紅夜煉抄 ~久遠の標~

 

 第1話 -信乃と荘介- 3 

 

 

―――あの時、

 

  俺達は選ばなくてはならなかった……。

 

 

 

燃えさかる炎。

赤く染まる視界。

 

真夜が死に、俺達まで死んだら浜路が一人になってしまう。

 

「いやあ!! 信乃兄さま!! 荘介!! 浜路を一人にしないで!!!」

 

泣き叫ぶ浜路の声が。

 

 

  遠く、響く―――。

 

 

「二人まで死んじゃうなんで、絶対いや!! それなら、浜路も一緒に逝く!! 浜路も死ぬ!!」

 

 

――妹みたいな浜路。

大事な大事な可愛い妹。

 

それは、絶対ダメだっ……!!

 

いつだって一緒だった。

四白と荘介も死ぬなんて、絶対許さない。

 

真夜も、荘介も、四白も、浜路も……。

 

どうして。

どうして……俺達はなにも悪くないのに―――。

 

どう、して……。

 

 

 

『では、選べ―――』

 

 

 

声が……。

 

 

 

  聞こえた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チチチチ。

鳥の囀りが聞こえる。

信乃は、んんーと大きく背伸びをしながら、欠伸を噛み締める。

 

窓の外は、どんより曇り空だった。

なんとなく、気分がすっきりしない。

 

「ん?」

 

あれ?

 

その時、信乃はある事に気が付いた。

いつもなら、まず朝には村雨が『出してー、出してー』と窓をコツコツしているのに、その筈の村雨が“出ていない”。

 

「……村雨?」

 

ふと、右腕の紋様に気付く。

そこには、村雨が静かに“収まったまま”だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オハヨー」

 

信乃がダイニングにいくと、浜路と荘介が外で朝食の用意をしていた。

 

「何だよ、こんな天気なのに外で朝メシ?」

 

そう尋ねると、荘介は苦笑いを浮かべて、

 

「そうですよ。気分だけでも……ね」

 

ふと、浜路が信乃の腕に気付いた。

 

「信乃? その腕……村雨が出てこれないって、相当ね」

 

浜路が溜息を洩らしながらそう言う。

だが、信乃には何の事だかさっぱり分からなかった。

 

「え? ナニナニ? どーゆうこと?」

 

信乃がそう尋ねた瞬間―――。

 

 

 

 

 

 

 キィイイイイイイイ―――ン……。

 

 

 

 

 

 

一瞬にして、起きた“異変”に信乃と荘介がはっとする。

その時だった。

 

「どーもこーも、先手打たれましたね」

 

と、庭の方から征先生と蜑崎神父が歩いて来た。

 

「じーちゃん! 先生!!」

 

征先生は、ふむっと……少し考えながら、

 

「私や、蜑崎神父など敵わない相手です。いや、見事というか……神技というか……」

 

と、征先生の言う意味が分からない。

だが――これが“何なのか”は“分かる”。

しかし、その仕組みなどは信乃にはさっぱりだった。

 

「教会を含むこの森全体が、五か所の守からなる結界で、完全に外から閉じ込められちゃって」

 

あはははは~~。

どうしましょ~~~。

 

と、呑気に笑っている。

それにすかさず浜路がぼそっと「役立たず……」と突っ込んだのは言うまでもない。

 

その時だった。

いつの間に“いた”のか……目の前に五体の狐面を被った“人ならざる者”が立っていた。

 

「おや、もうおいでなすったようですね……例の出迎えの方々が」

 

征先生が、ふむっとそちらを見る。

すると、脳に直接響く様な声が聞こえてきた。

 

『犬塚信乃、犬川荘介。主の命によって迎えに来た。今すぐ出立の用意を』

 

「……」

 

これらを見た瞬間、信乃と荘介は思った。

 

コレと歩くのか……。

嫌だなぁ、と。

 

すると、その内一体が突然くすりと笑った。

そして、

 

『奇妙だな』

 

そう呟いた。

と、他の四体も『奇妙じゃ』と言い出した。

 

『たかが人の子じゃろう』

 

『しかし、しない』

 

『しない、人の匂いが』

 

『何故?』

 

『あれは我らと同じ―――』

 

『そう――我らと同じ匂いがする』

 

『二つで一つの命……。一つは犬か』

 

その言葉に、カチンときたのか、

 

「何だと!? この狐野郎!!!」

 

「信乃!!」

 

信乃が今にも食って掛かりそうなのを、荘介が慌てて止める。

放っておけば、今にも襲い掛かりそうで、はらはらした。

 

荘介は征先生達を見て、

 

「これが、教会本部のお出迎えとは……到底思えませんが?」

 

そう尋ねるが、流石に征先生もはっきりとそうだとは言えないのか……肩をすくめた。

すると、そんな信乃を見て狐面が何かに気付いたかの様に、

 

『おお……こちらの子供は我らと同じ……』

 

『お主、何と命を共にした?』

 

『臭う、臭うぞ……』

 

『お主、それと共に時を止めたな。何故なら我らも時とは無縁』

 

『その姿のままで、お主はそれと共に生き続ける』

 

そう言って、五つの指が信乃を指さした。

 

『主が知りたがっている』

 

『“それ”は何なのかと』

 

『何故、お主らはその様にして生きるかと―――』

 

『だから迎えに来た。さぁ……』

 

そう言って、狐面がその手を伸ばしてくる。

瞬間、信乃が喉の奥で笑った。

 

「“コレ”が何か“知りたい”って? いいぜ、教えてやるよ――なぁ? “村雨”」

 

信乃がそう言った瞬間、それは起きた。

突然、信乃の周りに突風が吹き始めたのだ。

 

刹那、信乃のかざした右腕にギロリと赤い目が姿を現す。

黒い紋様が一瞬にして現れたかと思うと、そこからバキバキバキという音と共に、羽根の様な形の“モノ”がバサリッと羽ばたいた。

 

 

『!!?』

 

 

それを見た狐面達が、一瞬にして動揺する。

信乃の口元がにやりと笑った。

 

瞬間――その姿を現した一羽の烏が大きく鳴くと、そのまま一気に狐面達に向かって飛び込んでいったのだ。

 

 

バサバサバサ!

 

 

そのまま、瞬く間に狐面達の間を物凄い勢いで通り抜けていく――。

すると、狐面達が驚いたかの様に反応した後、消えていった―――面だけを残して。

 

瞬間、パリ――ンと張られていた“結界”が破れる音が辺り一帯に響き渡った。

 

「あ」

 

「良かったですね。壊れたみたいですよ、結界」

 

思わぬ副産物に、信乃が思わず声を上げるが……荘介が何事も無かったかの様に、ぽんっと手を叩いて、

 

「さて、朝食の支度が途中でした」

 

「アラ、いっけない! お茶っ葉、放置したままだったわ」

 

そう言って、二人とも何もなかったかの様に、平然と朝食の準備の続きを始める。

その様子に、征先生は「はぁ……」と頭を抱えた。

 

「蜑崎神父……」

 

「うむ?」

 

「今のは……見間違いじゃなければ“尾崎家”の“五弧”だと思うのですが」

 

征先生がそう尋ねると、蜑崎神父は顔色一つ変えずに、

 

「そうじゃな……」

 

「そうじゃな……って」

 

そして、ふぅ……と蜑崎神父は信乃と村雨を見て呟いた。

 

「まったく……えらいのに目を付けられたものじゃな」

 

と―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――午後

 

荘介が、昨日例の黒まりもに壊された窓を補強している時だった。

突然、ばたばたと健太が教会に駆け込んできた。

 

「荘兄!!」

 

その余りにも慌てた声音に、不思議に思い荘介が振り返ると、健太は走ってきたのか、肩で息をしながら、

 

「村で騒ぎになっててさ、知らせておこうと思って……」

 

その様子に、傍で本を読んでいた信乃も、思わず顔を上げる。

 

「何かあったんですか?」

 

荘介がそう尋ねると、

 

「昨日の夜から、村の若い男が三人。家に帰ってこないって……親たちが騒いでる。……教会の仕業じゃないかって」

 

健太のその言葉に、荘介や信乃だけでなく浜路も顔を見合わせた。

 

「若い男が三人って……どんな人達?」

 

浜路の言葉に、健太が「えっと……」と少し考えながら、

 

「年齢は荘兄ぐらい。ロクデナシで、働かずに遊んでばっかだったんだけど……教会の裏の森でたまに見かけてたから」

 

荘介と浜路が顔を見合わせると、荘介が頷いた。

 

「……先生を呼んでくるわ」

 

そう言って、浜路がダイニングから征先生を呼びに出て行く。

それを見送った後、健太は言い辛そうに荘介と信乃を見て、

 

「あの、さ、信乃……昨夜、森にいたか?」

 

「はぁ?」

 

健太からの唐突な質問に、信乃が顔を顰める。

だが、反応したのは信乃だけでは無かった。

 

「森?」

 

訝しげに、荘介がそう尋ねる。

すると、健太は慌てて手を振って、

 

「あ、いや! オレ、入ってねーから!! ただ……」

 

そこまで言い掛けて、一旦言葉を切った。

そして、息を吞み――、

 

「昨夜さ、帰りに見ちまったんだ……。着物着た赤いリボンしてる女の幽霊がスゥーと、森の奥へ入っていったんだよ」

 

漆黒の流れる様な髪に、琥珀の瞳。

髪に付けている緋色の結い紐が印象的な、とても美しい着物姿の少女。

その少女が自分を手招いた後、すぅ……っと消えていった。

 

今思い出しても、鳥肌が立ちそうだった。

 

「……それが何で俺?」

 

「あ、あーいや……なんか、雰囲気が信乃に似てた気がして……」

 

「似てる?」

 

「うん……。なんか、髪の長い子でさ、着物なんか着てるし……。もしかして、オレ、見ちゃっ……た?」

 

瞬間、ばたんっと信乃が本を閉じた。

そして、冷ややかな声で、

 

「お前、もう帰れ」

 

唐突に投げられた言葉に、一瞬何を言われたのか分からず、健太が「は?」と声を洩らす。

だが、信乃は構わず、

 

「んで、もう二度とここに来るな。森にも近づくな」

 

「え……?」

 

健太が戸惑っていると、今度は荘介までが、

 

「そうですね……。関わり過ぎた様です」

 

そう言って、やんわりと健太を突き放した。

 

「ハ……? な、なんだよ、何急に訳わかんねーこと言ってんだよ……っ」

 

健太が信乃を見る。

だが、信乃は目も合せてくれなかった。

そして、荘介も怖い顔をしてこちらを見ていた。

 

「信乃……? 荘兄も……」

 

荘介は、ふっと視線を反らし、

 

「……信乃の言う通りだからです。もう、ここに来てはいけません。森も……。金輪際、俺達に関わらないで下さい」

 

「……」

 

健太が何か信じられないものを見る様に、その瞳に戸惑いの色を見せた。

だが、信乃も荘介も、健太と拒絶する様に視線を反らしたまま、こちらを見ようともしない。

 

それは、明らかな拒絶―――。

それが分からないほど、健太は子供ではなかった。

 

「……っ」

 

ぐっと、健太が拳を握りしめる。

今にも泣きそうなのを堪えると、吐き捨てる様に、

 

「……っ、訳わんね……っ! 二度と来るか、こんなとこ!!」

 

そう言い捨てると、バンッと扉を開けて駆け出していった。

 

「健太!!」

 

遠くで、荘介が自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

だが、健太は構わず走った。

 

瞬間、胸元に掛けてあったロザリオが視界に入った。

あの日の荘介の言葉が蘇る。

 

『神様は信じてなくても……“友達”の俺の事なら信じてくれるだろ?』

 

そう言ってくれた荘介。

“友達”だと、そう言ってくれたのに……。

でも―――。

 

 

 

「……っ、クソ、こんなものっ!!」

 

 

 

健太は、ロザリオの紐を引きちぎると、その場に投げ捨てた。

そして、ぎゅっと唇を噛み締める。

 

「……“友達”って、言ったのに……」

 

嬉しかったのに。

なのに……なんで―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信乃、俺が戻るまでここで大人しくしていてくださいね」

 

「……」

 

信乃は答えなかった。

すると、荘介は沈黙を肯定と取ったのか、そのままダイニングを出て行く。

 

「……」

 

その背を見送った後、信乃は小さく息を吐く。

と、その時だった。

 

「――まぁ、子供は鋭いモンじゃが、あの坊はちと難儀じゃのう」

 

「ん……? って、うわぁ!!」

 

突然 声を掛けられて信乃が ぎょとする。

いつの間にそこにいたのか……。

目の前の椅子に、蜑崎神父が紅茶を飲みながら座っていた。

 

「じ、じーちゃん、いつからそこに……!!?」

 

「儂か? ずっとここにいた」

 

「もっと何かアクションねぇのかよ!!」

 

思わず、信乃が突っ込む。

だが、蜑崎神父は気にした様子もなく紅茶に口付けると、

 

「あの坊はちと、近づき過ぎた……。お前達に近づくという事は、“境界線”に近づくのと同じ。――向こう側には格好の“エモノ”じゃからな」

 

「……」

 

その時だった。

 

「信乃」

 

浜路が征先生を連れて戻ってきた。

その先生の手にあったのは……。

 

「今、外でこれを見つけたんですが……」

 

 

それは、荘介が健太に渡したお守りのロザリオだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? 戻ってない?」

 

「ああ、まーたどっかほっつき歩いてんだろ。相変わらず、ガッコは行かねえしよ」

 

荘介が健太の家を訪ねると、健太の父はそう言いながら畑仕事をしていた。

 

おかしい。

あの後、すぐ健太を追いかけた筈なのに、追いつくどころか、姿すら見なかった。

 

「そう……ですか……」

 

すれ違いになっただけなのだろうか。

それだけならいいが……。

 

荘介が難しそうな顔をしていると、健太の父はあっけらかんとして、

 

「腹が減ったら戻ってくるだろ」

 

と答えて、再び畑仕事に精を出し始める。

荘介は何だか釈然しないまま、「ありがとうございます」と言ってその場を去ろうとした時だった。

 

「ちょと、あんた!!」

 

不意に声を掛けられ、顔を上げると、そこには少し身なりの良さ気な女が荘介を見るなり突っかかって来た。

 

「アンタ、教会んとこのヤツだろ!!? うちの息子たちを一体どうしたんだい!!」

 

「息子さん?」

 

一瞬、何の話か分からず荘介がそう尋ねると、その女はヒステリックに叫んだ。

 

「とぼけるんじゃないよ!! ちゃんと見たって人がいるんだから!! 教会にある森の方に入って行ったきり、昨夜から戻んないんだよ!!?」

 

瞬間、先程の健太の話を思い出す。

――そう健太は言っていた。

「昨日の夜から、村の若い男が三人 家に帰っていない」と

 

「……いえ、お姿は一度も拝見していませんが……」

 

「そんなハズないだろ!!? こ……の、嘘付き!!!」

 

今にも飛びかかってきそうな女、を健太の母が「まぁまぁ、奥さん」と宥める。

 

「そんなに言うなら、後で村の皆で探しに行きましょや。勿論、教会の方にも。な、いいだろ? 荘介」

 

そう健太の父が言うので、荘介は小さく息を吐くと、

 

「……どうぞ、お好きなように」

 

と答えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「健太君は?」

 

荘介が教会に戻ると、ダイニングには浜路だけがいた。

浜路も健太を心配してか、そう尋ねてくる。

 

「いえ、追い掛けたんですが……家には帰ってなくて」

 

荘介がそう答えると、浜路は少し言いにくそうに、

 

「実は……信乃がこれを見て、慌てて飛び出していったの。これ、荘介が健太君にあげたものよね?」

 

「……っ」

 

浜路の持っていたものは、健太にあげた筈の“お守り”だった。

一瞬にして、荘介の顔色が変わる。

 

「すみません、ちょっと出てきます!!」

 

「あ、荘介!!」

 

荘介は、浜路の制止も聞かずに、慌ててダイニングを飛び出した。

そして、そのまま森の方へ走って行く。

 

外は夕暮れ 逢魔ヶ時。

“人ならざるモノ”が活動を始める時間―――。

 

「まったく、二人ともこんな所まで似なくていいのにっ……!!」

 

だから言ったのに。

この手の類は“守備範囲外”だと―――。

 

瞬間、荘介の駆ける姿が、黒い犬の四白の姿に変わっていく。

そのまま、四白の姿の荘介は森の奥へと走って行ったのだった。

 

健太と、健太を追いかけた信乃を見つける為に―――。

 

 

 

この時、まだ誰も気付いていなかった。

 

 

 

  “運命”音を立てて回り始めていた事に―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新:2025.05.18

旧:2017.03.19