Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 2

 

 

満開だった桜が散り、新緑に変わりつつある初夏。

あやねは、ぼんやりと講堂の窓から外を眺めていた。

 

ただ、講堂にいるだけで何をするでもない。

なのに、色々な音が耳に入ってくる。

 

ヴァイオリンやフルート、トランペットやトロンボーン。

そして、ピアノ――。

 

色んな楽器の音が、個々に演奏しているのに不思議と折り重なってハーモニーを作り出している。

だが、あやねにはどうでもよかった。

 

そう――ここは、聖マリアナ音楽学院。

音楽家を目指して、音楽に関わることを目的とした人たちが集まる学院。

なんて、自分は不釣り合いなところに居るのだろうと、思う。

 

今、あやねがこんな気持ちになっているとしたら、きっとあの人は悲しむかもしれない。

あやねに、“音楽を愛して欲しい”と願っていた人だから……。

 

彼の名は“桜春樹”。

 

そう――全ては2年前。

あの日から変わった。

 

あやねが4歳のころ、初めて春樹と出会った。

最初は、変な人だと思った。

いつも、あやねの周りはあやねの後ろに居る父・白閖財閥総帥 白閖秋良の存在だけを見ていた。

 

「お父様によろしくね」

「今度、お父様と是非お会いしたいです」

 

周りの大人たちは皆口を揃えて、父を褒め、あやねの機嫌を取った。

5歳にも満たない子供に何を言っているのだろうと思っていた。

 

そんな大人たちに囲まれて育ったあやねにとって、”桜春樹”という存在は異質だった。

仕事で父と関わらせてもらっていると春樹は言った。

最初は、また父の機嫌を取るために自分に取り入ってきただけの人かと思った。

だが、違った。

 

春樹は“あやね”自身を見て評価してくれた。

 

嬉しかった。

初めてだった。

 

だから、父に勧められるまま春樹にピアノを教えてもらった。

 

春樹は、自分よりもっと専門的な人に教わったほうがいいと言った。

でも、あやねは春樹以外に教えてもらう気はなかった。

だから、あの日までずっと春樹に教わってきた。

 

彼は今、「大切な友人を探している」と、言っていた。

とても、大事な人だと。

 

その為、その友人が好きだと言っていたあやねの母の国・ノースメイアと、日本を行き来する生活をしていた。

その合間に、あやねにピアノを教えてくれたのだ。

 

一度、「もう、いいよ」と言ったことがある。

日本とノースメイアを行き来する生活は楽ではないだろう。

日本に居るときぐらい、春樹の好きなことをしたらいいと思ったからだ。

 

そしたら、春樹はこう言った。

 

 

「好きな事? 今してるじゃないか」

 

 

と……。

嬉しかった。

同時に気を遣わせてしまっているのが申し訳なく思った。

 

その内、いつ頃からだろうか、日本よりノースメイアに滞在している時間が多くなって、あまり会えなくなったのは。

短くて数カ月、長いと半年は帰ってこなかった。

 

そして、あの日。

 

春樹から国際電話が掛かってきた。

もう、春樹がノースメイアに行ってから半年以上連絡が途絶えていた時だった。

 

電話に恐る恐る出ると、懐かしい春樹の声が聴こえた。

だが、彼から発せられた言葉はあやねの望むものではなかった。

 

 

『ごめん、あやね――多分、もう、会えない……』

 

 

「え……」

 

一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 

「春樹お兄ちゃん……?」

 

そう呼びかけると、電話口の春樹が苦笑いを浮かべた。

 

『はは……なんだか、そう呼ばれてたのが遠い昔のようだよ……』

 

と。

電話口の春樹はとても、弱々しく、力なく聴こえた。

 

「ねぇ、なにかあったの? 春樹お兄ちゃ――」

 

『――ごめん、あやね。どうしても、君には直接言いたかったんだ……』

 

「え……? どうして謝るの? 春樹お兄ちゃん、はる――」

 

『さよなら……あやね――』

 

 

ぷつん……。

 

そこで電話は途切れた。

 

「お兄ちゃん!? 春樹お兄ちゃん!!?」

 

何度呼びかけても、もう返事はなかった。

受話器の向こうから、虚しくツーツーという音が聴こえるだけ……。

 

「う、そ……」

 

受話器を持つ手に力が入らない。

知らず、涙が零れた。

 

 

もう会えない。

 

    さよなら。

 

「や……」

 

  『この枝が欲しかったんだろう?』

 

「いや……」

 

  『あやねは、やっぱり耳がいいなぁ~君のビアノ、俺は好きだよ』

 

「い、や……」

 

 

  『さよなら……あやね――』

 

 

 

「いやあああああああああ!!」

 

 

 

 

その後の事はよく覚えていない。

父・秋良の話だと、廊下に倒れていたのをハウス・スチュワードの穂波が発見したのだという。

 

目を覚した時、秋良が泣いていたのを今でも覚えている。

もう、目を覚まさないのかと思ったと。

 

 

母が逝った時のように、また失うのかと思ったと。

 

 

「お父様……」

 

 

それ以上の言葉は出なかった。

いや、出せなかった。

 

医師の話だと精神的ショックが大きくて、一時的に声が出なくなっているだけだと言われた。

それから、数日してからだろうか。

 

部屋でぼんやりしていると、あやね宛に国際便が届いたと穂波が持ってきた。

差出人は不明。

でも、すぐに誰からかは分かった。

 

春樹だ。

 

あやねは、すぐさまその荷を開けた。

中からは一通の手紙とデモテープが入っていた。

 

手紙にはこう書かれていた。

 

 

あやねへ

 

音楽を嫌いにならないで

音楽を愛してあげて

 

たとえ、俺がいなくてもあやねの音は消えたりしない

 

俺の愛したあやねの音は永遠に残るから――

 

 

それだけが書かれていた。

涙が溢れた。

 

ボロボロと次から次へと涙が零れて止まらなかった。

あやねは、手紙をぎゅっと握りしめた。

 

「お……に、ちゃ……」

 

泣かないで。

そう言って、母が逝った日 優しくピアノを弾いてくれた春樹はもう、ここには来ない。

もう、側にはいてくれない。

もう――。

 

そっと、一緒に同封されていたデモテープを取る。

 

でも、それを聴くことは出来なかった。

怖かった。

 

聴けば本当に春樹との別れが来そうで……怖くて聴けなかった。

 

だから、封印した。

鍵を掛け、手紙と一緒に箱の中に封印した。

 

今思えば、弱かったのだ。

あの時の自分には春樹からの最後の曲を聴く勇気はなかったのだ。

 

それから、一切ピアノに触れなくなった。

音楽という音楽を自分から遠ざけた。

このままでは、音楽を――春樹の愛した音楽を嫌いになりそうだったから。

 

どこからか、噂を聞きつけた専門家やスペシャリスト達が、是非うちに!

と、声を掛けてきた。

でも、あやねは誰の手も取らなかった。

 

部屋に閉じこもり、外を眺めるだけの日々が過ぎていった。

見かねた秋良が持ってきたのは、聖マリアナ音楽学院のパンフレットだった。

 

見ていられなかったのだろう。

 

遠目には音楽を遠ざけていた。

だが、時折 夜中に寂しさからか……部屋のピアノに触れていたことを知っていたのだろう。

なぜなら、ずっと弾いていないのにピアノの音階はまったく狂っておらず、きちんと調律されていたからだ。

 

秋良がこっそり調律師に頼んで、あやねが居ない時に、調律をしていたのだろう。

 

 

 ポーン……

 

    ボーン……

 

 

ただ、指を添えるだけでメロディが生まれる。

すべて、春樹が教えてくれたことだ。

 

だから、秋良の勧めで声が出るようになった頃、聖マリアナ音楽学院に入学した。

秋良は大層喜んだ。

 

でも、あやねには父親を悲しませたく無いという罪悪感と、春樹の愛した音楽を憎みたくなる醜い感情が入り混じって、頭がおかしくなりそうだった。

 

それでも、やはり秋良を悲しませたくないという感情が勝ったのか、学院には通っていた。

 

あやねが入ったのはピアノ科だった。

ピアノ科の先生は、あやねの存在を知っていたのか……大層喜んだ。

そして、ただピアノを弾いただけなのに、褒められた。

 

それは、決して褒められる音では無いのはあやねが一番良くわかっていた。

ロボットが弾いているのと一緒。

 

なのに、先生たちは絶賛する。

理解できなかった。

 

と同時に、父・秋良の反感を買うのを恐れているのだと思った。

だから、何も言わない。

 

春樹なら間違いなく、怒るであろう音なのに。

先生たちは何も言わなかった。

 

昔と一緒だと思った。

春樹に会う前に戻っただけ。

 

それだけだった。

 

誰も、自分を見てくれない。

見ているのは、日本を揺るがすほどの力を持つ父・白閖秋良の存在だけ。

 

彼らにとって、あやねは秋良の機嫌を取るための人形。

ただ、それだけなのだ――。

 

 

 

 

 

「……さん、……白閖さん、……白閖あやねさん!!」

 

 

名を呼ばれてはっとする。

 

「あ……」

 

気がつくと、日が傾き掛けてもう外は緋色に染まっていた。

声のした方を見ると、一人の講師が立っていた。

 

「もう、閉めますよ?」

 

「あ……申し訳ございません。帰ります」

 

そう言って、立ち上がった時だった。

 

ばさばさばさ――。

机の端に置いていた教科書類が一気に下に落ちた。

 

「もう、一体、何して……」

 

「……っ。来ないで下さい!!」

 

そう言いながら、手を貸そうとした講師の手を遮った。

驚いたのは講師だ。

 

それはそうだろう、善意かどうかはわからないが、落ちたものを拾うのを手伝おうとして拒絶されたのだから。

瞬間、声を荒げたことに はっとなる。

 

それから、静かに、

 

「すみません、その……自分で拾えますので……」

 

そう言って、落ちた教科書を拾う。

一瞬、何かを見てその手を止めた。

 

が、すぐに隠すようにさっと拾い鞄に入れる。

 

「失礼致しました。帰ります」

 

そして、まるでその場から逃げるように、あやねは足早にその場を去ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    **** 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、なんで俺がこんなこと……」

 

 

ブツブツと文句を言いながら、深く帽子とサングラスを掛けた青年が、表参道を歩いていた。

彼の手には、頼まれたドーナッツの入った紙袋があった。。

 

ちらちらと、道行く人が彼を見ていくが、青年は素知らぬ顔で歩いていた。

ここで、振り返ったり、足を止めたりするのは命取りなのが分かっているからだ。

 

「ねー、あの人……もしかして――」

 

耳に入ってくる声も無視だ。

 

捕まったら最後、離してはくれないだろう。

それが分かっているから、知らぬ存ぜぬで通す。

 

それが、彼の回避の仕方だった。

最悪、捕まっても「人違いです」で通すのが彼のやり方だが。

 

ふと、目の前の信号が赤に変わった。

仕方なく、足を止める。

幸い、帰宅ラッシュ時間だからか、人混みが彼の存在を消してくれる。

 

その時だった。

それは起きた。

 

突然、彼の横から見知らぬ男の手が伸びてきたかと思うと――。

 

 

 

 

   ドンッ!!!

 

 

 

 

 「なっ……」

 

 

 

自分の目の前に立っていた、大学生ぐらいの年の少女の背を押したのだ。

と、同時に彼女の身体がぐらりと揺れ車道に躍り出る。

 

 

 

 

 パパ――――――――!!

 

 

 

     きゃ――――――!!!

 

 

 

 

車のクラクションと、周りの人たちの叫び声が辺り一帯に響きわたった。

それは無意識だった。

 

咄嗟に、青年も車道に飛び出した。

ぐいっと、間一髪のところで少女の手を掴み、自分の方に引き寄せる。

 

瞬間的に、彼女の身体が青年に引き寄せられてバランスを崩した。

そのまま二人して、車道の脇に転げる。

 

「きぃつけろ!! バッキャロ――――!!」

 

クラクションを鳴らしていたトラックの運転手が、そう叫びながらそのまま走っていく。

 

「……痛っ――」

 

ガードレールに辛うじて助けられた。

 

青年がぶつけた頭を抑えながら、起き上がる。

瞬間、帽子とサングラスが落ちた。

 

「ちょっ!! ねぇ、あれ!! “TRIGGER”の八乙女楽じゃない!?」

 

「え!!? うそ!! 本物!!?」

 

周囲の人だかりから一斉に黄色い声が聴こえてくる。

だが、青年――八乙女楽は、それ所ではなかった。

 

自分の腕の中でぐったりしている少女を揺り動かす。

 

「おい! しっかりしろ!!」

 

「……あ……」

 

辛うじて意識はあるようだったが、本人も何が起きたのが理解出来ないという感じだった。

 

「お前、怪我は――」

 

楽がそう彼女に語りかけた時だった。

ふいに、彼女か顔をあげた。

 

「……っ」

 

視界に急に入ってきた彼女を見た瞬間、楽は息を呑んだ。

 

事故にあったせいで、少し乱れかかっているが、それでも夕日の中できらきらと輝くフェミニン風のキャラメルブロンドの髪。

雪のように白い肌。

そして、楽を何よりも惹き付けたのが、深海の様な海色の大きな瞳だった。

 

美人は見慣れていた。

そういう世界で生きている身としては、逆にいえば美人しかいない。

 

だが、彼女のそれは“美人”という言葉では言い表せないような――。

そんな、神秘的な美しさを秘めていた。

 

日本人離れしたその美しさは、まさに“宝石”のようだった。

 

“TRIGGER”として、芸能界に楽は身を置いていた。

そこそこ、売れている自信はある。

 

デビューこそ昨年だが、その年のJIMA――“Japan Idol Music Awards”で新人賞も取った。

そして、大晦日に行われる“ブラックオアホワイト ミュージックファンタジア”にノミネートされて男性アイドル部門で優勝もした。

 

世の女性たちが熱狂してやまない。

それが“TRIGGER”だった。

 

そう――その筈なのだが……。

 

目の前の少女は状況が飲み込めてないのか、その海色の瞳を大きく瞬かせただけだった。

そして、最初に発したのは……。

 

「楽譜……」

 

「は?」

 

日本で一番抱かれたい男 No.1の八乙女楽を目の前にして、発したのは。

驚きでもなく、声援でもなく、黄色い声でもなく。

 

「楽譜」だった。

 

彼女が楽など目に入っていないように、辺りを見回す。

どうやら、よほどその「楽譜」は彼女にとって重要な様だった。

 

「嘘、ない……、誰かに見られたら……」

 

困惑しているのか、目の前の少女がおろおろしながら辺りを見る。

見かねた楽が一緒に探してやろうかと思い立ち上がった瞬間、ふと自分の足元にあった紙に気付いた。

拾ってみるとそれは、書きかけの楽譜だった。

 

それを見た瞬間、楽は息を呑んだ。

ほんのワンフレーズしか書かれてない楽譜だが、その曲はとても綺麗なメロディだったからだ。

 

「おい、これ……」

 

お前が? と、聞こうとした瞬間――。

 

「あ、あの!! “TRIGGER”の八乙女楽さんですよね!!? 本物っ!!」

 

「あの! あの! 握手してください!!」

 

「ちよっ……あんた、なに図々しいこと言ってんのよ!!」

 

「サインください!!」

 

「しゃ、写真撮らせて――!」

 

 

一気に周りの野次馬をしていた筈の女たちが押し寄せてきた。

楽1人なら、「人違いです」でさっさと、突っ切るのだが、

 

「……っ、来い!!」

 

「え……?」

 

突如、楽は目の前で楽譜を探す少女の腕を掴んだ。

驚いたのは少女の方だ。

 

「え……。あ、あの……っ」

 

「いいから、来い!!」

 

そう言って自分の方に引き寄せる。

 

「ちょっと、誰よ! あの女!!」

 

そんな声が聴こえるが無視だ。

楽は少女の手を握りしめると、そのままその場から逃げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続けて2話目でーす

初回は3話書くと決めてます

 

ついに、楽登場!!

しかも、おつかい中wwww

 

新:2024.01.21

旧:2019.02.19