Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 5

 

 

「ねー! 昨日のテレビ見た!?」

 

「みたみた!! “TRIGGER”でしょ!? めっちゃ、かっこよかったぁ~~~」

 

日も傾きかけた学院の講堂の一角。

 

数人の女生徒が、楽しそうにそう会話していた。

ふと、のその会話の中に先日聞いた覚えのある“言葉”が出ていて、あやねは一瞬だけそちらを見る。

 

“TRIGGER”

 

そういえば。

脳裏に過るのは、先日自分を助けてくれた1人の青年。

 

ホワイト・スモークの髪に、綺麗で澄んでいて迷いのない灰青の瞳をしていた。

自分のやることに絶対の自信を持っている人の瞳。

 

あやねには、遠い瞳だった。

名前は――。

 

そこまで考えて、あやねは小さくかぶりを振った。

自分には関係ない。

 

まるでそう言い聞かすように、静かにその深海色の瞳を閉じる。

それから、小さく息を吐くと席を立って講堂を出た。

 

 

 

 

 

結局、あの日失くしたものは見つからず、あの事故現場に行くことも躊躇われ、その後あの道は通っていない。

正確には、あの日白閖の屋敷まで送ってもらったのだが、あやね送ってくれた面々を見て、父の秋良が驚いていたのは今でも記憶に新しい。

 

そして、秋良に事故の事も知られてしまい――今では行き帰りはSP付きの送迎だ。

 

とてもじゃないが、失せ物を探せる状態ではなかった。

だが、あれは……。

 

あれを誰かに見られでもしたら。

あやねは、持っていた本をぎゅっと握った。

 

なんとか、しないと……。

 

そう思うも、いい案など浮かぶこともなく、気が付けば数日が過ぎていた。

 

「あやね様」

 

ふいに呼ばれ、はっとする。

そこには、いつもの運転手とSPの男が立っていた。

 

どうやら、今日も“タイムリミット”の様だった。

あやねは、小さく息を吐き、

 

「今、参ります」

 

そう言って、そちらに足を進めようとした時だった。

 

 

 

 

きゃ―――――!!!

 

 

 

 

悲鳴にも近い声が中庭の方から聞こえてきた。

驚いてそちらを見ようとした瞬間、さっとSPの男があやねを護るように立ち塞がる。

 

「あ……」

 

あっという間に視界に入られて、中庭で何が起きているのか全く見えなかった。

すると、運転手の男が小さく頷き、

 

「あやね様、あちらから出ましょう」

 

そう言って、中庭を通らない道を示す。

 

「え……。ですが」

 

もしかしたら、何か事故があったのかもしれない。

それを放って、去るなんて……。

 

すると、運転手の男が、

 

「あやね様の身が一番大事です。万が一にもあやね様になにかあっては――」

 

「それは……」

 

そう言われると、動けなくなる。

もしここで、あやねに何かあれば、罰を受けるのは彼らだ。

 

それを考えると、あやねは何も出来なかった。

 

「……わかりました」

 

あやねがそう口にしたので、運転手の男がほっとする。

が……。

 

あやねが、すっと真顔になり、

その運転手の男を見据え―― 一言。

 

「では、貴方が何が起きているのか、その目で確認してきてください。もし、何かあったのなら人命を最優先に――」

 

「は……?」

 

一瞬、何を言われたのか分からず、運転手の男が間の抜けた声を出す。

すると、あやねは有無を言わさないような笑みを浮かべ、

 

「これは“お願い”です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    **** 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――聖マリアナ音楽学院・中庭

 

 

そこには、大きな人垣が出来ていた。

まるで何かがあったかのような様子だった。

 

それもそのはず、その日その場では、映画の撮影が行われていたのだ。

 

伝統ある「聖マリアナ音楽学院」では、こういう“撮影”場所として使われることも多かった。

今日も、先日制作発表のあった映画の撮影がクランクインしたところだった。

 

主演は――。

 

はぁ……と、ため息を洩らしながら台本と楽譜を眺める青年が1人。

それを見た、スタッフの一人がその青年に声をかけてきた。

 

「どうしたの? 八乙女くん、そんな憂いた溜息ついちゃって」

 

そう言って、その青年――八乙女楽に追加の“楽譜”を渡す。

それを見た楽が、その“楽譜”を受け取りながら、また溜息を洩らした。

 

「なんか、聞いていたのより多いですね」

 

そうぼやくと、スタッフの男が「ああ~」と苦笑いを浮かべた。

 

「なんか、作曲家の先生が台本見るなりインスピレーションが浮かびまくっちゃったらしくてね~。どんどん曲作ってるらしいから、八乙女くん頑張って!」

 

インスピレーションが沸くほどの台本。

それは理解できる。

 

今回受けた仕事は、久しぶりにワクワクする内容だった。

 

内容は、夕暮れの静かな学園に響き渡るピアノの音。

そこにいるのは、1人の少女。

 

彼女の白く細い指が鍵盤に触れると、音が溢れてくる。

美しく、繊細で、清らかな音……。

 

それは、誰をも魅了するかのような、とても心惹かれる音だった。

 

そして、その音に足を止める男が1人

何処からともなく夕暮れの中庭に聞こえてきた、美しいピアノの音に惹かれる様に学園を彷徨う。

 

そして、たどり着いたのは、誰もいない音楽室。

そこにあったのは、風に吹かれてぱらぱらとめくれる“楽譜”だけだった――。

 

美しい音色が響き渡る、純愛ラブストーリー。

 

 

 

楽もこの台本を見た時、息を呑んだ。

何が一番、心惹かれたかというとこの、デモテープで送られてきたピアノの曲だった。

メインテーマだと聞いた。

今も、イヤフォンでそのテーマソングを聴いている。

 

なぜなら、その曲を楽が弾かなければならないからだ。

 

そう、そこだ。

ストーリーはいい、雰囲気もいい、曲もいい。

問題は……ピアノだった。

 

残念な事に、ピアノの経験は……ない。

 

だが、引き受けたからには、何が何でもこの曲を自分で弾きたかった。

監督も演出家もそれを、望んでいる。

 

どうするかなぁ……。

 

一応、ピアノの先生にレッスンは受けてはいるが……。

ピアノとは解釈ひとつで、手の動き、鍵盤を叩く強さ、

全てが変わるため、まだ曲の解釈がつかめていない楽にはどう弾いてもいまいち、納得できる仕上がりにはならなかった。

 

はぁ……と、思わず溜息を洩らす。

その時、ふと、先日出逢ったあやねの事を思い出した。

 

そういえば、あいつが落とした“あれ”。

結局、返せてないんだよなぁ。

 

楽も“TRIGGER”としての仕事のスケジュールが埋まっているし、何よりも“白閖財閥”の屋敷に何度も行けるわけもなく。

 

かといって、あの交差点に行ってみてもあやねの姿はなく、

あの日以降、一度も会えてなかったのだった。

 

実のところ、今回の映画の話……本当は断る予定の話だった。

楽自身としてはチャレンジしてみた内容だったが、マネージャーの姉鷺が許可しなかったのだ。

 

何故なら、主人公の“久我志月(くが しづき)”――つまり、楽の役なのだが、

その相手役となるヒロイン“ましろ”という名の少女役が決まっていなかったからだ。

 

どうにもこうにも、監督の納得いくイメージの女優が見つからないらしい。

勿論、オーディションも行ったらしいが、まさかの全員を落としたとかなんとか……。

 

そんなわけで“ましろ”が決まってないような、曖昧な作品に楽は出せない!!

というのが、姉鷺の見解だった。

あともう一つは――。

 

ラストシーンに問題があった。

 

が、それ以前にスケジュールも押していたし、“ましろ”は非公開ということで制作発表が行われ、本日クランクインまでしてしまったのだ。

 

監督は“ましろ”役をどうするのだろうか。

と、思うと同時に、楽には“ましろ”のイメージがどうにもこうにも、あやねと被って見えて

仕方がなかった。

 

まさに、生きる“ましろ”そのもののような気がしていたのだ。

だからだろうか――“志月”が“ましろ”に惹かれていくのが手に取るように想像できた。

 

だが、あやねは女優でもアイドルでもない。

だから、あやねに頼むわけにはいかない。

 

いや、それ以前にあやねにその後、逢えていないのだから頼みようがないのだが……。

 

だが、一度あやねと“ましろ”をイコールさせてしまったあとでは、他のどんな女優が来ても、きっとイメージが違う気がするのは明白だった。

 

まぁ、そこはプロとしてちゃんと“演技”はする。

その自信もある。

 

最終的には、監督が“久我志月”役をどうしても楽にしてほしい!

と、事務所にまで来て頭を下げてきたので、さすがの八乙女事務所の社長・八乙女宗助――楽の父なのだが、折れたのだ。

 

後は……。

 

ピアノだった。

未だにイメージ通りに弾けていないのに、撮影が始まってしまった。

 

加えて、作曲家からの追加もある。

どうしたものかと、あぐねていた時だった。

 

いきなり監督が、どうせならここの聖マリアナ音楽学院のピアノ科の女生徒はどうかという、とんでもない事を理事長に言ったらしく……。

 

それを知ったピアノ科の女生徒が我先にと名乗りを上げだし、

ただ今、監督、演出とオーディション中だ。

 

いやいや、だめだろ!?

と、突っ込みたかったが……最早、後の祭りだった。

 

オーディションに楽が行くと余計騒ぎになるので、楽はここで留守番。

となったのである。

 

「人気があると大変だね、八乙女くんも」

 

と、スタッフの男性が苦笑いを浮かべている。

最早、

 

「はあ……」

 

としか、答えられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    **** 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オーディション?」

 

騒ぎを確認してきた、運転手があやねに騒動の理由を言う。

 

確かに、ここの学院は伝統もあり建物も歴史的貴重なものなので、映画やドラマの撮影に使われる事はよくあるのは知っている。

 

よく、女生徒などが撮影を見に行ったりしているが、あやねは特に興味がなかったので、いつも何もなかったかのようにやり過ごしていた。

だが、今そんな事態になっているなら、あの騒ぎも想像できた。

 

ならば、中庭は避けた方が良さそうだった。

 

「わかりました。では、中庭は通らずに他の道を通って行きましょう」

 

そう言って、少し遠回りになるが学院の校門に続く、外周りの道を歩き出す。

本当は、建物の近くを通ることになる外回りの道はあまり好きではなかった。

何故なら、色々な音が聴こえてくるから……。

 

音楽学院に通ってはいるが、別段「音楽」が好きなわけではない。

昔は――違ったけれども……。

 

「今」はもう、「嫌い」に近かった。

学院に通っているのは、ひとえに父・秋良を悲しませない為だけである。

他の理由など、ない。

 

そう――「そう思っている」筈なのだ。

 

だから、「音楽」を極力「耳」に入れたくない。

もし、あの時のような「音」を聴いてしまったらきっと、私は……。

 

その時だった。

 

 

 

  ポ――――ン……

 

 

 

「え……?」

 

何処からともなく、ピアノの音が聴こえてきた。

 

こ、の音……。

 

 ポ――ン……。

 

    ポ―――――ン……。

 

「音」としては、まだ粗削り。

「曲」としても決して上手いわけではない。

 

でも、どこか心惹かれそうになる「音」。

 

これ、は……。

 

 

 そんな、筈ない。

 

 

そうだ。

そんな筈ないのだ。

 

けれど、この音はまるで――。

 

脳裏に浮かぶ。

優しく微笑み、いつも笑っていた人。

幼いあやねに「ピアノ」の「楽しさ」を、

「音楽」の「美しさ」を、

 

教えてくれた人……。

 

 

 

  ――違う!!

 

 

 

あやねはかぶりを振った。

 

あの人はもういない。

あの時、あの電話で『もう――会えない……』と、そう言っていた。

 

だから……。

 

だから、私は――。

 

 

 

「あやね様!!」

 

 

 

気が付いたら、あやねは走り出していた。

遠くで、運転手とSPが叫んでいるのが聞こえる。

 

だが、構っている余裕など、この時のあやねにはなかった。

 

違うかもしれない。

ううん、きっと違う。

 

それでも、確かめられずにいられなかった。

 

だって、だって この「曲」は……。

 

 

 

  『あやね……』

 

 

 

そう言って、桜の木の下で笑っていた人。

あの人は――。

 

 

この「曲」は、「あの人」と「私」しか知らない筈の……。

 

 

 

「春樹お兄……っ」

 

 

声に出しかけて、あやねはその声を詰まらせた。

 

夕暮れの中――粗削りだけれども、とても綺麗な「音」。

 

彼のホワイト・スモークの髪がきらきらと輝いていて、

その灰青の瞳がゆっくりとこちらを見る。

 

「ど……うし、て……」

 

 

そこにいたのは――。

 

 

「……あやね……?」

 

そこにいたのは、先日 危ういところを助けてくれた人――八乙女楽、その人だった。

 

 

 

 

頭が真っ白になる。

 

何故……この人が……。

 

扉を持つ手が震える。

どう、して……。

 

言葉が出ない。

 

 

「あやね、な、のか……?」

 

 

楽が、今だ信じられないという風に声を震わす。

瞬間、あやねがそのままその場に崩れ落ちた。

 

 

 

「――あやね!!」

 

 

 

楽が慌てて駆け寄ってくる声が遠くで聴こえる。

 

ち、がう……。

 

涙が知らず、頬を伝う。

そして、そのまま あやねは意識を手放した。

 

 

 楽が――遠くで……。

 

 

   あやねの名を呼んでいるのが聞こえた気が、した――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとか、1月ラストの更新間に合ったぁぁぁぁぁぁ!!!

ふーとりあえず、楽と再会www

 

だが、ハッピー再会ではないというな!

 

新:2024.01.21

旧:2020.01.31