櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 三章 散る花 6 

 

 

「はぁ………」

 

千鶴は溜息を付きながら、屯所に戻って来ていた

 

結局、山南さんは何をいていたのか、分からなかったな……

一体、何の為に出たんだろう?

 

追ってはみたものの、見失ってしまって、成す術も無く戻ってきてしまった

 

それに……

 

何だか、嫌な風が吹いていた

 

今夜はどこと無く、不気味で…嫌な予感がする

 

既視感というのか

この感じ、どこかで―――

 

その時、襖が少し開いている部屋があった

 

「………?」

 

思わず、足を止め、中を見てしまう

 

「………っ」

 

机の上に置いてある、謎の小瓶

その中にある赤い液体

 

それが、真っ暗な室の中で異質さを放っていた

 

あれは……?

 

思わず、見入ってしまう

 

ただ、そこにあるだけなのに

それは異様なまでに赤く、光っている様に見えた

 

その時、だった

 

 

 

「まさか、君に見つかるとはね……」

 

 

 

「………っ!」

 

ギクッとして、慌てて声のする方を見る

そのには、山南が冷たい瞳で立っていた

 

「……予想も、していませんでしたよ。…雪村君」

 

「山南さん……」

 

山南が、薄っすらと笑みを浮かべながら近づいてい来る

言葉の意味は分からなかったが、千鶴は何よりも山南の表情に驚いた

全ての悩みが解決したような、不思議なくらい爽やか笑顔

 

「どうそ、お入りなさい」

 

そう言って、山南は部屋の襖を開けて中に入って行った

 

「……………」

 

一瞬、躊躇してしまう

千鶴はごくっと息を飲み、ゆっくりと山南に続いた

 

「……これが気になりますか?」

 

山南がちらっと赤い液体の入った硝子の小瓶を見る

 

「……それ、なんですか?」

 

聞いてはいけない気がした

でも、問はずにはいられなかった

 

「……これは、君の父親である鋼道さんが、幕府の密旨を受けて作った薬です」

 

「え!?」

 

そこに父の名が出てきた事に驚き、千鶴は思わず声を上げた

 

父様が、幕府に命じられて……?

 

「元々は西洋から渡来したものらしですよ。人間に劇的な変化をもたらす秘薬としてね」

 

「劇的な…変化…ですか?」

 

「ええ…単純な表現をするとしたら、主に筋肉と自己治癒力の増強でしょうか」

 

「……………」

 

それが本当なら、凄いことだと思った

 

「しかし、それには致命的な欠陥がありました」

 

山南は微笑みながら、そのまま語り続けた

 

「強すぎる薬の効果が、人の精神を狂わすに至ったのです……投薬された人間がどうなるか―――その姿は君もご覧になりましたね?」

 

「………っ!?」

 

山南の言葉が何を意味するのか……千鶴は直感的に理解した

脳裏に一瞬、あの晩の―――初めて新選組と会ったあの夜の事が思い出される

 

真っ白な髪、そして―――血に飢えた赤い瞳

正気を失い、血に狂う化け物

 

千鶴が目を見開いて、思わず口元を手で覆った

 

山南がゆっくりとその小瓶を手に取る

毒々しく真紅の液体が揺れている

 

「どうやら思い当られた様ですね……君が出会った、あの隊士達に」

 

千鶴の表情を見て、山南は満足そうに目を細めた

 

「薬を与えた彼らは理性を失い、血に飢えた化け物と成り下がりました」

 

「そんな薬、どうして………っ」

 

いくら幕府の命令だとしても、鋼道がそんなものに関わっていたなどと……

 

山南から与えられた情報が、ぐるぐると頭の中を回っている

理解出来る筈の無い事実を、感情が納得しようろしてくれない

 

「戦場で血が流れる度に狂っていては、たとえ強靭な肉体を手に入れようとも意味がありません」

 

薬で、肉体の強化しなければならない

でも、精神を狂わせてしまっては困る

 

「……鋼道さんは”新選組”という実験場で、この薬の改良を行っていたのですよ」

 

「そんな……っ、父様が、人を壊す様な実験を……」

 

父様が、人を狂わす様な実験を……?

 

そんな事信じたくなんてなかった

でも、否定の言葉が出てこない―――

 

何か言おうと口を開くが、ただ息が苦しくなるばかり

 

「しかし、残念ながら彼は行方不明となり、薬の実験は中断されてしまいました……あの人が残した資料を基にして、私なりに手を加えた物がこれです」

 

山南は柔らかく微笑むと、手元の小瓶を軽く揺らした

 

「その液体を、可能な限り薄めてあります」

 

聞きたい事は沢山ある

でも、何から聞けば良いのか分からない

 

千鶴は躊躇いながらも、真っ先に浮かんだ疑問を口にした

 

「それをを使えば、大丈夫なんですか?その薬なら、狂ったりしないんですか……?」

 

山南は少し困った様な顔をする

 

「正直な所、まだ分かりません。……誰にも試していないものですから」

 

含みを持たせる様な口調に、何となく嫌な予感がした

そして、山南の笑みが消える

 

「服用すれば私の腕も治るかもしれません。薬の調合さえ成功していれば……ね」

 

「かもって……危険すぎます!」

 

成功する保証もない

失敗すれば、狂ってしまうのに―――

 

「そんな物に頼らなくたって、山南さんは―――っ」

 

 

 

「こんな物に頼らないと、私の腕は治らないんですよ!」

 

 

 

山南が激高した

 

「私は最早、用済みとなった人間です!!」

 

「そんな事ありません!」

 

千鶴も負けじと声を大にする

思わず、山南の腕を掴んだ

 

「皆も、優しい山南さんの事が好きです。だから……っ!」

 

落ち込んでい山南を、決して見放さなかった

立ち直ってくれるのを、ずっと待っていた

 

「自分が用済みだなんて、そんな事言わないで下さい……っ!」

 

「―――剣客として死に、ただ生きた屍になれというのであれば……」

 

山南がゆっくりと振り返る

 

 

 

「人としても死なせて下さい」

 

 

 

「―――っ」

 

ふっと、一瞬山南が笑った

そして―――

 

 

 

「―――山南さんっ!!」

 

 

 

そのまま、一気に赤い液体を呷った

ガシャンと小瓶が畳に落ちて割れた

 

彼の唇から朱色を引くひと筋の雫

ドクンドクンという、心臓の音

 

割れて、滴って、響いた瞬間、山南はその場に膝を付いた

 

「ぐ……っ……」

 

「山南さん!?」

 

一瞬、伸ばしかけた手が止まる

だが、千鶴は躊躇しながらも、山南の背にそっと触れた

 

山南は己の心臓を掴む様に苦痛を漏らした

 

「ぐ……うっ…・・・っ」

 

その時だった

 

赤い瞳がこちらを見て―――

 

「ああっ……!」

 

いきなり、グイッと山南の右手が千鶴の喉元に掴みかかってきた

 

「……く……くく…・・・」

 

「ぐっ……あ……っ」

 

ギリギリと締め上げられ、息が出来ない

千鶴を掴んだ手は山南であって山南ではなかった

 

薄暗い闇の中で浮き上がる、変色した真っ白な髪

前髪の間から覗く、狂気に満ちた赤い瞳―――

 

千鶴はこの目を知っていた

この獲物を見る様な目を知っていた

 

京を訪れたあの日と同じ、血に染まった浅葱色の羽織を纏う、人ではないなにか―――

 

  ”化け物”

 

目の前の存在をそう表現しかけた唇を食い縛り、千鶴はギリギリと締め上げられる喉から、必死の声を漏らした

これは自分の知っている山南だと言い聞かす

 

「山……南さ………っ」

 

―――刹那、千鶴の首を締め付ける動きが緩んだ

 

怪しく光っていた赤い瞳が、揺れる

山南はハッとした様に、手を離した

 

……手が、離れた……?

 

瞬間、千鶴はその場に膝を付き、指の跡が残る喉で懸命に酸素を貪る

 

「……っはぁ、げほ…げほ……!」

 

滲んだ視界で何とか顔を上げると、白髪と化した山南が映った

 

「く……っ、は……は……ぐっ…!」

 

山南は、両手で自分の顔を鷲つかみにして、苦悶の声を上げていた

……けれど、指の合間から覗く山南の瞳の奥には、小さな理性の光が灯っていた

 

「……失敗……した様ですね…自分が思うより私は賭けに弱かった様で……」

 

搾り出す様に苦しげだが、この自虐めいた響は、確かに山南だった

気が緩んで倒れそうになりながらも、千鶴はふらふらと立ち上がった

 

「さ……山南さん、大丈夫ですか…?」

 

考えれば、なんて馬鹿な問いだったのだろうか

荒い呼吸の下、山南は皮肉気に呟いてみせた

 

「……人の心配をしている暇はないでしょう……今の内に…私を殺しなさい」

 

「……え?殺…す……?」

 

「薬は失敗……既に…私の……意識は、無くなりかけています。このままでは…君を、殺してしまう……っ!」

 

千鶴だって、新選組に身を寄せてから、隊士が人を斬る姿を見てきた

人が人を殺す事を、否応が無く見せ付けられた

 

けれど、自分が人を殺すなんて、考えもしなかった

 

ましてや殺せと言う山南は、千鶴にとって見知らぬ人ではない

 

「そんな……!そんな事、出来る訳ないじゃないですか!」

 

 

 

「やりなさい!」

 

 

 

山南の怒声が響き渡る

山南はゆっくりと千鶴に歩み寄って来た

 

髪が触れ合う距離で瞳を合わせれば、彼の瞳から理性の色が少しずつ抜けていくのが分かる

 

―――やらねば、貴女が死にます

 

視線でそう語られ、山南は静かに告げた

 

「…・・・この薬の影響下にあっても、心臓さえ止まれば、死ねますから……」

 

山南の手が、千鶴の手が添えられていた腰の小太刀に伸びる

瞬間的に、山南が何を考えているのか悟った千鶴は身を強張らせた

 

スルッと山南の手により、小太刀の刃が姿を現す

 

「山南さん、止めて下さい……っ!」

 

必死に手ごと小太刀を鞘から抜き放った、山南の手を押し留める

 

「さぁ………」

 

必死の抵抗するが、力では叶わない

スラッと、小太刀の刃先が山南の心臓に向けられる

 

「……殺して……下さい…」

 

「駄目です……!山南さん……っ止めて下さい…!」

 

山南の声が、消えていく

狂気が、彼の声に取って代わっていく

 

「……死な…て……さい…」

 

山南は途切れ途切れにただ繰り返した

徐々に、小太刀の刃先が山南の胸元へ迫る

 

「……っ誰か!誰か来て―――っ!!」

 

ただ、千鶴は必死の叫んだ

邸に響き渡るように、ありったけの声を振り絞った

 

千鶴が必死に抵抗すが、女の細腕では力に抗える筈がない

 

「やめて―――っ!」

 

そして―――刃先が山南の胸元に突き刺さろうとした、その瞬間

ドタドタと走る足音が聞こえ―――

 

「山南さん!」

 

バンとッと襖が開け放たれ、土方らが駆け付けて来た

 

土方は足早に駆け寄ると、手刀で素早く山南の持つ小太刀を打ち払った

カランと小太刀が畳の上に落ちる

 

暴れる山南を沖田と斎藤が両脇から取り押さえた

 

「………っ」

 

千鶴はその瞳に困惑の色を示しながら、山南を見つめた

だが、緊張の糸が切れたのか―――ふっとそのまま意識を手放した

 

そのまま倒れそうになる千鶴を、土方が支える

 

その時だった

 

 

「っ、ぐああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

突然山南が苦しみ出し、叫び声を漏らした

 

「……っ、山南さん…!」

 

沖田が、倒れそうになる山南をなんとか支える

だが、山南はそのままその場に蹲った

 

 

「ぐっ…・・・うう……ううううう」

 

 

「副長……っ!」

 

 

斎藤が土方を見る

土方は、直ぐに立ち上がり

 

「新八、お前は前川邸の門前を。原田は八木邸で隊士達の動きを見張っててくれ。このの部屋いは誰も近づけるな」

 

「あいよ」

 

「分かった」

 

原田と永倉がすぐ様動く

 

「斎藤は中庭で待機。 伊東一派を牽制してくれ」

 

「分かりました」

 

「土方さん、僕はここに残りますよ」

 

沖田がそう言うと、土方は小さく頷いた

 

 

「ああ、どうせ今夜が峠だろう。生きるか、死ぬか―――壊れちまうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千鶴は遠くで聞こえる声に、目を覚ました

 

頭がぼぅ…とする

 

私、どうしたんだっけ……?

 

 

「土方さん、山南さんは?」

 

「まだ、分からん」

 

「……………」

 

山南さん……

 

ハッとした様に、千鶴は飛び起きた

辺りを見回す

 

「ここは……」

 

その時だった

スッと障子戸が開き―――土方が、冷たい視線を浴びせ様に立っていた

 

「状況を説明してもらおうか」

 

「……………」

 

同じだ

と、千鶴は思った

 

初めて屯所に来た時と同じ瞳―――

 

冷めたくて、見下ろす様な瞳

千鶴を殺すか、殺さないか考えているときの目だ

 

「どうして、山南さんとお前が一緒に居たんだ?」

 

「……薬があれば、山南さんの腕が治るかもしれないと思って探したんです。そしたら、偶然山南さんを見かけて……」

 

千鶴はそこまで言って言葉を切った

前を見据え、土方を見る

 

「あの……山南さんの飲んだ薬に父様が……父が関わっていたって本当なんですか?」

 

「……山南さんに聞いたのか?」

 

こくっと千鶴は頷いた

 

「あの薬は人を強くする代わりに、精神を壊すって……それを幕府の命令を受けて作って、実際試したのが、手偏の『羅刹』の人達だって」

 

「………はぁ」

 

土方は重い溜息を付いた

 

「聞いちまったなら、仕方ねぇ」

 

「確かに鋼道さんは薬の開発責任者だったが、完成前に居なくなっちまった」

 

ハッとした様に、千鶴が顔を上げる

 

「薬を飲んだ奴等は前川邸に居る。血に触れない限り大人しいが、一度壊れると手に付けられない」

 

脳裏の過ぎる、血に狂った隊士―――

 

「これが俺達幹部しか知らない、新選組の秘密だ……それを、お前は知っちまった」

 

「………っ!」

 

ビクッと千鶴は身体を震わせた

土方の冷淡な瞳が、千鶴を見ている

 

その瞳には、色は無く―――ただ、静かだった

 

「お前は鋼道さん探しに役立つかも知れねぇが、お前が居なくとも困りはしない」

 

身体が震える

……私は、父様の娘だ

 

だた人を探すだけなら、新選組には監察方がある

鋼道をよく知っている千鶴が居なければ、鋼道探しはちょっと樂になるだけだ

 

別に居なくとも支障はない

千鶴はそれだけの存在なのだ

 

新選組には必要ない

 

「不穏な動きがあれば、即座に殺される。……そう、てめぇの肝に銘じておけ」

 

「………え?」

 

土方の言葉を聞いて、千鶴はオロオロと視線を泳がせた

 

「あの……、私、殺されるんじゃ……?」

 

そう尋ねると、土方は面倒臭そうに目を細めた

 

「……まだ、殺さねぇよ」

 

思わず、ホッと安堵の息を洩らす

今回は、ギリギリ許される範囲だったんだ……

 

「もっとも、いつ死のうが困らねぇがな」

 

「あ……はい」

 

殺されない幸運を喜んでいい筈なのに、千鶴の気持ちは深く落ち込んだままだった

 

新選組における千鶴の立場は、一年前のあの日から何も変わってない

その現実が重たく、何故か酷く胸が痛んだ

 

土方はゆっくりと立ち上がると、障子戸を開けた

 

「薬の管理を任されていた山南さんが薬の改良を続けて、理性を保ったまま腕を完治しようとした結果があれだ」

 

空には月が昇り、雲が掛かっていた

 

「……お前は、腐っちまってる姿しか知らねぇだろうが、山南さんは元々、才もあり腕も立つ人だ」

 

「……頭の回転が速い人なんだろうな、とは」

 

千鶴の言葉に、土方はゆっくりと空を見上げた

 

「新選組が出来る前から、俺の兄貴分みたいなもんだった」

 

土方が唐突に話し出した理由は分からない

でも、千鶴に構ってくれるのは嬉しかった

無視されてる訳じゃないと、存在を認めてられていると思えるから

 

 

サァ…と風が吹き、土方の髪を揺らした

 

 

「あの薬を捨てちまわなかったのも、山南さんの腕を治す為だった」

 

副作用が強過ぎて役に立たない薬だと、新選組でも危険性は指摘されていただろう

だからこそ、改良を進めたのだろう

 

「俺達には、山南さんが必要なんだ……あの人を失う訳にはいかねぇんだよ」

 

「…………」

 

土方の言葉に、なんだかもやもやした気持ちになる

 

言葉には出来ないけど、彼の背負っているものが、何なのか……

それがどれ程重たい物なのか…分かる気がした

 

表情は変わらなかったが、彼の瞳には苦渋の色が満ちていた

今の彼は苦しみ、弱りきっていた

 

いつも冷静沈着で誰よりも先を見通している、新選組副長の姿からは想像も出来ない

 

「……大丈夫です」

 

やっとの思いで千鶴が搾り出したのは、根拠のなんてない気休めの台詞

それでも、何か言いわずには居られなかった

 

「山南さんは、きっと大丈夫です」

 

千鶴が繰り返すと、土方は微かに目を細めた

 

「……ああ」

 

「あの人の精神が薬に勝てる様に、今は賭けるしかねぇな…・・・」

 

空には薄っすら雲が掛かっている

今は、ただ、そう願わずには居られなかった―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに、山南さん羅刹化!

やっと、ここまで来たか・・・

 

って、今回名前変換ないです

すいませんm(_ _)m

内容的に、夢主出てこないので・・・

 

2010/06/21