Reine weiße Blumen

  -Die weiße Rose singt Liebe-

 

 

 1章 前奏曲-volspiel- 14

 

 

―――かちゃり。

 

あやねは、部屋に戻るなり手に持っていた箱の蓋を開けた。

中には、1通の手紙とデモテープが入っていた。

 

あの日、春樹から送られてきたものだ。

手紙の入っていた封筒を見る。

が、そこには、送り先の住所は書かれていなかった。

 

「……」

 

そう、よね……

 

書かれている筈がない。

書いてあれば、あやねは無理を押してでも春樹の元へ行っただろう。

だから、彼は書かなかった。

 

来てほしくないから。

 

そう思うと、少し胸のあたりがきゅっと締め付けられた気がした。

 

この手紙とデモテープが送られてきたのは、2年以上前の話だ。

だが、あやねは、一度としてこのデモテープを聞かなかった。

 

見ないまま。

聞かないまま   封じた。

 

これが最期だなどと思いたくなかったから……。

 

今思えば、あの時のあやねは弱かった。

心も感情も「春樹を失う」という現実に目を向けることが出来なかった。

 

で、も……

 

“いま” なら―――。

 

あやねは、震える手で箱の中のデモテープと手紙を手に取った。

 

デモテープには何も書かれていなかった。

真っ白なケースに、CDが1枚だけ収まっていた。

 

「……」

 

そして、そこにはひと言。

 

 

“この曲を、君に”

 

 

とだけ、記されていた。

 

「……?」

 

思わず、その手紙をCDと見てしまう。

だが、何度見てもそこには、それ以上何も記されていなかった。

 

手に取った手紙を見ても、そちらにも記載がない。

 

あやねは少し躊躇いがちに、そのCDをプレイヤーにセットした。

瞬間―――。

 

 

 

 

ポ―――ン……。

 

 

 

 

1音、ピアノの音がスピーカーから聴こえてきた。

あやねの深海色の瞳が大きく見開かれる。

 

この、音は……。

 

 

再び、

ポ―――――ン……。

と、鳴った。

 

聞き間違えるはずがない。

何度も、ずっとずっと聞きたかった音。

 

それは―――“春樹のピアノの音”だった。

 

1音が、2音になり。

徐々に、メロディが流れ出す。

 

それは、誰かの曲ではない。

 

 

 

 

 

“春樹の作った曲”。

 

 

 

 

 

「……っ」

 

知らず、あやね瞳から涙が零れた。

ぽろぽろと、涙がどんどん溢れて――視界を覆っていく。

 

「はる、き……お、にい、ちゃ……」

 

その時、初めて気付いた。

そう―――ずっと追い求めていた“答え”。

 

それは、ここにあったのだ。

 

手紙に記されたメッセージ。

そして、この曲。

 

すべては、春樹が“あやねの為”に作ってくれたものだった。

 

“音楽を忘れないで欲しい”

“音楽を――

 

 

   愛して欲しい―――”

 

 

そんな想いが、この曲には込められていた。

 

私は、愚かだ。

もっと、早く聞いておけば、こんな遠回りなどしなくて済んだかもしれない。

 

“音楽”を――嫌いにならなかったかもしれない。

 

私は……。

 

ぐっと手紙を持つ手に力が籠もる。

あやねは、涙を拭うとすっと真っ直ぐに立ち上がった。

そして、部屋の片隅にある大きなグランドピアノへと向かう。

 

掛けられていた布を外し、鍵盤に被せてあった蓋を開ける。

見慣れた白と黒の鍵盤が視界に入った。

 

そっと、鍵盤に触れる。

 

ポ――――ン……。

 

と、綺麗な音が響いた。

狂っている場所もなく、きちんと調律されている音だった。

 

「……」

 

このピアノは、春樹に教わっていた時に使っていたピアノだった。

だからか、このピアノだけには触れられなかった。

 

にも関わらず、埃ひとつかぶっていない。

それどころか、音階も狂っていない。

 

「お父様――」

 

それは、秋良きっと指示していたのだろう。

 

「ありがとう、ござい、ます……」

 

あやねが、ぎゅっと胸の前で手を握りしめる。

そして、ゆっくりと鍵盤の前に座った。

 

すぅ……と、大きく息を吸って吐く。

そして、そっと鍵盤の上に手を置いた。

 

 

 

ポ―――ン……。

 

 

 

静かな部屋にピアノの音が響く。

 

そう、出だしは……。

 

 

ポ―――――ン……。

 

 

また1音、ピアノの音が響いた。

徐々に、音が増えていく。

 

それは、先ほどCDで聴いた“春樹の作った曲”だった。

楽譜は ない。

 

あるのは、CDの“音”だけ。

でも、あやねにとってはそれで充分だった。

 

頭の中に残る、鮮明なメロディ。

それさえあれば、再現出来る。

 

春樹がどう思って、どう解釈したのか。

どうやって弾くのか。

 

手に取る様に、この曲は分かった。

そして―――そのまま最後の1音を奏でる。

 

あやねは小さく息を吐くと、そのまま鍵盤に突っ伏した。

と、その時だった。

 

ザァ……と、開け放っていたバルコニーから風が入ってきた。

ぱさぱさぱさ……と、無造作にピアノの上に置かれていた楽譜が風に吹かれて宙に舞う。

 

あ……。

 

目の前で舞う楽譜を見た瞬間、あやねの頭に何かが浮かんだ。

 

「……」

 

ゆっくりとした動作で立ち上がると、一枚一枚丁寧に床に散らばったその楽譜を手に取った

瞬間、ふとその手が止まる。

 

手に取ったのは、とある楽譜だった。

そう――それは、あやねがいつも持ち歩いていた楽譜の一節だった。

 

「楽譜……」

 

そうだ。

あの時、無くしたままになっていた。

結局、あの後散々探したが見つからなかった。

 

誰かに見られたら……。

 

そう思うも、見ても“それ”が何の楽譜かはわからない筈だ。

しかし、見つからないとなると……。

 

「書き直すしか、ない、わ、よね……」

 

でも、万が一誰かの手に渡ってしまっていたらと思うと、気が気ではなかった。

もし、あの楽譜が秋良に知られてしまったら……。

 

そこまで考えて、あやねは小さくかぶりを振った。

 

大丈夫

きっと、お父様には知られてない。

 

そう、知られてはならない。

 

 

あの楽譜の曲を“誰が”作っているかなど―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――聖マリアナ音楽学院

 

 

あやねは、授業を聞きながら、少し上の空だった。

窓の外はよく晴れていて、絶好のお散歩日和だ。

 

ぼんやりと窓の外を見ながら、教台から聞こえてくる講師の声を聴いていた。

ふと、構内の一角に人だかりで出来ているのに気づいた。

 

「……?」

 

何かと思い、そちらの方を見る。

すると、女生徒達の黄色い声が聞こえてきた。

それで気づいた。

 

どうやら、今日はあそこで映画の撮影をしているのだろう。

女生徒の声が聞こえるという事は……。

 

楽さん……。

もしかして、いらしてるのかしら……?

 

と、そこまで考えて あやねはかぶりを振った。

 

彼は、仕事でこの学院に来ているのだ。

あやねが、いるからではない。

 

あやねは、小さく息を吐くとその深海色の瞳を伏せた。

 

そうよ。

勘違いしては駄目。

 

そう自分に言い聞かせる。

もう、春樹の時の様な思いをするのは、まっぴらだ。

 

だから―――。

 

そう思うのに、気が付くと楽の事を考えている自分がいる。

それだは、駄目なのに。

 

少し、落ち着かなきゃ。

 

楽譜の事もある。

それに……。

 

「……」

 

今日は、楽さんに逢わない様にしよう。

 

あんな風に、先日 練習室を飛び出した手前、逢っても気まずくなるのが目に見えている。

きっと、あの時のあやねはどうかしていたのだ。

 

でも、それは楽には分からない。

だから“普通”にしなくてはいけない。

 

ふと、鞄に入れている台本が視界に入った。

それは先日、監督の方から見せてもらった今度の映画の台本だった。

 

そう――楽が主演をする映画『スノードロップ』の。

 

「……」

 

ふと、あやねはおもむろにその台本を鞄から取り出した。

ぱらり……と、ゆっくりとした動作でページを捲る。

 

どうやら、この“久我志月”と書かれているのが楽の役らしいというのは聞いた。

だが、ヒロインの“ましろ”役が決まっていないと言っていた。

それは、つまり楽の“相手役”だ。

やりたいという、女優やアイドルは沢山いるだろう。

それなのに――。

 

 

…………

………………

……………………

 

あやねは、小さく息を吐くと ぱたんと台本を閉じた。

 

やめよう。

考えても仕方のない事だ。

 

とりあえず、この台本は返さないといけない。

いつまでも、あやねが持っていては迷惑だろう。

 

台本には色々書き記してある箇所がある。

きっと、誰のかはわからないが、“誰かの台本”なのだとわかる。

 

もしかしたら、その人が困っているかもしれない。

 

この後の講義は……。

 

スケジュールを見ると、本日受ける予定の講義はこれで最後だった。

まだ、昼だったので、この分ならば終わってから返しに行けそうだ。

 

とりあえず、台本返して……。

それから、練習室で練習する前に、落とし物であの楽譜がないか職員棟に行かないと。

 

と、その時だった。

 

「――さん」

 

「―――白閖さん!」

 

教台から講師に名を呼ばれ、あやねがはっとする。

 

「あ……は、はい」

 

慌てて立ち上がる。

すると、講師は少し息を吐き。

 

「“はい”ではありません。話を聞いていなかったのですか?」

 

少し、呆れにも似た溜息を講師が零した。

 

やってしまった……。

あやねは、少し申し訳なさそうに。

 

「すみません。……あの、質問をもう一度教えて頂けますか?」

 

そう尋ねると、講師は少し驚いたように、大きく目を見開き。

 

「質問ではありません。一部の生徒達が曲の解釈に迷っている様なので、お手本で弾いてくださいと言ったのです」

 

「え……」

 

弾く?

ピアノを……?

 

ごくりと息を呑む。

 

何故、自分に?
と思う反面、皆の前で披露する様に「弾く」という行為に少し、違和感を覚える。

いままで、指名された事など一度としてなかった。

 

すると、講師はさも当然の様に、

 

「先日、素晴らしいピアノを弾いていたと聞いています。ぜひ、そのピアノの腕を皆さんに見せてあげてください」

 

「あ……」

 

先日。

そう言われて、気づいた。

楽との連弾の事を言っているのだ。

 

あの時、外にギャラリーが沢山いた。

その中に、あやねを快く思わない人もいたかもしれない。

 

それはそうだろう。

彼は、人気絶頂のアイドル“TRIGGER”の八乙女楽なのだから。

 

その証拠に、後ろでくすくすと笑う声が聞こえる。

つまりこれは―――。

 

 

 

  見せしめ。

 

 

 

「……」

 

そういう、こと、ね。

 

今までもなかったわけではない。

ただ、皆「白閖」の名前に恐れて行動に移してこなかっただけだ。

だが、今回は違う。

 

「八乙女楽」と一緒にいた。

一緒にピアノを弾いた。

 

その事実が、彼女達を行動へと走らせたのだ。

きゅっと、あやねは拳を握りしめた。

 

「白閖さん? どうかしましたか?」

 

講師がそう尋ねてくる。

きっと、この講師も噂半分、興味半分といったところだろうか……。

 

あやねは、今まで学院では楽譜の通り「機械的」にしか弾いてこなかった。

それが、巡り巡って、この結果にたどり着いたのだ。

 

それ、なら……。

 

あやねは、小さく息を吐くとゆっくりとした動作でピアノの前に向かった。

きっと、前の自分なら弾かなかった。

でも、今は……。

 

ぐっと胸元を握りしめる。

 

春樹お兄ちゃん。

楽さん。

 

どうか力をお貸しください。

神に祈るかのように、あやねは小さく十字を切った。

 

ピアノの前にある椅子に座る。

そして、講師の方を見て。

 

「ベートーヴェンの曲で良いのでしょうか?」

 

今の時間は音楽史についてだった。

特に、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンについての話の講義だった。

 

ベートーヴェンはドイツの作曲家兼ピアニストであり、音楽史上極めて重要な作曲家の1人だ。

日本では「楽聖」とも呼ばれる。

 

有名な曲ならば

ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調「悲愴」 Op.13や、ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調「幻想曲風ソナタ」(月光) Op.27-2などがある。

 

 

ならば―――。

 

 

すっと、あやねがピアノの鍵盤に手を置いた。

そして、すぅ……息を吸うと、低音を力強く鳴らした。

 

その音に、皆が一瞬びくっとする。

だが、あやねはそのまま弾き始めた――楽譜も無い状態で。

 

最初は、序奏を置かず第1主題の提示に始まった。

その後、次第に緩やかになっていくが、再び主題を力強く弾いていく。

 

「おい、これ……」

 

「うそ……まさか、ハンマークラヴィーア?」

 

ざわざわと、生徒たちが騒めき始めた。

 

だが、あやねは構うことなくそのまま主題を三度重ねて弾き続けた。

 

ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 Op.106

またの名を「ハンマークラヴィーア」

 

ベートーヴェンの全10曲ある4楽章制ピアノ・ソナタの最後を飾る大曲である。

 

それは、いつものあやねの演奏と違った。

いつもの「機械的」な演奏ではなく、感情を揺さぶられる「音」だった。

 

そう――本来の、「あやねの音」だ。

 

あの時と同じ。

楽と連弾したときと同じ「音」だった。

 

「音楽」を「愛し」 「愛される」者の 音。

 

私には、まだその資格はない。

まだ、春樹を奪った「音楽」を「愛せるのか」自信はない。

だが、それと、ピアノを弾くのは一緒にしてはいけないと思った。

 

だから。

 

その「音」に少しでも近づく為には、

「音楽」を「否定」してはいけない―――。

 

彼は言っていた。

 

「音楽を嫌いにならないで」と。

「音楽を愛してあげて」と。

 

ならば、それが春樹に近づく為の近道ならば。

私は―――。

 

そのまま、第一楽章を弾き終わる。

誰しもが、それで終わりだと思った。

 

しかし、あやねは、直ぐに第二楽章も弾き始めた。

 

「え? まさか……」

 

また、辺りがざわめき始める。

 

「全楽章弾く気か!? 楽譜も無しに―――」

 

そして、そのまま第三楽章のソナタに入る。

今までとはうって変わって、情緒あふれるゆっくりとした音だ。

ある意味、一番弾き手の感情が現れる楽章でもある。

 

気付けば、誰しもがあやねの音に聞き入っていた。

それぐらいあやねの音は美しかった。

まるでそこに、世界がある様に。

 

彼女だけが作り出せる世界。

 

そして、第四楽章。

幻想曲風の序奏から始まる。

間にラルゴの楽想を挟みつつ、ウン・ポコ・ピウ・ヴィヴァーチェの音階的な部分。

そして、アレグロの活発な動きが現れて序奏部を形成していた。

最後はプレスティッシモとなり、アレグロ・リゾルートの主部へ移行していく。

 

総時間にして、約49分間。

 

 

あやねは、ピアノを弾き続けた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――聖マリアナ音楽学院・内庭前

 

 

そこでは、本日の収録が行われていた。

楽――志月が、ましろの「音」に惹かれて探す重要なシーンだった。

 

「八乙女さーん、スタンバイお願いします」

 

スタッフに呼ばれて、楽が「わかりました」と立ち上がる。

その時だった。

 

「ねー聞いた?」

 

「え、嘘……、どこで弾いてるの?」

 

と、それまでギャラリーをしていた女生徒たちが何やらざわめき始めた。

 

なんだ?

 

楽が不思議に思い首を傾げる。

スタッフも不思議そうに首を傾げていた。

 

流石にこうざわつかれると撮影ができない。

見兼ねたスタッフが女生徒達に声を掛けようとした時だった。

 

「―――待った」

 

不意に、監督がそのスタッフを止めた。

止められたスタッフは納得いかないという風に、

 

「ですが、これでは撮影が―――」

 

そうスタッフが言いかけた時だった。

楽が何かに、気づいたかのように、はっとする。

 

 

 

「……あやね……?」

 

 

 

微かだが、遠くの方からピアノの音が聞こえてきていた。

その音には聞き覚えがあった。

 

曲は違えど、音は変わらない。

それは、間違いなく「あやねの音」だった。

 

あやねが、ピアノを弾いている―――?

 

ごくりと楽が息を呑んだ。

 

その音は、他の音とはまるで違っていた。

知らず、足が動く。

 

この音の元へ行きたい―――と。

 

「八乙女さん?」

 

スタッフがそう楽に声を掛けるが、その声は楽には聞こえていなかった。

 

「監督――」

 

「しっ!」

 

スタッフが慌てて監督に声を掛けようとした瞬間、止められた。

止められたスタッフはわけが分からなかった。

 

監督は真っ直ぐに楽を見て、静かにカメラに合図を送る。

カメラマンが小さく頷き、カメラを楽へ向けた。

 

だが、楽は聞こえてくる音に、最早心を奪われたかのように

 

 

 

  そちらを見つづけていた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイナナしてないな~~~相変わらずwww

一応、最後になんとか楽出したけどwww

そろそろ、真面目にアイナナしようぜ!!

 

あ、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」にしたのは、深い意味はありませーん

持っているCDの中から選びました

だって「運命」とかありきたり過ぎてつまらんな~とww

 

 

新:2024.01.21

旧:2021.06.27