櫻姫抄乱
 ~散りゆく華の如く~

 

 断章 蜿蜒なる狭間 17

 

 

―――船内

 

 

青年に連れられて甲板を歩く。

ふと、原田が辺りを見渡すと、船の中央に煙突の様な謎の筒があり、そこから煙がもくもくと上がっていた。

初めて見る、それに原田が首を傾げる。

 

「なあ、この船火事でも起きてんのか?」

 

そう徐に口にすると、それを聞いた青年が一瞬その瞳を瞬かせた後、くすりと微笑んだ。

 

「違いますよ。あれはこの船の動力源です」

 

「は?」

 

青年の言葉に、原田が素っ頓狂な声を上げる。

それはそうだろう。

船と言うのは、帆を張り、それで風を受け、海流に乗り、走らせるものだ。

なのに、青年はあの謎の筒が動力源だという。

正直、意味が分からなかった。

 

その時だった。

ボ――という、汽笛を立てながら船が港から出航した。

オールで漕ぐでもなく、勝手に動き出したのだ。

そのまま徐々に陸から離れていく。

 

「どうなんってんだ!? 一体……っ!」

 

原田が唖然としていると、後ろの斎藤と山崎が無言のままそれを見ていた。

すると、前を歩いていた土方が半分呆れながら、

 

「おい、遊びに来てるんじゃねぇんだぞ」

 

と、注意を促す。

それから、青年の方を見て、

 

「悪いな、うちのが騒がしくて」

 

そう言うと、青年がにっこりと微笑み、

 

「いえ、大丈夫ですよ。少し昔を思い出しました」

 

そう言いながら、土方達を懐かしむ様な目で見てきた。

それに違和感を覚えて、土方が首を傾げる。

 

何故だろうか。

初めて見る筈のその青年に、既視感を覚えるのは……。

まるで、何処かで会ったかの様なその感覚に、土方はその顔に、少し困惑の色を見せていた。

 

青年がそれに気付いてか、それとも、気付かなかったのか。

それは分からないが、土方達を見てやはり微笑むと、

 

「先生が、中でお待ちです。こちらへどうぞ」

 

そう言って、そのまま船室の中に入っていった。

土方は、原田達の方を見ると、

 

「俺は勝に会ってくる。お前らは――」

 

そこまで言いかけた時だった。

斎藤が土方の意図を汲んだ様に原田を見ながら、

 

「俺達は、ここで待機しますので副長はどうぞ行ってください」

 

気を利かせたのだろう。

そう言いながら、付いて行こうとする原田の首根っこを摑えると、そのまま引っ張った。

 

「お、おい! 斎藤!?」

 

「……左之は俺とここで待機だ。副長と勝海舟の話の邪魔をする気か」

 

そう言って、原田をけん制する。

それから、後ろの山崎の方を見て、

 

「一応、何があるか分かりませんので、山崎は同行させてください」

 

斎藤のその言葉に、土方が小さく息を吐く。

 

「別に、戦に行く訳じゃねぇんだぞ」

 

「駄目です」

 

そう言うが、斎藤は頑として譲らなかった。

すると、根負けしたかの様に土方がまた息を吐くと、

 

「……分かったよ。山崎、一緒に来い」

 

土方がそう言いながら、船室に入った青年の後に続く。

後ろに控えていた山崎が一瞬戸惑いの色を見せるが、直ぐに普段の表情に戻り、「は……っ」と短く返事をすると、土方の後に続いたのだった。

 

 

 

 

 

船室の奥の方へ行く。

すると、青年が一つの扉の前で立ち止まった。

すっと手を上げると、その扉を叩く。

 

「先生、お待ちの方がお見えです」

 

青年がそう言うと、中から返事が聞こえてきた。

それを確認した後、青年がその扉を引く様に開ける。

 

「……」

 

障子戸や襖とは違うその仕様に、一瞬土方が眉を寄せた。

が、それに気付いたのか……青年がにっこりと微笑み、

 

「安心してください、普通の西洋式の“ドア”というものです。戸と変わりませんよ」

 

そう言って、その扉を開けると「どうぞ」と土方達を中へと案内した。

土方は腰に佩いていた刀に手を掛けかけるが――小さく息を吐くと、その手を離した。

それを見ていた山崎が、小さな声で「副長」と呼びかけるが――、土方は小さく首を横に振る。

こちらが警戒心をむき出しにしていては、相手の話を聞く事も出来ない。

たとえ相手が、土佐の坂本龍馬と親しい間柄だとしても――少なくとも、今は敵ではないのだ。

 

それに、もし坂本と通じてこちらを罠に仕掛ける為に、土方の申し出を受けたのだとしても、最優先すべきことは、さくらの救出だ。

その為には、どうしても急いで長州の下関まで行かねばならない――それも、内密に。

ならば、利用できるものは全て利用するしかないのだ。

 

土方は、息を吐くとそのまま部屋の中へ足を踏み入れた。

中は、不思議なほど明るかった。

 

部屋中に、明かりが灯されており、夜明け前だという事を忘れそうになる。

そして、その部屋の一番奥の大きな机の前に、一人の和装の男が立っていた。

 

勝海舟だ。

本来なら、ここで床に膝を折り、挨拶すべき相手だ。

 

「……山崎、持ってろ」

 

そう言って、土方は腰の刀を山崎に預けた。

まるで、敵対する気はない――という意思表示の様に。

 

それから、その場に膝を折りかけた時だった。

勝が「ああ、膝は折らなくてよい」と、言いながらそれを手で制した。

そして、そのまま土方達の方に歩いてくると、人懐っこそうに笑みを浮かべ、

 

「こうして、直接会うのは久方ぶりだなあ、土方君」

 

そう言って、勝が楽しそうに笑う。

が――土方は、すっと目を細めると、

 

「少し意外だった」

 

と、言葉を洩らした。

何が意外だったのか分からず、勝が「ん?」と首を傾げる。

すると、土方は山崎の方を一度見た後、

 

「あまり知られてないが、あんた今、幕府の軍艦奉行を罷免されて、二年の蟄居生活中だろう? 理由は知らねぇが――」

 

そうなのだ。

皆の前では、知られてない為「軍艦奉行」とは言ったが、実際は罷免中なのだ。

逆に言えば、それ故に今回手紙を送った――というのもあるが……。

 

すると、勝は何でもない事の様に、

 

「ああ、まあ、ワシの作った私塾の弟子達がな――脱藩浪人が多かったことを問題視されただけじゃ!」

 

と、楽しそうにけらけらと笑って答えたものだから、それを見た青年が、呆れた様に溜息を洩らす。

 

「先生、笑い事ではありません」

 

「……あんた、相変わらず自由人だな」

 

流石の土方も呆れにも似た溜息を洩らした。

まるで、知り合いの様に話す土方に山崎が疑問を抱くが、言葉を発する事は出来なかった。

すると、土方が山崎を見て、「ああ……」と声を洩らし、

 

「山崎なら、構わねぇか。知っているだろう? 三浦啓之助って隊士を」

 

言われて山崎が、珍しく顔を引き攣らせた。

それはそうだろう。

三浦啓之助といえば、最初は親の仇をと意気込んでいたが、今では親の七光りと無駄に高い自尊心と傲慢さで、新選組内では浮きまくっている、問題隊士の名前だった。

 

「あ、えっと……その、三浦君が、何か関係が?」

 

言い辛そうに、山崎が口を開くと、土方は小さく息を吐いて、勝を見る。

 

「その三浦は、この人の甥っ子だ」

 

「…………は?」

 

予想だにしない土方からの回答に、山崎が唖然とする。

無理もない話だった。

だが、事実は事実だ。

 

勝の妹・順が嫁いだ佐久間象山。

佐久間は大砲の鋳造に成功し、西洋砲術家としての名声を轟かせた有名な兵学家だった。

そして、五月塾を開き、砲術・兵学を教えた人物でもある。

ここに、勝も入門していたぐらいだ。

 

しかし、佐久間は元治元年に暗殺されている。

そして、その佐久間の妾・お蝶の子が三浦啓之助だ。

 

「一応、あれでも甥っ子だからの。順の子ではないが。だから、近況報告を土方君に貰っていたんじゃ」

 

「は、はあ……」

 

そう言う勝に、山崎はどう返事していいのか分からず、困った様に声を洩らした。

すると、土方は苦笑いを浮かべて、

 

「近況っていうより、問題報告だがな」

 

そこまで言って、一旦言葉を切った。

それから、勝の方を見据えると――、

 

「まあ、問題児の世話焼いてやってるんだ。たまには返して・・・貰わねぇとな」

 

「……分かっとるわ。だから応じてやったんだろう?」

 

「話が早くて助かる」

 

それだけ言うと、土方は窓らしき場所から外を見た。

見ると、もう陸は見えておらず、一面青い海だった。

 

「急いでるんだが、下関までどのくらい掛かる?」

 

そう尋ねると、勝は懐から持っていた何かを取り出して、確認すると、

 

「そうじゃな、まあ、今日の夕方には着くじゃろうて」

 

「夕方? それは助かるが――随分早いんだな。それにこの船、見た感じ帆船じゃないようだが――」

 

と、そこまで土方が言った時だった。

勝が目をきらきらさせて、突然がしぃっと土方の手を掴んだ。

 

「分かるか!!? この船は蒸気船なんじゃよ!! 蒸気船というのはな、風で走る船とは違うんじゃよ!! 燃料室でぼいらーっつうのの水が加熱されて蒸気になるとじゃな、千七百倍まで膨張するんじゃ! そしたら、その蒸気が――」

 

「あー分かった、分かったから、もういい」

 

と、延々と続きそうな勝の蒸気船のうんちくを、土方が止める。

すると、勝が不満そうに頬を膨らませ、

 

「なんじゃ、これからがよい所なんじゃぞ?」

 

「……そんな事より、下関港に着いたら――」

 

そんな事・・・・……っ!?」

 

と、何故か勝が衝撃を受けた様に固まったあと、しょぼんと項垂れる。

あからさまに、落ち込む勝に、土方が「はぁ……」と盛大な溜息を付いた。

 

「まあ、凄いのは分かったよ。――それで、本題なんだが、下関にはどのくらい寄港しておける」

 

さくらを助けた後の退路を確保しておかなければならない。

この蒸気船が使えるのか、それとも別の方法を取らなければいけないのか。

それによって、方針を変えなければならない。

 

すると、勝はあっけらかんとした様に、

 

「寄港しっぱなしは無理じゃな。君達を降ろした後、直ぐに出航する」

 

「……まあ、それが無難だろうな」

 

余り停泊していては、長州に不信感を抱かせてしまう。

そうなると、帰りは陸路で――そう思っていた時だった。

 

「そのまま、ワシらは三田尻港へ向かう」

 

「三田尻港?」

 

「そうじゃ、長州の隣の周防の国にある。距離的には馬で駆ければ半日ぐらいじゃろう。そこで、君らを待つ。ただし、待つのは三田尻港に停泊してから五日ぐらいが限度じゃろうな。五日後の深夜、子の刻に出航する」

 

「五日……充分だ」

 

どちらにせよ、京を長くは明けられない。

移動時間を考えて、下関を四日後の午前の間には出なくてはならないという事だ。

それまでに、何としてもさくらを助け出さなくてはならない。

 

ぐっと、握っていた拳に力が入った。

土方の菫色の瞳が、真っ直ぐに窓の外へ向けられる。

さくら――待ってろ。

必ず……。

 

水平線の向こうから、日が昇り始めていた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――ユニオン号

 

 

「……土方、さん……?」

 

呼ばれた気がして、ふとさくらは目を覚ました。

そのままベッドから起き上がり、窓の外を見る。

外は、朝日が昇り始めていた。

 

「……」

 

気のせい、よね……。

ここに、土方はいない。

故に、呼ばれる筈がない。

 

存外、自分は諦めが悪くなったものだと、さくらは思った。

 

この下関に停泊して何日経っただろうか。

商談もそろそろ終わりそうだと、昨日風間は言っていた。

それは、即ち薩摩へと向かうという事に他ならない。

そうなれば、必然的にきっともう土方には逢えない。

 

だから、諦めろと――言われた。

期待するだけ、無駄だと。

 

分かっている。

そんな事、言われなくとも、さくら自身が一番良く知っている。

 

それでも――。

何故そう思うのか。

根拠など無い。

 

ただ、どうしても思ってしまう。

土方さんに、逢いたい――と。

 

最後に一目で構わない。

ほんの一瞬でも、いい。

ただ、逢いたい――逢って、その声を聞きたい。

 

そしたら、私は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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―――下関港

 

 

ざざーんと、波の音が聞こえる。

夜明けと共に、活発になる港の片隅で動く影があった。

 

「目標は?」

 

「確認した。直ぐに当主の元へ戻る」

 

それだけ言うと、その影はそのまま姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

―――赤間関・貴布祢神社

 

 

夜と朝の狭間の時間。

八雲千寒は、静かにとある神社にある拝殿の石段に座っていた。

辺りはしーんと静まり返っており、虫の鳴く音だけが響いている。

 

ゆっくりと閉じていた真紅の瞳を開けると、目の前に忍装束の男が二人膝を付いていた。

千寒は、小さく息を吐くと、その男達を見た。

そして――。

 

「さくらの様子は?」

 

そう尋ねると、忍の男達は頭を垂れると、

 

「は、当主の予想通り、さくら様はあのユニオン号の東の船室にいらっしゃいます」

 

「首尾は?」

 

「問題ありません」

 

それだけ聞くと、突然千寒は「はは……っ!」と笑い出した。

そして、にやりとその口元に笑みを浮かべて、

 

「そうか――ならば、優しいこの父が花嫁殿・・・を迎えに行くかな」

 

そう言って、その顔を歪ませたのだった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、あっちもこっちも動きますなw

 

 

2024.05.05