櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 四章 虚実の馨り 13

 

 

―――朝

 

窓の外から、雀の鳴き声が聞こえる

 

コトン……

 

さくらは鏡台の前に立った

着物に袖を通し、きつく帯を締める

 

それから、鏡台の前に座ると、髪を櫛ですいた

ゆっくり、ゆっくりと丁寧に、髪をすいていく

 

そして、そのまま後ろ手で高く持つと

鏡台に置いていた髪結いの織物で結い上げる

 

キュッと締めると、そのまま横に流した

 

「……………」

 

鏡の中で、昨日土方に貰った織物が揺れている

土方の瞳の色のそれが、さくらの髪に混ざる様に、そこにあった

 

「うん」

 

小さく、頷く

 

それからスッと立ち上がり、一度身なりを確認すると

そのまま室を後にした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます」

 

厨に行くと、斎藤と千鶴が朝餉の準備をしていた

 

「あ、さくらちゃん!おはよう」

 

さくらに気付いた千鶴が、笊を手に持ったまま挨拶をする

 

「おはよう、千鶴」

 

さくらが返事をすると、千鶴が嬉しそうに微笑んだ

 

「おはようございます、斎藤さん」

 

「ああ…もう、身体は平気のか?」

 

鍋を見ていた斎藤が、少しだけ振り返りながら言う

さくらは、軽く頭を下げ

 

「ええ、もう平気です。ご迷惑掛けてしまって、申し訳ありません」

 

さくらのその言葉に、面食らった様に斎藤が大きく目を見開いた

 

「斎藤さん?」

 

どうしたのだろう?と、斎藤を見ると

斎藤は、二度程瞬きをして

 

「あ、いや……そう言われるとは思っていなかったので……少し驚いた」

 

「?おかしな事、申し上げたでしょうか?」

 

さくらが不思議そうに首を傾げると、斎藤はふっと笑みを作った

 

「いや、そういう謙虚な所があんたの美徳なんだろうな。 ……そんなあんただから、俺は――――……」

 

「え………?」

 

そこまで言いかけて、斎藤が言葉を切る

そして、何事も無かったかのようにまた鍋の方を向いていしまった

 

「……………」

 

……これだ、どうとればいいのだろうか…?

 

さくらが少し困惑していると、千鶴が傍にやって来てぼそりと

 

「……いいなぁ~さくらちゃん。 斎藤さんに褒められて」

 

「え?」

 

褒められて?

 

斎藤を見る

斎藤は、黙々と鍋回していた

 

褒められたの…かしら……?

 

「……………」

 

あの、斎藤さんに?

 

何だか、少しむずかゆい

 

すると、千鶴がはぁ…と、溜息を付きながら

 

「私も、褒められたい……」

 

ぽつりと呟かれたそれは、千鶴の願望なのだろうか

それを聞いたさくらは、思わずくすりと笑ってしまった

 

「大丈夫よ、千鶴も良い所いっぱいあるじゃない」

 

「そう…かな?」

 

「ええ。自信を持って」

 

その言葉を聞いた千鶴が照れた様に笑う

 

「あ、ありがとう。なんか、さくらちゃんにそう言われると嬉しいかも」

 

ふと、千鶴が何かに気付いた様に「あ」と、言葉を洩らした

 

「それ、可愛いね。さくらちゃんによく似合ってる」

 

「え……?あ……」

 

一瞬、何の事を言われたのか分からなかったが、織物の事だと分かり、サッと頬に赤みが差した

 

「あ、ありがとう」

 

何だか少し照れくさい

 

千鶴が、嬉しそうに微笑み

 

「ううん。それって、もしかして土方さんが選んでくれたの?昨日、一緒に出掛けてたよね?」

 

「え……っ!?」

 

いきなり、核心を突かれ、一瞬声が裏返りそうになる

 

「そ、それは………」

 

確かに土方に貰った物だが……選んでもらったのとは違う様な……

むしろ、選んだのはさくらであって……

いや、しかし、この場合は土方が選んだ事になるのだろうか……?

 

何だか、頬が熱い

 

思わず、両の手で頬を抑えると、千鶴がにんまりと笑った

 

「ふふ~ん?そっかそっか!」

 

「え!?ちょっ……ちょっと、千鶴…っ!?」

 

「あーうん、みなまで言わなくてもいいよ~」

 

うんうんと、千鶴が何かに納得した様に頷くと、手をズイッと前に出した

 

これは、絶対何か誤解をしている

 

「まっ…待って!千鶴……っ。これは……っ!」

 

「大丈夫、大丈夫!分かってるから」

 

何が、大丈夫なの……!?

 

千鶴は、何だか納得した様に頷きながら

 

「そっかそっかぁ……、さくらちゃんの本命は……」

 

「あ、あの……?千鶴……?」

 

何だか、千鶴の中で何かが合致したらしい

 

「どうりでねぇ~」

 

成程…と、深く頷く

 

「あ!大丈夫!誰にも言わないから!」

 

「え……えっと………?」

 

意味が分からず、さくらが首を傾げている時だった

 

「お!いい匂いじゃねぇかぁ~!朝飯は焼き魚か?」

 

どやどやと廊下の向こうから、朝稽古の帰りなのか、永倉と原田がやって来た

 

「よぉ、さくら。もう、具合はいいのか?」

 

さくらに気付いた原田が、そう尋ねてくる

それに気付いた、さくらが小さく頷く

 

「あ、はい。おかげ様で……」

 

「そうか、ならよかった」

 

その答えを聞くと、原田が嬉しそうに笑った

ふと、何かに気付いた様に視線を向けてくる

 

「何だ、それ可愛いじゃないか」

 

「え……?」

 

「それだよ、頭のやつ。よく、似合ってるぜ」

 

「あ………」

 

髪結いの織物の事だと分かり、ぱっと頬を染める

 

「ありがとう、ございます……」

 

少しはにかむ様にさくらが答えると、原田は優しく目を細めた

 

「え?何だよ~?何の事だ?左之」

 

永倉が興味津々という感じに、ひょっこり原田の横から顔を出した

 

「新八……お前はそんなだから駄目なんだよ」

 

原田が呆れにも似た溜息を洩らしながら、永倉の頭をぺしぃと叩いた

 

「いってっ!って…何の事だよ!?」

 

その様子が可笑しくて、さくらはくすくすと笑ってしまった

 

その時だった

いきなり、千鶴がぐっと握り拳を作って

 

「原田さん!!」

 

「お、おお……?どうした?」

 

千鶴がガッツポーズをすると、力強く

 

「可能性はゼロじゃないんです!強敵ですが、負けちゃ駄目ですよ!!」

 

「お、おお……」

 

意味が分かってなのか、ないのか曖昧に苦笑いを浮かべながら原田が頷く

 

「おいおい、千鶴ちゃん?一体、何の話を―――」

 

永倉が皆が思っている疑問を投げかけた時だった

千鶴がバッと右手を出して制する

 

「駄目です!これ以上は黙秘権を施行します!!」

 

「え”……??」

 

それだけ言うと、千鶴がぐいっとさくらの腕を掴んだ

 

「じゃぁ、私達は朝餉の支度があるので!ね?さくらちゃん」

 

「え……?え、ええ……」

 

そして、そのままさくらを引っ張って厨の方に戻ってしまった

 

残された原田と永倉は首を傾げ

 

「な…何だったんだ…!?」

 

「さぁな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――昼

 

境内の水場で、さくらと千鶴は桶いっぱいの茄子ときゅうりを洗っていた

日差しが水に反射して、きらきらと眩しい

 

「さくらちゃん、そっちのも取ってくれる?」

 

「はい、どうぞ」

 

言われて、さくらは傍にあったまだ洗っていない野菜を千鶴に渡した

 

「ありがとう」

 

千鶴がそれを受け取ると、そのまま桶の中に入れた

 

ふと、広間の方から隊士達の騒がしい声が聞こえてきた

廊下を見ると、歩いている隊士がやけに多い

それに、皆、何だか盛り上がってる様子だった

 

思わず、さくらと千鶴が顔を見合す

 

「何かあったのかな?聞いてる?さくらちゃん」

 

「え……?よく分からないけれど…ただ、広間には近づくなって土方さんが……」

 

さくらは野菜の水を切る手を止め、顔を上げた

その視界に、ぶつぶつ文句を言いながら廊下を歩いている伊東の姿が入った

 

「はぁ…はぁ……!じょ、冗談じゃありませんよ!まったく!」

 

酷く憤慨した様子で、さくら達に気付きもせず通り過ぎようとする

 

「伊東さん?どうしたんですか?」

 

千鶴が思わず声を掛けると、伊東は二人…というか、さくらを見るなり欄干から身を乗り出し

 

「さくらちゃん!聞いて下さる!?」

 

いきなり、ダダダと階段を駆け下りると、さくらに近づいて来た

何となく身の危険を感じ、思わず後ろへ後退る

 

「どうしたもこうしたもありませんのよ!私が何であんな野蛮人共と同じ部屋で、この玉の様な肌を晒さなきゃならないんですの!?」

 

「……………」

 

まったく意味が分からない

 

「え、えっとぉ~?伊東さん???」

 

千鶴も同じだったらしく、頭に疑問符を浮かべながら首を傾げている

しかし、放置すれば永遠とこの意味の分からない演説を聞く羽目になるかもしれない

 

さくらは、ごくっと息を飲み

 

「あ、あの……伊東さん?屯所内で、何かあったのでしょうか?」

 

さくらのその言葉に伊東は気を取り直して、乱れた前髪を整えながら不機嫌そうに

 

「将軍上洛の時に近藤さんと意気投合したとかいうお医者様が、屯所に来られてるのよ。隊士達の健康診断を行うとかの名目で」

 

そう言って、伊東は今来た曲がり角の向こうを睨んだ

 

どうやら今日は健康診断で、広間では隊士の皆が裸になって身体の検査をしているらしい

どうりで、土方が近づくなと釘を差す訳だ

 

「あのハゲ坊主!皆の前で私に服を脱げと仰るのよ!!信じられる!?」

 

伊東が、凄い剣幕で声を大にしてそう言う

 

「しかも!拒んだら無理矢理私の着物を脱がそうと……っ!!」

 

と、身震いしてみせた

 

お医者様……?

将軍上洛の折に…となると、幕府の関係者の可能性が高い

 

まさか……

 

さくらの脳裏に、ある人物が浮かんだ

少しの間だけ助手を務めさせてもらった、今は将軍の侍医をしている人物

 

「あの、失礼ですが、そのお医者様は何というお名前の方でしょうか?」

 

さくらの言葉に、伊東が首を捻って考える

 

「確か……松本良順とか、言ったかしら?」

 

「………っ!」

 

やっぱり!

 

そう思った時、声を出したのはさくらではなく千鶴だった

 

「そのお医者様って、松本良順先生なんですか!?」

 

「え?千鶴?先生を知っているの……?」

 

その言葉に、驚いたのは他ならぬ千鶴だった

 

「え!?さくらちゃんこそ知ってるの!?」

 

「……………」

 

「……………」

 

思わず、二人で顔を見合わせる

 

「ちょっ…ちょっと?」

 

伊東が首を傾げながら、手を伸ばそうとした時

 

「はっ!こんな事してる場合じゃない!」

 

千鶴は、いてもたってもいられない という様に、ガバッと立ち上がり

 

「私も健康診断に行ってきます!」

 

そう言い残すと、襷を解くのももどかしく、千鶴は走り出した

 

「えっ……!?ちょっ……!千鶴!!」

 

さくらも慌てて立ち上がる

 

「あん!さくらちゃ……っ!」

 

「すみません、失礼します!」

 

そして、軽く頭を下げると、そのまま千鶴を追い掛ける様に走り出してしまった

 

「もう……!物好きだこと」

 

伊東がそうぼやいていたのは、知る由もなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広間に近づくにつれて、隊士達のがやがやと騒がしい声が大きくなった

千鶴は外の廊下から、そっと中の様子を覗いてみた

 

「わわっ……!?」

 

目の前の、ある意味壮絶な光景に千鶴の足はぴたりと止まってしまった

あまりにも壮絶過ぎて、思わず唖然と見てしまう

 

「ちょっ……!千鶴……っ!!」

 

そこへ、遅れてさくらが追い掛けてきた

 

呆然と広間をがん見する、千鶴を見てさくらが首を傾げる

 

「千鶴?」

 

「……………」

 

返事が返ってこない

 

「………?」

 

何があったのだろうか?

疑問に思い、さくらがそっと広間の中を覗き見ると―――

 

「きゃぁ……っ!!」

 

ぎょっとして、慌てて顔を引っ込めた

 

広間には隊士達がひしめき合っていた

が、その上半身が裸だったのだ

 

えっ……ええ――――っ!?

 

よくよく考えれば、健康診断なのだから当たり前だ

だが―――

 

それとこれは、話が別である

 

千鶴をちらっと見た

千鶴は相変わらず、凝視―――というか、完全に固まっている

 

「ち、千鶴……っ!見過ぎよ」

 

さくらは、火照る頬を押さえながら慌てて千鶴の袖を引っ張った

 

それでハッと気づいたのか、千鶴が慌てて顔を引っ込める

 

「さくらちゃん……っ!?だっ…、駄目だよ!見ちゃぁ!こっち来ちゃだめぇ!!」

 

千鶴が顔を真っ赤にして、さくらの目を塞ごうとした

 

「お、落ち着いて!千鶴」

 

「だめだよぉ~!見たら、拙いよ!!」

 

「だ、大丈夫よ。見てないから!」

 

 

……少ししか

 

 

その言葉に、千鶴がホッと胸を撫で下ろす

 

「ならいいけど―――……」

 

そう言いながら、千鶴はもう一度物陰からそっと広間の中を覗き込んだ

 

隊士達は一列に並び、健康診断の順番を待っている様だった

その中には、永倉や藤堂、斎藤や原田の姿もある

 

そして、その騒々しい隊士達をひとりずつ診ている医者が一人―――

 

千鶴は小さく頷いた

 

「やっぱり、松本先生だ……」

 

それはやはり、京に来た日に千鶴が訪ねようとしていた松本良順だった

 

「千鶴は、先生を知っているの?」

 

「……うん」

 

さくらの問いに、千鶴が小さく頷く

 

「父様の昔からの知り合いなの」

 

「父様って……」

 

雪村鋼道の事か

「うん、父様が行方不明って言うのは言ったよね?私は、江戸から京に行ったきりの父様を探す為に京に来たんだけど…。 京で、”何か困ったことがあれば頼りなさい”って言ってくれてた松本先生を訪ねるつもりだったんだ。でも、お留守だったから会えなかったんだけどね」

 

「……そう」

 

まさか、千鶴と先生にそんな接点があっただなんて……

これは、何の因果だろうか?

 

「……あれから、もう随分経つけど―――……まさか、こんな所で会うなんて……」

 

千鶴は複雑そうな瞳で、じっと松本を見ていた

 

「よし、次の人!」

 

広間に響く松本の声に、あれこれと思いを巡らせていた千鶴はハッと我に返った

どうやら、次は永倉の番の様だ

 

「おう!俺の番だな!いっちょ頼んます先生!」

 

待ちかねた様子の永倉は、松本の前に出るなり「ふん!」と胸の筋肉を目立つ様にぐっと力を込めた

 

「ふんっ!どうすか!?剣術一筋で、鍛えに鍛えたこの身体!!」

 

ビシ!ビシ!自分的に最高のポーズをきめ松本に見せつける

 

それを見ていた永倉の数人後ろに並んでいた藤堂が、からかう様に

 

「新八っつぁんの場合、身体は頑丈だもん。診てもらうのは頭の方だよなぁー」

 

「あぁん?余計な事言ってると締めるぞ!平助」

 

顔だけ後ろを向いて反撃の体制を取る永倉の胸を、松本は木製の聴診器で診察し、トントンと指で叩いたりしていたが

 

「んー永倉新八っと……よし、問題ない。次」

 

あっけなく次の隊士を呼んだ

 

後ろにいるのは斎藤だったが、永倉はそこから退こうとしない

 

「ちょっ…!先生!もっとちゃんと見てくれよっ!」

 

「いやいや、申し分ない健康体だ」

 

不満の声を上げる永倉に、松本はあっさり首を振った

 

「新八!後ろがつっかえてるんだから、さっさと終わらせろ!」

 

後ろの方から原田が叫んだが、永倉は頑として動こうとしなかった

 

「そうじゃなくてよ!もっと他に見る所あんだろ!?」

 

「診察は診てもらうものであって、見せつけるものじゃない。さっさとどけ」

 

とうとう業を煮やした斎藤はそう冷たく言い放つと、永倉を押しのけて松本の前に座ってしまった

 

ぶすーとふてくされた様に永倉が列の横を歩く

そのまま、原田の横も通り過ぎ様とした時だった

 

すると、原田が渋々広間を出て行こうとする永倉の目の前に、この肉体美はどうだとばかりに自らの筋肉隆々の腕を差し出した

それにピクッと反応した永倉が、なにくそっと両手を上げてふん!と筋肉を見せびらかす

にやりと笑った原田は、今度は胸の筋肉が目立つ様にぐっと力を込める

今度は、永倉が対抗する様にすぐさま同じポージングを取った

 

「左之~俺に勝とうなんざ、百万年早ぇえってんだよ」

 

「はっ!じゃぁ、俺は百万飛んで千だな」

 

「ほほぉう」

 

にやりと、永倉が笑った

 

「やるか?」

 

「望むところだ」

 

 

「「―――っ!!」」

 

 

ビシー!

 

 

二人揃って、最高の決めポーズを取る

 

 

張り合う二人の姿がおかしくて、千鶴は思わず笑ってしまった

そんな様子の千鶴を見て、さくらは苦笑いを浮かべるのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと、健康診断の回です

あ~ようやく、話が進みます・・・

 

しかし、千鶴!見過ぎよ!!(笑)

そして、悲しい位、土方さんがいーなーいー

 

2011/02/23