◆ 「還内府」 1
パチパチ・・・・・・
篝火の炎が音をたてる
ざざざ・・・・・・と風が木々を鳴らした
砺波山・倶利伽羅峠――――――
武装した兵達が甲冑の音を立てながら行き交う
皆、赤い旗を掲げ勇ましそうに陣とっていた
そんな中、1人の青年がゆっくりと中を通っていく――――
赤い陣羽織に紺糸威の鎧
陣羽織の裾には蝶の紋
青年の髪が風で揺れた
その青年を見るや否や、皆頭を下げる
「還内府殿」
“還内府”そう呼ばれた青年は何事も無かったかのように、皆の間を通っていった
そして、一番先頭の方へ行き、用意してあった馬に跨る
「いいか! 源氏軍は必ず中央を狙ってくる!! 必ず指示通りに動け!! いいな!?」
「はい!!」
兵達が、一斉に返事をした
その時だった
馬の鳴き声と蹄の音が鳴り響き、後方の方からざわめきが聞こえてきた
「源氏だ―――――!!!!」
その瞬間、一斉に兵達がどよめきだす
「火だ―――――火がぁぁぁぁぁ―――――・・・・・・っ!!」
狭い峠の中を炎で煽られ、兵達に焦りが生まれる
逃げ場はなく、このままでは炎に焼かれるだけだ
瞬間――――
「落ち着け!! 指示通り二手に分かれるんだ!!」
青年は声を張り上げた
だが、青年の声は兵達のざわめきにかき消されてしまい、彼らには届かなかった
この倶利伽羅峠は狭い
急な火責めに、兵達はどうして良いか分からず慌てふためいていた
次々と谷底へ落ちていく
逃げ惑う者
火責めに合う者
谷底へ落ちていく者
兵達は狭い渓谷と、突如として現れた炎と源氏兵に驚き最早 平常心を失っていた
―――――このままでは全滅してしまうのは必至だった
そう――――源氏の思惑通りに
「ちっ・・・・! どけ! お前ら!!」
青年は馬の手綱を引くと、踵を返した
と同時に陣の後方へと馬を中央突破する
兵達は青年を避けようと咄嗟に二手に分かれた
兵が二分された事により、少し平常心を取り戻したのか――――
その表情が、少し緊張した面持ちになる
結果、幾分かの兵達は谷底を免れたが・・・・・・
まだ後方の兵達は炎にまかれていた
「――――明日菜!!!」
瞬間、青年が誰かの名を呼んだ
刹那、それは起きた
何処からともなく
漆黒の長い髪に、翡翠の瞳をした少女が姿を現す
「――――姫様だ!! 千姫様がいらっしゃったぞ!!」
「千姫」と呼ばれた少女は、すっと青年の傍に行くと、深く頭を下げた
すると、青年が小さな声で、「雨を――――」と、呟いた
少女の耳には、はっきりとその言葉が聞こえたのか
小さく「――――お望みのままに」と答えると、すぅっとゆっくりとした動作で手を合わせた
――――黒曜、お願い
心の中で願う
――雨を―――・・・・・・
瞬間、身体が痺れるような感覚に捕らわれる
が、それは黒曜が「応えてくれる証」だ
『――――力を使えば明日菜が・・・・・・』
――――構わないわ、お願い
『―――雨を、望むか』
望むわ、 雨を 激しい雨を―――――
瞬間、それは起きた
今まで月が昇っていたのに、何処からともなく雨雲がゴロゴロ・・・・・・と音を立てながら発生したかと思うと
ポツ……
ポツ……ポツ………
「雨だ!」
兵が声を上げる
その雨足はどんどん激しくなっていき、周りの炎を消していく――――
「千姫様が、雨を降らしてくださったぞ!!!」
その雨は瞬く間に辺り一帯を、雨一色に変えてゆく
「・・・・・・っ」
ふいに、少女の身体が揺れた
ずきん・・・・・・と、身体が軋むような痛みに当てられる
だが、ここで倒れる訳にはいかなかった
なんとか、持ちこたえなければ―――――・・・・・・
ふいに、青年が少女の傍に馬を寄せてきた
「明日菜、平気か?」
青年のその言葉に、少女がなんとか小さく頷く
だが、その少女の顔は真っ青だった
「――――少し、休んでいろ」
そう言って、そっと彼女の肩に手を掛けた時だった
「うわぁぁぁぁ」
前方から兵の叫び声が聞こえてきた
どうやら源氏の―――いや、木曽義仲の本隊が近づいて来たようだった
「ちっ! 面倒な!! 明日菜は退がってろ!!」
それだけ言うと、青年は馬の腹を蹴った
瞬間、一気に加速して倶利伽羅峠を駆けていく
前方で白い旗印を上げている源氏の刃が、兵の1人を捕らえようとしたその時だった
ざんっ!!!
「――――――・・・・・・!」
肉を斬る音が、辺り一帯に響き渡る
斬られたものと思っていた兵が、ぎゅっと目をつぶったまま震えていた
が――――いつまでたってもその感触はなかった
「・・・・・・・・・・?」
兵が不思議に思い、ぐっと瞑っていた目を恐る恐る開けると――――
そこには、自分の躯ではなく白い旗を掲げた源氏の兵の躯が横たわっていた
「無事か?」
「あ・・・・・・」
兵は自分の目を疑った
風に靡く赤い陣羽織が視界に入る
「還内府殿・・・・・・っ!!」
「落ち着け、これは単なる脅しだ!! 本隊はまだ来ちゃいねぇ」
青年はキッと前方の源氏兵を睨みつけた
そして、わざと声を張り上げると――――
「聞け! 俺が“還内府”だ!! 死にてぇ奴からかかって来い!!」
その瞬間、源氏兵にどよめきが走る
「還内府!?」
「還内府だ――――――!!!」
源氏兵が一斉に後退しだす
青年はさらに声を張り上げ
「義仲に伝えろ!! “還内府”が相手してやるからてめぇが来いとな!」
源氏兵は青年が還内府と分かると一斉に退き出した
馬の蹄の音が遠くなる
源氏が完全に退くのを見届けると
「まずは、怪我人を運べ!! 足下が悪くなってるから気を付けるんだ。 退くぞ!」
すぐさま指示が飛び交う
青年が馬を降りると、少女が休んでいた場所まで向かった
後方の片隅で、何とか気力で立っているであろう少女がいた
「明日菜」
青年が彼女の名を呼ぶ
呼ばれて、少女が「あ・・・・・・」と声を洩らした
「源氏は・・・・・・?」
そう問うと、青年が小さく頷いた
その反応に少女がほっと胸を撫でおろす
「・・・・・・よかった・・・」
「お前のお陰だ。 一旦退く、馬に乗れるか?」
そう言って、青年が少女に手を伸ばす
少女が震える手で彼の手を取った
青年はそのままぐいっと少女を馬上まで持ち上げると、そっと自分の陣羽織を彼女に掛けた
「ないよりマシだろ」
「・・・・あ、りが、とう・・・」
その言葉を残してそのまま、少女が目を閉じた
「明日菜?」
呼びかけても返事はなかった
どうやら安心したからか、緊張の糸が切れて眠ってしまった様だった
そんな彼女を見て、青年が微かに笑う
「・・・・・・ゆっくり休め」
そう言って、彼女の身体支える様に抱きしめた時だった
「伝令!!」
突然、兵の1人が駆けって来た
緊迫した面持ちの兵に、辺りに一気に緊張が走る
「どうした?」
兵は、青年の前に膝を折ると切羽詰まった様に
「還内府殿、維盛殿が――――――・・・・・・」
**** ****
――――猿ケ馬場
平家・本陣
「――――この馬鹿が!!」
「貴方に馬鹿など言われたくありませんね」
陣内に青年の罵声が飛び交う
だが、維盛は悪びれた様子も無く、ぷいっとそっぽを向いた
「まぁまぁ、還内府殿。 維盛殿も無事だった事ですし・・・・・・」
優しそうな面影の公達が宥め様と必死に弁護する
「経正・・・こいつはな・・・・・・っ!」
「まぁ 抑えて」
経正と呼ばれた優しそうな公達は苦笑いを浮かべながら青年に話しかけた
青年は はぁ・・・・・・とため息を洩らすと、がたん と音を立てて畳床机(たたみしょうぎ)に腰掛けた
経正はほっとしたように胸を撫で下ろす
「くくっ・・・・兄上は納得いかないご様子・・・・・・」
その様子を面白そうに見ていた鎧姿の青年が、声を上げて面白可笑しく笑った
「知盛・・・・・・」
青年の声が響く
知盛と呼ばれた鎧の青年はくくっと笑いながら
「有川将臣・・・・・・還内府殿はどうしたかったのかな・・・・・・? 源氏軍の全滅がお望みか?」
「・・・・・・そんなんじゃねぇよ」
“有川将臣”そう呼ばれた青年は はぁ・・・・とため息を付き頭を抱えた
俺は知っていたんだ――――――・・・・・・
将臣を自責の念が襲う・・・・・・
今日のこの戦の事を知っていた
源氏がどう出て、平氏がどう負けるのかを
知っていたのに――――それなのに、防ぎきる事が出来なかった
その思いが将臣を更に追い詰めた
維盛の暴走も維盛の性格を知っていれば予測可能だった事だ
出来ると思った
知っている(・・・・・)自分なら、なんとか覆す事が出来ると――――
しかし
防ぎきる事が出来なった・・・・・・
「でも、還内府殿や千姫殿のおかげで被害も少なくて済みましたし・・・・・・」
だんっ!! と、将臣が机を叩く
「少しじゃ意味ねーんだよ!!」
机を叩く音と、将臣の声が陣内に響き渡った
思わず経正も口を噤いでしまう
「・・・・・・意味、ねーんだよ・・・・・・・・」
「将臣殿・・・・・・」
がたん と音を立てて将臣が立ち上がった
誰もが彼にどう声を掛けていいのか、わからなかった
「・・・・・・わりぃ。 頭、冷やしてくる」
そう呟き、将臣はその場を後にした――――・・・・・・
残された者たちは、しーんとしたまま誰も口を開くことが出来なかった・・・・・・
**** ****
俺は知っていたんだ・・・・・・
義仲の軍が火刑を使う事も、自軍が谷底を落ちていく事も・・・・・・全て、知っていた(・・・・・)
だから、防げると思った
知っていれば防げると思った
だが、犠牲を出さずに済ますことは出来なった・・・・・・
「何が“還内府”だ・・・・・・」
ざざざ・・・・・と風が将臣の陣羽織をなびかせる
木々がざわめいた
リーーーーン・・・・・・
風の音に混じって鈴の音が聞こえる・・・・・・
ざぁ・・・・・・
傍にあった桜の木が音を響かせた
将臣の髪が揺れる
あの日・・・・・・あの夜に“還内府”なる事を俺は決めた―――――
俺を迎えてくれた“平家”の為に
清盛の為に
太刀を取ったんだ――――・・・・・・
そして、俺自身の為に・・・・・・
太刀を振るう事にも慣れた
もう人の肉を絶つ感触にも慣れた
俺は・・・・俺は―――――・・・・・・
リリン・・・・・・
「くっ・・・・・・」
将臣は拳を握り締めた
「くそっ!!」
そのまま、力いっぱい桜の木を殴りつけた
ざざっ・・・・・・と木々が音をたてる
はらはらと桜の花びらが落ちてきた
将臣の上に降りそそぐ・・・・・・
その時だった
すっと、将臣の後ろから声が聞こえてきた
「将臣・・・・・・」
「・・・・・・明日菜」
ざああああ・・・・・・
と、風が吹く
明日菜と呼ばれた少女が、ゆっくりと将臣の傍にやって来た
「将臣、大丈夫・・・・・・?」
心配そうなその声音には、微かに不安が混じっていた
将臣は振り返ることなく、ぐっと拳を握りしめた
「・・・・・・もう、具合はいいのか?」
「ええ・・・・・・、心配かけてごめんなさい。 今はもう――――黒曜も収まったから」
そう言って、また一歩彼に近づく
そして、そっと、拳を握りしめている将臣に手に自身の手を重ねた
「大丈夫よ、まだ・・・・・・まだ何も終わっていないもの」
どう声を掛けていいのか分からない
分からないけれど――――・・・・・・
これだけは分かる
「貴方は、“一人”じゃないわ――――」
そう――――
彼には、彼を慕う兵や、平家一門、そして
私もいる
平家は負けない 全滅しない
そう彼と誓ってから、その為だけに動いてきた
それはこれからも変わらない――――・・・・・・
「明日菜・・・・・・」
今にも消えそうな声が聞こえてくる
明日菜はそっと、彼の背に身体を寄せると
「まだ、大丈夫だから――――・・・・・・」
だから
「・・・・・・ああ」
将臣の声が木霊する様に響いてくる
“ありがとう、な”と
それだけで、充分だった
その言葉に、明日菜は小さく頷くのだった
元々、遙か3の別ストで使ってた(それは、再投稿はしません)設定です
将臣から「還内府」になるまでの経緯と、理由の話
2023.02.27