櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 二章 斬人 4

 

 

土方は1人、裏通りから表通りに出ると辺りを確認しながら足を止めた

 

千鶴がもし一緒に来ていたら、「どうして大通りに出たのか」と尋ねただろう

 

臆病風吹かす様な連中は、目立つ事しか頭に無いと相場が決まっていた

だから、土方はここへ来た

先手を打つ為に

 

音も無く、唐突に山崎が現れた

山崎は、土方の方を見て

 

「池田屋の件は、既にお聞き及びかと思います。自分は会津藩と所司代へも通達を行う様、山南総長より促されておりましたが――――」

 

彼の言葉に土方はあっさり頷いた

 

「だろうな。………次の指示は追って出す。山崎君ひとまず俺に同行してくれ」

 

「それと…1つ耳に入れたき事が――――」

 

「なんだ?」

 

「桜鬼がいます」

 

一瞬、土方の表情が変わった

だが、それは一瞬で直ぐ、元の表情に変わる

 

土方は、はぁーと息を吐き

 

「ち……相変わらず、神出鬼没だな」

 

軽く、舌打ちし腕を組んだ

桜鬼――――それは京の街に蔓延る”鬼”だった

正体は分からない、一切が不明

明確に、彼の者の姿を見た者は居なかった

故に”鬼”と呼ばれる

 

だが、今、桜鬼に構っている暇は無かった

新選組は現在、大捕物の真っ最中だ

他へ人員を割く余裕がない

 

「最近、大人しいと思ったが……まぁ、いい。今は構ってられねぇ」

 

凛とした声で言い放つ

 

「腰の重てえ役人どもは、新選組の副長が直々に挨拶しておく」

 

涼やかな瞳の奥を、怒りに似たものがちらついた

 

 

 

――――

 

 

 

 

そして……土方の読み通り、役人達は列を成して大通りに現れた

百を越えるかに思える行列が通るのだから、確かに裏通りでは狭すぎるだろう

彼らの足取りはゆっくりで、とても急いでいる様には見えなかった

 

すらりと並んだ大勢の役人達の真ん前に、土方は一歩前に踏み出した

ただ、それだけの仕草なのに一気に威圧感が滲み出る様だった

 

「局長以下我ら新選組一同、池田屋にて御用改めの最中である!一切の手出しは無用。――――池田屋には立ち入らないでもらおうか!」

 

厳しい口調で語られた彼の宣言に、役人達はざわついたのも当然だった

 

ここで、もし池田屋に立ち入る事を許せば、長州浪士制圧すら彼らの手柄とされるだろう

あわよくば新選組の手柄を奪って、自分達のものにしてしまうのは目に見てて明らかだた

それだけ、新選組が軽んじられているという事だった

もし、池田屋へ踏み込む事を許せば、その事実だけを強調しかねない

実際、突入した新選組の武勇も、無かった事にされかねな

だから、介入を封じる為に土方はここへ来たのだった

 

「し、しかし我々にも務めが――――」

 

「小せぇ旅館に何十人も入るわけねぇだろ?池田屋を取り囲むぐらいが関の山じゃねぇか。それとも乱戦に巻き込まれて死にてぇのか?我が身が可愛いなら大人しくしとけ」

 

「ぐっ………」

 

土方の鋭い言葉は反論の余地を与えなかった

戦っている、隊士の手柄を守る為に、土方は一歩も引かなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静まり返った夜道を急ぎ、ついに、千鶴達は池田屋まで辿り着いた

建物の中からは、断続的に叫び声が聞こえてくる

 

皆は、大丈夫なのだろうか……

 

いくつもの断末魔に混じって響いた、威勢の良い声は近藤のものと似ていた

 

「――――俺は正面から突入する」

 

「なら、俺は裏に回っておくわ」

 

斎藤と原田が、即座に役割分担を終えた

 

原田達が、裏へ回り込もうと駆け込んで行く

千鶴は、正面玄関に向かう斎藤に声を掛けた

 

「私も、斎藤さんと一緒に行っても良いですか?」

斎藤は千鶴に目を向けたけれど、直ぐに視線を外してしまう

 

「俺の前に出るな。………戦うにも守るにも、邪魔なだけだ」

 

彼の口調は、いつになく厳しかった

千鶴はお荷物なんだと今更の様に思い知る

 

「………すいません」

 

迷惑を掛けない様に、出来るだけ大人しくしてよう………

 

「あんたに死なれても寝覚めが悪い。が、俺の仕事はあんたを守る事じゃない」

 

そう告げる斎藤の声には、微かな苛立ちが含まれている様に思えた

 

でも………

それは、千鶴に対する悪意とも、違うものの様な気がした

彼が鋭い眼差しを向けていたのは、千鶴では無く池田屋の方だった

 

「突入する。………各自、俺に続け」

 

斎藤に鼓舞される形で、千鶴達は池田屋に正面から突入した

 

「………っ!」

 

屋内には、血の臭いが充満していた

 

「――――ぐあっ!?」

 

玄関付近にいた浪士を、斎藤が抜き打ちの一撃で切り伏せた

 

「来てくれたのか! これは心強い援軍だな!」

 

近藤は浪士と切り結びながら、どうもうな笑みを洩らして千鶴達を見た

援護しようと近づく隊士らを、近藤は手振りで制した

 

「俺は大丈夫だ。二階の総司を見てやってくれ」

 

「よう、斎藤。残念だったな、おいしい所は貰っちまったぜ」

 

「ふん……、今日は譲ってやる」

 

永倉は、普段と変わらない態度で笑った

だが………

 

「怪我してるじゃないですかっ!?」

 

よく見ると、永倉の手の甲からドクドクと血が流れ出ていた

 

「そりゃぁ怪我もするだろうよ。中庭に倒れてる平助なんざひでぇもんだ」

 

「わ、笑い事じゃないです……!」

 

千鶴が永倉と話している間も、斎藤は隊士達に指示を出し続けていた

 

「誰一人逃がすな。 手加減無用、手向かいする者は全て斬れ」

 

冷静な声音で命じる斎藤の横顔には、驚くほど苦渋が滲んでいた

 

「あ………」

 

その時、不意に話分かった気がした

斎藤が苛立っている様に見えたのは、きっと皆の身を案じていたからだ と

一緒に戦えない苛立ち………

その場に居られない苛立ち………

彼は、それだけ急いていたんだ

 

「怪我人の救護は出来るか?………あんたは蘭方医の娘だろう」

 

「出来ます!」

 

千鶴は思わず即答してから、後からもごもごと付け足す

 

「………応急手当ぐらいなら……ですけど」

 

充分だ、と斎藤は少しだけ笑った

 

仲間を心配する気持ちは、誰だって当たり前に持つものだ

でも、斎藤の事を淡白な人だと思い込んでいたのかもしれないと千鶴は思った

だから…彼の苛立ちが何を原因としているのか、直ぐには思い当たらなかったんだと思う

 

……斎藤さんは、別に冷たい人なんかじゃない

 

仲間の為に刀を振るう彼を見ていると、何の疑いも無くそう思えた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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血の匂いが強かった

じっと立ていると、屋内の争闘の気配よりも、家全体から漂い出す様な血の匂いが、土方の全身を包み込んだ

 

池田屋の周辺には、新選組隊士の姿しかない

出動を約束した会津の藩兵などは、遠巻きにているだけだ

そこまで逃げ切れる者が何人居るか、というほど距離だった

 

土方は、緊張を解いてはいなかった

近藤以下十名しかいなかった時は、凄絶な斬り合いにならざる得なかっただろう

斎藤や原田が援軍として到着してからは、捕らえる余裕が出てきてはいる筈だ

しかし、逃げ出してくる者は、まだいそうだった

そんな者を1人2人捕縛して、自分達も働いたと会津兵などの言われたくなかった

 

屋内で、呼び交わす声が聞こえる

所々、明かりも付けられていた

それでもまだ、時折斬撃の気配が伝わってくる

 

不意に、黒い影が庭の方から飛び出してきた

抜身の白さが、それだけ生きているものの様に、闇の中で動いた

それから、乱れた呼吸が伝わってきた

 

池田屋から、長州藩邸まで遠くない

会津をはじめとする出動した藩兵が展開しているのは、それよりずっと遠くからだ

逃げ出した者が長州藩邸に駆け込むのは、それ程難しくないだろう

池田屋の周辺で捕縛するしか、方法は無かった

 

飛び出してきた黒の影の前に、土方は立った

 

「このっ!」

 

浪士は声を上げた

横薙ぎに刀を振り、勢い余ってたたらを踏んだ

二の太刀を落ち着いて打ち込もうという気になったようだ

正眼に構え、気息を整えようとする

刀を抜くまでもない、と土方は判断した

2歩前へ出、間合いに入った

無造作過ぎる動きには逆に虚を衝かれたのか、気を溜める前に浪士は再び打ち込んで来た

 

スッと横に動いてかわし、手首を掴むと、土方は浪士の身体を投げ飛ばした

手首を放さなかったので、刀を握ったままの浪士の手が逆さに反った様になった

 

「副長」

 

走ってきた隊士の1人に、土方はその男を任せた

 

呼び交わす声は、まだ聞こえている

争闘の気配が、ようやく遠くなった

やはり、血の匂いは強かった

他でも外に逃げ出してきた浪士を捕らえたらしく、近くで怒声が聞こえてきた

 

池田屋に斬り込んだ時点で、近藤は自分含めて4人しかいなかったのだ

それでも斬り込んだ所は、いかにも近藤らしかった

 

土方は山崎を呼び、市中の残党狩りが出動している藩兵に任せる、という伝令を伝えた

 

それから、初めて土方は池田屋の中に踏み込んだ

 

まず、井戸の水を運ばせた

それから、隊士の負傷の具合を調べさせた

 

「トシ!」

 

近藤ははぶんぶん手を振ってやって来ると、桶に汲んだ水を飲んだ

 

「済まなかったな、近藤さん」

 

何故、謝られるのか分からないといった感じに近藤が首傾げた

 

池田屋は鴨川の西岸であり、四国屋は東岸である

川を挟んでいる分、実際の距離より遠い

 

最初から池田屋へ力を集中させていれば近藤に無駄に負担を掛けることもなかった

土方は、それが申し訳なかった

 

浪士は、7名死亡

20名以上捕縛という報告が入った

 

決起を計画していた浪士の殆どを壊滅させたと言っても良かった

ようやく、会津藩兵も池田屋の近辺までやってきて、残党狩りに加わり始めた様だった

 

「お、土方さんじゃねぇか!」

 

屋内の置くから永倉と斎藤が歩いてきた

肩に額を怪我した藤堂を抱えている

傍には千鶴の姿もあった

 

藤堂を傍に降ろす

 

「平助、寝ていろ。 探索にはまだ時間が掛かりそうだ」

 

身を起こしかけた藤堂に向かい、土方は言った

 

人の斬った直後の、人間の眼は違う

ものうそうで、それでいて強い光を宿している

 

「酒と握り飯を運び込む様に頼んである。もうすぐ届くだろう」

 

誰にとも無く、土方は言った

 

「マジか!さっすが土方さん!! 腹減ってたんだよな~」

 

永倉がよっしゃという感じにグッと握り拳を作った

 

土方は腰を上げた

庭に、浪士の屍体が並べられている筈だ

 

桝屋喜右衛門という商人が、探索で浮かび上がっていた

捕縛は、土方の判断で

一目見た時から、武士だと直感した

骨格といい、節くれた手といい、こめかみの面擦れといい、武士としか思えなかった

 

京には攘夷派の浪士が多数潜入し、不穏な空気が漂っていた

何かやるだろうという事は、誰もが予想していた

 

桝屋喜右衛門への訊問は一刻ほどで切り上げ、直ぐに拷問を始めた

手を汚すという事について、真剣に考えたのは、京へ入ったばかりの頃だった

汚すよりも、否応なく汚れた

桝屋の拷問を自分自身でやる事も、土方は何の抵抗も覚えなかった

拷問が有効手段である事は、実証済みだった

極限の苦痛と恐怖を与えてこそ、拷問の効果があるといのも、土方の持論だった

長い時間を掛けて、じわじわと苛め抜くのは、性格に合ってない

 

桝屋喜右衛門はしぶとかった

拷問で死なせてしまう者もいるが、それは命に関わる所を責めるからだ

命の関わらなくても、人間の身体には苦痛を感じる所はいくらでもある

そういう所を責めれば、意識ははっきりしているので、苦痛の嫌な叫び声も聞かなければならない

 

桝屋というのは、古高俊太郎という、長州系の浪士だった

自白したのは、京炎上計画と、その混乱に乗じて帝を長州へ移す事まで考えられていた

 

古高の自白だけでなく、あらゆる情報を総合して、浪士の集結場所か鴨川西岸の池田屋か東岸の四国屋まで絞った

 

ふと、顔を上げると裏から原田がやって来た

 

「お、皆集まってるな」

 

原田は槍で肩を叩きながら永倉達の傍までやって来ると腰を降ろした

傍ではせっせと、千鶴が藤堂の応急処置をしていた

 

「おお、平助。男前になったなー」

 

「うるへぇ……ちょっと油断しただけだよ」

 

藤堂は苦笑いを浮かべながらひらひらと手を振った

 

「イテっ!」

 

「あ、ごめん平助君」

 

応急処置をしていた千鶴がパッと手を放す

 

「それぐらい我慢しろ! 平助」

 

永倉がバチンと藤堂の額を叩いた

 

「いたっ! ちょ…!新八っつぁん!そこ怪我してるとこだから!!」

 

抗議する藤堂の声に、永倉と原田の笑い声が混ざった

 

土方はやれやれと言う感じ、溜息を付き

 

「総司はどうした?」

 

「うん?そういえば、総司は二階へ行ってたな」

 

近藤がそうぼやきながら二階へと続く、階段を見た

 

「…………!」

 

不意に、土方の気配が変わる

 

「近藤さん…」

 

「ああ……」

 

近藤も分かったのだろう

二階から溢れてくる殺気に

 

立ち上がって行こうとする近藤を土方が手で制した

 

「近藤さんは休んでてくれ」

 

そう言って、土方は刀に手をやり二階へと向かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キン

 

ギィィィンン

 

「……………」

 

二階に近づくと、斬撃の男が聞こえて来た

それに混じって、何か叫んでいる沖田の声が聞こえてくる

 

誰かと話している……?

 

まだ逃げてない肝の据わった奴がいたのか…とある意味、感心した

 

二階の襖へ近づき、身を潜める

手は刀に掛けられていた

 

ヒュ……

 

ド……ッ

 

「がっ!?」

 

不意に、襖が仰け反りドカッと音を立てて何かが吹っ飛んで来た

 

反対側の壁にそれは激突して止まる

 

「……総司!」

 

それは沖田だった

沖田は床に転がり、胸元を押さえながら赤い血を吐いた

 

土方は刀に手を掛けたまま、沖田の傍へ駆け寄った

 

「無事か? 総司」

 

土方に言葉を返す余裕も無い様で、沖田は辛そうに咳き込んでいた

土方、沖田を吹き飛ばしたそれを見た

 

そこには、白い着物に身を纏った赤い瞳に猫柳色の髪をした男が1人飄々と立っていた

 

「……………」

 

土方は無言で、手を掛けた刀に力を込めた

直ぐ、抜ける体勢になる

 

男は、スゥッと目を細め

 

「……お前も邪魔立てする気か? 俺の相手をするというのならば受けて立つが」

 

男の持つ刀の切っ先が、スゥ…と土方へ向けられた時、瞬時土方が刀を抜こうとした

が、沖田が立ち上がり、土方の手をガシッと取った

 

「……あんたの相手は僕だよね? 土方さんは手を出さないでくれるかな」

 

そんな沖田を見て、男はせせら笑った

 

「愚かな。 その負傷で何を言う。 今の貴様なぞ、何の役にも立つまい」

 

「――――黙れよ。うるさいな! 僕は、役立たずなんかじゃないっ……!」

 

沖田は怒りも露に声を荒げた

 

血を吐いた時点で、内臓がやられている可能性もある

その状態で、声を荒げるなど自殺行為だった

 

男は、さして興味もない様な眼差しで、しばらく沖田を観察していた

 

その時、だった

 

 

 

 

「――――千景!」

 

 

 

 

ザァ…と一陣の風が舞い込んできた

それは、ふわっと男の傍に降り立つ――――少女だった

 

桜色の着物に身を纏った少女は、つと顔を上げると、その視線を土方達に向けた

少女と、視線が合う

少女の黄金の瞳が、微かに揺れた

 

そして、少女が軽く小首を傾げる

 

「――――お、まえ」

 

土方は目を見開いた

 

一瞬、1人の少女が脳裏を過ぎる

彼女は、自分の知る彼女と酷似していた

 

だが――――違う

 

明らかに、違う点があった

 

ザァ…と風が吹き、彼女の真っ白な髪が風に揺れた

 

 

 

 

    そう――――彼女の髪は白銀の様に真っ白だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちー登場!!

でも、まだ名前は出ず…

 

いや、出てるけど、一応隠しとく

 

2009/12/17