CRYSTAL GATE

  -The Another Side 紅-

 

 

 黄昏の乙女 3

 

 

 

「兄上、何処においでだったのですか!」

 

執務室に入るなり、待ち構えていた紅明から出た第一声はそれだった

だが、紅炎はさほど気にした様子もなく、椅子に座ると目の前に束になって置かれた書類の数を眺めた

 

恐らく、紅炎が席を外している間に増えた仕事なのだろう

少し離れると、すぐこれだ

 

片付けてから出たというのに、帰って来ると仕事が溜まっている

紅炎は、小さく息を吐くと一枚ずつ書類に目を通し始めた

 

次の遠征の資金や物資

馬や武器、兵糧の補充

軍部や将軍達との打ち合わせ

 

やる事が山積みになっていた

 

紅炎は、それに文句を言うでもなく一枚一枚目を通すと、判を押して行った

すると、紅明が小さく息を吐きながら新たな竹簡を持って来た

 

「まったく、兄上。やる事は山積みなのですよ?一体、それらを放って何処へおいでだったのです?」

 

そう言いながら、持って来た竹簡を紅炎の机に上に置く

紅炎は小さく息を吐きながら、その竹簡を広げた

 

それは、今度の遠征の計画書だった

次の目標はバルバッド

そのバルバッドを落とした暁には、そこを足がかりに西へと手を伸ばす予定だ

 

今は、義妹の白瑛が遠征に出ており、直に西の平原の異民族を平定するだろう

それが終われば、極東及び、中原はもう支配下に置いたも同然だった

 

次に狙うは、大陸の西だ

西には、バルバッドの他に、アクティア王国

そして、あのマグノシュタットが控えている

それらを手中に収めれば、中央大陸は制覇したも同然だった

 

だが、敵はそれだけではない

西大陸にはあのシェヘラザードというマギのいるレーム帝国

そして、南の孤島に七海の覇王と呼ばれるシンドバッドが建てたという新興国・シンドリア王国が控えているのだ

 

“世界を一つにする”

その為には、いずれ戦わなくてはならない相手だ

 

それが、紅炎が知りたい事へのたった一つの道なのだ

その為だったら、何でもする気でいた

他の事など、興味は向かないと思っていた

 

 

 

そう―――― エリスティアに会うまでは

 

 

 

エリスティア

 

不思議な少女だった

名前を知る事が出来ただけで、こうも心が躍るものなのか

ただの少女の名前だ

それだけなのに、彼女の名を紡ぐと心にさざ波の様に何かが押し寄せてくる

 

一時でも、傍に起きたい

触れていたい

 

そう思っただけで、口元に自然と笑みが浮かんできた

それを見た紅明が不思議そうに首を傾げた

 

「兄上?何かおかしな事が書かれていましたか?」

 

紅明の見当違いな問いに、紅炎は「……いや」と小さな声で答えると、ふと窓の外を見た

外はもう暗くなっており、月が昇っていた

 

エリスは無事、帰れたのだろうか……

自分から逃げる様に去って行った エリスティアを思いながらそんな事を考えていた時だった

 

「あ、兄上、それは違いますよ」

 

不意に紅明に止められて、紅炎がその手を止めた

見れば、朱印を押さなければならない書類に、黒印を押そうとしていた

 

紅炎らしからぬ失態だった

 

見かねた紅明は、小さく息を吐くとその書類を拾い上げた

 

「ああ、これはもう駄目ですね」

 

その書類には半分黒印が押されており、正式文書としては扱えそうになかった

 

「この書類に関しては、私が処理しておきますね。しかし、兄上……」

 

紅明がトントンッと書類を片しながら紅炎に話し掛けた

 

「集中出来てない様ですが、昼間急に出かれられた事と良い、何か気になる事でも?」

 

紅明の鋭い問いに、紅炎は一度だけその柘榴石の瞳を瞬かせた

それから小さく息を吐いた

 

気になる事

 

一つだけあった

ずっと、聞いた時から引っかかっていた事だ

 

紅炎は、もう一度瞳を瞬かせると紅明を見た

そして、持っていた筆を置くと顎の下で腕を組んだ

 

「紅明、 エリスティアという名に聴き覚えがあるか?」

 

そう――――引っかかっていたのは エリスティアの名だった

 

何故か、初めて聞いた気がしないのだ

何処かで耳にしたような気がする

だが、それが何処だったのか思い出せないのだ

 

だが、紅明には直ぐに分かったらしく「ああ…」と小さく頷いた

 

「その名なら存じ上げてますよ。 エリスティア・H・アジーズ嬢の事ではないでしょうか?」

 

紅明の口から出たその名に、紅炎がはっと顔を上げる

すると、紅明は何かぴんっと来たのか

 

「もしや、兄上の眷属の方々がお噂されている、兄上がお会いになられている女性というのは… エリスティア嬢の事なのですか?」

 

「噂……?」

 

身に覚えのないその言葉に、紅炎がその柘榴石の瞳を瞬かせた

だが、紅明は気にした様子もなく

 

「ええ、特に青秀殿などは興奮気味に語られてましたよ。兄上に通う人がいるとかなんとか…」

 

青秀はそんな事を言っていたのか

本来ならば、後で問い詰めたい所でもあるが、今はどうでも良かった

 

別段、 エリスティアの事は隠している訳でもない

知られたとて、どうという事でもない

 

「正直、私は話を聞いた時は耳を疑いましたけどね。兄上が歴史以外に興味を持たれるとは思っておりませんでしたので」

 

紅明のその言葉に、紅炎はさも当然の様に

 

「そうだな…自分でも驚いている」

 

と、淡々と答えた

 

「そうでしょうねぇ…何せ、戦争も知識欲の一旦でしかありませんしね…兄上の場合」

 

そうなのだ

世界統一を目指しているのは、別に支配欲からではない

そこから得られる、“世界の真理”を見つける為の足掛かりにすぎないのだ

戦争すら、その真実の歴史を知る為の道具として行っている紅炎が、それ以外の事に興味を…しかも、女性に示すなど、紅明にとっては考えられない事だった

 

「もしや、その女性というのが エリスティア嬢なのでしたら、お止めになった方が良いですよ」

 

「……どういう事だ?」


実弟からの反対の言葉に、紅炎が眉を寄せた

紅炎のその反応に紅明が、小さく息を吐く

 

「お忘れですか? エリスティア嬢といえば、あのシンドリア王国国王、シンドバッド王の世界唯一のルシの名ではないですか」

 

「!」

 

言われてみれば、そうだった気もする

だから、 エリスティアの名を聞いた時、何かが引っかかったのだろうか

 

紅炎の反応に、紅明がまた小さく息を吐いた

 

「本当に、興味のない事にはとことん無頓着ですね兄上は」

 

エリスティアという名の少女が、シンドバッドのルシで

世界唯一のルシだというのは、誰しもが知っている周知の事実である

 

紅炎も、その名位聞いた事ある筈である

だが、紅炎は基本知識欲の塊(特に歴史の)なので、興味のない事には完全に視野から外してしまうのだ

 

どうりで、聞き覚えのある名の筈だ

 

だが、所詮はシンドバッドと エリスティアは主とルシという関係

紅炎が エリスティアと会う事とは何の関係も無い

 

だが、紅明の反応は違った

 

「兄上はご興味無かったからかもしれませんが、これも有名な話ですよ。あのシンドバッド王とルシである エリスティア嬢は恋仲だというのは」

 

「……恋仲?」

 

エリスとあのシンドバッドとか言う男が……?

 

「ええ、かのシンドリア建国の折には、王妃の座に付くとまで噂されていたほどの深い中です」

 

その噂は紅炎も知っていた

実際は、王妃の座には誰も付かずに、シンドバッドただ一人だけだったという話


「ですから、兄上がお会いになられているのが エリスティア嬢なら、お止めになった方がよいかと…」

 

これは、紅明なにの優しさだった

あの紅炎が女性に興味を持ったのだ

それは、ある意味喜ばし事でもあったが、相手が悪かった

 

エリスティアと言えば、シンドバッドの妃となってもおかしくないほど近しい存在だ

もし、紅炎がその エリスティアと会っていたのなら、早めに切り離させる方が後々に禍根を残さずに済む

 

だが、紅炎の反応は違った

一度だけその柘榴石の瞳を瞬かせると、平然とした顔で

 

「……何故だ?理解出来んな」

 

と答えた

 

これに驚いたのは他ならぬ紅明だった

聡明な紅炎ならば、何が一番良策か分かる筈である

なのに、“理解出来ない”という

 

「兄上?ご自身の仰られている意味が分かっておいでですか!?今、 エリスティア嬢に想いを寄せるという事は、すなわちシンドリアと事を構える事を意味するのですよ!?」

 

シンドバッドが、ルシである前に エリスティアを一人の女性として大事にしているのは、周知の事実だ

その女性に想いを寄せるなど、シンドバッドの逆鱗に触れるのは明白だった

 

「今はバルバッドを先に手中に収めなければならないのです。今、シンドリアと事を構えるのは得策ではありません!!」

 

だが、紅炎は至って冷静だった

一度だけ小さく息を吐くと

 

「紅明、エリスはシンドバッドの求婚は断ったのだろう?ならば、何の問題がある」

 

「問題って……」

おおありだった

もし エリスティアに手を出せば、シンドバッドが黙っていない

下手をすれば、バルバッドを手中にする前にバルバッド、シンドリア双方から挟撃されかねない

 

紅明の心配とは裏腹に紅炎は、くっと喉の奥で笑った

 

「紅明…シンドリアとはいずれ戦うのだ。それが早くなるだけだ」

 

「それは――――そうですが……」

 

確かに、シンドリアも視野に入れてはいるが…今はまだ時期ではない

紅明はそう考えていたし、それは紅炎も分かっている事の筈だ

 

かたんっと紅炎は席を立つと、窓際に身を寄せて月を眺めた

 

「紅明……」

 

「はい」

 

ごくりと紅明は息を飲んだ

 

「……俺は、欲しいものはこの手で必ず手に入れる主義だ」

 

「…はい、存じております」

 

紅明の知る“練 紅炎”とはそういう男だ

そして、事実、手に入れてきた

それこそ“炎帝”と恐れられる事実だ

 

紅炎は一度だけ自身の手を見ると、ぐっと握り締めた

そして、小さく笑みを浮かべると

 

「……欲しいのだ」

 

「…………彼女が…ですか?」

 

ゆっくりと、紅炎がこちらを見る

 

「……そうだ、エリス以外の女に興味はない。 俺はシンドバッドとは違う。 俺が欲しい女はエリスだけだ」

 

シンドバッドの女癖の悪さは有名な話だった

そんなシンドバッドよりも、 エリスティアを愛せる自信が紅炎にはあった

だが、紅明には何故紅炎がここまで彼女の執着するのかが理解出来なかった

 

「何故、彼女なのですか?兄上なら、どの令嬢も喜んで兄上の物になりましょう。ですが、彼女は―――――」

 

「……怒鳴ったのだ」

 

「は……?」

 

一瞬、何を言われたのか紅明には分からなかった

だが、紅炎は面白いものを見つけた様に笑みを浮かべて

 

「エリスはな、俺に対して怒鳴ってきたのだよ」

 

「は、はぁ…それは、まぁ、兄上に対して随分と勇気のある女性ですね…」

 

炎帝と恐れられる紅炎に怒鳴り散らす女性など、この煌帝国内探しても一人も居ないだろう

むしろ、平伏するか媚を売ってくるかのどちらかのはずだ

だが、 エリスティアはこの炎帝に向かって怒鳴ったというのだ

勇気所の話では無い

下手したら、首が飛ぶ話だ

 

だが、それが紅炎の興味を惹いたのだと気付くのに、数分を要した

紅明は頭をかきながら

 

「ええっと…兄上はつまり、怒鳴られたから興味を惹いたという訳ですか?」

 

「……それだけではない」

 

「と、申されますと?」

 

紅炎が夜空を眺めた

ピイピイとルフが飛んでいる

 

「――――空気が」

 

「空気?」

 

「――――空気が穏やかなのだ」

 

彼女の傍にいると、自然と安らげる

安心というのだろうか

心にすぅっと流れる川の様に、空気が穏やかな気分になれる

それは、書庫で歴史書を呼んでいる時の様な、清浄な気持ちに近かった

 

何者も近寄りがたい

清らかで澄んだ泉の様に、心穏やかになれる

そんな存在、 エリスティア以外出逢った事なかった

 

彼女だけ

彼女だけなのだ

 

紅明がごくりと息を飲んだ

 

「兄上…本気…なの、ですね……」

 

紅明のその言葉に、紅炎が細く微笑んだ

それだけで、紅明には十分だった

 

紅明は、はぁ…と大きく溜息を洩らすと

 

「まぁ、シンドリアとはいずれ戦う訳ですし、 エリスティア嬢もシンドバッド王と恋仲と言っても、王妃ではありませんし……将来的に世界唯一のルシが手に入るならば、煌帝国にとっても良い事なのでしょう」

 

むしろ、シンドバッドとルシである エリスティアを切り離せるのならば、この上ない上策ともなる

兄上の エリスティア嬢への執着も普通では無さそうですしね……

 

紅明は小さく息を吐くと、静かに拱手の構えを取った

 

「私は、兄王様の命に従いましょう」

 

そう言って、頭を垂れる

紅明のその言葉に、紅炎は満足気に頷くのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅炎と紅明の話

本編では触れていませんが、実はルシだとばれてますよー

という話です

 

だから(本編で)驚かないんだなー色々と 

 

2014/01/20