CRYSTAL GATE
-The Another Side 紅-
◆ 黄昏の乙女 2
水―――――
もしかしたら、人はそう例えるかもしれない
いつも紅炎の周りは、戦争と激務に追われ、慌ただしかった
一人でいても、何らかしら頭の中はいつも、何かを考えていて
実際、心休まる事は無かった
だが、彼女と居る時は違った
空気が穏やかで、ゆったりとしている
まるで、水の中にいる様だ
静かで、穏やかな時間
だからかもしれない
ふと、紅炎が目を覚ました時
あれだけ高かった太陽は、西日に変わりつつあった
寝ていたのか……
信じられない事だった
無防備に、こんな場所で眠るなど……
この間は、遠征直後で酷く疲れていたからだ
だが、神経は常に張っていた
だが、今は違った
緊張もなにもなく、純粋に寝ていた
紅炎にとっては、あり得ない事だった
ふと、前を見ると彼女はまだ薬草を採取していた
その表情は楽しそうで、見ているこちらまで楽しくなりそうだった
紅炎は、その柘榴石の瞳を閉じると、すぅ…と息を吸いこんだ
心が穏やかだ
静かで、ゆったりとしている
不思議な空間
これは、彼女が作り出している魔法だろうか……?
その時だった、ふと自分に近づく気配を感じた
目の前に、座られじっと見つめられている
彼女……か………?
薬草を採るのは終わったのだろうか?
こんなに他人に無防備に近づかれるのも、久方ぶりだった
だが、危険はない
それは、きっと彼女だからそう思うのだ
その時だった、くすっと彼女が笑う気配がした
「嬉しいのね……」
そう言う、彼女の透き通る様な美しい声が聴こえてきた
嬉しい……?
何に対しての“嬉しい”なのだろうか
そう思うと、途端に彼女に触れたくなった
触れて、名を知りたいと思った
ゆっくりと瞳を開けると、紅炎はそのまま彼女にぐいっと手を伸ばした
そのまま、ぐいっと彼女の腕を引っ張った
瞬間「きゃっ……」という声と共に、彼女が倒れ込んできた
余りにも急だった為バランスを崩してそのまま紅炎の胸に倒れ込んできたのだ
「あ………」
瞬間、彼女と目が合った
吸い込まれそうなアクアマリンの瞳がこちらを見ていた
彼女は大きなその瞳を瞬かせた後、息を飲んだ
そして、紅炎の腕の中に倒れ込んでいるという事実を認識した瞬間、かぁ…とその頬を赤く染めた
その反応が余りにも、彼女らしく思わず口元に笑みが零れた
名が知りたい……
彼女の口から、彼女の声で名を知りたい
その欲求を押さえられそうになかった
「お前、名はなんという?」
「え――――」
一瞬、何を問われたのか分からなかったのか、彼女がそのアクアマリンの瞳を瞬かせた
「な、まえ……?」
「そうだ、お前の名だ」
名が知りたい
「あ……わ、たしは――――……」
彼女の声で 彼女の口から
「エリスティア………」
彼女が、まるで紅炎の魔法に掛かったかのようにその名を紡いだ
エリスティア
ああ…やっと、彼女の名が分かった
「エリスティア……エリスか」
エリス
エリスと言うのだ
それが、彼女の名前―――――
やっと知りたかった名を知れて、紅炎は満足気に頷くとそのまま、するりと腕を掴んでいた手を彼女の腰にやった
瞬間、エリスティアがぴくんっと肩を震わす
「あ、あの……離し――――」
「俺の名は、練 紅炎」
彼女の名が知れたとたん、今度は新たな欲望が浮かんできた
彼女に、自分の名を知って欲しい
そう思った瞬間、紅炎は名乗っていた
早く、彼女の口から自分の名が紡がれるのを聴きたかった
そして、彼女がどんな反応をするのか見たかった
「貴方が――――練 紅炎?」
だが、エリスティアの反応は、少し変わっていた
紅炎の名を聞いても、その瞳を瞬かせるだけでそう呟いたのだ
エリスティアの言葉に、紅炎が一度だけその柘榴石の瞳を瞬かせた
「エリス、俺を知っているのか?」
「…………」
彼女は答えなかった
だが、彼女の反応は、紅炎の名を知っている様だった
エリスティアは無言のまま、何か考え込んでしまった
もしや、煌帝国第一皇子だと気付いて、皆と同じ様な服従の姿勢をとるのだろうか
それとも、他の女たちの様に媚を売って来るのだろうか
そんな考えが浮かんだ
だが、それは違う気がした
彼女は違う――――
何故か、核心めいた何かがそう感じさせていた
だが、一向に彼女が顔を上げない
どう対応しようか迷っているのか
それとも、彼女の他の女達と同じだったのだろうか
一縷の不安が紅炎の中に押し寄せてくる
いつまでも、顔を上げない彼女が気になり、紅炎はエリスティアの顔を覗き込む様に語りかけた
「エリス?」
「……………っ」
ぎょっとしたのはエリスティアだった
顔を真っ赤にさせて慌てて離れようとするが、がっちり腰を掴んでいるので離れられないと悟ったのか
「ちょっと…離して―――っ!!」
思わず叫んできたエリスティアの反応に、紅炎がふっと面白いものを見た様に笑みを浮かべた
「はっ、…はははははは!」
思わず笑いが込み上げてきた
怒鳴ってきた
怒鳴ってきたのだ
今まで誰もしなかった反応だった
それに驚いたのは他ならぬエリスティアの方だった
いきなり笑い出した紅炎に、益々顔を真っ赤にさせて抗議してくる
「笑い事じゃないでしょう!!離してったら!!」
どんっと、紅炎の胸を叩くいてくるが、紅炎に離す気は微塵も無かった
がっちり腰を掴み、彼女をその腕の中に閉じ込める
それでも笑い続ける紅炎に、なんだか腹が立って来たのか
「もぅ!ちょっと!!紅炎さ―――― 「炎だ」
「―――え?」
一瞬、何が?とエリスティアがその瞳に困惑の色を見せた
「炎と呼べ。お前になら許す」
「は?」
益々、意味が分からなかったのか、エリスティアは首を傾げた
「炎だ、いいな?エリス」
それだけ言うと、すっとエリスティアの髪に口付けを落とした
ぎょっとしたのは、エリスティアの方だ
「な、何を―――っ!」
顔を真っ赤にして抗議してくる
瞬間、紅炎はパッと彼女の腰から手を離した
これ以上掴んでいて、嫌われては叶わない
すると、彼女は素早くその場から逃げる様に離れた
そして、わなわなと顔を真っ赤にさせて紅炎を睨んできた
「もう!貴方なんか知らないわ!!」
捨て台詞の様にそう叫ぶと、籠を持ったまま逃げる様にその場を駆け出したのだった
それを見ていた紅炎は、その柘榴石の瞳を瞬かせた後、くつくつと笑いだした
「エリスか……面白い女だ」
新鮮だった
何もかもが新鮮だった
紅炎の名を知っていても、あの反応
普通ならあり得なかった
媚びるでもなく、頭を下げるでもなく、怒鳴ってくるなどと誰が思っただろうか
だから、呼ばせてみたくなった
“紅炎”ではなく“炎“と
“炎”と呼ばせた時、彼女はどんな反応を示すだろうか
早く見て見たかった
自然と口元に笑みが浮かぶ
エリスティア……エリス………
それが、彼女の名前
ずっと知りたかった彼女の名前―――――………
「エリス…か………」
口にすると、不思議と穏やかな気持ちになった
また、逢いたいものだ………
**** ****
――――――煌帝国・禁城
城に戻るなり、眷属の李青秀と楽禁と周黒惇がやってきた
「紅炎様!何処に行かれてたんですか!?」
「若~、お探ししましたよ」
ただならぬ二人の反応に、俄かに紅炎が顔を顰めた
「……何かあったのか?」
紅炎の一等低い声に、思わず青秀が「あ、いや…」と口籠る
すると、楽禁が自慢の髭を触りながら
「ん~~将軍達が、今度の遠征に付いて話したいとお探しでしたよ?」
楽禁のその言葉に、紅炎は、はぁ…小さく溜息を付いた
「…そうか、御苦労だった」
それだけ言うと、踵を返して行こうとする
「あ、紅炎様!お待ちを!」
それを、青秀が止めた
青秀の言葉に、紅炎更に眉間の皺を深くする
「……まだ、何かあるのか?」
「あ、いえ…その…紅明様もお探しだったと……」
青秀の言葉に、思い当たる事があったのか、紅炎は「…ああ…」と何かを思い出したかのように答えた
紅炎のその反応に、二人は顔を見合わせた
「もしかして若、またお会いになられていたのですか?」
「…………何の話だ?」
一瞬、楽禁の問う意味が分からず、紅炎が首を傾げる
楽禁は、一度だけ目を瞬かせた後
「以前、お話になられていた若のいい人ですよ」
「そうそう!なんか帰ってこられた紅炎様、嬉しそうだったので、自分もうそうなのかなぁ~と!」
と、青秀までもが言い出した
そういえば、以前エリスティアの話をしたな…と、紅炎は思い出した
あの時は、「そういうのではない」と答えたが――――……
ふと、紅炎が微かに微笑んだ
「……そうだな…あいつに逢っていた」
そう言って、優しく微笑む紅炎に二人は驚いた
特に、青秀の驚きは半端では無かった
紅炎様が笑われた!?
今まで紅炎に仕えて来て、あんなに柔らかく微笑む紅炎は見た事なかった
その紅炎が笑ったのだ
「そうですか、それは良かったですね、若~」
言葉を失って固まってしまった青秀の代わりに、楽禁が答えた
楽禁のその言葉に、紅炎が首を傾げる
「……良かった?」
「うむ、お主はその女と会えて嬉しかったのだろう?」
それまで黙っていた、黒惇がそう言う
………嬉しい…
まただ、と紅炎は思った
そんなに自分は嬉しそうなのだろうか?エリスティアに逢えて
確かに、逢えたことは純粋に嬉しい
だが、それ以上に―――――
「………名が」
「名?」
楽禁の言葉に、紅炎が微かに微笑む
「ああ……名が分かったからな」
そう言って、眷属達が信じられないくらい嬉しそうに微笑んだ
「「「………………」」」
流石に今度ばかりは、青秀だけでなく、楽禁も黒惇も黙った
眷属達の反応の、紅炎が首を傾げる
「………どうした?」
「あ、いえ………」
青秀などは、完全に言葉を失っていた
すると代りに楽禁がにんまりと微笑んで
「若~、そのいい人の名前は何て言うんですかい?」
にやにやしながらそういう楽禁に、紅炎は一度だけその柘榴石の瞳を瞬かせた後
「………エリスだ」
「エリス様ですか~~~んん~~~、良い名ですね」
「エリス様? 帝国外の者ですか?」
楽禁の反応とは別に、黒惇が鋭い所を付いて来た
紅炎は一度だけ、その柘榴石の瞳を瞬かせた後
「……ああ」
とだけ、答えた
流石に、帝国内の人間じゃないとは思わなかったのか、楽禁と黒惇が顔を見合す
すると、青秀が
「いいじゃないですか!帝国の人間じゃなくったって!ね、お二人とも!」
と、二人に話し掛ける
すると、楽禁がぺしっと青秀を殴った
「うるせえ!青秀。この蛇ガキが、なんでおめーが仕切ってんだよ!?」
「いてっ!いて―――っす、楽禁殿!」
じゃれ合う二人を余所に、黒惇も小さく頷なずいた
「うむ、別に帝国の人間である理由は無い」
「ですよね!」
黒惇に同意する青秀に、また楽禁がべしぃと殴った
「だから、おめーが仕切るんじゃねぇよ!」
「いて――――っす!楽禁殿ぉ!」
三人のその様子に、紅炎が微かに微笑んだ
そして
「……三人とも、御苦労だった」
とだけ言うと、そのまま踵をかえして行ってしまった
残された三人は顔を見合わせ
「どう思います?お二人とも」
青秀の言葉に、楽禁は「んん~~」と自慢の髭を触りながら
「若が、幸せならいいんじゃないかね~」
楽禁のその言葉に、黒惇も小さく頷いた
「ああ……別段問題はない」
「ですが、もし皇妃にされたいと仰られたら…陛下が許しますかね?」
思わず、楽禁と黒惇が顔を見合す
瞬間、楽禁がべしっと青秀を殴った
「おめーは話が飛躍し過ぎなんだよ!」
「で、ですが……」
「うむ…可能性はゼロではない」
「ですよね!」
黒惇の同意を得られて、青秀がこくこくと頷く
その反応に楽禁が、「ん~」と少し考え
「ま、若なら大丈夫じゃないかね~」
「ああ」
二人の同意に青秀は「ですよね!」と嬉しそうに言った
「でも、びっくりしました…紅炎様もあんな風に笑われるんですね」
青秀の言葉に、楽禁も小さく頷いた
「ん~若は幼い頃から表情が少ないお方だからな~」
「でも、自分は紅炎様が一緒に居てあんな風に笑われる方が皇妃になられたら嬉しいです!」
自信満々にそう言う青秀に、また楽禁の手が伸びてきて
「生意気言うじゃねぇか、蛇ガキが!」
「だから、いて――――っす!楽禁殿!」
「そのくらいにしておけ」
流石に、黒惇が止めに入る
でも、実際の所 国外の人間を皇妃にすえるなど、難しいだろうというのが実状だった
だが、紅炎があんな風に笑ってくれる相手なら、むしろこちらから迎えに行きたいくらいだ
エリス様か……
青秀は前を歩く二人の後に続きながら思った
紅炎様をあんな顔にさせる方…
お会いしてみたいなぁ……
心底そう思ったのだった
やっと、名前が出てきましたw
って、名乗っただけなんですけどねー
紅明の話まで入らなかったww
2013/12/24