櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 四章 虚実の馨り 9

 

 

「……………」

 

土方は、文机に向かって書簡をしたためていた

筆を料紙の上に走らせる

字が薄れてきたので、筆先に墨を付けて、再び走らせようとして、その手が止まった

少し、考え込むように思案し、小さく溜息を洩らす

 

集中出来なかった

 

それを振り払う様に、再び料紙に視線を向けるが

やはり、その手は止まったままだった

 

何度か、それを繰り返し

また、小さく溜息を洩らした

 

土方は、もう一度溜息を付くと、観念したかの様に筆を硯に置いた

カタンと音がして、筆から手が離れる

 

「……………」

 

やはり、集中出来ていない

 

原因は分かっている

 

先程、戸を介してやり取りしたさくらの事だ

 

さくらは、着替え中だからだと言ったが

あきらかに様子がおかしかった

 

あの言葉は、何かを誤魔化す為に出たものだと、直ぐに分かった

だが、「着替え中」だと言っている彼女の部屋に入る訳にもいかず…

 

その場は引いたが

後になって、やはり無理矢理にでも入るのだったと後悔した

 

もしかしたら、彼女の身に何か起きていたのかもしれない

今からでも、確認に行くべきか

 

それを、何とかぎりぎりの理性が押し留める

 

土方にとって、一番に優先すべき事は、新選組であり、近藤だ

彼女ではない

 

今までもそうだったし、これからもそうだ

もし、近藤と彼女が危機に陥っていた時、自分は迷わず近藤を助けるだろう

 

それが、近藤の為であり、強いては新選組の為だ

俺達は、今までずっとその為に翔って来たんだ……

 

近藤勇の名を上げる為

”新選組”を世に知らしめる為

 

 

 

誠の”武士”に――――

 

 

 

 

しがない貧乏道場の跡取りと、百姓の倅でどこまで行けるか試してみたかった

”侍”という名の”夢”を叶える為に

 

あの人を、もっともっと高い所までのし上げて

いつか、皆にしらしめてやりたいと

 

”近藤勇”の名を刻みたいと――――

 

その為だったら、何だって出来ると思っていた

たとえ、それが”鬼”と呼ばれようとも――――

 

土方にとって、それがすべてだったのに

今になって、心が揺らぐ

 

いや、心は決まっている

 

何を置いても、近藤の為―――新選組の為に尽くすつもりだ

だが、彼女に―――”さくら”に会って、揺さぶられた

 

初めは、そんな感情など持ち合わせていなかった

ただ、新選組の秘密を知る者として、野放しに出来なかった

必要があれば、斬るつもりだった

 

だが――――

 

いつからだ……?

いつから、自分はさくらを気に掛ける様になったのだろうと、疑問に思う

 

気が付けば

近藤しか、新選組しか無かった土方の心に彼女はいた

 

廊下ですれ違った時、広間から出て行く時、誰かと話している時

視線が彼女を追う

 

それは、ほんの一瞬の出来事だとしても、彼女の……さくらの微笑む顔を見れた時、ほっとした

それと同時に、その笑みを自分に向かせたいと思った

 

さくらが風間の元へ戻ると言った時、その手を取りたかった

「行くな」と、声を出して言いたかった

 

だが、理性が勝った

 

ぐっと、己の矜持が思い留まらせた

 

駄目だと

近藤を、新選組を一番に考える自分には、そんな事言う資格は無いと思った

 

そうだ

 

彼女を一番に考えられない自分では、駄目なのだ

 

結局、土方にとって一番は近藤であり、新選組なのだ

それは、これから先も揺るがない――――

 

それでは、駄目なのだ

 

そう―――思っていた

思っていたのに――――

 

二条城で、風間に あの男に奪われるのかと思うと、腹が立った

さくらが他の男の腕にあるのかと思うと、腸が煮えくり返りそうだった

 

彼女に触れる風間の手が、酷く苛立った

 

だから、彼女が風間を追おうとした時、咄嗟に手が出た

 

行かせたくない

あの男の元へは、戻らせたくない

 

きっと、あの男の元へ戻っても、さくらは傷つくだけだ

それは、あの別れを告げられた晩や、一年後再会した様子を見れば一目瞭然だった

 

一年会わない内に、彼女はすっかり生気を無くしていた

その原因が、あの風間だと言う事は明白だった

 

いや、違うな

 

土方は、小さく溜息を付き、前髪をかき上げた

 

俺はきっと、あいつが他の男のものになる所を見たくなかったんだ……

 

そう―――これは、自己満足だ

己の欲望が、彼女をここに留まらせている

 

彼女を最優先に出来ないくせに、そういう所ばかり働くらしい

 

「とんだ、お笑い草だな……」

 

滑稽過ぎて、乾いた笑みしか浮かばない

 

出来る事なら、ずっとこの部屋に閉じ込めてしまいたい

誰の目にも触れる事無く、ただ、自分だけを見ていて欲しい

その真紅の瞳に、自分だけを写して欲しい

その唇が紡ぐ音は、自分の名だけでいい

 

彼女が人であろうと、なかろうと、そんな事どうでもいい

ただ、彼女が―――”さくら”が欲しい

 

この腕に閉じ込めて、己の物にしたい

 

やはり、乾いた笑みしか浮かばなかった

 

これでは、玩具が欲しいと駄々をこねる子供と一緒だ

 

ふと、あの晩 初めて抱きしめた感触が蘇る

彼女の肩が、触れる手が 愛おしい―――と

 

『………だ、め…です、よ……』

 

紡がれた”拒絶”の言葉が

 

『今、そんな事言われたら……』

 

余計に惑わした

 

『私…甘えてしまいます……』

 

甘えればいいと思った

もっと、我儘を言って、自分に甘えてくれればいいと思った

 

自分に、自分だけに―――そんな彼女を見せて欲しい と

 

いつか、彼女は言っていた

 

”自分に甘えて欲しい”と

”安らげる場所になるなら、嬉しい”と

 

その気持ちは、今も同じだろうか……?

さくらも、そう思ってくれているのだろうか……?

 

もし、そう思ってくれているなら―――

 

「俺は……お前が、いい」

 

ゆっくりと、目を閉じる

 

その奥に、彼女の姿が浮かぶ

柔らかく、笑みを浮かべた彼女の姿が

その彼女が呼ぶ「土方さん」と―――

 

 

 

  「さくら………」

 

 

 

 

今、お前の心にあるのは、誰なんだろうな………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……ん………」

 

誰かに呼ばれた様な気がして、さくらはゆっくりと目を開けた

ぼぅっとする頭を動かしながら、障子戸の向こうを見ると、ほんのり明るくなっていた

 

朝なのだと、自覚する

 

「起きなきゃ……」

 

そう思い、身体を起こそうとすると、強烈な眩暈が襲ってきた

 

「………っ」

 

思わず、布団に突っ伏しそうになるのを、何とか堪える

 

やっぱり……

 

身体が酷く重く、頭がくらくらする

あの衝動が出て血を飲まなかった場合、必ずと言っていい程、こういう状況に陥る

 

鉛の様に身体が重くなり、立っている事すら辛くなる

頭ははっきりせず、視界が揺れる

 

分かっていた

分かってはいたが……飲みたくなかった

 

以前の様に、見知らぬ誰かの血を飲みたくはなかったし

今まで頼っていた、風間に頼む訳にもいかなかった

 

ふと、昨晩の土方を思い出す

あの時、あの人の血を飲めば―――

 

そんな考えが、一瞬浮かぶ

が、さくらはそれを拒絶する様に、かぶりを振った

 

駄目…それは、駄目よ……

風間の時とは訳が違う

 

土方は、この事実は知らない

そもそも、言う気も無いし、話す気も無い

 

ううん……それ以前に……

あの人にだけは、知られたくないし、見られたくない

 

そんな、人の血を飲むなんて……

 

”人間”のする事じゃないわ

 

それは、最早”人”とは呼べない

 

 

”人ならざる者”の姿に他ならない―――

 

 

幸い、この症状は少し休めば治る

少しだけ、我慢すれば平気………

 

でも、それは気休めだ

血を飲まない限り、改善はされないし、その感覚は短くなる

 

このまま、血を飲まなければ私はどうなるんだろう………

 

死ぬのか……

それとも、自我を失い狂うのか―――

 

ぞくっと背筋に何かが走った

 

怖い……

 

それを否定するかの様に、さくらはかぶりを振った

そして、着替えて髪を結うと室から出た

 

とにかく、誰かに気づかれてはいけない

特に、土方辺りは鋭いから、会いたくなかった

 

いつも通り振る舞わなければ―――

この時間なら、顔を洗って朝餉の準備に向かっている筈だ

 

そう思い、重い身体を引きずる様に廊下を歩いた

幸い、今は廊下に誰もいない

少しだけほっとすると、井戸に向かう

 

冷たい水で顔を洗うと、少しだけ頭がすっきりした

 

さっきよりは、ましかしら……

少しだけ安心した

だから、油断していた

気が緩んでいたのかもしれない

一度、室に戻ろうと角を曲った所で、それは起きた

 

「………とっ」

 

不意に、視界に壁が出来た

 

「きゃっ……」

 

余りにも突然だった為、不意を突かれた様になり、さくらは体制を崩しそうになった

そのまま倒れると思った瞬間、伸びてきた長い手に支えられた

 

「……悪い」

 

短く言われた謝罪の言葉に、さくらは思わずどきっとした

 

この声……

 

まさか……と思い、恐る恐る顔を上げる

 

そこに居たのは―――

 

「ひ、土方さん……っ」

 

「あ?」

 

さくらの驚いた様な声に、土方が微かに眉を寄せる

神様とは、こうも残酷なものなのか

よりにもよって、今、一番会いたくない人に会すとは

 

瞬間、さくらは はっと我に返る

 

駄目よ……平静を装わなくては……

そう自分に言い聞かすと、上擦った声を誤魔化すかの様に、笑みを浮かべる

 

「お、お早うございます」

 

「ああ……」

 

さくらの言葉に応えるかの様に、土方が返事をしたかと思うと、ふと言葉を切った

そして、何かを探るかの様にじっとさくらを見た

 

さくらは、ごくっと息を飲んで笑みを作ったまま

 

「あの……どうかなされましたか?」

 

大丈夫、知られた訳ではないわ……

そう思うも、心臓がどきどきと音を立てる

 

その間、土方はじっとさくらを見ていた

 

「あの……、土方さ……?」

 

「お前―――」

 

不意に、土方の手がさくらの頬に伸びてきた

ぴくっと、さくらが反応する

 

気付かれる……っ!

 

さくらは反射的にその手を避けると、そのまま土方の横をすり抜けて行こうとする

が、それは土方の手によって阻まれた

 

ぐいっと手首を掴まれる

 

「あ、あの……!離して頂けますか?私、朝餉の用意が――――」

 

「いいから、来い」

 

そう言い切られると、そのまま手首を引っ張られた

そして、さくらの手首を掴んだまま、ずんずんと歩き出す

 

「あ、あの……っ、土方さん……っ!?」

 

訳が分からないまま、さくらはもつれる足で何とか付いて行った

怒ってる……?でも、どうして………?

 

掴まれた手から、苛立ちを感じる

だが、怒られる様な事をした覚えのないさくらには、何故土方が怒ってるのか分からなかった

 

「ま、待って下さい……っ。何処へ行かれるのですか?」

 

「俺の部屋だ」

 

「え………?」

 

俺の部屋って………

……………

え………っ!?

 

瞬間、頭の中が真っ白になる

 

何故、こんな明け方に……しかも、土方の部屋に連れて行かれなければならないのか

 

しかも、当の本人は怒っている

それも、凄く

 

困惑した様な表情を浮かべたさくらが、慌てて口を開く

 

「ど、どうして私が土方さんの部屋に……っ!?そ、それに、私……朝餉の用意が―――」

 

「朝餉?」

 

不意に、ぴたっと土方が止まった

少しだけ、ほっとしたのも一瞬だった

 

いきなり、力一杯引っ張られたかと思うと、ぐいっと引き寄せられ

 

「てめぇの顔を鏡で見ろ!そんな蒼白い顔で、朝飯の準備もへったくれもあるか!!」

 

びくっと、さくらの肩が揺れる

 

あ――――

 

反射的に、”気付かれた”のだと悟った

ああ、やっぱり……という思いが、身体を支配する

 

「いつからだ!?」

 

「……………」

 

この人に、誤魔化しは効かない―――

さくらは観念した様に、ゆっくりと目を伏せた

 

「………昨夜、からです…」

 

それを聞いた土方が、軽く舌打ちをした

 

「あの時か……」

 

そして、さくらを一瞬見た後、はぁーと溜息を付いた

 

「………入っとくんだったな」

 

「あ、あの………?」

 

よく聞き取れずさくらが首を傾げると、土方がむっとした様に少しだけ表情を変えた

 

「何でもねぇよ。いいから、行くぞ」

 

そして、再びさくらの手を引っ張って歩き出す

 

「で、ですから……っ、待って下さい!どうして、土方さんの部屋に行くのですか……?」

 

「お前を休ませる為に決まってるだろう!」

 

え……?

休ませるって………

 

ますます、意味が分からない

 

「あ、あの……っ!それなら、自室で休みますから……っ」

だから、土方の部屋には行かない―――と、言い掛けて、それは土方によって阻まれた

 

「駄目だ」

 

「ど、どうしてですか……!?」

 

何故、駄目なのか

その理由が、まったく分からない

 

「……………」

 

だが、土方は答えなかった

答える代わりに、さくらの手首を掴む手に力が籠る

 

その、背中が”答える気はない”と、言っている

 

「…………っ」

 

さくらは、もう一度口を開こうとしたが、そのまま俯いてしまった

どうしても、それ以上は聞けなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タン…と、室の障子戸を開けられる

 

「さくら」

 

伸ばされた手に、さくらは少し躊躇いがちに、自分の手を重ねた

そのまま、引き寄せられる様に室に入った瞬間、ピクッと身体を強張らせた

 

思わず、室の中のそれを凝視してしまう

 

室の中には、土方にしては珍しく、布団が無造作に敷かれたままだった

 

「……………」

 

「何だ?」

 

さくらの変化に気付いたのか、土方が訝しげに眉を寄せる

 

「え……あ、あの……その、お布団敷かれたまま出歩くなんて、土方さんにしては珍しいかな……と、思いまして…」

 

「ん? ああ……」

 

何かに気付いたように、土方が返事をした

それから、少しバツの悪そうに視線を背け、わざとらしく咳払いをする

 

「い、急ぎの用があったからな……」

 

「急ぎ…ですか?」

 

そう言い訳する土方の頬は、微かに赤い

 

「あの……お急ぎの用事があるのでしたら―――………」

 

「あ、いや…そっちはもう解決したからいいんだよ」

 

「そう……ですか?」

 

さくらが、不思議そうにちょこんと首を傾げる

 

「いいから、来い―――っ!」

 

それ以上追及される前に、土方はぐいっとさくらの手を掴むと、そのまま布団に押しやった

 

「え……っ!? あの……っ、ちょっ……! きゃぁ!」

 

半強制的に寝かすと、その上から、掛布を無造作に掛けた

 

いきなり、布団に埋もれる形になり、さくらが驚いた様に声を上げる

何とか、布団と布団の隙間から顔を出す

 

「あ、あの……、土方さん……?」

 

「何か持ってきてやるから、そこで寝てろ」

 

それだけ言い残すと、土方は出て行ってしまった

余りにも、唐突な出来事にさくらは唖然としていた

 

寝てろって……

 

ちらっと、自分が包まっている布団を見る

 

 

………土方さんの布団で…っ!?

 

「……………」

 

 

 

え………えええええ!?

 

 

気が動転しそうになるのを、何とか堪える

 

 

え……っ、だって……っ

 

この布団は、少し前まで土方さんが眠っていた物で……

土方さんが……

 

「…………っ」

 

知らず、顔に熱が帯びる

 

ううん

でも、きっと、土方さんに他意は無い筈……

 

べ、別に深い意味はないのよ

ただ、単に、私が余りにも酷い顔をしていたから、それで……

 

「……………」

 

い、今からでも、自分の部屋に―――

そう思い、腰を上げそうになる

 

そこまで考えて、はたと我に返る

 

あ……でも、何か持ってくるって仰っていたわ

もし、戻られた時に私が居なかったら―――

 

何だか、それはそれで拙い気がした

 

「……………」

 

さくらは、小さく溜息を洩らし、そのままストンと腰を下ろした

手に触れる、土方の布団をぎゅっと握りしめる

 

あ………

 

微かに香る、桜の匂い

土方さんの香り―――……

 

こうしていると、土方の腕の中にいる様な錯覚を覚える

 

「……………」

 

「………暖かい…」

 

 

そのまま、ゆっくりと瞳を閉じた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今までと、打って変わって

こちら、土方さんだらけでお送りしておりますw

 

やーうん、でも、これくらい絡みは欲しいよねー

 

2011/01/05