櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 四章 虚実の馨り 1

 

 

コトン……

 

千鶴は持っていた椀を膳に置いた

昼餉の時間

 

土方は仕事でいない

いつもなら、おかずの取り合いをしている、永倉や藤堂も何も言わず箸を動かしていた

原田はどことなく、ぼんやりしている様に見える

心此処に在らず―――と言った感じだ

斎藤は、相変わらず静かに食している

沖田は、元々食が細いのもあって、殆ど手付かずの膳を前に酒―――は、昼間からは拙いので、茶を飲んでいる

 

「……………」

 

何だか、いつもの、賑わいのある食事風景とは違っていた

千鶴はちらっとある箇所を見た

 

そこには、数日前までいた筈の彼女の姿は無かった

膳も置かれず、そこの空間だけぽっかり開いている

 

その事に、誰も触れないし

触れようともしない

 

「はぁ………」

 

思わず、溜息が洩れた

箸が思う様に進まない

 

その理由は分かっている

”ここ”に”彼女”が”居ない”からだ

 

ここ数日……

いや、正確にはあの夜から

彼女の姿を見掛けていない

何故なら、彼女はあの日から、ずっと部屋に閉じこもったまま姿を現さないからだ

 

食事の時間になっても、巡察から帰ってきても、廊下ですれ違う事すらない

 

ずっと、1人 あの部屋に閉じこもったまま―――

 

運んだ膳もまったく手を付けた様子がない

かといって、寝ている様子でもない

泣いている様でも、伏せっている様子でもない

 

何度も室の前まで足を運んだが、彼女が答えてくれる事は無かった

 

そこに、居る事すら疑ってしまう

ただ、広がるのは”虚無”

 

さくらちゃん……

 

はぁ……と、千鶴はまた溜息を付いた

 

「千鶴?全然、食べてねぇじゃん」

 

不意に、隣に座っていた藤堂が話しかけてきた

 

「何だよ~お前、食わねぇの?」

 

「え…っ?あ、ううん」

 

千鶴は慌てて、汁物の椀を取った

 

「た、食べるよ?平気平気」

 

そう言って、何とか笑顔を作る

それを聞いて、ほっとした様に藤堂がにかっと笑った

 

「ほんと、勘弁してくれよな~。絶食するのはさくらだけで―――あ…」

 

何かに気付いた様に、藤堂が慌てて口を押さえる

一瞬、場がシン…となる

 

「あ、ええっと……ひ、昼は食べてくれてるといいよね!さくらちゃん」

 

「そ、そうだよなぁ!やっぱ食うもん、食わねぇと力も出ねぇしな!」

 

場を和ませようと千鶴がそう言うと、藤堂がうんうんと頷く
が………

 

 

シ―――ン……

 

 

カチャカチャと、食事の音だけが響く

 

「……………」

 

千鶴は、もう一度何かを言おうとして口を開いたが、そのまま俯いてしまった

 

「あ、あー」

 

藤堂が、場の雰囲気に耐えられないといった感じに声を洩ら

 

「ほ、ほら!元気出せって!な?千鶴」

 

そう言いながら、バンバンと千鶴の背を叩く

 

「う、うん」

 

千鶴が躊躇いがちに笑顔を作った

その時だった

今まで黙っていた永倉が、不意に口を開いた

 

「でもよーまさか、さくらちゃんが薩摩の人間だったとはねぇ……」

 

「あ……」

 

永倉の言葉に、千鶴がハッとする

 

永倉のそれに表情は無い

ただ、淡々と口にした

 

「新八っつぁん!」

 

永倉に藤堂が食って掛かる

 

「そんな言い方する事ないじゃんか!」

 

「……本当の事だろ」

 

そう―――

さくらは、あの晩 自身の出世を明かした

 

自分は今は薩摩の人間で、今までずっと風間達と一緒に居たのだ―――と

黙っていて、申し訳なかったと、頭を下げたのだ

 

「しかも、土方さんは知ってたらしいじゃねぇか」

 

「そ、それは……」

 

そして、土方も打ち明けた

知っていた―――と

 

「俺らも謀られたもんだよなー土方さんも土方さんだぜ。何で言わなかったんだよ? ……案外、俺らの情報も薩摩に売られてたりし―――」

 

「しんぱっ……!!」

 

藤堂が永倉に言い募ろうとした時だった

 

 

  バシャ

 

 

「ぶわっ!熱っ……!?」

 

藤堂が言う前に、いきなり永倉の顔面目掛けて茶が降ってきた

藤堂と千鶴が驚いた様に、口を開けたまま目を見開いた

 

「―――って!いきなり、なにしやがる!?左之!!」

 

永倉は、自分に茶をぶっ掛けてきた張本人をキッと睨ん

だが、掛けた本人―――原田は無表情のまま、空になった湯呑を持っていた

湯呑から、ポタ…ポタ…と、雫が落ちる

 

「新八………」

 

いつもよりも数段低い声が広間に響く

その目がス…と細められた

思わず、ビクッと永倉がたじろぐ

 

「てめぇが馬鹿じゃねぇなら、ちったぁ頭冷やせ」

 

それだけ言うと、原田はスッと立ち上がった

 

「さ、左之さん……?」

 

藤堂が、恐る恐る原田に声を掛ける

原田は、一瞬だけ藤堂を見る

その目は笑っていない

 

そして、そのまま広間を出て行ってしまった

 

「ったく…左之の奴!『頭冷やせ…』とか言いながら、これお湯じゃねぇか」

 

ぶつくさ文句を言う永倉に、藤堂が青い顔になって叫んだ

 

「な、何、暢気な事言ってるのさ!新八っつぁん!左之さんのあれ、マジ怒りじゃんか!!」

 

「左之さんって…本気で怒ると、静かに怒る人だったんだね。……ある意味、いつも以上に迫力あるけど」

 

「怒鳴ってる方が、幾分ましという事だな」

 

沖田と斎藤が、他人事の様にポツリと呟く

藤堂があわあわなりながら、永倉を揺すった

 

「新八っつぁんが、変な事言うから……っ!大体、さくらがそんな事する訳……」

 

「あーうるせーうるせー!!」

 

永倉が藤堂をシッシッと手で追いやる

 

「新八っつぁん!!」

 

「俺だって、んなこたぁ分かってるよ!!」

 

永倉が「あーくそ!」と呟きながら、頭をかく

 

「でもよーもうちょっと、俺達の事信用して話してくれたっていいだろが……」

 

「新八っつぁん……」

 

思わず言葉を失ってしまう

責める事も、問い詰める事も出来ず、藤堂は視線を落とした

その時だった

 

「あー結局あれでしょ?」

 

沖田が、指で湯呑をくるくる回しながら

 

「要は、新八さんは拗ねてただけでしょ?」

 

「んな……っ!!?」

 

永倉がバッと赤くなる

それを見た沖田が、にやっと笑った

 

「案外、可愛いとこあるよね?」

 

にっこり 極上の笑みで言う

 

「………っ!な訳、あるかぁ――――!!!」

 

「うっわ―――!新八っつぁん!タンマ!!」

 

ちゃぶ台返しの如く、膳を引っ繰り返した永倉が吼えるのを、藤堂が慌てて止めに入った

それをにやにや顔で、沖田が見ている

見かねた斎藤が、はぁ…と溜息を付いて

 

「総司。あんまり新八をからかうな」

 

「えー?だって、面白いじゃん」

 

「総司」

 

斎藤に窘められて、沖田がやれやれと手を上げる

「はいはい。本当、一君は頭固いよね」

 

「それとこれとは、まったく関係ない」

 

「だから、そういう所が固いんだって。 でも、一君毎晩 さくらちゃんの所行ってるんでしょ? 何かしてるわけでもないけど…健気だよねーーー」

 

「………………」

 

一瞬、斎藤が押し黙る

すると、沖田が痺れを切らしたように

 

「いっそのこと、部屋から連れ出せばいいじゃん? 一君ならそれぐらい簡単でしょ?」

 

沖田の言葉に、斎藤が「はぁ…」と重い溜息を付いて箸を置いた

 

「そういう問題じゃない」

 

「え~じゃぁ、どういう問題なのさ~」

 

涼しい顔で、会話をする2人とは裏腹に

暴れまくる永倉を必死に抑えている藤堂を、千鶴はおろおろとしながら見つめるのであった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――暗い

 

―――暗い、闇

 

―――何処までも、真っ暗な”闇”

 

そこに、光は無く

ただ、深遠の”闇”が広がるばかり

 

誰もいない

何も存在しない

 

ただ、一面に広がる”闇”のみが支配する世界――—

 

さくらは、そこにただ1人ぽつんと立っていた

何処を見るでもなく、ただ、ぼんやりと立っている

 

視界に何も入らない

何も聴こえない

何も考えられない

 

ただ、そこに居るだけ

 

そうしているだけなのに、何とも言えない感情が湧き上がってくる

 

”不安”

”恐怖”

”飢渇”

 

それらは、さくらの中で滾々と湧き上がってくる

まるで、それが最初っからある様に

 

そして、それらに呼応する様に、闇が一層深くなっていく気がした

 

「――――」

 

不意に、何かの音が脳裏を過ぎる

 

ボゥ…と、遠くの闇の中に影が現れる

それは徐々に、人の形を成していった

 

 

風間千景

 

 

彼がそこに”居た”

 

風間は、振り返るでもなく、ただ遠くを眺めている

 

「――――っ」

 

”千景”

 

と、呼ぼうとして声が出ない事に気付いた

さくらは、その異変に気付き、喉を押さえる

 

”千景!”

 

そう呼ぶも、やはり音にはならない

 

何度も、何度も、声を出そうと必死に口を開くが―――

それは”音”にならず、闇に消えた

 

風間が一瞬、さくらを一瞥した

ピクッとさくらが肩を震わす

 

あの時の光景が蘇る

 

あの晩、月を背にさくらを見た―――あの瞳を

 

 

「――――っ」

 

 

”待って”

 

風間がスッと視線を逸らすと、そのまま闇の中へ消えていく

 

 

”待って!”

 

 

追いかけようと、足を動かそうとするも、その足すら何かに絡め取られた様に動かない

見ると、真っ黒な茨が足に絡みついていた

必死にもがけばもがく程、足をつたう茨が食い込む

 

その瞬間にも、風間の姿が消えていく

 

 

 

”待ってっ!千景――――っ!!!”

 

 

 

声にならない声が、闇の中に消えていく

 

嫌………

 

自分を蔑む、義母

振り返ろうともしない大人達

 

冷たい 視線

軽蔑の 赤い瞳

 

 

嫌……っ

 

 

誰も、自分をみてくれない

誰も、さくら自身をみてくれない

 

 

『所詮は、貴様も混血か―――』

『”原初の鬼”でなければ、誰が混血の子など―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

     「お前など、もう 要らぬ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――っ」

 

 

 

   千景………っ!!

 

 

 

ビクッと瞬間、さくらは身体を震わせて 目を覚ました

 

「あ………」

 

ドクドクと心臓が脈打つ

 

ゆ、め………?

 

一瞬、寝てしまっていたのか―――

さくらは、早鐘の様に脈打つ心臓を掴む様に、ギュッと胸元を掴んだ

 

辺りを見回す

 

闇など無い

自分の部屋だ

 

窓から沈みかけた日の赤が差し込んでいる

境内の寺からか

ゴォ―――ンと夕刻を示す、鐘の音が聞こえてきた

 

「……………」

 

さくらは、窓際の壁に寄り掛かったまま、一度だけ目を瞬きさせた

 

違う………

脳裏を過ぎる、風間の背

 

あれは…夢じゃない………

あれは……”現実”だ

 

その口から放たれた言葉

 

 

”要らぬ” と

 

 

あの人は、私の事など”要らぬ”と言ったのだ

 

 

”もう 要らぬ”と

 

 

さくらは、じっと沈みゆく夕陽を見た

そして、ふっと自虐じみた笑みを零す

 

 

何を今更………

 

 

分かっていた事ではないか

いつかは、こうなる日が来ると 分かっていたではないか

 

千鶴が―――雪村の純血の女鬼が居ると分かった時点で、容易に想像付いた

 

ああ…自分はいつか 要らなくなるのだ―――と

いつか、風間は自分を捨てるのだろう―――と

 

『それはその女の為か?それとも保身か?』

 

あの時の、風間の言葉が蘇る

そう―――最初は、保身だった

 

自分の居場所が無くなるのが怖くて

いつか、彼女が自分と取って代わるのが怖くて

 

遠ざけようとした

 

彼女の為と言いつつ、本当はたた己の身を守りたかっただけ―――

 

「最低だわ………」

 

なんと汚い 浅ましい考えか

 

結局は、風間となんら変わらない

彼女の都合など、何も考えていないのだ

 

ただ、己の為だけに―――

 

ギュッとさくらは、着物の裾を握り締めた

でも………

 

千鶴と触れ合っている間に……

他の感情が生まれた

 

この子は何も知らないのだ と

鬼の事も、血の事も、家の事も

何も、知らないのだ―――と

 

失われてはいけないと思った

 

これ以上、血に縛られる者を生み出してはいけないと思った

血に家に縛られ、未来さきを失ってしまってはいけない と

この先、幾重にも連なる未来みちを失わせてはいけない―――と

 

 

犠牲のなるのは、自分だけで充分だと

 

 

だから、守らなければ

鬼のしがらみから、守らなければ―――と

 

 

そして―――その結果が これだ

 

 

私は彼にとって、”要らない者”となった

 

後悔などしてない

していない―――けれど

 

 

  『さくら』

 

 

そう言って、優しく名を呼んでくれる事も

微笑んでくれる事も もう、無いのだ

 

あの人の傍は、もう私の居場所ではないのだ―――

 

「……………」

 

いつか言っていた

 

『……必要とされなくなったら?

 

 

その時は………

 

 

小さく、かぶりを振る

 

 

『……お前は、人である事を選ぶのか?』

 

 

私は……

 

 

『……お前が、人である事を選ぶなら、俺はお前に興味などなくなるぞ?』

 

 

選んだ…のだろうか

”鬼”ではなく、”人”である事を……

 

 

『……必要とされなくなったら?』

 

 

あの時の光景が蘇る

月の中、葉桜が舞う―――幻想的な風景

 

 

土方の言葉に私は何と答えただろうか―――

 

 

 

 

 

「『潮時かもしれません』」

 

 

 

 

 

そう―――もう、”潮時”なのだ

 

風間の傍に居る事も、その言葉が自分に投げ掛けられる事も 彼の後を付いて行く事も

もう―――無いのだ

 

 

それが、酷く 虚しい―――

 

 

『言ってみろ!てめぇの望みはなんだ!?』

 

 

私の望みは―――

 

 

望みなど……無い

 

 

10歳の時、八雲家により生家を焼き払われ、父・道雪は八雲家に連れて行かれ

母はその日から女手一つで、さくらを育てた

弱音1つ吐かず、ただ、日々を必死に生きていた

だが、元々病弱だった母の心労は激しく、徐々に衰弱して……さくらが12歳の時に死んだ

江戸で途方にくれている所に、風間家の迎えが来た

 

 

「ずっと、探し申し上げておりました”原初の鬼姫様”」―――と

 

 

それから、風間家に連れて来られて、風間の為だけに教育を受けてきたのだ

 

風間家に引き取られた時から、風間の妻になると教え込まれてきた

茶や華、礼儀作法など色々教え込まれた

全ては、完璧な風間の妻となる為

 

 

そういう風に作り上げられてきた

それが今の”八雲 さくら”だ

 

 

それは、さくらの意思なのか

それとも風間家の意向なのか

 

 

今となっては分からない

 

ただ、そうだと言われたから今までそうだと思ってきた

 

でも、それはさくらの意思じゃない

 

 

それではまるで―――”人形”だ

空っぽの何も無い ただの”人形”――――

 

 

要らなくなったら、捨てればいい

 

 

その程度の存在なのだ―――と

 

愛されたいとか、愛してし欲しいとか

 

”原初の鬼”だからとか、”混血”だからとか関係なく

ただの”私”として、誰かに愛されたい

 

 

そう、思うのは痴がましい考えだろうか………

 

 

「千景……」

 

 

声が、小さく呟く様に微かに聞こえる

 

 

「千景………っ」

 

 

愛して欲しいなどと望まない

愛してくれなくてもいい……ただ、傍に居たかった……

ただ、あの人の傍に……居場所が欲しかった

 

 

それだけ……だった………っ

 

 

「………っ、千景……っ、千景………っ!!」

 

呼べども、最早、答える人はおらず

ただ、さくらの声が響くだけだった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれ……?

新八が左之の絶対零度の怒りMAX食らい…

その後、鬱々と考える所に…?という展開の筈!だたのですが…

あら、こんな所で終わっちゃったよ?

 

っていうか、今回…夢主がどれだけちーを想っていたかをぶちまけただけの様な気がする

のですが…気のせいでしょうか?

注:これは、土方夢です

※一部加筆修正あり (2020.08.14)

 

 

2010/10/06