櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 二章 斬人 6 

 

 

……長い夜が明けた

 

実際、池田屋への討ち入りは、一刻ぐらいの時間で終えていた

 

池田屋に居た尊王攘夷派の浪士は、20数名だと言われている

新選組は7名浪士を討ち取り、4名の浪士に手傷を負わせていた

 

その後、会津藩や京都所司代の協力の元、最終的には23名を捕縛

彼らの逃亡を手助けした池田屋の主も、改めて捕縛される事となった

 

数に勝る相手への懐へ突入した事を思えば、新選組は目覚しい成果を収めている

けれど、新選組の被害も、小さなものでは済まされなかった

 

沖田は胸部に一撃を受けて気絶していたし、藤堂は額を斬られて血が止まらなかった

永倉も左手を負傷している

 

そして……裏庭で戦った隊士の1人が戦死した

他にも、2人の隊士が、命に関わる様な怪我を負った

……恐らく、彼らも助からないだろう

 

会津藩が担う京都守護職や、桑名藩が担う京都所司代も、それぞれに浪士と戦っていたらしい

 

後にこの事件は「池田屋事件」と称され、新選組の名を広く世に知らしめるのだった

そして、この事件が発端により、もっと大きな事件が動き始めようとは…誰も思わなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6日の昼頃には、探索もあらかた終了していた

壬生の屯所への帰還である

 

『誠』の旗を先頭に立てた

 

通りでは、人々が喝采を送る

京を火の海から救った、という誇りに似たものが隊士の中にある

それは、悪い事ではない、と土方は思った

皆が胸を張って、堂々と歩こうとしている

 

喝采は、勝ったからだ、と土方は冷静に受け止めていた

肚の中では、ただの人斬りの集団と思いながら、笑顔を向け、拍手を送っているのかもしれない

 

そんな風にしか感じられない自分が嫌な奴だと土方は思った

 

浪士の残党狩りは、翌日も続けられた

 

新選組からも、20名程が出動している

京の浪士が、消えてしまったとは思えなかった

長州藩などは、再び尖鋭化しかねない

 

「すみません。全て私の不注意です」

 

屯所に帰って最初に目にしたのは、申し訳無さそうに頭を下げて謝罪の言葉を述べる山南の姿だった

ああ、きっとそれはあいつの事なのだろうと、土方は思った

 

やはり、屯所に彼女の姿は無く、その痕跡すら残していなかった

まるで、霧の様に消えたのである

 

それを聴いた瞬間、やはりあれはあいつだったのか…と土方は思った

 

あの時、池田屋で見た少女

あれは紛れも無く八雲 さくらその人だったのだろう

 

「別に、山南さんが悪い訳じゃねぇよ」

 

土方はやんわりとそう言い、山南の肩を叩いた

山南は、申し訳無さそうに、もう一度、「すみません」と謝った

 

「しかし、八雲君は一体何処へ行ってしまったのだ? 昨夜女子1人で出歩くには危険過ぎる」

 

近藤は、う~んと腕を組みながら、唸った

 

ふと、土方の脳裏に池田屋で見た、彼女の姿が過ぎった

 

「………近藤さん」

 

土方は、息を吸い、近藤を見た

今、あの事をこの場で言うのは憚られた

 

「悪いが、あいつの件は俺に一任してくれねぇか?」

 

「む…? しかし……」

 

「悪い様にはしねぇよ」

 

そう言って、笑って見せた

近藤は、少し納得いかないという感じに、唸ったが最後には折れた

 

「む……トシがそう言うなら、任せよう」

 

「ああ」

 

それから、怪我人を運び込み、隊士達には少し休ませる事にした

千鶴も、山崎と一緒に怪我人の手当てに追われていた

 

土方はその様子を見てから、池田屋で気を失った沖田の部屋に行った

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付いた様で、沖田は土方が入ってくるなり、毒付いた

だが、土方はそれをさらりとかわした

 

「何だか、嫌だな。こんな時に寝込むなんて」

 

「お前も、時のは身体を養生しろ、総司。近藤さんも心を痛めてる。池田屋で死んでいても、不思議はなかったんだぞ」

 

「でも、もう大分気分は良いんですよね。見廻りぐらいは、出ようかな…って」

 

肌が透ける様に白くなった

元々、江戸に居る頃から色白ではあったが、今の状態は池田屋で血を吐いてからだ

 

「歩いてみたいんですよ、土方さん。 池田屋からの帰り、『誠』の旗があれ程誇らしく見えた事はないです」

 

若い分、沖田は純粋だった

喝采もそのままに聞こえたのだろう

沖田だけでなく、屯所の雰囲気も、あの日を境にガラリと変わった

 

「会津候からも、お呼びが掛かってるんでしょ?」

 

「幕府と朝廷から、褒美が頂けるらしい。 会津候を通してだがな」

 

「僕は、京に来て良かったって思ってます。 いや、試衛館に居て良かった」

 

「言葉に出して言う事じゃねぇよ、 総司」

 

「分かってますよ。 新選組は、これからだ」

 

これからもっと、人斬りに使われる

池田屋の件でも、長州藩は新選組を目の敵にしているという

憎まれ役を、平然と務めさせるのが、会津藩だった

 

しかしそれは、いつまでもという訳ではない

やがて、長州と戦になりかねない雲行きだった

その時は、会津藩が前面に立たなければならなくなるだろう

 

「そうそう、千鶴ちゃんが美味しいものを運んできてくれるんですよ。 土方さんにそう言いつけられたとかで」

 

「そうか。 鯉を甘く煮込んだものは、美味かったか?」

 

「ええ。 身が引き締まっていて、鯉とは思えなかったです。 滋養がたっぷりで。 本当は、あれですっかり元気になってるんですけどね」

 

だから、起きてもいいか? と沖田は土方に尋ねた

 

「駄目だ。 後、5日は寝ていろ。 いいな?」

 

そう言い残すと、土方は沖田の部屋を後にした

 

見廻りに出る、点呼が始まっていた

食あたりで倒れていた者たちも、次々に回復し始めていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土方は自室に戻ると、部屋の火を灯し、文机に向って、今回の事後処理を始めた

色々と纏めないといけない事が多く、仕事は山積みだった

 

開けていた窓から月が見えた

望月から少し掛けた、十六夜の月がポッと空に昇っていた

 

昨夜の事が嘘の様に辺りは静まり返っていた

 

「……………」

 

ふと、脳裏に、昨夜の彼女の姿が思い出された

自分の覚えている限り、彼女の姿は明らかに今までと異なっていた

 

真っ白な髪に、黄金の瞳――――

 

その姿は、惹き付けられる様で、また逆になんだか、異質さを放っていた

 

あいつ…あの姿は……

 

1つ、思い当る事が土方にはあった

だが、それは違うとその考えをかなぐり捨てる

 

そんな筈はねぇ

あれは新選組内部でも幹部しかしらない代物だ

とても、彼女が所持している様には思えなかった

 

いや、でも……

 

彼女はその存在を知っていた

 

幕府から内密に指示されて、始めた実験

あれはそういう代物だ

 

幕府と係わり合いのない、彼女が知る由もなかった

無かった筈なのに……彼女のあの姿は、その薬を使った姿に酷似していた

 

特に、異質さを放っていた真っ白な髪

あいつは、あれを飲んだのか?

 

だから、その存在の危険さを知っていたのだろうか?

 

でも、もしそうならどうやって手に入れた?

 

内部に情報を洩らした奴がいるのか?

 

自問ばかりだった

 

「くそ…っ!」

 

土方はイラつきを隠すように、前髪をぐしゃっとかき上げた

分からない事ばかりだった

 

正直、近藤の手前彼女の事は任せてほしいと言ったが、実際どうしていいのか皆目検討も付かなかった

 

そもそも自分は彼女に付いて何も知らないんだと、思い知らされた

 

名前と、父親を探している事意外、何も知らないのだ

彼女が、今までどう過ごしてきて、どういう経緯で京へ来たのか

今まで何処に居たのか

そして、今何処に居るのか

 

何1つ知らないのだった

 

多分、あの男と一緒なのだろう…とそれだけは予想が付いた

池田屋に居た、沖田を負かした、猫柳色の髪をした男――――

 

刃こそ交えなかったが、彼の纏う気で、あの男がそれなりの使い手だという事は大方予想が付いた

 

あの男は、何者だ?

あの場に、居たという事は、長州の奴か…?

という事は、彼女も長州の…?

 

考えれば考えるほど、泥沼にはまっていきそうだった

 

とにかく、事実が知りたかった

その為には、もう一度さくらに会う必要があった

 

さくらに会って、事実を聞きたかった

 

捜すしか、ねぇのか……

まるで、雲を掴む様な感覚だった

 

分かる事は1つ――――恐らく、彼女は京に居る―――という事だけだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近藤と共に土方が会津藩に出向したのは、その翌日だった

朝廷から百両、幕府から五百両の報奨金は、松平容保ではなく、家老から渡された

近藤は只管低頭し、喜んでいた

そういう所に、近藤の人の好さが出る

特に、朝廷からの報奨金は、感激していた

帝の知る所ではないだろうと土方は思ったが、近藤には言わなかった

 

屯所へ戻ると、直ぐに報奨金の配分が行われた

分配する事に土方は反対しなかったが、本来なら隊の資金にすべきものだと思っていた

 

池田屋の件で、長州藩ではまだ強硬論が強くなっているという

当たり前といえば、当たり前だった

新選組が暴れ過ぎたからだ、と公言する会津藩士もいた

そんなものは放っておくにしても、長州系の浪士の対峙は、新選組が第一に考えなければならない事だった

かつて、天誅と叫んで、幕府要人を襲った刃が、そのまま新選組に向ってきかねない

 

隊規を厳しくする所から、土方は始めようと思っていた

いまでも充分厳しいが、これからは入隊希望者も増えてくる

訓練も、いままで以上にやらなければならない

 

巡回を終えた隊も、報告書を出させるだけでなく、土方自身がいくつか質問をした

古高俊太郎に対する拷問がどういうものだったか、隊士が知るに及んで、土方は自分が冷酷な人間と思われている事に気付かざる得なかった

 

それは、都合の悪い事ではなかった

これから新選組をまとめていく上で、期せずして峻烈な印象を隊士に与える事になったのだ

隊の機構も、少しずつ変えていかなければならない

 

巡回の隊士が、出発する所だった

先頭に掲げられた『誠』の旗に、土方はちょっと眼をやった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        ◆          ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?蛤御門?」

 

さくらは、飲みかけのお茶を落としそうになった

 

なんでも、長州が朝廷と事を構えるらしい

でも、今さくらの居る薩摩藩は長州藩とではなく、会津藩と協力関係にある筈だった

それが、何故風間たちが蛤御門に行くのだろうと思った

 

「別に、俺は行かん」

 

風間はそう言うと、杯に入っていた茶を一気に飲み干した

 

「蛤御門へは、一応、会津と長州を阻止する為に行きます」

 

天霧が丁寧にそう答えた

 

「あ、そうなの……」

 

とりあえず、現段階では薩摩が新選組と事を構える事は無さそうだった

その事に、思わずほっとする

 

でも、前は長州に所属する不知火が来たり、池田屋では護衛を任されていたけど…

必ずしも、薩摩が会津寄り―――という訳では無さそうだ

 

「姫は今まで通り、藩邸で待機していて下さい」

 

「あ、はい」

 

風間は何か思うところがあるのか、空になった杯を見つめていた

その様子が、気になってさくらは少し、小首を傾げた

 

「千景?」

 

「ふん、手柄を取るしか能の無い百姓集団が……」

 

「え……?」

 

不意に、ぐっと空になった杯を差し出された

 

「おかわり?」

 

分かっているのに、あえて聞いてみた

風間はムッとして

 

「お前は、いちいち言わぬと分からぬのか? 酒を持って来い」

 

「お茶じゃ駄目なの?」

 

「これ以上茶など飲めるか」

 

その様子が可笑しくてさくらはくすくすと笑ってしまった

 

「お前は……っ」

 

「はい、分かりました。少し待ってて」

 

風間の怒髪天が頂点に達する前に、さくらはスッと立ち上がり部屋を後にした

 

「………風間」

 

天霧と2人になり、不意に天霧が口を開いた

 

「あまり、勝手な行いはなさりませぬ様に」

 

「……余計な世話だ」

 

「あまり、勝手をすると姫が心配なさりますよ?」

 

「……ふん。それこそ余計な世話だ」

 

風間はムスッとしたまま、天霧を見ようともしなかった

天霧は小さく溜息を付き、外を眺めた

 

空には、満天の星と、月が昇っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、池田屋事件終了

次回、禁門の変へ行きます

 

どうやら、天霧は蛤御門へ行くらしいが・・・?

ちーは?

 

土方さんの予測・・・当たってないよw

でも、まぁあの場合そう思っても仕方ないと思うんです

だって、この時点で薩摩藩は一応、味方?だし

 

2010/01/25