櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 断章 蜿蜒なる狭間

 

 

―――――朝食後・厨

 

かちゃかちゃと、大きな桶に汲んできた水の中で、使ったお皿を洗う

本当なら外の水場でするのが効率いいのだが・・・・・・

 

流石にもう夏になり、この時間でも暑すぎて外で洗っていると、熱射病になってしまう

しかたなく、手間ではあるが井戸から水を汲んできて厨の中でお皿を洗っていた

 

「ふぅ・・・・・・」

 

流石に全員が使ったお皿を洗うのは骨が折れた

でも、自分にはこれぐらいしか出来ることがない

 

隊士の様に、京の治安を守るために巡察に行くわけにもいかないし

千鶴の様に、同行する理由もない

 

かといって、ただ何もせずじっとしているのは居候の身としては、申し訳なかった

せめて、自分が出来ることといったら

 

こうして、食事の準備や後片付けの手伝いや掃除ぐらいだ

そういしないと、“ここにいる意味”がなくなってしまう―――――・・・・・・

 

そしたら、またあの時の様に・・・・・・

 

何度も蘇る

あの二条城での風間の言葉――――――・・・・・・

 

 

 

 

 

『さくら――――

 

   もう、お前は用無しだ』

 

 

 

 

      『お前など、もう 要らぬ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・っ」

 

 

何度も、夢に見た

風間にだけは言われたくなかった「言葉」――――――・・・・・・・・

 

ずっと、風間家に引き取られた時から、聞かされ続けた

習い事に失敗する度に浴びせられた言葉

 

それは、混血であるさくらに対する 軽蔑の言葉

純血の鬼から見たら、混血など浅ましく感じるのだろう

しかも、その混血の小娘が「風間家当主の嫁」としてなる為に、連れて来られたのだと知った時の村の皆の顔は今でも鮮明に覚えている

 

歓迎――――とは、無縁の

もっとずっと、軽蔑と嫉妬の眼差し―――――・・・・・・

 

慣れたつもりだった

慣れているつもりだった

 

それでも、風間だけは――――――

 

そう思っていたのに・・・・・・

 

あの時の風間の瞳は怒りと軽蔑の眼差しだった

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

所詮は、私ごときが千景の妻になるなんて・・・・・・

 

無理だったのだ

当主の嫁として、一族をまとめるなど不可能だったのだ

 

だから・・・・・・

これでよかったのよ――――・・・・・・

 

一生、蔑まれて生きていくなんて・・・・・・

きっと、耐えられない

いつか、心が壊れていただろう

 

それでも、ずっと耐えてこられたのは―――――風間がいたから

でも、その風間にも「要らぬ」と言われてしまった

 

私は、恐れているのだわ

 

ここでも、「要らない」と言われるのではないかと―――――・・・・・・

 

だから、言われない様に

何かしないといけないという衝動に駆られる

そうしないと、ここにいる「理由」がない

 

昨夜、あの武田という人に訊問された時

何も答えられなかった

 

答える術すら持っていなかった

なぜなら、「理由」がないから

 

ここにいられるのは、ひとえに土方や近藤の慈悲であり

決して、何か「役目」がある訳ではない

 

だから、少しでも「役立てる様に」なりたかった

そうしたら、「ここにいてもいい」のだと思える気がしたから――――・・・・・・

 

掃除も洗濯も食事を作ることも、何も知らなかった

少なくとも「風間家の当主の嫁」には、必要のないものだったから

 

でも、それでは駄目だと気づかされた

自己満足かもしれない

それでもいい

 

少しでも、あの人のお役に立てるならば――――――・・・・・・

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

そこまで考えて、さくらは小さくため息を洩らした

 

風間の時も、同じように考えていた

「役に立てるならば―――――・・・・・・」と

 

でも、駄目だった

それだけじゃきっと、駄目なのだ

 

でも、他にどうすれば――――――・・・・・・

 

と、その時だった

 

「八雲?」

 

名を呼ばれてはっとする

慌てて顔を上げると、そこには、隊服を纏った斎藤がいた

 

巡察の帰りだろうか・・・・・・

 

「・・・・斎藤、さん・・・・・・?」

 

さくらは、横に置いていた手拭いで濡れていた手を拭いた

そして、厨の入口にいる斎藤に近づくと

 

「お疲れ様です。 巡察の帰りですか?」

 

そう言って、頭を下げた

すると

 

「ん? あ、ああ・・・・・・」

 

斎藤らしからぬ、歯切れの悪そうな、反応が返ってきた

不思議に思い顔を上げると、斎藤がじっとこちらを見ていた

 

・・・・・・・・・・・・?

 

なんだろう、とさくらが小首を傾げる

だが、斎藤はこちらをじっと見つめたまま難しそうな顔をしていた

 

「あの・・・・・・斎藤さん?」

 

無言に耐えられず、さくらがそう口にした瞬間――――

斎藤がはっとした様に、慌てて口を開いた

 

「あ、いや・・・・・・の、喉が渇いたから水を貰いに来たのだが・・・・・・」

 

「お水・・・・・・」

 

確かに、もう京は真夏に近かった

それも、盆地という地域柄、江戸や薩摩よりずっと暑い

 

それなのに、隊士の方々は隊服を纏い巡察を行っている

汗もいっぱいかくだろうし、喉も乾いて当然だ

 

「・・・・・・・・・!」

 

そうだわ

 

さくらは何か思いついたように、ぱっと顔を上げると

 

「斎藤さん、もし宜しければ何かお持ちし致しますので、どこか涼しい所で涼んでらして下さい」

 

そう言って、さくらがにっこり笑う

すると、斎藤はすこしそわそわした風なそぶりをした後、「では、頼む」と言って、その場を去っていった

 

さくらは、一瞬 首を傾げた

だが、考えても斎藤が何を考えているのかは読めないのはいつもの事だった

 

とりあえず、“あれ”を作ったら、残りのお皿洗ってしまおう

そう思っていそいそと用意を始めたのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・はぁ」

 

隊服を脱ぎ、縁側に腰かける

丁度、目の前にある木のお陰で影が出来ており、涼むにはちょうど良い場所だった

 

斎藤は、ぼんやりと木陰から差す光を見ていた

きらきらとまるで、何かの細工の様に輝いて見える

 

「・・・・・・八雲、さくら・・・か・・・・・・・」

 

最初は、さほど気にならなかった

土方が連れてきたときも、沖田が連行してきたときも思ったが

所作から、どこかの良家の娘かと思っていた

 

ただそれだけだった

 

だが・・・・・・

 

ここ最近の彼女はどうだろうか

一生懸命、自分たちの役に立とうと動く彼女を自然と目で追う様になっていった

 

彼女はいつも、何かをしていた

食事の用意や、掃除も洗濯もしていた

 

さくらの手を見ればわかる

今までそう言った事とは一切無縁だった綺麗な手をしていた

 

だが、最近のさくらの手は、“綺麗な手”というよりかは、“働く者の手”だと思った

勿論、綺麗なのに変わりはないのだが・・・・・・

 

でも、不思議と前のさくらよりも、今のさくらの方が生き生きとしている気がした

 

前はもっと、何かに縛られたように苦しそうな顔をしていた

しかし、ここ最近・・・・・・おそらく二条城の事があって、引き籠っていた後からだろう

 

部屋から出てきた彼女は、何故かとても綺麗に思えた

斎藤が、土方や近藤の為に剣を振るう様に

さくらも、“誰か”の為に何かしたいという眼差しだった

 

そんな さくらを見て、驚いた

そして、綺麗だと思ったのだ

 

勿論、見目は元々美しかったのはわかっているが・・・・・・

それだけでは、斎藤の心は揺れなかった

 

彼女を心底“美しい”と感じたのは、”誰か”の為に何かをしようと彼女が動き始めてからだ

だからこそ気づいてしまった

 

彼女が・・・・・・さくら、“誰の為”にそう変わったのか

 

さくらの視線の先には、いつも斎藤が尊敬してやまないあの人がいた

だが、それで納得がいった

 

さくらが変わった“理由”

それは、きっとあの人の―――――・・・・・・

 

 

「―――――斎藤さん、お待たせ致しました」

 

ふと、後ろからさくらの声が聴こえてきた

はっとして振り返ると、さくらが盆に何かを乗せて静かに歩いて来た

 

そのまま、斎藤の傍までくると膝を折ると盆を置いた

そして、湯呑みに何かを注ぐ

 

「本当は、切子とかあればもっと良いのですが・・・・・・」

 

「切子? 江戸や薩摩で出回っている確かびろーどの・・・・・・?」

 

斎藤のその言葉に、さくらがにっこりと微笑む

 

「お口に合うかわかりませんが・・・・・・どうぞ」

 

そう言って、すっと湯呑みを斎藤に差し出した

 

「・・・・・・?」

 

さくらの言う意味が分からず、斎藤が首を傾げる

湯呑みを見ると、麦茶は少し違う色をしている気がした

 

みると、湯呑みに最近京で流行っているという、枸櫞くえんという、果実の輪切りが入っていた

 

「・・・・・・これは?」

 

「これは着香茶という物で、お茶に果実の香りを加えた簡単なお茶なのですが・・・・・・夏場は汗をかきますので、こういったさっぱりしたものが良いかと思いまして・・・・・・」

 

そう言って、さくらが微笑む

その笑顔をされると、流石の斎藤も「遠慮する」という言葉は出てこなかった

 

意を決して、その着香茶をごくりと一口飲んだ

瞬間―――――

 

「・・・・・・・・・・・・!!?」

 

ほのかにある柑橘系の酸味に少し甘味のあり、すっと乾いた喉を一気に潤してくれた

 

こ、これは・・・・・・

 

思わず、斎藤がまじまじと手の中にある湯呑みを見る

斎藤のその様子に、さくらが少し不安そうにこちらを見た

 

「あの、お口に合いませんでした・・・・・・?」

 

「!? あ、いや、そうではなく・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・・・・?」

 

斎藤の言わんとする事が分からず、さくらが首を傾げた

大きな真紅の瞳がこちらを見ている

 

「・・・・・・・・・・・っ」

 

瞬間、かぁっと斎藤の顔がほのかに赤くなる

自分でも、わからないぐらい、心臓が早鐘を打っていた

 

なんだ、この気持ちは・・・・・・

俺はどこかおかしくなってしまったのか

 

自分で自分の制御が出来ない

 

俺は・・・・・・

 

「あ、いや・・・・・・美味かった・・・・・・」

 

彼女の名前が・・・・・・

 

“さくら”

 

そう、呼んだら怒るだろうか・・・・・・

何故か、無性に名で呼びたいと思った

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「斎藤、さん・・・・・・?」

 

斎藤の熱い眼差しがさくらを見ていた

今まで、そんな風にみられていた事すら知らないさくらにとっては、これが初めてだった

 

何処か具合でも悪いのだろうかと、心配になる

 

「あ、あの・・・・・・、では、私は後片付けを―――」

 

なんだか少し居辛くて、さくらが盆を持って立ち上がろうとする

瞬間―――――

 

 

 

「――――待ってくれ!」

 

 

 

不意に、斎藤から伸びてきた手が、さくらの手を取った

 

「きゃっ」

 

突然の斎藤の行動に、さくらが驚く

思わず、持っていた盆が音を立てて落ちた

 

「あ・・・・・・」

 

拾わなくては―――――と、思うのに、斎藤が手を離してくれない

それどころか、じっとこちらを見つめられていた

 

「あ、あの・・・・・・」

 

どうしていいか分からず、さくらが口を開こうとした時だった

 

「名を・・・・・・」

 

「え・・・・・・?」

 

斎藤がますます頬を赤くして俯きだす

 

「・・・・・・だ、ろう、か」

 

え・・・・・・?

今、なんって―――――・・・・・・

 

上手く聞き取れずに、さくらが困惑していると

突然、意を決した様に斎藤が顔を上げて

 

「・・・・・・名を! その・・・・・・名で、呼んでいい、だ、ろう、か・・・・・・」

 

最後の方は弱々しかったが、さくらの耳にも聴こえた

さくらは、くすっと微笑み

 

「はい。 どうぞ “さくら”と、お呼びください」

 

そう答えると、斎藤がぱっと顔を上げると

ごくりと息を飲み

 

 

 

 

「・・・・・さくら・・・・・・・・」

 

 

 

 

さぁ・・・・・・と、微かに風が吹いた

さくらの長く艶やかな漆黒の髪が揺れる――――

 

さくらが、微笑みながら「はい」と応えた

斎藤が微かに笑う

 

 

 

「さくら・・・・・・いい名だ・・・・」

 

 

 

そう言って、噛みしめる様に斎藤がさくらの名を呟いたのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、土方さんはお休みでーす

そろそろ、一の名前呼びを「苗字」→「名前」に変えないといけなかったのでw

丁度よきよきと、今回は一との話にしましたw

※着香茶=フレーバーティー | 枸櫞=レモン です

 

 

2021.04.25