Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 16

 

 

―――3日後

聖マリアナ音楽学院・理事長室

 

 

 

「お帰り下さい!」

 

 

 

そう叫ぶと、理事長の藤谷香子はデスクを思いっきり叩いた。

だが、理事長室のソファに座っている二人の男性は至極冷静に、出された紅茶を口にしていた。

 

その様子が、更に香子を苛立たせる。

 

その内の一人がカップをソーサーの上に置くと、香子の方を見た。

 

「何をそんなに怒っていらっしゃるのですか? 藤谷香子理事長殿。これは、名誉あるお話なのですよ? それは、貴女もご存じでしょう?」

 

そう言って、男が持っていたファイルとパンフレットをテーブルに置く。

そこには、『第18回フレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール』と記されていた。

そして、その横にあやねのプロフィールと写真が置かれていた。

 

「私はね、藤谷理事長、彼女にチャンスを与えてあげようと言っているのですよ。この名誉あるピアニストならば誰しもがあこがれる登竜門。『ショパン国際ピアノ・コンクール』への本戦出場権を」

 

そう――ピアニストならば誰もが憧れるだろう。

ポーランドのワルシャワで開催される、ポーランド国立のフレデリック・ショパン研究所が主催する国際音楽コンクールであり、ピアノ・コンクールでは世界最古と言われている。

 

そして、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクール、フランスのロン=ティボー国際コンクール等と共に、1957年に発足した国際音楽コンクール世界連盟(ユネスコ国際音楽評議会メンバー)の一員である。

 

その中でもショパン国際ピアノ・コンクールは世界最高峰と呼ばれており、ロシアのチャイコフスキー国際コンクール、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールと共に「世界三大コンクール」と称されている一角だ。

 

そんな国際コンクールに予選を免除し、本戦に出場する権利を与えるというのだ。

確かに、現在は余りにも多すぎる出場者を捌くために、有名国際音楽コンクール上位入賞者は予備予選の免除がなされる事がある。

 

しかし、それはあくまでも予備予選であり、一次から三次までの予選は免除されない。

そもそも、何故急に実行委員会が動いたのか……。

 

理由は、明らかだった。

あやねが数日前の音楽史の時間に、全楽章暗譜で弾いたという「ハンマークラヴィーア」であろう。

だが、あやねが弾いていたのは、ベートーヴェンの曲であり、ショパンの曲ではない。

 

なのに、何故、ショパン国際ピアノ・コンクールの委員会が動くのか。

それに、どうしてその事を知っているのか。

 

おかしい……。

学院内のセキュリティは、生徒が有名な資産家やグループなどの生徒が多いために、万全の体制を取っている。

なのに、情報が漏洩するなど……ありえない。

 

すると、実行委員と名乗った男が「ああ」と思い出したかの様に、

 

「実は、私の甥っ子がここの生徒なんですよ。白閖あやねさん――彼女が弾いたという、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」。大変素晴らしかった」

 

「……」

 

「失礼ですが、彼女について軽く調べさせて頂きました。あの・・白閖財閥総帥・白閖秋良の一人娘であり、幼い頃よりその才能を開花させた。そして、絶対音感の持ち主であり、一度聞いた音楽は暗譜できるそうですね。しかし――著名な指導者に師事されなかったようで、実に勿体ない方だ」

 

「――失礼ですが、彼女は幼少の頃より……」

 

香子がそう口を開いた瞬間、男はくすっと呆れた様な笑みを浮かべた。

 

「ああ、“桜春樹”さんでしょう? 知ってますよ。あの“ゼロ”とかいうアイドルの作曲家だった人物だ――ですが」

 

そう言って、かたんっと男がソファを立ち上がると香子に近づいた。

そして、スーツの内側から名刺を取り出すと、香子に突き付け、

 

「――彼は、作曲家であって“ピアニスト”ではない。あんな低俗な“アイドル”の曲を作る程度の才能しか持ち合わせていなかったんだ。だから、行方を眩ませた。違いますか?」

 

「……」

 

キッと香子が男を睨みつける。

だが、男はまるでそれをあざ笑うかのように、

 

「沈黙は肯定と取りますが? 貴女も分かっているのでしょう……? 白閖あやね嬢の才能をこのまま埋もらせたままでいいのか――と」

 

「……」

 

分かっている。

あやねは、いわばダイヤモンドの原石だ。

磨けばその輝きで、もっと周りを魅了する音を出せるだろう。

 

だが――。

 

香子は気づいていながら、言わなかった。

今のあやねの“音”が、本来の“あやねの音”とは違うという事を。

 

昔、何年か前に白閖で開かれたパーティーに出席したことがある。

その時のあやねは今よりも幼かったが、彼女の洗礼された音には驚かされた。

 

誰かに師事し縛られた様な窮屈な音ではなく、彼女の長所を伸ばすような伸び伸びとした美しい音色――。

 

しかし、数年後。

聖マリアナ音楽学院に入学してきた時の彼女の音は違っていた。

 

ただ弾いているだけ。

そう感じてしまう様な――それが、彼女が師事していた“桜春樹”と関係ある事は明白だった。

だから、香子は無理に彼女にピアノに向き合うようには言わなかった。

見守る様に、いつか“あやね自身の音”にもう一度向き合えるように……。

 

そう願わずにはいられなかった。

 

そして、今――。

 

“何か”のきっかけで、“あやねの音”は、本来の彼女の音に戻りつつあった。

いや、それ以上の音色を奏でだした。

 

繊細で、美しい。

それでいて、とても心に響くような音。

 

“それ”が“誰”の影響なのか。

報告は受けていた。

 

“TRIGGER”の“八乙女楽”。

きっと、彼のお陰だろう。

 

丁度、彼の映画の撮影が始まったころと、あやねの音が変わったのは同じ時期だった。

そして、何度か受けた彼女についての報告には、いつも楽が関わっていた。

 

少しでも、あやねが“自分の音”に気付けるのならば、見守ろうと思った。

それなのに――。

 

目の前の男達を見る。

 

突然、降って湧いたような“ショパン国際ピアノ・コンクール”の“本選出場権”。

 

そんな、異例な出場権を提示して彼らは何を企んでいるのか。

もしも、あやねがその“特別枠”で出場すれば、周りの出場者や、この学院の生徒からどういう目で見られるかなどは、彼らにとってどうでもいいのだろう。

 

少なくとも、折角取り戻しつつある彼女の音を曇らせる様な所へは、絶対に阻止しなければならない。

故に、この特別枠の“本戦出場権”も、あやねとっては必要のない代物だった。

事実、最初にこの話が来た時、香子は直ぐにあやねの父である白閖財閥総帥・白閖秋良へ報告した。

 

そして、現在――。

あやねの耳にこの話が入らない様に、学院への登校を一時的に「休ませる」と連絡が来た。

香子もその方がいいと思った。

 

香子は、すっと椅子から立ち上がると、つかつかと彼らの前に躍り出た。

そして、なんの躊躇いもなく彼らの持ってきた名刺とパンフレットを、目の前でびりびりに引き裂いたのだ。

 

一瞬、男が驚いたように目を見開くが、数分もしない内にくすっと笑みを浮かべ、

 

「いいのですか? そんな事をすれば――」

 

 

 

 

「――“これ”が“我々・・の答え”です。お帰りはあちらの扉からどうぞ」

 

 

 

 

一歩も、譲らない香子の態度に男たちは顔を見合わせると、大きな溜息を洩らした。

そして、

 

「まぁ、今日の所は帰りましょう。また・・来ます」

 

それだけ言い残すと、男たちは理事長室から出て行った。

 

「……」

 

香子は小さく息を吐くと、窓の外を見た。

男達が、何人かの生徒に話しかけている。

そして、そのまま黒塗りのベンツに乗って去って行くのを見届けた後、香子はどっさりとソファに倒れ込んだ。

 

これで良かったのか……。

確かに、彼らの言う通り、「チャンス」なのは間違いない。

しかし――。

 

いいえ、これでいいはずよ……。

 

そう、自問自答する。

少なくとも、あやねにとってはこの話は「いい話」ではないのだから。

 

香子は、頭を抱えながら立ち上がると、デスクの上の内線ボタンを押した。

数分もしない内に、香子の秘書である栗川が現れた。

 

「理事長……」

 

栗川が心配そうに香子を見るが、香子は小さく首を振ると、

 

「直ぐに、白閖総帥の秘書の方に連絡をして。例の件で、実行委員会が動いている――と」

 

このまま、彼らが引くならいい。

しかし、何故だろうか。

 

何故かは分からないが、嫌な予感がどうしてもぬぐえなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****     ****

 

 

 

 

 

 

 

 

―――白閖邸

 

 

あやねは、ピアノの前に座ったまま ぼんやりと窓の外を見ていた。

レースのカーテンが風でさらさらとなびいている。

 

もう、既に日が沈みかかって西日に変わろうとしていた。

 

結局、今日も学院に行けなかったわ……。

 

これが、後何日続くのだろうか。

そんな風に考えていた時だった。

 

部屋の扉をノックする音が聴こえてきた。

 

「……はい」

 

こんな時間に誰だろうか。

秋良は仕事で会社だろうし、穂波かそれともほかのメイドか。

 

そう思ったが、ノックの後誰も入ってこない。

 

「……?」

 

し―――――ん、とした部屋の中であやねは首を傾げた。

待てど、入ってくる気配がない。

 

あやねは少し考えた後、扉の方に向かった。

そして、そっと扉を開けて外を見る。

 

すると、そこに青い顔をした穂波が立っていた。

 

「穂波? 何処か具合でも――」

 

あやねが心配そうに、穂波に話しかけた時だった。

穂波が顔を上げて、

 

「――お嬢様。旦那様からの伝言です」

 

 

 

 

「…………え……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ****     ****

 

 

 

 

 

 

 

 

―――八乙女事務所・社長室

 

 

 

「なんだと!!!?」

 

 

 

ばんっ!!! と思いっきりデスクを叩く音と、叫び声が室内に響き渡った。

八乙女事務所社長の八乙女宗助である。

 

「もう、社長! 落ち着てください」

 

姉鷺がはぁ……と、溜息を洩らしながらそう言った。

 

宗助のデスクの上には2つの書類が置かれていた。

 

「向こうの総帥自らアクションしてきました。まさか、こんなことになるなんて……」

 

そう言って、また姉鷺が溜息を洩らす。

すると、宗助は姉鷺に向かって、

 

「あの馬鹿どもを呼べ!!!」

 

そう叫んだ。

それが分かっていたのか、姉鷺は小さく息を吐くと、

 

「もう、呼んでます。アンタ達、入ってらっしゃい」

 

そう言って、扉の方を見た。

すると、ノックも無しに楽、天、龍之介の3人が入ってきた。

 

「いきなり来いとか、なんなんだ一体」

 

楽が不服そうにそう言って、父である宗助を睨む。

すると、天が一歩前に出て、

 

「社長、急なお話とはなんでしょうか?」

 

そう宗助に話しかけると、宗助はとある2つの記事を3人の前のテーブルに投げた。

 

「これを見ろ!!!」

 

思わず、何事かと3人が顔を見合わせてその記事を取る。

 

「こ、れ……」

 

「それ、明日朝刊に載る予定の記事よ。今は何とか抑えてるけど――」

 

 

そこには――。

 

 

 “白閖財閥令嬢(19)、ショパン国際ピアノ・コンクールに特別枠で出場か!?”

 

 

という記事と、

 

 

 “抱かれたい男、No.1! TRIGGERの八乙女楽(22)に熱愛発覚!? お相手は某有名財閥の御令嬢(19)!!!?”

 

 

 

という記事だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに、ここまできた!!!

しかし、まだ続く……

 

新:2024.01.21

旧:2022.01.11