櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 四章 虚実の馨り 35

 

 

それは、七夕祭から帰った数日後の事だった

 

「遅くなってしまったわ……」

 

さくらは、ぱたぱたと部屋に向かって夜の廊下を歩いていた

いつもの様に明日の朝の仕込みをしていたら、思ったよりも時間を食ってしまった様だった

 

月がいつもよりずっと高くなっている

いつもならば部屋に戻っている時間だった

 

こんなに遅い時間に出歩いているのが土方に知られたら、また怒られてしまう

 

そう思いながら、急いで部屋に戻る途中にそれは起きた

 

「巡察でもねえのに、随分帰りが遅えんだな」

 

正面の戸口付近を通った時だった

苛立ちを含んだ土方の声が戸口の方から聴こえたのだ

 

一瞬自分に向けられたのかと思い、びくっとする

が、それは直ぐに違うのだと分かった

 

どうしたのだろうと声がした戸口の方を見てみる

 

すると、そこには腕を組んで厳しい顔をした土方と

酒を飲んでいた風の、原田・藤堂・永倉の三人が立っていた

 

原田さん……?

 

土方はすっとその菫色の瞳を細め

 

「門限破りは切腹だと、前々からきつく言ってある筈だが」

 

すると、永倉がむっとして

 

「無理矢理誘ったのは俺だ。 こいつらにはなんの責任もねえよ! 腹切れっつうんなら、そうするさ!」

 

え……っ!?

 

まさかの永倉の発言に、さくらがぎょっとする

 

最近、隊の規律が厳しくなったという噂は聞いてはいた

確か門限は宵の五つ

その時鐘が鳴ったのはもう随分と前のことだった

 

門の脇に灯されている“誠”と書かれた提灯の明かりで三人ともほんのり顔が赤いのがわかる

きっと、刻限が過ぎても楽しく飲んでいたに違いない

 

原田が早く帰らないとまずいと言っているのを、永倉が「まだ、いいじゃねえか!」と、引き止めていたであろう事が容易に想像出来る

 

「新八、それを決めるのはお前じゃねえ。 誘ったのが誰だろうが、隊規を破った事に変わりはねえだろ」

 

それは、まるで永倉に切腹を言い渡している風にも聴こえた

 

思わずさくらが息を飲む

 

そう感じたのは、さくらだけでは無かったようだ

厳しい口調でそう言う土方に、原田と藤堂が慌てて口を開いた

 

「ま、待ってくれよ、土方さんっ」

 

「オ、オレ達も悪かったんだよ! もっと早く帰ろうって言えば、こんなに遅くは――――……」

 

慌ててそう言う藤堂を遮る様に土方は厳しい口調で

 

「てめえらは部屋に戻ってろ。 沙汰は追って下す」

 

そう言って、一度だけ永倉を見て踵を返した

永倉はその後に続く様に、歩いて行く

 

まさか本当に……?

 

最悪の事態が頭に浮かび、思わずさくらは自分の事すら忘れ叫んだ

 

「土方さん!! 待って下さい…っ」

 

さくらのその声に、一度だけ土方が振り返った

だが、その瞳は鋭いものだった

 

一瞬、さくらがひるむ様にびくっとする

 

「さくら、お前もさっさと部屋に戻れ」

 

ぴしゃりと言い渡され、反論する余地すら与えてもらえない

そうこうする内に、土方と永倉は奥の方へと消えて行った

 

流石の藤堂もこれには慌てたようで

 

「さ、左之さん、いいのかよ!?」

 

藤堂がそう訴えると、原田は険しい顔で突然藤堂の腕を掴むと

 

「行くぞ!」

 

そう言って土方達の後を追う様に早足で歩き始めた

 

「あ……」

 

さくらが思わず声を掛けようとした時だった

その前に原田がさくらを見て

 

「さくら、お前も来い」

 

「は、はい…っ」

 

一瞬、関係のない自分が行ってもいいのか悩むが

やはり、土方が永倉をどう処分するのか気になったので慌ててそう応えると、原田の後に続いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土方の事は信じている

永倉は数少ない土方の理解者だ

そんな永倉を、いくら隊規違反だからと“切腹”にする筈がない

そう思いたかった

 

だが、それでは隊規を厳しくしている意味が無くなってしまう

上が規律を乱せば、下も付いては来ない

 

それが分かるからこそ、原田も藤堂も事態の深刻さが分かるのだ

 

土方について広間に入った永倉は、刀を畳に置くとその左横にどっかりとあぐらをかいて座った

ふんぞり返り、如何にも反発する様に腕を組むと

 

「で、どうしろって? 今更、死ぬのが怖えって事もねえから言うんならすっぱり言っちまってくれよ」

 

永倉がそう言うと、土方は静かにその菫色の瞳を伏せ、小さく息を吐いた

 

「……俺のやり方に不満があるんだろう? お前がそういう態度を取る時は、いつもそうだったよな」

 

まるで昔からそうだったように語る土方に、永倉が図星を突かれたかの様に言葉を詰まらす

が、昔と変わらぬ土方のその口調にそれまで頑なになっていた気持ちが緩んだのか、永倉が口を開き始めた

 

「…なんつうか……最近、新しく入って来た隊士どもを優遇して、昔からいる俺達に対してだけ、やたらと厳し過ぎじゃねえか?」

 

それが誰の事を指しているのか、火を見るより明らかだった

伊東甲子太郎と、その取り巻き

特に伊東は入隊して直ぐに参謀の地位に付いている

そして、その弟の三木三郎は六月の再編成で監察方から九番組組長に任命されている

又、伊東と同時期に入隊した篠原泰之進や服部武雄も監察方となっていた

 

これを優遇していないとどうみれようか

 

喋り出すと、抑えていた感情が溢れ出て来るのか…

永倉は身を乗り出して

 

「確かに俺らは弁が立つ訳じゃねえし、偉い知り合いがいる訳でもねえ! 取り柄なんざ剣術しかねえけどよ」

 

「……………」

 

「だが、新選組がここまで大きくなったのは、俺達が死ぬ思いで戦ってきたからだろ!? 少なくとも俺はそう思ってる!」

 

そこまで一気に話して、永倉は真っ直ぐに顔を上げた

土方はその視線を受け止めたまま、しばらく沈黙していたが……

小さく息を吐くと、ただ静かに

 

「………すまなかった」

 

そう永倉に向かって潔く謝罪の言葉を発したのだった

流石の永倉もそれには驚いたらしく…大きく目を見開く

 

「……お前らに甘くしてるとな、色々言いたがる奴がいるんだよ」

 

土方は少しだけ言い辛そうに言葉を濁らせ

 

「古株ばっかり重用してるとか、贔屓してるとか、給金に色付けてるとか…くだらねえ事をな」

 

「……………」

 

「……ただ、まぁ必要ねえ事まで あれこれ口出しちまったのは悪かった」

 

再び謝罪の言葉を耳にして、永倉は言葉を失った様に放心していたが…

次の瞬間、ふっと息を吐き

 

「……ったく、かなわねえなあんたには。 そんな風に……試衛館にいた頃みてえに言われちゃあ納得するしかねえもんな」

 

そう言って、照れくさそうに頭をかき

 

「俺も悪かったよ」

 

そう言って、永倉は頭を下げた

そして、にっと笑って

 

「その内、また飲みに行こうぜ。 土方さんでも飲めそうな弱い酒、見つけとくからよ!」

 

永倉のその言葉に、土方はふっと微かに笑みを浮かべ

 

「……余計な世話だよ。 俺はな、飲めねえ訳じゃなくて、飲まねえだけだよ」

 

その言葉に、永倉が笑った

 

その様子を灯りのない隣の部屋で襖越しに窺っていたさくら達も、ようやくほっと胸を撫で下ろした

そっと、隙間から土方の様子を見る

 

土方はいつもこんな風に憎まれ役を買ってでているのかもしれない

副長として、きっと皆の知らない所で沢山の苦労をしているのだろう

 

さくらにその苦労を代わってあげられるほどの力はない

ないけれど――――……

 

少しでも分けて欲しい

他の事でいい

土方を少しでも癒してあげられたならば――――そう思ってしまうのは痴がましい事なのだろうか

 

でも……

 

直ぐ傍で嬉しそうに微笑んでいる、原田と藤堂を見ると

さくらも自然と笑ってしまうのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「………と」

 

さくらは、大きな荷物を抱えたまま街の中を歩いていた

今日の夕餉の準備をしようとした所、足りないものがあったのだ

 

他の人に頼むのも気が引けたので、さくら自身で買いに出てきたのだが…

流石にこれは女手一人では厳しかっただろうか…? と、不安になってしまう

 

本来ならば、土方に断りを入れて出てくるつもりだったのだが…

生憎と、土方は不在であった

しかも、原田や斎藤なども隊務で留守にしていたし、千鶴も巡察に同行しており留守であり

他の隊士達も忙しそうだったので、結局一人で黙って出て来てしまった

 

一応、近藤には買い出しに行く旨は伝えてはいるが…

 

最初、近藤が同行しようと言いだしたが、幾らなんでも局長に買い出しに付き合ってもらう訳にもいかず、お断りしたのだ

 

仕方ないわよね…皆、お仕事あるのですもの……

 

あそこで世話になっていて、特に仕事を持っていないのはさくらだけだ

どう考えても、さくらが行くのが妥当であった

 

何もしないで世話になるのも気が引ける…というのもある

せめて、何か出来る事だけでもしなければ…

 

そう思い出てきた良いが…

 

「はぁ……」

 

さくらは、抱えていた包みを持ち直すと、額の汗を拭った

その時だった、突然誰かがひょいっとさくらの荷物に手を伸ばしてきたかと思うと、あっという間に取られてしまった

 

「え………?」

 

突然の出来事にさくらが対応出来ないでいると、後ろ姿の男の人がそこには立っていた

 

「重いだろう。 屯所まで持っていけばいいのか?」

 

「え……? あ、あの……??」

 

その相手が誰か分からずさくらが困惑していると、男は少しだけ振り向き

 

「これは…随分と重い物を持っていたのだな、君は」

 

そう言いつつ、片手で持った荷物をまじまじと見てた

その横顔を見てさくらは はっとした

 

「え…? 山さ――――……」

 

それは、変装した山崎だった

山崎は、しっとこっそりと静かに人差し指を口に当てる

 

それを見て、慌ててさくらも口を押えた

任務中なのだ

 

ここで、山崎の名を出してはいけない

咄嗟にそう思い、さくらは見知らぬ人に会った時の様に装った

 

「あ、ありがとうございます、ご親切な方。 でも、大丈夫ですから…」

 

「しかし……これは結構重さがある様に思うが……」

 

「……………」

 

それはあるだろう

何せ、醤油だ

 

だが、それを言えば山崎は絶対運ぶと言うのは目に見えていたので、さくらはあえてそれを伏せておいた

気付かれない様に、にっこりと微笑み

 

「では、そこの茶屋までお願いいたします。 そこで少し休んでから戻りますので…」

 

頑として譲らないさくらに、流石の山崎も折れたのか「分かった」と頷いた

 

茶屋まで来ると、山崎は何事もなかったかの様にそのまま去って行った

どうやら、任務に支障をきたさずに済みそうで さくらはほっとした

あのままでは、山崎の仕事の邪魔をしてしまう所だった

 

そう思いながら、とりあえず茶屋の椅子に腰を下ろす

すると、店の看板娘とおぼしき人が茶を運んできた

 

「あ、ありがとうございます」

 

茶を一杯頂く

疲れた身体にその茶は身に染みた

 

「とても美味しいですね」

 

さくらがそう言うと、店の娘さんは嬉しそうに微笑んだ

 

「ええ…うちの店のお茶には梅を少し入れてるんですよ。 疲れが取れるでしょ?」

 

そう言ってにっこり微笑む、店の娘さんは可愛らしかった

なんだか、見ているこっちまで嬉しくなる

 

平助や永倉さんが見たら喜びそう

などと思いっていた時だった

 

「ご注文は何にします?」

 

不意に聞かれ、お品書きを渡される

少し休むだけのつもりだったので、そこまで何も考えてなかったさくらはお品書きを見て悩んだ

正直、どれも美味しそうだが…醤油を買うお金以外はあまり持ち合わせていなかった

 

さくらが悩んでいると、ふと、後ろに座っていたお武家さま風の男がひょいっとそのお品書きを奪い

 

「お嬢さん、これがお勧めだよ」

 

「え……?」

 

そう言って指さされた先には“梅ヶ枝餅”と記されていた

 

「これ……」

 

「あ、うちの自慢のおすすめ品なんですよ! 大宰府の職人さん呼んで作ってるんです!」

 

と、店の娘さんは嬉しそうに語りだした

 

“梅ヶ枝餅”

久しく聞いていなかった菓子の名だ

 

なんだか、さくらが想い出したように笑ったので、そのお武家様と娘さんが不思議そうに首を傾げた

 

「あ、いえ、以前 薩摩に住んでいましたので……」

 

時折、大宰府に出かけた風間がよく土産に買ってきていた品だ

だがそこに反応したのは娘さんではなく、お武家様の方だった

 

「ほぅ? お嬢さんは薩摩出身なのかい?」

 

「え? あ、いえ、出身は江戸ですけれど……」

 

なぜ、この人がここに食いついてくるのか

それとも、単なる会話の一環なのか

 

さくらには、判断つかなかった

 

「江戸か! ワシも江戸の出身なんじゃよ! 奇遇だなぁ」

 

「は、はぁ……」

 

いまいち、話の意図がつかめない

だがそのお武家様は話を続けた

 

「その後、長崎行ったり、大阪行ったり、渡米もしたなぁ…あそこの文化はすごいぞ!」

 

うんうんとお武家様は頷いた

 

「あの……」

 

そう口にしようとした時だった

 

「こんな所にいらっしゃったのですか…お探ししましたよ」

 

突然、背後から若い男の声が聴こえてきた

さくらがびくっとして振り返ると、土方に負けないくらい綺麗な役者のような顔をした男がそこには立っていた

碧色の瞳が印象的な人だった

腰に刀をはいている所を見ると、武士の一人だろう

 

「ん、ああ、すまんすまん!」

 

お武家様は、笑いながら悪びれた様子もなく謝罪すると、こちらをちらりと見て

 

「こちらのお嬢さんは…?」

 

「ん? たった今知り合ったワシの友達じゃ!」

 

と、屈託のない笑顔でにかっと笑った

その様子がおかしくて、さくらがくすりと笑ってしまう

 

綺麗なその男の人は、半分あきれつつも「そうですか…」と呟き

そっと、さくらの前に膝を折った

 

驚いたのはさくらだ

見知らぬ人に突然目の前で膝を折られて困惑していると、男の人はにっこりと微笑み

 

「うちの先生がお世話になりました。 ご迷惑などはかけてはいませんか?」

 

「せん、せい……?」

 

さくらが首を傾げると、その男の人はやはりにっこりと微笑んだ

 

「先生、皆が待っております。 行きましょう」

 

男の人のその言葉に、お武家様は「おお!」と声を上げると

 

「そうじゃな、名残惜しいがワシはこれで失礼しよう」

 

そう言って、「餞別じゃ」とさくらに梅ヶ枝餅を渡すと、そのまま二人して人込みの中へと消えていってしまった

 

「……誰…だったのかしら……」

 

結局、二人の名前も素性もわからぬままだった

だが、それはさくらも同じだ

 

向こうもこちらの名も素性も知らない

 

もう…たぶん、会うことはない、わ、よね……?

 

 そう思っていた、

 

 

 

          その日が来るまでは――――………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、やっと話が進みますな!
問題はここからなんだけどねー

だって、真改がどう持ってくるか分からないんだもん…
うちは、元から薩長の動き入れる予定だったから…(-_-;)

さて、最後の出てきた2人は誰かなぁ~?(ニマニマ)

梅ヶ枝餅はおいしーよ!

 

2015/09/23