぼやきながら、トーヤの側にやってきた
「今日は、天気いいよな」
改まって言う事でもなかったが、ついそう言葉が出た
ドルジの気遣いにトーヤが小さく微笑む
「うん…そうだね」
その時だった、ふと、ドルジの背中にある刀に目がいった
普段は偵察に行く時にしか装備していない筈なのに、何故かドルジは刀を持ち歩いていたのだ
「ドルジ、その刀は……?」
トーヤが心配そうに尋ねると、ドルジは何でもない事の様に
「あ、ああ。いざって時の為にさ!」
そう言って、ニッと笑って見せる
ふと、トーヤが真剣な顔で、真っ直ぐ草原の彼方を見ていた
彼女の亜麻色の髪が風に靡く
「ドルジは、昔よりも強くなったね……でも、私 心配なんだ……」
「トーヤ……?」
ザァ…と、風が吹いた
草原の草が風に靡き、サラサラと揺れていく
「……戦わなくちゃならない日なんて、来なければいいよね」
ゆっくりと、トーヤがドルジを見る
「ずーっと、こうやって皆で暮らしていけたら幸せだよね」
「………………っ」
トーヤの言葉に涙ぐみそうになるのを、ドルジはぐっと堪えた
そして、トーヤを安心させる様に、息を飲むと
「心配するなよ、トーヤ。俺が絶対、守ってやるから……っ」
と、その時だった
突然アラジンが楽しそうな声を上げて
「ねーねー、お馬さんってどうやって乗るの?」
そう言って、馬によじ登ろうとしていたのだ
ぎょっとしたのはドルジ達だった
「あっ!バカッ!!素人が、乗れるかよ!!」
慌てて止めに入ろうとするが、アラジンに驚いた馬が大きく前足を上げて嘶く方が先だった
「アラジン!!」
ドルジが止める間もなく、馬が疾走しだす
「わああああああああ!!!!」
「誰か、馬を止めろ!!」
「そのガキが、死んじまうぞ!!」
突然走り出した馬は、失速する事を忘れたかのように、暴れながら猛スピードで駆け出していた
アラジンは、振り落されない様に、鬣に掴まているので精一杯だった
だが、このままでは振り落されるのは時間の問題だった
暴れ出した馬は、辺りの様子など無視して黄牙の人達にまで突っ込んでいく
慌ててドルジが駆け出すが、間に合わない
「アラジン―――――!!!」
馬を取りに戻っている余裕はない
一刻も早く、あの馬を止めなければいけなかった
仲間の1人が「ドルジ!」と叫んだ
馬を持って来てくれたのだ
「助かる!」
ドルジが素早く走りながら馬にまたがった瞬間だった
ドルジの後ろから栗色の馬が飛び出してきたかと思うと、あっという間にアラジンの暴れ馬の傍まで駆け寄ると、アラジンをその手で助け出したのだ
馬はアラジンが居なくなったことで害がなくなったと思ったのか、失速しだす
そして、アラジンを助けた栗色の馬もゆっくりと速度を落とすとそのまま止まった
「大丈夫ですか?少年」
アラジンが、はっとして顔を上げる
そこにいたのは、東洋風の顔をした口元にほくろのある綺麗な女性だった
「私は、煌帝国初代皇帝が第三子…練 白瑛。貴方達と外交のお話をしに参りました」
そう言って、白瑛と名乗ったその女性は、胸の前で拱手の姿勢を取った
白瑛の後ろには、彼女の従者が1人と、軍の副将の者が1人
「皇帝の娘!?」
白瑛の言葉に、黄牙の一族の皆がどよめきだした
無理もない話だった
普通に暮らしていれば、まず皇族とは会う事など無い
だが、こうして現に彼女は自分達の目の前に来ていたのだ
一族の動揺を背中に感じながら、ババは威厳を示したまましっかりと前を見据えて
「ようこそ姫君。私は黄牙一族第155代大王が孫娘…チャガン・シャマンと申します」
ババのその言葉に、白瑛が礼の姿勢を取る
「存じております。黄牙の一族は、かつて最も栄えた騎馬民族。初代大王チャガン・ハーンは“魔人の如き力を手に入れて”歴史上最大の国・大黄牙帝国を築いたと聞いております」
それは、黄牙の一族では有名な話だった
世界統一まであと一歩まで迫った大黄牙帝国
それが、彼ら黄牙一族の先祖の願いだった
白瑛は、すぅっと息を吸うと、1人1人黄牙の民の顔を見る
「ですが、帝国は徐々に弱体し…近年では“奴隷狩り”の被害にまで遭っていると伺っております」
その言葉に、黄牙一族の表情がどんどん険しくなる
叫びたいのを堪える様に、奥歯を噛みしめていた
だが、白瑛はさも当然の様に
そして、それが黄牙にとって一番だと言う様に叫んだ
「しかし、その苦労も今日までです。黄牙の皆さん、我々煌帝国の傘下にお入りなさい!」
白瑛は、黄牙の一族の為にはそれが一番だと思った
しかし、黄牙の一族にとっては、聞き捨てならない言葉だった
「……!!?傘下だと!?」
「なんだぞれ……っ」
「ありえねぇ!」
ざわりと、黄牙の一族がざわめき出す
だが、白瑛は当然の様に話しを進めた
これが、正しいのだと信じて
「我々 煌帝国は、先日極東平原を統一致しました。今度は西のレーム、西南のパルテビアらの統一、つまりは“世界統一”を志しています!」
“世界統一”
「黄牙のご先祖様方と同じ“夢”を……今は、私達が追っているのです!どうか、お力添えを」
その言葉に、黄牙の皆がまたざわめき出す
「ご先祖様と……」
「同じ夢……」
そう言われても、今の自分達には遠く離れた話にしか聞こえなかった
だが、先祖の意思は忘れていない
誇りもある
そのご先祖様と同じ”夢“を、目の前女性は目指しているのだと言ったのだ
その時だった
アラジンの持つ笛の八芒星がボゥ…と光り輝いた
「どうしたの?ウーゴくん」
アラジンが首を傾げる
だが、それ以上の反応を笛は示さなかった
ふと、副官として付いて来た呂斎がはぁーと息を吐いてぼやいた
「崇高ですなァ……この者共にはわからないのでは?」
「そんな事は、ありません」
呂斎の不謹慎な言葉に、白瑛がぴしゃりと言い放つ
白瑛は、信じていた
きっと、黄牙の民は自分に賛同してくれると
我らは、彼らのご先祖様と同じ意思を持つ者なのだから
だが、黄牙の一族の反応は違った
あからさまに顔を顰める
険しいその瞳には敵意すら感じ取れるほどに
その時、ドルジが一歩前に出た
「体のいい言い方するなよ。“傘下に入れ“ってのはつまり…俺達の村を”侵略する“って事だろ?」
「そうだよな!」
「そうだそうだ!!」
「侵略されてたまるか!」
ドルジの言葉をきっかけに、男達が騒ぎ始める
皆が、口々に「侵略なんてさせねぇ!」「ふざけるな!」と叫んだ
「ええい、鎮まれ!」
その時だった
ババが、業を煮やした様に叫んだ
ババの言葉に、男達がぐっと堪える様に言葉を飲み込む
ババは、皆が静まったのを確認すると、ゆっくりと白瑛の方を見た
「姫君よ、そう焦るでない。時間を下され。その話、急には受け入れがたい。我々は、先祖代々 独立を守り抜いて来たゆえに」
ババの言葉は、同意の言葉では無かった
だが、否定の言葉でもない
白瑛は、同意してくれる筈と思っていたのに、その意思が伝わらなかったことに少し肩を落とした
「……そうですか………」
だが、ババの言う通り焦ってはいけないのだ
ゆっくり考えねば……
そう思った時だった
「あの…馬乳酒をお入れしましたので、中でゆっくりとお話ししませんか?」
トーヤが盆に馬乳酒を乗せて、にっこりと微笑んだ
トーヤの心使いに、白瑛もにっこりと微笑む
「まぁ、ありがとう」
そう言って、その馬乳酒を受け散ろうとした矢先それは起こった
突然、呂斎が2人の間に乱入してきたかと思うと、思いっきりトーヤを突き飛ばしたのだ
バシャン…!と音と立てて馬乳酒が零れ落ちる
トーヤに掛かる形で零れた馬乳酒の皿が、カラカラ…と音と立てて地を転がった
それを見たドルジ達が驚きの表情になる
驚いたのはドルジ達だけでは無かった
白瑛も、ぎょっとして思わず叫んだ
「呂斎!何をするのです!!」
トーヤの心使いを無下にする様な呂斎に所業に、白瑛がキッと呂斎を睨んだ
だが、呂斎はさも当然の様に
「いや、私も立場上ね? 尊い姫様に、馬の乳など飲ませられないンですよ。大体、馬の乳など、我が国では犬の飲み物―――― 「呂斎!!」
流石の白瑛も、呂斎のその言葉には怒りを露わにする
ギロッと睨みつけて、退く様に目で訴えるが
当の本人はしらーっとしたまま、はぁーと息を吐いた
「まどろっこしいですなぁ……交渉など、こうすればいいンですよ」
そう言うなり、突然 呂斎は白瑛を押しのけると
「おい、貴様ら!この村は、今から煌帝国の統治下に入る!速やかに服従せよ!!」
ざわりと、黄牙の一族がどよめいた
だが、呂斎は止まらなかった
ふんっと、見下した様に馬乳酒まみれのトーヤを見下ろすと
「こんな、泥まみれ 馬の糞まみれの…臭くて汚い惨めな生活から救い出してやるンだよ……
悪い話ではないだろう?」
そう居て、にやりと笑みを浮かべた
瞬間、指摘されたトーヤがかぁーと顔を真っ赤にする
それを見たドルジの中で、何かがぷつんと切れた気がした
『こうやってみんなで暮らしていけたら、幸せだよね……』
そう言って微笑んでいたトーヤ
そんな彼女を、この男は――――………
「人間並みの幸せを知りたければ―――……我が軍に!」
この男は―――――っ!!!
「うああああああああ!!!」
瞬間、ドルジは背に背負っていた刀を抜いていた
そして、一気に呂斎めがけて斬りかかったのだ
まさかの反撃に、呂斎がぎょっとした時だった
ガキィィィン!
瞬間、呂斎をドルジの間に白瑛の従者の少年―――青舜が割り込んだ
ガチガチと今にも、斬り合いが始まりそうなその状況に、青舜が警告する
「この者を斬るは、宣戦布告と同じ。それを望まれるか」
それでも、ドルジは引き下がれなかった
大切な仲間
大切な家族
そして、黄牙の誇り
「よくも…、家族を……っ!」
それを汚されて黙っていられるほど、出来た人間じゃない
だが、ババはそんなドルジをたしなめる様に、制止を掛けた
「やめんか!ドルジ!!」
「…………っ」
ババの言葉に、ドルジがハッとする
そして、ぎりっと奥歯を噛み締めつつも、その刃を下ろした
その反応に、思わず呂斎がちっと舌打ちをしていた
いっその事、手でも斬られれば問答無用で攻撃出来たものを……
白瑛は止めてくれた青舜と、刃を下ろしてくれたドルジを見た後、厳しい目で呂斎を見た
「お前も控えなさい。この場は退きます」
それだけ言うと、白瑛はババに一礼した後、その場を後にしたのだった
◆ ◆
――――青藍の丘
エリスティアは、今日分の桔梗を採り終えて満足気に笑みを浮かべた
幸い蘭朱の母の体調も、少しは改善が見えてきている
だが、エリスティアは医者ではないので、根本的な解決にはならない
本当なら、医者に見せるのが一番なんだが……
蘭朱のあの様子じゃ、そんな余裕ない…わ、よね
あるなら、あんな風に村から隔離されずに、もっとちゃんとした治療を受けられているだろう
エリスティアが払えれば良かったが、生憎手持ちがない荷物は、相変わらずチーシャンのホテルだし、貨幣もその中だ
しっかりしたホテルなので、荷物の確保はしてはくれているだろうが……
手元にないというのが、存外不便だ
これだけは身に付ける物にしておいて正解だったわね
そう思って、そっとルビーのチョーカーに触れる
ヤムライハと交信出来る、今、唯一の品だ
昨日は、シンとも少し話せたし
数か月ぶりにきく、シンドバッドの声はとても酷く懐かしく感じた
出逢ってもう、15年
その間、ひと時も離れた事なかったのだ
今回、こんなに長くなるとは正直思っていなかっただけに、ちょっと寂しさが込み上げて来てしまった
お陰で、昨夜はあんな醜態をさらしてしまった
我ながら、今思い返すと何と恥ずかし事か……
次はいつ話せるだろう……
そう思いながら、紅炎の待つ木陰に近づいた
紅炎は、今朝方急に迎えに来て、半分拉致られてここに来た
が、相変わらず手伝うでもなく、木陰で寝ている
エリスティアは小さく息を吐くと、ぽすんと、紅炎の目の前に座った
こうしてみると、やっぱり綺麗な顔をしている
それに、彼の纏うルフもとても嬉しそうだ
どうして、この人は私に構うのかしら……?
征西軍大総督というのは、言ってみれば軍事最高司令官だ
はっきり言って、軍事国家の煌帝国内なら忙しいのではないのだろうか……?
それが、昼なこうしてここで昼寝している
一瞬、暇なのだろうか……?と疑いなくなるほどだ
その時だった、ふと彼の持つ本に目が言った
半分開かれた本を見た瞬間、エリスティアは大きく目を見開いた
「トラン語……」
それは、トラン語で書かれた古文書だった
それも、かなり古い
エリスティアは、少し興味が惹かれてそっとその本を覗き込んだ
どうやら、歴史書のようである
が、”あちらの世界”の事には殆ど触れていない
思わず、ほっと溜息を付いた時だった
不意に、ぐいっと紅炎の手が伸びてきたかと思うと、そのまま腰を引き寄せられた
「……………っ!」
てっきり寝ていると思っていたのに、いきなり抱き寄せられてぎょっと身をよじる
「ちょっ…炎、いつから起きて……!?」
エリスティアの問いに、紅炎が一度だけ柘榴石の瞳を瞬かせた
そして、至極当たり前の様に
「エリスが、傍に来た時だが……?」
「ええ!?」
そんなに早く、起きていたのなら今の今までこの人はどうして目をとじていたのだろうか
と、思うと同意に、普通に考えて軍の総督をする様な人物なのだから、気配で起きて当たり前なのだと気付かされる
だが、何をどうしてこう腰を抱き寄せられなければならないのか
エリスティアは、高陽していく頬を無視する様に、慌ててぐいっと紅炎の胸を押しやった
だが、案の定 腰をがっちりつかまれていてびくともしない
「あの…離して欲しいのだけれど………」
エリスティアが、半分あきらめた様にそう言うと、紅炎がくっと微かに笑った
「離す……?エリス、お前から寄って来たのだろう……?」
「えっ…!?や、それは――――……」
確かに、トラン語が気になって覗きこむ形で近寄ったが……
それとこれば、別だ
「私はただ、その本が気になったから――――っ」
「本……?」
言われて、紅炎が空いている手で足元に転がっていた本を拾った
そして、パラパラと捲るとあるページで止めた
「これが、気になったのか?」
「そうだけれど…気になっちゃ駄目なの……?」
「いや……そうではないが――――……」
紅炎が何かを考える様に、その本を眺める
そして、ふとある事に気付いた様に、エリスティアを見た
「これが何の書物か分かるのか?」
「え…?何って…古文書だと思うけれど、それも歴史書―――――」
そこまで言い掛けて、エリスティアは慌てて口を塞いだ
が、遅かった
紅炎の柘榴石の瞳が一瞬鋭くなる
「エリス………」
「……は、はい」
「……トラン語が読めるのか?」
「………………」
失敗した
普通に読んでしまったが、トラン語は高等教育の一貫だ
一般人には、普通読めない
出自を明かしていない、エリスティアにとってこれは重大なミスだ
下手をすれば、一発で出自がばれないとも限らない
エリスティアには、見慣れた文字だったのであっさり解読してしまったのだ
ちらりと、紅炎を見るとじっと彼の柘榴石の瞳がこちらを見ている
どうしよう……
しかも、否定していなかった
沈黙は、肯定と取られてもおかしくない
「エリス」
名を呼ばれてるのと同時に、ぐいっと更に抱き寄せられる
「トラン語が読めるのだな?」
「……………」
エリスティアは、その問いに頷く事も、首を振る事も出来なかった
ついに、アラジンの方が進み始めましたよー
あっちは、サクサク行くよー
呂斎がウザいよねww
一方、紅炎の方は、ちょっとヤバス
トラン語読めるのばれちゃいました
2013/10/24