◆ 断章 蜿蜒なる狭間 16
――――京・西本願寺
千姫が帰った後、土方は簡単に荷造りをしてから原田達と一度集まった
今回の救出戦は非公式なものになる
つまりは、“お忍び”というやつだ
そして、数日遅れている上に向こうは海路を使っている
追い付くには、昼夜問わず陸路で馬を走らせるしかなかった
強行軍になるのは必須
「馬の回復を待ってる暇はねえ、一定以上走らせたら交換しながら行く」
土方の言葉に、原田が小さく頷く
「まぁ、仕方ねぇよな。馬を使い潰すのは可哀想だが……いちいち回復待ってたら時間を食うだけだしな」
「……後は、到着するまでは無用な戦闘も避けた方が良いかと。間違っても変なのに絡まれる事の無いようにな? 左之」
と、何故か斎藤に念を押されて、原田が心外だと言わんばかりに
「おいおい、何で名指し指定なんだよ!」
「……この面子で一番問題起こすとしたらお前だろうからな」
「起こさねーよ!」
と、言い返すが、いつもの原田のやり方だと、あれやこれや何かあったら顔を突っ込みそうで不安でもあった
土方が「はぁ……」と溜息を洩らしながら
「まぁ、とにかく! 俺達の目的は一刻も早くさくらに追いつく、および救出だ。無用な戦闘は避けるのは当然だが、場所が場所だ。間違っても“新選組”の者だと知られないように、充分に気をつけろ」
「……はっ」
と、斎藤が頭を下げる
千姫の話が正しければ、ユニオン号は既に下関に寄港している可能性がある
やつらが、下関での用事を済ませて出港してしまったら、何もかも手遅れになる
その前に、なんとしても下関に入らなければならない
しかし、下関と言ったら今は幕府軍の敵である長州勢の本拠地
そう易々と侵入できるとは限らない
まっすぐ行けば、間違いなく関所で捕まる
だが、陸路を行く限り関所を通るしか道はない
迂闊に強行突破すれば、それはたちまち長州藩の藩邸に連絡が行くだろう
そうなれば終わりだ
何か、策を練らなくてはならい
その時だった
「副長」
不意に、障子戸の向こうから声が聞こえてきた
「ああ、山崎。戻ったか。首尾はどうだった?」
土方の声に、すっと山崎が姿を現す
そして、胸元から一通の文を取り出すと土方に渡した
土方がそれを受け取ると、仕舞わずにその場で広げて読む
それから小さく頷き
「……よし、よくやった山崎」
「いえ、俺だけの力ではありませんから」
そう言って、すっと壁際に下がる
土方はその文を見ながら
「……とりあえず、長州の関所の件はなんとかなりそうだ」
「? どこからの文だったんだ?」
たった今、関所をどうするかという話し合いをしていたのに、あっさり「なんとかなりそう」と言われても、不安しか浮かばない
原田がそう尋ねると、土方は顔色一つ変えずに
「ああ、あの後、幕府の勝海舟宛に文を送ったんだ。 内密にな」
「はぁ!? 勝は薩長のやつらと関りあるって噂じゃないか!!」
原田が怒るのも、最もである
だが、土方は平然としたまま
「まぁ、裏でこそこそやってるのは気に入らねぇが……表向きは幕臣だ。それにあれでも一応軍艦奉行だからな。神戸海軍操練所も作ってるだろう」
「だが、勝の作った海援隊ってのは、坂本龍馬が主軸じゃないか!!」
そう――原田の言っている事は間違いではない
今はもう、その海援隊は亀山社中と名を変えたが……要は庇護される藩が薩摩から土佐に変わっただけだ
だが、問題はそこではない
勝海舟は、坂本と交流はあるが、今もなお幕臣であり、軍艦奉行だという事だ
要は、軍艦を動かす権限を持っているという事に他ならない
その時だった、それまで黙っていた斎藤が
「副長、勝海舟宛に何を送られたのですか?」
「ん? ああ……、可能なら早い船の手配を頼んだんだ」
陸路だけだと関所もあるし、時間がかかり過ぎて間に合わない可能性がある
だが、海路なら話は別だ
どんな手段を使ってでも追い付かなければいけない―――
もう、手段を選んでいる余裕はないのだ
使えるものは何でも使わなければ―――
「……それで、勝海舟はなんと?」
斎藤の問いに、土方は一度だけその文に視線を向けると、そのまま斎藤へ差し出した
一瞬、斎藤はその文を受け取る事を躊躇った
「読めばわかる」
「し、しかし、この書状は副長への……」
「いいから」
半ば押し付けられるように渡されて、斎藤が申し訳なさそうにその文を見る
「……こ、これは」
斎藤が驚いたかのように、その瞳を大きく見開いた
すると、原田も気になったのか身を乗り出してきて
「な、なんて書いてあるんだ!?」
ごくりと、斎藤が息を呑む
「……明日の寅の刻に、堺港に船を着岸させる――――と」
「寅の刻……?」
…………
………………
……………………
「って!! 堺だろ!? もうここ出てないと間に合わないじゃないか!!」
堺港は大阪にある湾で、ここは京の都だ
明日の寅の刻(4時)に間に合わすのは、もう京を出立しないと間に合わなくなる
「そういう事だ、明朝立つつもりだったが―――今から出るぞ」
そう言って、ざっと土方が立ち上がった
それに続く様に、斎藤と山崎も立ち上がる
原田はというと――「はぁ……」と溜息を洩らしながら
「勝の野郎もどうせなら、舞鶴港に着岸してくれよな~」
「馬鹿いえ、舞鶴なんかに着岸したら目立つだろうが」
そう――利便性だけなら京の港である、舞鶴港が一番早い
しかし、それは見つけてくれと言っている様な物だ
おそらく、ユニオン号は見せしめも兼ねて舞鶴港に着岸したのだ
「俺達はあくまでも、京にいる体で動くんだ。近藤さんもそのつもりでいつも通りでいると言っていた。目立たないに越したことないんだよ」
何処から情報が漏れるか分からない
慎重に事を進めなければ――――
「今は一刻も早くユニオン号に追いつくことだ」
そう言って、土方がばんっと障子戸を開ける
待っていてくれ、さくら
必ず、迎えに行ってやるから――――・・・・・・
◆ ◆
――――下関港・ユニオン号内
さくらは与えられていた個室の窓から外を眺めていた
外はすっかり暗くなり、月が昇っている
「はぁ……」
さくらは、小さく息を吐きながら そのままベッドの上に腰かけた
だが、ずっと和式の生活をしていたので、この洋式の部屋に慣れない
このふかふかのベッドという寝台も、ソファという椅子も
何もかも綺麗に装飾が施されており、とてもじゃないがこれで落ち着けという方が無理である
しかも――
ここに連れて来られてからというもの、世話係という侍女達が何人もやってきて、着替えひとつ一人でさせてもらえないのだ
それもその筈
いつも着物を着ているのに、何故かここに来てからはドレスという品を着させられていた
そして、毎夜行われる船上パーティーとかいうもの
そのパーティーとやらに、風間の隣に腕を組んで立って笑っていないといけないという――
正直、拷問以外の何物でもなかった
「どうして、私なの……」
あの二条城での夜、確かに彼は自分の事を『――もう、要らぬ』と、そう言った
それなのに、この状況はなんなのか
これではまるで風間の婚約者の様だ
そう――まるで“必要とされている”様な……
そこまで考えて、さくらは小さくかぶりを振った
そんな筈はない
もう決めじゃない―――“期待”はしないと――――・・・・・・
早くここから出たい
このままでは、“錯覚”しそうになる
風間に……“必要とされているのではないか”―――と
そしたら、きっと私はまた無駄な“期待”をしてしまう
そんなのは嫌だった
「……土方さん…………」
逢いたい――――・・・・・・
逢って、安心したい
今、自分が必要とされたいのは、風間ではなく土方なのだと、実感したい
「…………」
そこまで考えて、さくらはまた溜息を洩らした
「なに言っているのかしら……」
“必要をされたい――”なんて
もう、“期待”はしないと……決めたのに
この期に及んで、まだ誰かに期待しようとするなんて――――・・・・・・
「私も、馬鹿ね……」
滑稽で渇いた笑みしか浮かばない
その時だった、とんとんっと扉を叩く音が聞こえてきた
ふと、傍にあった時計という時間を示す家具を見る
丁度、“8”という数字を針が指していた
そう――いつものパーティーとかいう会の開始時間だ
そんな事をぼんやり考えていたら、がちゃっという音と共に、天霧と不知火が現れた
「桜姫、お時間です。風間が待っております」
「…………」
さくらがあからさまに嫌そうな顔をしたのが、面白かったのか
不知火が、にやにや笑いながら
「しかたねーだろ? 俺達は外から、風間は中から不審者がないか見張ってるんだからよぉ」
そう言って、ぽんぽんっとさくらの肩を叩く
さくらは小さく息を吐きながら
「……薩摩と長州の要人の護衛の任なら、私は関係ないでしょう?」
そうなのだ
風間達が毎夜行われるこの“パーティー”に参観するのは“客”としてではなく、護衛としてなのだ
天霧と不知火は会場ではその風体が目立ってしまう為に外から
そして、風間は中から見ているのだ
それに付き合わされているのが、今のさくらの現状である
「姫、中に自然に入るには―――」
「その話は、耳にたこが出来る程聞きました」
西洋のこういう“パーティー”というものは、基本パートナーと呼ばれる異性の同伴が常識であり、婚約者や妻などがいる場合、その役を務めるという――
「…………」
でも、私はもう……ううん、元から千景の婚約者でもなんでもないわ
それなのに――――・・・・・・
「私は、薩摩を裏切った身ですよ? それも、千景自らが私を要らないと言ったのは、貴方も聞いていたでしょう? ……まさか、同伴させる為だけに私を拉致したのですか?」
「姫、聞いてください。二条城での風間はどうかしていたのです。彼は今でも貴女様を想っておいでです。それに拉致などととんでもない。貴女様も、風間も、少し疲れていたのですよ。それが正しい道筋に戻っただけです。ご理解いただけませんか?」
「……想っている? 少し疲れていただけ? 天霧、貴方は本気で言っているのですか? そんな話受け入れられる訳が――」
「姫!」
「私は、私の歩む別の道をもう見つけました。その道は千景とは交わってはいません。彼が何と言ったか知りませんが、私は、もう千景とは関わり合いになりたくは――――・・・・・・」
さくらがそこまで言った時だった
「さくら」
不意に、聞き覚えのある声が聞こえて、さくらがぴくんっと反応する
その真紅の瞳でそちらを睨む様に見ると――そこには風間がいた
白いスーツにファーと呼ばれる動物の毛を模した素材のついた外套を半分着たような格好の風間がいた
「千景……」
その姿が無駄に似合っていると思ってしまうのが、悔しい
すると、風間はふっと微かに笑みを浮かべ
「何をしている、行くぞ」
そう言うなり、ぐいっとさくらの腰をかき抱いた
「……っ、ちか……っ!」
さくらが抵抗するも無く、あっという間に抱き寄せられてしまう
「さっさと行くぞ」
そう言って、半強制的にさくらを連れて行ったのだった
その様子を見ていた不知火は、くつくつと笑いながら
「なんだかんだ言って、姫さんは風間に抵抗出来ないんだよなぁ~ま、そういう所が可愛いんだろうけど」
「不知火……、口を慎め」
不快そうにそう言う天霧に、不知火がひらひらっと手を振りながら背を向ける
「はいはい~っと、そういう天霧のおっさんは、口うるさいよな」
そう言いながら去っていく
そんな不知火に何とも言えぬ溜息を洩らしながら、天霧は風間達が去った方を見た
「姫……」
先程の、さくらの表情が頭から離れない
彼女は何故、頑なに拒絶するのか……
確かに、二条所の件は風間に非がある
しかし……
それだけではない様な
そんな気がしてならなかったのだった――――・・・・・・
◆ ◆
――――大阪・堺港
刻限は寅の刻
朝と夜の境目の時刻
ゆらりと、港に黒い大きな帆船とは違う船が入港していた
朝靄のせいで良く見えないが―――――
他に、それらしい船は見当たらない
「あれか?」
原田がその船の大きさに驚く様に、見上げながらそうぼやいた
「…………」
土方は、無言のままその船を見ていた
すると、ぎぎぎぎ……と音がして、船から橋がかけられた
その上を、たんたんと音を立てながら何者かが下りてくる
それは、袴姿で腰に刀をはいている若い優男の様な人物だった
「あれが、勝? な、のか?」
原田がこそっと、斎藤に耳打ちする
が、斎藤はその青年をじっと見た後
「いや、勝海舟にしては若すぎる……」
「だよなぁ? じゃぁ、誰なんだ?」
二人がそんな話をしていると、その青年はにっこりと微笑んで
「お初にお目にかかります。先生の指示でお迎えに上がりました。貴方がたが先生の仰ったユニオン号に用がある方々でしょうか?」
青年の質問に、土方は一度だけ目を伏せた後「ああ」と答えた
すると、青年はにっこりと微笑み
「では――昨日、お送りした書状に同封させた“印”を見せて頂けますか?」
「印?」
後ろで聞いていた、原田と斎藤が首を傾げる
書状は自分たちの前で読んでいた
その時、そんな物があっただろうか……?
そう思っていると、土方が懐からある物を取り出した
それは、桜模様の小さなびろーどの玉だった
青年はそれを受け取ると、まじっと見た後、にっこり微笑み
「ありがとうございます。間違いなさそうですね。では――こちらへどうぞ。中で先生がお待ちです」
そう言って、青年がその桜のビロードの玉を土方に返すと、渡し橋の方に案内する
土方が一度だけ青年を見た
すると、青年はにこりと笑っただけで、何も言わなかった
はぁああああああああああ
データ戻って来たああああああ!!!!
という訳で更新します笑
2023.05.20