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◆ 第1話 -信乃と荘介- 7
「……乃。信乃?」
ふと、膝に重みを感じ、真夜がそちらを見る。
すると、いつの間にか信乃が真夜の膝の上で、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
どうやら、疲れたようである。
無理もない。
今朝は早くから驚かせてばかりだったし……。
それに、いくら本人が違うと言い張っても身体は子供。
疲れやすいのだろう……。
真夜はくすりと笑みを浮かべると、信乃の柔らかい髪を撫でた。
「……」
その様子を、相席しているあの青年が微妙な顔つきで、じっ……と見ていた。
その視線に気づいた真夜が、訝しげに青年を見る。
「何か……? 言いたげな顔をしているようですけど」
真夜にしては珍しく不愉快そうに青年を見た。
その真夜の鋭い琥珀の瞳に気押されて、青年がたじろぐ。
「え……あ、いや……」
どう切り替えしてよいのか分からず、青年が口籠った。
「その……キミは、私の事が気に入らないようだが、私はキミに何かしたかな?」
青年のその言葉に、真夜は答えることなく、大きく溜息を洩らした。
そして、ふいっと窓の外の方を見る。
外はもうすっかり雪の気配は消え、雨だけが降っていた。
「……こんな男の為に、自らを犠牲にする必要なんてないのに……」
「え……?」
一瞬、青年がぎくりと顔を強張らせる。
そう言った真夜の表情が、氷の様にとても冷たいものに見えたからだ。
すると、真夜はもう一度溜息を洩らし、
「雪、相手は選んだ方がいいわよ」
まるで“何か”に問いかける様にそう呟いたのだ。
「真夜……?」
それまで様子を見ていた荘介が、不思議そうに真夜に声を掛けた。
だが、真夜はそれに答えようとはしなかった。
それとは裏腹に、大きく目を見開いて驚いた表情を見せたのは、他ならぬ目の前に座る青年だった。
強張ったように顔を固まらせ、
「キミは――何、言って……」
そう声を震わせながら、真夜に問いかける。
が――真夜はそれに答える気はないのか……。
窓の外を見たまま、一度だけ視線を青年に向けただけだった。
青年は息を吞んだ。
真夜の綺麗な琥珀の瞳が、一層冷え冷えとしたものに見える。
な……なん、なんだ……? この女は―――。
今、確かに彼女は「雪」と言った。
いや、真夜だけじゃない。
真夜の膝で眠る少年……信乃の方を見る。
この子供……。
この子供の意志に「雪」は従った。
そもそも“私”と同じ空間にいて何故、彼らは何も感じない?
目の前で本を読む荘介も、窓の外を眺める真夜も平然としている。
「……」
青年が試しに、ふっ……と車両の窓に息を吹きかけた。
瞬間――パキパキィ……と“その場所”が凍り付く。
夏だというのに、まるでそこにだけ、“冬”が訪れたかの様に―――。
寒いだろ!? フツ――!!
青年がそう思うも、やはり真夜も荘介も平然としていた。
青年にはそれが信じられなかった。
“これ”のせいで、親しかった友人も、恋人も――皆、離れていった。
それなのに、目の前の彼らは逃げる所か、まったく気にした様子もなかった。
今の青年にとってそれは不可解な事であり、信じられないものでもあった。
それに……。
ちらりと、青年が“ソレ”を見る。
そこには赤く大きな目をくりくりさせた、普通の大きさではない“まりも”が一匹……。
得体の知れない、この生き物!!!!
思わず、書物を持つ手が震える。
すると、荘介が「ああ……」と声を洩らし、立ち上がった。
「大分縮みましたね。信乃に見つかると今度こそ捨てられますよ?」
そう言うと、躊躇いもなく“まりも”を手で鷲掴みにすると……。
ぎゅうう~~~。
「~~~~~~っ!!」
今度こそ、青年は声にならない叫び声をあげて、後退った。
なぜなら、荘介がその“まりも”を「まだ大きいな」とぼやきつつ、素手で絞ったからだ。
すると、“まりも”が手のひらサイズになったのをいいことに、荘介は“ソレ”を空いた菓子袋に詰め込む。
「荘介、そのまりもさん……持っていくの?」
流石の真夜も怪訝そうにそう尋ねた。
すると荘介は「仕方ないでしょう?」と、さも当然の様に答える。
「こんなところに、捨てていくわけにもいかないでしょう」
「それは……まぁ、そう、ね……」
一応、ここは一等車両とはいえ、公共の乗り物の中。
こんなところに、ポイ捨ては良くない。
その時だった。
シャン!!!
遠くで錫杖の音が聴こえた――気がした。
はっとして、真夜が顔を上げる。
「夜刀?」
真夜がぽつりとそう呟く。
まるで“何か”に“反応”したような彼女に、荘介が首を傾げた。
「真夜? どうし―――」
荘介が、そう尋ねようとした時だった。
「ここかぁ!!! 妖共!!! このゝ大がとっとと退治してくれるわ!!」
突然、何の前触れもなく、車室の扉がまた乱暴に開けられたかと思うと、謎の法師が「ははははは」と笑いながら乱入してきた。
が……。
真夜や荘介、青年の対応は冷たく……逃げるどころか、驚いた様子もなかった。
「……ん?」
妙に冷たいその空間に、ゝ大と名乗った法師はわなわなと震えあがり、
「四人か……人に化けるとはこれまた面妖な―――ん”ん”!?」
その時だった、“それ”が起きたのは……。
ゆらりと、青年の背後から冷気が漏れ出したかと思うと、ヒュウウウウウ……と冷たい風が吹き始めたのだ。
「ぬ!! 正体を現しおったか!! 化け物め!!」
ゝ大が錫杖を構える。
が―――。
スドドドド!!! と、どこからともなく出現した氷柱がゝ大を襲う。
「ぬを!!!?」
氷柱の刃がゝ大の法服を捉える。
身動きの取れなくなったゝ大に追い打ちを掛ける様に、青年の後ろから現れた影が襲い掛かった。
その影が、フッ……と息を吹いた瞬間―――。
パキイン……。
瞬く間に、ゝ大が大きな氷と化したのだ。
最早、抵抗する事すら敵わなかった。
それは、あっという間の出来事だった。
さらに、攻撃しようと影が動く。
が……。
「雪!! 駄目よ!!!」
不意に、真夜の声が響いた。
影が真夜を見る。
真夜は、まるで知り合いに声を掛ける様に、
「雪、それ以上やったらその人は死んでしまうわ」
だから、駄目だと。
そう諭すように、言う。
と、その時だった。
「雪……? ……雪姫……?」
もそりと、今まで真夜の膝の上で寝ていた信乃が起きてきた。
すると、その声に呼応するかの様に、それまで影でしかなかったそれが、美しい女に変わったのだ。
白い着物に、氷のような蒼い髪と蒼い瞳、そして雪の様に白い肌のその女は、信乃を認識すると、にっこりと微笑んだ。
そして、すっと手を伸ばすと、信乃の瞼にそっと優しく口づけを落としていく。
瞬間、ぱぁっと信乃が嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり、雪姫だ! わーい、久しぶり~~~!!」
そう言って懐かしむように、彼女――雪姫に抱き付いた。
横にいた真夜も、嬉しそうに微笑むと、
「雪、元気そうでよかった。心配したのよ?」
そう言って雪姫に声を掛けると、雪姫はにこっと微笑んでこくりと頷いた。
だが、それらを見て、驚いたのは他ならぬ青年だった。
「……ちょ、……ちょっと待った!! キミ、どーして彼女に触れる!? と、ゆーかキミら知り合い!!?」
「ああ、前に雪ん中、森で遭難しかかってるところ、助けてもらった。それ以来、毎年冬が来るとよく遊ぶ」
「私は、ちょっと事情が違うけれど……雪には色々とお世話になっていたの」
その時だった。
一等冷え冷えした声で、
「……へぇ――森で雪の中遭難。……それは初耳ですね」
荘介の言葉に、信乃がぎくっとする。
そして、慌ててその場を誤魔化すよ様に、
「ゆ、雪姫!! いや――こんなトコで会えるなんて、ビックリ!! さ、最近、姿見ねーなって!! 森のヌシ様も心配してたぜ!? どうしてたんだよ?」
信乃が口早にそう言うと、雪姫はにっこりと微笑んで、信乃達の前の座席に座る青年と自分を指差した。
そして、ふわりと青年の傍に近寄ると、そのまま青年の首に手を回して抱きしめたのだ。
それを見た、信乃は納得いった様に、
「へぇーそいつと一緒にねぇ」
信乃のその言葉に、こくりと雪姫が頷く。
だが、真夜は納得いかないのか、複雑そうな顔で信乃達のやり取りを見ていた。
その時だった。
青年がしぶ~~~い顔をして、
「あ――まぁ、いや、それなら話が早い。……是非とも頼みがある!!」
一瞬、何事かと真夜と信乃が顔を見合わせる。
すると、青年が懇願するように、
「頼むから!! 彼女に私から離れる様に説得してくれないか!? 頼む!!!!」
「え……?」
「ハァ?」
真夜と信乃がそう言ったのは同時だった。
だが、青年の雄叫びは続いた、
「もー限界だ!!! 彼女が憑りついてからこっち、友人も恋人もみんな気味悪がって離れていくし!! 冬は勿論! 夏でも私の周りはこんな寒さだ!!」
「あ――」
言われてみれば、青年は夏だというのにコートを羽織っているし、中も厚着している。
「身体も寒いが、心はもっと寒い!!!!! こんな生活もうイヤだぁ―――――!!!」
切々にそう訴えてくる青年だが……。
それをバッサリと切ったのは他ならぬ信乃だった。
「そりゃ、ムリ」
「何故!!!?」
すると、真夜が小さく息を吐き、
「雪がね、この季節に人前に出る事なんてまずないのよ。よっぽど貴方を護りたいのね……」
真夜的には不愉快な話だが、それが事実だ。
「それに――」
真夜の言葉に、信乃が決定的な一言を告げた。
「雪姫が離れたら、アンタ死ぬ」
「んなっ!!!?」
ガーンと、ショックを受けたように青年が驚愕の顔をする。
だが、信乃は至って冷静に、
「どーせ、雪ん中死にかかってる所を助けて貰ったんだろ? 諦めろよ」
信乃の言葉に、青年は言葉も出ない様だった。
唖然として、がっくりと肩を落とす。
「じゃ、じゃぁ……私は一生このまま……」
「……自分だけがそうだと思わないで!!」
突然、真夜が声を荒げる様に叫んだ。
それには、信乃も荘介も驚いた。
静かに怒りはせども、怒鳴ることなど、真夜らしからぬことだったからだ。
だが、真夜には今の青年の言葉は許しがたき事だったのだろう。
琥珀の瞳が青年を睨む。
初めて会った時からの、イライラ感。
この青年に対する怒りが、真夜の心を支配する。
「貴方を生かす代わりに、雪もその代償を払ったのよ。妖が“たかが”人の子の命を助ける為に。少なくとも、彼女は―――」
「え……?」
初めて聞くその言葉に、青年が大きく目を見開く。
瞬間、はっとした雪姫が真夜の傍に飛んできた。
そして、しっ……と真夜の唇の前に人差し指を出す。
雪姫のその行動に、真夜が言葉を詰まらせた。
雪姫は、にこっと微笑んで自身の唇にも人差し指を当てた。
まるで、「秘密」だという様に。
それを見た真夜が、一瞬何か言いたそうに口を開きかけるが――。
諦めたのか、小さく息を吐くと、
「…………わかったわ」
雪姫の言わんとする意味が分かり、真夜が渋々言葉を切る。
どうやら、彼女は青年に“その事を知られたくない”らしい。
二人のやり取りを見ていた、青年が雪姫と真夜を交互に見た。
すると、雪姫は青年の方を見て、柔らかく微笑んだ。
なんだか、追求してはいけない領域な気がして。
青年はそれ以上、何も言えなかった。
―――帝都
ようやく帝都につき、信乃が「んんー」と背を伸ばす。
荘介はてきぱきと荷物と降ろすと、そのまま信乃と真夜を連れたって青年のいる車室を後にした。
正確には、ゝ大が凍る氷の塊と「目玉……目玉……」と、うなされる飲んだくれ親父を放置して。
その様子を、車室の窓から青年はぼんやりと眺めていた。
すると、心配そうに雪姫がそっと青年の頬に触れる。
「ん? ああ、平気だよ、姫。寒いのには……もう慣れた」
そこまで言いかけて、青年は雪姫に向かって優しく微笑んだ。
「私は……姫に命を拾ってもらっていたんだね。ありがとう」
一瞬、雪姫が驚いたようにその蒼い瞳を見開く。
が、次の瞬間、嬉しそうに微笑んだ。
「あ……それより、見送らなくていいのかい? せっかく、久しぶりに友人に会えたんだろう? 珍しいね、姫に人間の友人とは――」
青年のその言葉に、雪姫がにこりと微笑む。
「あ! しまったな、名を聞くのを忘れてしまった……っ!」
そう言って、慌てて車室の窓を開ける。
そして―――。
「なぁ! ちょっとそこの三人!! 大きいのと、小さいのと、気が強いの!! ちょっと待ってくれ!!」
駅の出口に向かって歩いていた真夜達を青年が呼び止めたが……。
「大きいの?」と、荘介。
「……小さいの……」と、顔を引きつらせる信乃。
そして―――。
「気が強いのって……」
どういう意味か、今すぐ問いただしに行きたい気分の真夜。
の三人が振り返った。
すると青年は、声を張り上げて、
「私は、道節!! 犬山道節!! キミらは?」
そう尋ねる青年――道節の表情は、何かが吹っ切れたように清々しかった。
これでは、怒るに怒れない。
すっと、荘介が顔を上げ、
「俺は……犬川荘介」
「犬塚信乃」
そう言って、信乃も顔を上げて、名を伝える。
が、怒れないのはともかく、納得いかない真夜はむっとした様に、視線を逸らしたまま、
「……真夜です」
とだけ答えた。
すると、信乃はニッと笑って、
「じゃぁ、またな雪姫。道節も!」
そう言って、手を振ってくる。
手を上げて返事をしつつも、「呼び捨てかよ……」と道節が思ったのは言うまでもない。
すると、「あ……」と信乃が何かを思い出したように右手をかざし、
「挨拶! 村雨もだって!!」
そう信乃が言った瞬間、信乃の腕の中から真っ黒な烏――村雨が姿を現した。
『ユキ―――!!』
そう挨拶する村雨に、雪姫がにっこりと笑って手を振るが……、道節がぎょっとして、ガタガタガタと窓から遠ざかり、
「腕からカラス……!! 腕からカラス!!?」
と叫んでいたのはお約束である。
**** ****
「真夜」
駅の構内を歩く真夜に、荘介が問いかけてきた。
「気になっていたことがあります」
「……?」
何の事だろうと真夜が首を傾げる。
すると、荘介は、
「雪姫が彼を助ける為に、払った代償とは?」
「…………それは……」
言いかけて信乃を見る。
言っていいものか、悩んでいる様だった。
すると、信乃は何かを思い出すように―――。
「――綺麗な」
「え?」
「綺麗な声をしていたんだ。――いつも詠ってて……大好きだった」
信乃の言葉に、真夜が静かに琥珀の瞳を伏せた。
「雪の降る季節しか聴けない……子守唄みたいで……」
でも、もう……。
二度と聴けない―――。
詠が……聞こえる。
透き通るような、綺麗な綺麗な詠声が―――。
雪の中、その詠声だけが……響いていた。
「……綺麗な、詠だ……」
ぽつりと、道節は呟いた。
もう意識も薄れて……このまま目を閉じれば、楽になれるのではないかと……。
そんな気がした。
そんな中で、雪の中聴こえる詠声だけが、辛うじて道節を現実に引き止めていた。
『生きたいか……?』
声が……聞こえる。
誰かもわからない綺麗な声が―――。
その時だった、どこからともなく美しい女が姿を現した。
真っ白な雪のような肌に、白い着物。
氷のような蒼い髪に、蒼い瞳の美しい人が……。
「それは……もち、ろん……死にたく、ない、よ……」
道節は、朧気な意識の中そう答えた。
『何故、生きたいと願う……?』
何故かって……?
そんなの……。
道節は手のひらの中の、紅い髪止めを握り締めた。
「妹が……妹が、いるんだ……。子供のころに……別れた、きり、だ、けど……。ああ、キミのような美人ではないけれど……とても可愛い……」
自分は誰と会話しているのか。
それでも、道節はぼんやりとする頭の中で答えた。
「たった一人の妹……」
そう、たった一人の小さな妹。
「小さな彼女と……たった一つの約束を、して……」
――“絶対に、迎えに行く”……。
「まだ、それを果たして、な、い……」
ぎゅっと、髪飾りを持つ手に力が籠もる。
「不肖の兄だけど……大きくなった、姿を見たい……。迎えにいって、遅くなってゴメンと謝って……それから…………」
ぐっと、道節の瞳から涙が零れ落ちた。
「生きて……傍に、いてやり、たい―――」
その言葉に彼女――雪姫は、はっとした。
『ただ生きて……傍にいてあげられれば、それだけなのに―――』
あの時も、“彼女”は泣きながらそう訴えた。
琥珀の瞳に大粒の涙を流し、
“彼女”は、哀しんでいた―――。
“傍にいてあげたい”。
それだけが願いなのに―――。
ふわりと、雪姫が道節の頬に触れる。
『―――お前は、妾の友と同じことを言う。
ならば、その命……助けてやろう―――』
新:2025.05.18
旧:2017.11.07

