櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 四章 虚実の馨り 2

 

 

ポツ……

ポツポツ……

 

夕暮れの空が陰り、雨が降りだした

庭先に咲いている紫陽花の花に、雨水がポチャンと当たり、雫が垂れる

 

「……………」

 

土方は窓から、ふと空を見上げた

 

「雨か………」

 

最初はポツポツ程度だった雨が、徐々に酷くなる

 

そういえば、もう梅雨に入っていてもおかしくない時期だ

もう、春の面影は残っていない

 

これから、徐々に蒸し暑くなり、夏が来る

京に来て、三度目の夏が来ようとしていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さくらは窓辺に寄り添ったまま動かなかった

 

どのくらいそうしていただろうか……

 

いつの間にか、真っ赤だった空に薄っすら雲が掛かり、ポツポツと雨が降り出していた

その雨は、パラパラと降っていたが、徐々にその雨脚を酷くさせた

 

気が付けば、空には薄灰色の雲が覆っている

ザーと、酷くなった雨音は、どんどん激しくなり、辺り一面を黒く染めていく

 

まるで、己の心の様だと、さくらは思った

 

真っ暗で、未来が見えない

ただの、一筋の光でさえ差し込まない

 

そんな 闇

 

さくらは、スッと窓際から手を伸ばした

雨樋から零れ落ちてきた雫が、さくらの手の上で跳ねる

ピチャンと跳ねた雫は、そのまま手の上から零れ落ちていった

 

これから、どうするべきか………

 

風間達の元へは帰れない

かといって、いつまでもここに居る訳にはいかない

 

何故なら、ここに居る”理由”が 無い

 

千鶴とは違い、さくらには新選組ここに居続ける理由が無いのだ

勿論、千鶴の事は守りたい

 

だが、それは別にここに居なくとも可能な話だ

それだけでは、理由にならない

 

ふと、いつも千姫が言っていた事を思い出す

 

『一緒に来ないか』と、彼女はいつも言っていた

 

千姫を頼る……?

 

ふっと、口元に自虐めいた笑みが浮かぶ

 

「なに、それ……とんだ、他力本願だわ……」

 

そう―――ずっとそうだった

 

風間の家に引き取られてからも

風間に付いて京へ来た事も

 

何一つ、自分で決めていない

 

全て、”誰か”が決めた事だ

ただ、さくらは”それ”に従っていただけ―――

結局は、自分の力だけでは何も出来ないのだ

 

それは甘えだ

ずっと、自分は甘えてきたのだ

 

ギュッと、腕を掴んだ

 

………そんな、自分が嫌になる

 

「さくら」

 

不意に呼ばれ、さくらはハッと顔を上げた

廊下の向こうに誰か居る

 

この声………

 

「さくら? 居るんだろう?」

 

原田さん……?

それは、原田の声だった

 

さくらは、原田の声には応えず、ギュッと腕を握った

 

「さくら?」

 

「……………」

 

やはり応えない

というより、応えられない

 

障子戸の向こうで、溜息を付く音が聴こえた

 

「お前なぁ……居るのは分かってるんだぞ?いつまでだんまり決め込むつもりだ」

 

「……………」

 

「……開けるぞ」

 

不意に、障子戸に手が掛かるのが分かった

 

「………っ……開けないで!!」

 

さくらは、反射的にそう口走った

 

開け掛けていた、原田の手が止まる

 

「……お願い……開けないで、ください……」

 

今にも消えそうな声でそう呟くさくらの声に、応えるかの様に、スッと手が離れた

それから、はぁ…と溜息を付くのが聴こえる

 

「……お前がそこに閉じ篭ってからもう3日だぞ?そろそろ出てきたらどうなんだ?」

 

「……………」

 

そんなの……

 

「飯だってろくに食ってないんだろう?そんなんじゃ、いつかぶっ倒れちまうぞ」

 

「………欲しく、ないんです」

 

食事も、睡眠も、そんなもの何も要らない

今、欲しいのは……

 

「千鶴だって、平助や他の皆や……口には出さねぇかもしれねぇが、土方さんだって心配してる。……それに、俺や新八もな」

 

「……………」

 

知ってる

毎日の様に声を掛けに来る千鶴

食事を持ってきてくれる藤堂

通り道だと言って、様子を伺ってくれる斎藤

 

それに………

 

夜―――皆が、寝静まった時間

土方が様子を見に来てくれている事を知っている

 

『さくら……』と、呟きながら、寝た振りをするさくらの頭を優しく撫でてくれているのを知っている

 

でも………

今、誰かに会ったら……

 

その顔を見たら……

 

 

きっと、甘えてしまう

 

 

誰でもいい―――傍に居てくれと、甘えてしまう

その腕に抱かれて、安心したいと願ってしまう―――

 

……そんな、自分が許せない

 

さくらは、ギュッと腕を握る手に力を込めた

 

そんなの駄目だ

そんな、自己中心的な考え 駄目に決まっている

 

「さくら……お前が辛いのも分かるが、身体を壊しちゃぁ元もこうも無いだろう?」

 

「……………」

 

心配してくれる気持ちは、嬉しい

でも、逆に迷惑を掛けているのだと、痛感してしまう

 

それが、苦しくて、辛くて、申し訳ない

 

ここに、居てはいけないのだと―――気づいていしまう

 

「さくら?」

 

そうだ ここに私の”居場所”は無い

 

「………明日」

 

 

 

これ以上―――ここに居ては………

 

 

 

「………明日になったら、顔を見せますから……」

 

 

 

―――いけない

 

 

 

「………明日の朝、必ず顔を見せますので……今日は……」

 

少ししてから、原田が観念した様に息を洩らした

 

「分かったよ。じゃぁ、明日の朝な?」

 

 

 

 

―――いけないのだ

 

 

 

「―――はい」

 

トタトタとそのまま、原田の足が遠のく

原田が遠のいたのを確認してから、さくらはほっと息を付いた

 

今夜、出よう

今夜、ここを出よう

 

千鶴の事は千に相談して……それから………

 

行く宛などない

行く先など分からない

 

けれど、ここに居てはきっと駄目だ

 

外は雨が降っていた

ずっとずっと、降り続いていた―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――― 薩摩藩邸

 

日が暮れても尚、降り続ける雨は、止む気配すらなかった

 

風間は1人酒を飲んでいた

彼の周りには、空になった徳利が何本も転がっている

 

あの晩の光景が脳裏を過ぎる

 

千鶴を庇う様に、自分の前に立ち塞がったさくら

さくらを引き寄せる土方

 

 

『さくらっ!』

 

 

と、呼ぶ土方の声

 

 

「…………っ」

 

 

怒り任せに、風間は持っていた盃を壁に叩き付けた

ガシャンと投げ飛ばされた盃が、壁に当たり割れる

 

苛々する

何故、こうも苛立たせるのか あの男は

 

 

『土方さん……っ!』

 

 

いつかの最中、己の腕の中で他の男の名を呼んださくらを思い出す

 

「土方………っ」

 

あの男だ

あの男が……さくらを奪った

 

さくらの名を呼ぶ事も、その手を取る事も、この腕に抱くのも

全て、俺だけのものだったものを………っ!

 

「風間

 

不意に名を呼ばれ、振り返ると、襖を開けた天霧が膝を折ってそこに居た

 

「天霧……俺は入室を許可した覚えはないぞ

 

そう言われた天霧は、さほど気にした様子もなく、ちらっと風間の回りに散らばった空の徳利を見た

それから、はぁ…と溜息を付き

 

「程ほどになさいませ。お身体に障りますぞ」

 

風間は天霧を一瞥すると、新しい盃に酒を注ぎ呷った

 

「ふん、お前の指図は受けぬ」

 

そう言いながら、とぷとぷとぷと再び盃に酒を注ぐ

天霧は、もう一度大きく溜息を付くと

 

「桜姫の事をどうなさるおつもりです?」

 

ピタッと風間の手が止まった

そして、ゆっくりと天霧を見る

 

「どう……とは?」

 

「そのままの意味です。あの様な暴言……撤回なさいませ」

 

「暴言……?ああ、”要らぬ”と言った事か」

 

フッと風間が笑った

まるで、今思い出したかの様に

 

「撤回はせぬ」

 

そう言って、酒を呷る

 

「貴方は、風間家の意向に背くおつもりか!」

 

ス…と、盃の間から冷ややかな瞳で、天霧を見た

 

「何を言うか。あれはさくらが悪いのではないか」

 

カタンと盃を置く

 

「いつか言ったであろう?”腕の中で他の男の名を呼ぶ女を抱けるのか”と。あれは鬼ではなく人を選んだのだ」

 

俺では無く、あの男を―――

 

「………仰る意味が分かりかねますが…」

 

ザーと煩い位に、雨の音が酷くなった

つと、雨の降る夜空を眺める

 

「だがな、天霧……」

 

その口が、微かに笑みを作る

 

 

 

 

 

 

    「何処に居ようと、あれは俺の物よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜になっても雨脚は通り過ぎなかった

出来る事ならば、止んで欲しかったが……

 

さくらは、小さく溜息を付いてそっと障子戸に手を掛けた

 

余り遅くなっては、土方が来るかもしれない

その前に、ここを出なくては―――

 

そっと障子戸を開け、廊下に誰も居ない事を確認すると、室から外へ出た

ほっとして、一度室内を見た後、戸を閉める

 

「……………」

 

行こう

そう思った時だった

 

 

 

 

「お前、こんな時間に何処へ行く」

 

 

 

 

 

いきなり背後から声を掛けられ、さくらはドキッとした

それも―――今、一番聞きたくない声……

 

土方だ

 

「…………っ」

 

思わず、振り返りそうになるのをぐっと堪える

駄目……

 

「外は雨が降ってんだ。なのに、何処へ―――」

 

 

 

今、誰かに会ったら……

 

一歩、その足音が近づいてくる

その手が近づいてくる気配

 

「大体な、お前の考えそうな事は想像付いて―――」

 

 

その顔を見たら……

 

 

 

 

 

      「――――見逃して下さいっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

土方がピクッと伸ばしかけていた手を止めた

 

「………は?」

 

さくらは振り返らず、声を吐き出す様に叫んだ

 

「お願いします!見逃して下さい……っ!」

 

そのまま、バッと走りだそうとする

 

「おい!待てっ!」

 

だが、それは土方の手によって遮られた

ぐっと肩を掴まれ、身動き取れなくなる

 

「………っ!放し……っ!」

 

「だったら、理由わけを言え!」

 

ぷるぷるとさくらは首を横に振った

 

「そんなんじゃ、分かんねぇだろうが!」

 

さくらが首を振る

 

「それとも………」

 

 

止めて……

 

土方の声音が切な気に変わる

 

 

 

「風間の所に戻るのか……?」

 

 

 

 

「…………っ」

 

 

ビクッとさくらの肩が震えた

それから、震える様な声で

 

 

「……戻れる訳、ないじゃないですか………」

 

 

その声音は泣いている様にも聞こえて

 

「―――あんな事言われたのに、戻れる訳、ないじゃないですか!」

 

 

 

 

「―――だったら!!」

 

 

土方の声が強くなる

肩を持つ手に力が篭る

 

「ここに居ればいい」

 

「…………っ」

 

さくらは、首を横に振った

 

 

止めて………

 

「………だって、私……私、皆さんに迷惑掛けてる……」

 

 

今、そんな事言われたら……

 

 

「………もう千景の元にも戻れない……あそこに私の”居場所”はもう無い」

 

声が震える

 

 

「かと言って、ここにも”居場所”が、ない……」

 

言葉が上手く紡げない

 

 

「………これ以上、ご迷惑をお掛けする訳には……っ」

 

不意に、土方の手が動いた

その腕が、さくらの前に回る

ぐいっと引っ張られ、そのまま後ろから抱きすくめられた

 

「………っ、土方さ……っ!?」

 

余りにも急な展開に、気が動転する

土方の身体に触れる背が熱い

 

土方の腕に力が篭る

そして―――

 

 

 

 

 

    「だったら、俺がなってやる」

 

 

 

 

 

 

「―――え…?」

 

 

 

止めて……

 

「俺がお前の”居場所”になってやる」

 

「…………っ」

 

ドキンと心臓が脈打つ

 

 

止めて……

 

「だから………」

 

 

 

今、そんな事言われたら……

 

 

 

 

 

 

 

「ここに居ろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

      私は、きっと甘えてしまう―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらあら、あんな事言ってますよ?土方さん(笑)

あれじゃぁ、まるで告……いやいやいや

違いますよ?違いますからね?

ほら!だって、まだ、命令口調だからww←言い訳

 

ちーが…ちーが病んでいる様に見えるのは…

私の気のせい…?デスカ…????

 

2010/10/06