櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 三章 散る花 13 

 

 

はぁ…はぁ……

 

さくらは走った

足がどうとか、時間がどうとか

そんな事はもう、どうでも良かった

 

”千鶴が危ない”

 

そう思ったら、居ても立ってもいられなかった

千鶴の無事な姿を、この目で確認するまでは安心出来ない

 

二条城まで千景が接触しない―――という可能性は無いわ

 

その前に、何処かで見ているかもしれない

もしかしたら、今も何処かで―――

 

風間の性格を知っている身としては、”待つ”というのはあり得ない

思い立ったら、即行動

さくらの知る”風間千景”という男は、そういう男だ

 

ぞくっと背筋が凍る様な気がした

 

早く……

早く、千鶴の所に行かなければ……!

 

廊下の角を曲がり、教えられた千鶴の部屋に向う

部屋の前に辿り着き、スゥ…と深呼吸する

 

大丈夫……

 

ごくっと息を飲み、そっとその障子戸に声を掛ける

 

「……千鶴?起きてる?」

 

「……………」

 

障子戸の向こうからは、返事は無かった

シン…と、静まり返り物音一つしない

 

寝てる…だけ、よね……

 

まだ、辺りは暗い

日が昇るには、まだ時間がある

 

でも………

 

さくらは少し考えて、それから

 

「千鶴、ごめんね」

 

そう言って、そっと障子戸を開けた

そして、室の中を見る

 

室の中では、千鶴が規則正しい寝息で寝ていた

さくらの心配など余所に、その寝顔は穏やかだった

 

「……………」

 

千鶴の無事な姿を見たら、力が抜けた

ずるずると障子戸に寄り掛かり、その場にへたり込む

 

「良かった………」

 

無事だ……

千鶴は、無事だ……

 

ホッとしたら気が抜けた

 

さくらは、じっと千鶴を見た

 

何をそんなに過敏になってるのかしら……

そんなに、千鶴が心配?

 

「……………」

 

違うわ

千景の興味が千鶴に移って、私は用済みになるのを恐れているだけだ

だから、千鶴を心配する―――

 

「………とんだ、自己満足ね…」

 

最早、渇いた笑みしか浮かばない

 

「………最低だわ……」

 

他者を心配する振りをして、自分の心配をしているなんて―――

さくらは、ギュッと着物を掴んだ

 

『……必要とされなくなったら?』

 

あの時の、土方の言葉が蘇る

 

必要とされなくなったら……

私…は………

 

「……う……ん……?」

 

千鶴が、もそっと動く

眠たそうに、目を擦りながら起き上がった

 

「あれ?さくらちゃん……?」

 

寝起きで、まだ頭が覚醒していないのか

千鶴はボーとしながら、障子戸に寄り掛かる様に座っているさくらに目をやった

 

何故、さくらがここに居るのだろうと、首を傾げる

 

「……ごめんなさい。起してしまったみたいね」

 

さくらは、淡く微笑みスッと立ち上がった

 

「夜明けまで時間あるし、もう少し寝ていた方がいいわ」

 

そう言ってじっと千鶴を見ると、優しく微笑んだ

 

「……………」

 

さくらがそのまま立ち去ろうとする千鶴には何だかその姿が、さくらが消えてしまいそうな気がした

 

「………っ。さくらちゃん!!」

 

予想よりも大きな声が響く

 

さくらは、ハッとした様に振り返った

 

「千鶴……?」

 

千鶴はバッと飛び起きると、駆け寄り、さくらの着物の袖を掴んだ

 

「あ、あのね……!その……」

 

どう言って良いのか分からず、口ごもる

 

「さくらちゃん……居なくならないよね!?」

 

「え……?」

 

さくらが、驚いた様にその真紅の瞳を見開いた

 

「だから…その……さくらちゃんが……消えそうで……」

 

声が震えている

何かを我慢する様に、千鶴はギュッとさくらの着物の袖を握り締めた

 

「何か、辛い事でもあった?」

 

「………っ」

 

千鶴の問いに、さくらがビクンッと肩を震わせた

でもそれは一瞬で、直ぐにいつもの表情に変わった

 

「……何も無いわよ?どうして?」

 

そう言って、微笑むさくらの表情は千鶴には読めなかった

 

「どうしてって……な、何となく……?」

 

「疑問系なの?」

 

「うっ……!そ、それは……」

 

どう言い繕って良いのか分からず、千鶴はもごもごと口ごもった

すると、さくらはふっと微笑み、袖を持つ千鶴の手に触れた

 

「今度は勝手に居なくなったりしないから、安心して」

 

そう言って、やんわり千鶴の手を袖から離させる

 

「あ………」

 

それが、何だか拒絶されている様で、千鶴はその手を引っ込め事が出来なかった

 

「じゃぁ、また後で」

 

そう言って、さくらが着物の裾を翻す

 

「あ………!」

 

さくらが行ってしまう

そう思うと、思わず千鶴は叫んでいた

 

 

 

 

 

「さくらちゃん!!」

 

 

 

 

さくらがゆっくりと振り返る

 

「あ、あの……えっと……」

 

呼び止めたはいいが、その先を考えていなかったらしく、千鶴は視線を泳がせた

それから、口早に

 

「きょ、今日昼から境内でお茶しない!?」

 

「………………」

 

さくらがキョトンとした様に、目を瞬かせた

ああ~自分は何を言っているんだろうと思いながら、千鶴はあわあわなりつつ言葉を続けた

 

「て、天気良さそうだし!そろそろ、境内ぐらいなら出歩いてもいいだろうし……!だから……!その……っ!」

 

余りにも焦って話す千鶴がおかしくて、さくらはクスッと笑った

 

「分かったわ。今日の午後ね」

 

「う、うん!」

 

ぱぁっと千鶴が嬉しそうに顔を上げる

 

「あ、じゃ、じゃぁ!今日は斎藤さんの巡察に付いて行くから、何か買ってくるね!」

 

「いいわよ、そんなに気を使わなくても」

 

「ううん、私が買ってきたいの!」

 

任せて!という感じに、ドンと胸を叩く千鶴がおかしくて、やっぱりさくらは笑ってしまった

 

「じゃぁ、お願い」

 

「うん!」

 

千鶴が嬉しそうに笑う

 

そんな千鶴を見ていたら、なんだか温かい気持ちになった

 

やっぱり、私はこの子を守りたい―――

 

自分の為とか誰かの為ではなく、この子の為に

そう強く思うのだった

 

その時

 

「おや?話し声がするから誰かと思えば……」

 

声が聞こえ、さくらと千鶴は振り返った

そこには―――

 

え――――?

 

そこに立っていたのは

 

「お早いお目覚めですね?雪村君に八雲君」

 

「さ…山南…さん……?」

 

死んだと聞かされていた筈の山南だった

 

ど、どういう事……?

千鶴は確かに”亡くなった”と……

 

だが、その筈の山南が今、目の前に居る

普通に、息をし立っている

 

「千鶴……?」

 

さくらは信じられない面持ちで、千鶴を見た

千鶴は、慌てる様にオロオロと視線を泳がせる

 

「千鶴、山南さんは亡くなったんじゃなかったの?」

 

「え、えっと……それは、その……」

 

千鶴が言い辛そうに口ごもる

すると、山南が何かに気付いたように「ああ…」と声を上げた

 

「どうやら、八雲君には秘密だった様ですね」

 

「秘密……?」

 

「まぁ、私が生きている事は幹部と雪村君以外は知らぬ事なので。ああ…でも、君はあれの存在は知ってるんでしたね。それなら、隠す理由はありませんね」

 

「……………」

 

あれ……?

 

人目に隠れる様に生きている山南

新選組の秘密

 

「……………」

 

まさか……

 

何かに気付いた様に、さくらはハッとした

千鶴を見て、そして山南を見る

 

「まさか…あれを飲んだんですか……?」

 

人を人ならざる者へと変化させる劇薬

”変若水”

 

さくらが信じられない物を見るように、山南を見る

山南はふふっと笑みを浮かべ

 

「君は頭の回転が速いですね。ええ……私は、あれを飲んだんですよ」

 

山南は、何でも無い事の様に言った

さくらにはそれが信じられなかった

 

「どうして……!?あれは……っ!」

 

「どうして?どうしてですか…。私には必要だった。……それだですよ」

 

「必要……?」

 

「ええ……」

 

そう言って、山南は左腕をゆっくりと上げた

 

「この手を動かす為に”必要”だった……。あの薬は本当によく利いてくれました。こうして今は何の不自由もなく動かせる―――」

 

淡く狂気染みた瞳で、山南がその口元に笑みを浮かべる

 

「……腕を治す為に……それだけの為に飲んだんですか!?」

 

人ではなくなる薬を―――

 

「それだけ?」

 

ふと、山南の口元の笑みが消える

そして、冷たく氷の様な視線をさくらに向けた

 

「貴女は”それだけ”だと仰りたいのですか?」

 

「………っ」

 

その表情が余りにも冷たく、さくらはビクッと肩を震わせた

 

「この腕が動かなくなって、私がどんな屈辱を抱いていたか知らない貴女が!”それだけ”と言うのか!?」

 

「山南…さん……」

 

山南はくっと喉の奥で笑って、左腕を摩った

その瞳は、どこか狂気染みている

 

「あの薬は素晴らしい……。まさに天からの恵です。ふふふふ……」

 

そう呟くと、ゆらっと来た時と同じ様に何処かへ消えてしまった

 

「……………」

 

さくらは言葉を発する事が出来なかった

 

「……山南さん、前にも増して薬の研究に没頭する様になって……」

 

千鶴が震える声で、そう呟いた

 

「だんだん、山南さんが山南さんじゃ無くなっていく様で……」

 

「千鶴……」

 

千鶴は、じわっと浮かんできた涙をぐいっと拭いた

そして、明るく振舞う様に顔を上げ

 

「ご、ごめんね!この事は口外するなって口止めされてたから……!言え…なく、て……」

 

「千鶴……」

 

さくらがそっと千鶴の肩に触れる

それがきっかけの様に、千鶴がボロボロと涙を零した

それを隠そうと、必死に擦る

 

「あ、あれ?ご、ごめんね…!べ、別に泣きたい訳じゃぁ……」

 

そう言うも、涙は止まらない様で、千鶴は必死に目を擦った

 

「……千鶴はどうして知ったの?」

 

「……たまたま、その場に居合わせて……それで……」

 

「そう……」

 

そう言うと、さくらはふわっと千鶴をその手で包み込んだ

優しく、その背を撫でる

 

「さくら、ちゃん……?」

 

「泣いてもいいのよ?我慢する事ないわ」

 

「…………っ」

 

その言葉を聞いた瞬間、今まで我慢してきたものが溢れ出てきた様に、千鶴はさくらにしがみ付いた

声を殺した様に、嗚咽を洩らす

 

「……と、めようと、したんだけど……止められ、なく、て……」

 

「うん……」

 

「さん、な、ん…さん……殺して…くれって……言われ、て…でも、出来なく、て……」

 

「うん……」

 

「土方、さんには…誰かに話したら、殺すって…言われ……誰にも…言えなく、て…」

 

「うん……」

 

「わた、し……私……」

 

千鶴がギュッとさくらにしがみ付いた

 

「千鶴……」

 

さくらが、優しく千鶴の背を撫でる

 

「頑張ったね」

 

 

「……うっ…あ、ああ……」

 

「千鶴は頑張ったわ」

 

「うっ…うああっ……ああっ……」

 

千鶴はさくらの胸に埋もれる様に大声で泣いた

泣いて泣いて、泣き続けた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらあら、山南さんバレました

というか、自らバラしました!

 

これは、千鶴友情夢でしょうか…?

土方さんはまた次回

 

2010/07/26