Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 21

 

 

――――朝・白閖邸

 

 

カーテンの隙間から、そよそよと風が入ってくる。

あやねは、重い瞼を開けながらそちらを見た。

 

「……」

 

メイドが開けたのだろうか……。

いつの間にかバルコニーへ続いている窓が開いていた。

 

あやねは、ベッドから起き上がるとバルコニーヘと出た。

心地の良い風が、頬を撫でる。

 

ほのかに、夏の気配が近づいている様な気がした。

微かに庭先から梔子の花の香りがする。

 

結局、外出云々の話はどうすればいいのか……。

学院へ行っていいのか、部屋から出てはいけないのか。

 

まず、それを確認しない事にはどうにもならない。

 

もし、あの記事がないとは思うが、止められなかった場合――。

学院へ行くのは危険だ。

だが、屋敷の外に記者が集まっている訳でもなく、いつも通り至って静かだった。

 

その時だった、とんとんっと部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 

「……どうぞ」

 

あやねが、そう答えるとメイドが1人入って来た。

 

「おはようございます、あやねお嬢様。ご希望のお品をお持ちしました」

 

そう言って、大量の新聞を運んできた。

昨夜、今日の朝刊をすべて持ってきてくれるように頼んでおいたのだ。

 

あやねは、1部それを取ると、

 

「ありがとう、下がって大丈夫よ」

 

そう言って、メイドに礼を言う。

メイドはすっと頭を下げると、

 

「準備ができましたら、朝食をご一緒に――と、旦那様が申しておりました」

 

「お父様が……? わかりました」

 

あやねの返事を聞くと、メイドはそのまま再度一礼して下がっていった。

メイドが出て行ったのを確認すると、あやねは運ばれてきた朝刊をテーブルに並べてざっと見た。

 

載って……ない、わね……。

 

どの社の朝刊にも昨日の記事は載っていなかった。

その事に、少しほっとする。

 

「……?」

 

ふと、ある一社の記事が気になった。

何か違和感はあったのだ。

だが、その“違和感”が何なのかは、わからなかった。

 

あやねはとりあえず朝刊を全てテーブルに置くと、朝の支度をする事にした。

だから気付かなかった。

“その記事”に――。

 

 

 

 

 

ダイニングへ行くと、既に秋良が座って待っていた。

 

「お父様、おはようございます。お待たせして申し訳ありません」

 

そう挨拶と謝罪を述べると、椅子を引かれた席へ座る。

秋良は気にした様子もなく、

 

「おはよう、あやね。よく眠れた――様には見えないな。目の下にくまが出来ているぞ?」

 

「え、あ……」

 

上手く隠せたと思ったのに、どうやら秋良にはお見通しだった様だ。

 

「その……例の記事が気になったもので……」

 

正直にそう話すと、秋良はくすっと笑いながら。

 

「そうか、無事確認は出来たのかな?」

 

「はい……」

 

確認はした。

したが……。

 

何が――なのかは分からないが、何かが頭の片隅に引っかかっていた。

だが、それが何なのかは、あやねには分からなかった。

 

「とりあえず、朝食にしよう」

 

そう言って秋良が合図を送ると、メイド達が料理の乗った皿を運び始めた。

あやねは食事をしながら、ふと秋良を見る。

すると、秋良が何かに気付いたかのように、

 

「ああ、あやね。学院は少しの間休みなさい。部屋にいろとは言わないが、外出も出来れば控えてくれると助かる」

 

「……? 何か別の問題でもあったのですか?」

 

てっきり、記事が出回っていないのなら、外出は制限されないと思っていたのに、

秋良の言葉は、そうではなかった。

 

あやねの問いに、秋良はふっと微かに何かを含むような笑みを浮かべ、

 

「いや? お前が気にする程の事ではないよ。1週間――いや、数日で構わない、出来れば必要時以外の外出は控えなさい」

 

「……はい」

 

ここで、何故かと反論するのは簡単だ。

しかし、あやねも少し何かが引っかかっていた。

それが“何か”なのかはわからないが……。

 

だから、素直に従う事にした。

 

あやねの反応に秋良が少し意外そうな顔をする。

 

「うん? やけに素直だな。てっきり八乙女君に会えなくて泣くのかと思っていたのに」

 

「な、なん……っ」

 

突然、楽の名前を出されてあやねがかぁっと頬を赤く染める。

それから、話を逸らさせるかのように、わざとらしく咳払いをし、

 

「か、彼は関係ありません」

 

そう言って、目の前のグラスに注がれているミネラルオーターを飲む。

そんなあやねの姿を見て、秋良は面白いものでも見たかのように、くつくつと笑いだした。

 

「はは! あやね、今のお前の顔を彼に見せてやりたいよ。きっと、喜ぶだろう」

 

「お、お父様!!」

 

今度こそ、あやねが真っ赤になった。

口元をナプキンで拭くと、そのまま席を立つ。

 

「おや? もういいのかい?」

 

まだ、全部食べ終わっていなかったので作ってくれたシェフには申し訳なかったが、

ここにこれ以上いたら、今度は何を言われるか分からない。

 

「私は、部屋に戻ります。……何か変化があったら教えてください」

 

それだけ言うと、ダイニングを後にしようとした瞬間、ふと秋良が呟いた。

 

「あやね。私は八乙女君の事はお前の心に任せるよ。私はね、彼には好感を持っている。今どき、あそこまで馬鹿正直で気真面目な人物はいないからね」

 

「……そんな事……」

 

知っている。

私だって……彼が真面目で、誠実なのは知っている。

 

だが……。

 

「別に、私は……」

 

それだけ言うと、あやねはそのままダイニングを後にした。

残された秋良は、フォークをペンの様にくるっと回転させて。

 

「“別に、私は……”の後は、なんだろうねえ? 穂波」

 

と、後ろに控えていたハウス・スチュワードの穂波に声を掛ける。

穂波は、表情一つ変えずに、

 

「あやねお嬢様には、何か思う所があるのかもしれませんね」

 

「思う所? 彼にかい?」

 

「……あくまでも、かもしれないというだけです」

 

「……ふうん? そういえばお前、昨夜私の指示を反故にしてあやねを連れて来たんだって?」

 

そう言って、秋良がにっこりと笑う。

その笑顔に、穂波ぞくりと背筋を凍らせたのは言う前でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――数日後 聖・マリアナ音楽学院 中庭

 

 

楽のスタジオでの撮影が終わったので、こちらでの撮影が再開されていた。

本当ならば、例の記事が出回る様ならストップする予定だったが、

幸い、秋良の機転で出回らなかった為、中止にする理由がなくなったのだ。

 

その為、野外の撮影を再開したのだが、

 

楽は、スタイリストに髪をセットされている間、ずっと前にあやねがいた練習室の方を見ていた。

だが、その練習室から彼女のピアノの音は聞こえてきていなかった。

 

あいつ……ここ数日、来てないのか?

 

もしかして、何かあったのだろうか。

あの日の事で体調を崩しているとか?

それとも、何か別の――。

 

「八乙女くん? どうかした? なんか、心ここにあらずだね」

 

不意に、スタイリストが話しかけてきた。

はっと我に返り、楽は「あ、いや……」と返しかけた時だった。

 

 

「楽様~~~~!!!」

 

 

何処からともなく、甲高い声が聞こえてきた。

その声に、楽が半分げんなりする。

スタイリストは「あ~また、あの子来たんだね」と、半分苦笑いをしていた。

 

楽が、「はぁ~~~~~」と重い溜息を付く。

 

というものの、ここ数日毎日の様に彼女は現れるのだ。

名前は高嶺陽子と言ったか……。

 

最初は普通にファン対応をしていた楽だが、

あまりにも執拗にスキンシップしてきたり、言い寄ってきたりするので、次第に相手をするのも嫌になって来たのだ。

 

確かに、過激なファンもたまにいるが、相手が悪かった。

 

「高嶺」と言えば、有名な資産家だった。

それも、政治の上層部に精通している人物を何人も排出している家系だ。

 

迂闊な事をすれば、事務所や“TRIGGER”、そして、あやねに何かするかもしれないからだ。

かといって、変に気を持たせる訳にもいかない。

あくまでも、“TRIGGER”の八乙女楽として対応しなければならない。

それを苦痛に思う日が来るとは思わなかった。

 

そうこうしているうちに、陽子が傍にやって来た。

本来ならば、一定ライン以上は撮影の邪魔になるので入れない様に制限を掛けるのだが、

彼女は、家の権力を嵩に懸かけて、堂々とその境界を越えてくるのだ。

 

これには、監督も他のスタッフも困っていた。

だが、相手が悪すぎた。

 

“高嶺家”は敵に回すとやばいという話は業界でも有名だった。

家の大きさ自体は「白閖」や「逢坂」よりもずっと格下だが、

今、政界を牛耳っているのが殆ど「高嶺」の人間なのだ。

 

「楽様、お疲れさまですぅ」

 

そう言って、楽の傍にやってくるとその肩にそっと手を乗せようとしてくる。

が、すかさず楽は自然に避ける様に立ち上がると、

 

「悪いな、高嶺さん。これから撮影なんだ」

 

そう言って、さらっとその場から去ろうとする。

すると、陽子は「ええ~」と自分的可愛くすねる様な仕草をして、楽の袖を引っ張った。

 

「今、陽子が楽様に会いに来たのに、もういっちゃうんですかぁ~」

 

 

 

……うっぜぇ。

 

 

 

と、心の中で思ったのは言うまでもない。

が、それを表に出さないのは流石というべきか……。

 

そこはプロ。

楽はファンに対応するのと同じ様に、陽子の手をさりげなく袖から離させると、

 

「悪いな、監督呼んでるから」

 

そう言って、そのまま陽子を置いて監督の方に行く。

陽子が「楽様~」と言っていたが聞こえないふりをした。

 

楽が去ったのを見た後、陽子はふふっと笑った。

 

「撮った?」

 

陽子のその言葉に反応するかのように、カメラを持った男が影から現れる。

それを見て、陽子がにやりと笑うと、

 

「ふふ、白閖あやね見てないさい。楽様は私の物よ! あんな女になんて渡さないんだから!きっと、楽様もあんな女よりも私の事見てくれてるはずだわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

楽が半ば逃げる様に監督の元にきたので、何事かと思った監督はそちらの方を見て納得したのか……「ああ……」と声を洩らした。

 

「あの子ねえ……実は、八乙女くんには言ってなかったけど、“ましろ”役をやらせろって圧力来てるんだよね」

 

「え……!?」

 

監督からのまさかの発言に、楽が唖然としていた。

 

「あの……まさか、監督受けたりしないです、よね?」

 

「受ける気はないけどね」

 

その言葉に、楽がほっとする。

 

「だけど……“高嶺”の家がうるさくてねぇ……。この映画のスポンサーに無理やり入って来そうなんだよね、今」

 

「いや、今さらっと凄い事言ってますけど……冗談、ですよね?」

 

もし、「高嶺」がスポンサーになったら、あの高嶺陽子を“ましろ”にしろと言ってきたら断れない。

おそらく、誰も止められないだろう。

 

だが、今まで何度もオーデションしてきて、未だ“ましろ”役が決まってないのも事実だ。

監督なりにこだわりのある役なのだろう。

それを、圧力に押されてイメージと異なる子を使う事は避けたい筈だ。

 

避ける方法はただ一つ。

「高嶺」が言うよりも先に“ましろ”役を決めてしまう事だ。

 

正直、楽の中では“ましろ”役にイメージがぴったりなのは、あやねだと思っていた。

しかし、当の本人はそういうのには興味無さそうだった。

 

無理強いはしたくない。

 

かといって、あの「高嶺陽子」が“ましろ”役をやるのは、避けて欲しかった。

一番いいのは、あやねが“ましろ”役を受けてくれることだ。

 

「監督……」

 

「うん? どうかしたのかい?」

 

「監督の中では、“ましろ”役のイメージに合う子が決まってるんですか?」

 

正直、そこが重要だった。

あやねが適しているというのはあくまでも、楽の中であって監督の中ではわからない。

 

楽の言葉に、監督は「そうだね……」と呟いた後、

 

「実はね、目ぼしを付けてる子はいるんだよね、いるんだけど――」

 

「それって、まさか――」

 

楽がはっとする。

すると、監督はにっこりと微笑み。

 

「多分、八乙女くんが思ってる子と、同じ子だろうね。……彼女の音を聞いてからかな、彼女以外の“ましろ”が考えられなくてね――」

 

「だったら……っ!」

 

「彼女にしてもらいのは山々なんだが……ほら、彼女一般人だし、“白閖”の一人娘だからね。白閖の総帥……つまり、あやねくんのお父様の許可と、彼女の了承の二つが得られないと駄目なんだよ」

 

「……」

 

監督の言う意味は理解出来る。

きっと、あやねの父・秋良が了承しないだろう。

それに、あやね自身も望まないかもしれない。

 

でも。

 

「監督、もしもなんですが――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

――――白閖邸

 

 

「あ……」

 

少し手が当たった瞬間、テーブルの上からばさばさばさっと音を立てて鞄が落ちた。

あやねは、小さく息を吐きながらその鞄に手を伸ばしかけて――その手が止まった。

 

そこには、あの日監督から借りたままだった楽の映画の台本があった。

 

返そうと思って、返せていない品物だった。

あやねはそっとその台本を取る。

 

「『スノードロップ』……」

 

台本にはそう書かれていた。

映画のタイトルだと、あの時監督の方が言っていた。

 

そういえば、

 

ヒロインの“ましろ”役が決まってないと言っていたが、結局その役は誰に決まったのだろうか?

 

そんな事をぼんやりと考えながら、1ページ1ページ丁寧に捲る。

前も思ったが、とても綺麗なお話だった。

 

「楽さんの、“久我志月”役……見てみたい」

 

知らず、ぽつりとそう呟いていた。

その言葉の重みを、後から知る事になるとは思わずに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、例の女が暗躍しだしましたwww

めっちゃ、嫌な子にしてますwww

わざとですwww

 

新:2024.01.21

旧:2023.01.03