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◆ 第1話 -信乃と荘介- 1
「いや!!! 真夜ねーさま!!! 死なないでぇ!!!」
燃えさかる炎。
赤く、赤く、染まっていく視界……。
「真夜ねーさまぁぁぁぁぁぁ!!!」
遠くで聴こえる、自分の名前を呼ぶ声……。
もう見えない。
何も……。
視界がぼやけて、真っ赤に染まっていて。
何も見えない――。
「真夜!!」
「真夜!! 諦めないで下さい!!」
「……」
言葉を返したいのに、返せない……。
声が――もう、出ない。
ああ……。
私は、“彼等”を残して逝く、の、ね……。
意識が遠のく――。
「真夜ねぇさまぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
声だけが――響く……。
遠く……。
とおく―――。
赤く。
目の前が赤く染まる――。
その先にいたのは……。
長い漆黒の髪。
緋色の結い紐。
琥珀色の瞳の美しい少女が振り返る。
それは―――。
「真夜!!!」
そう叫ぶや否や、瞬間的に意識が覚醒する。
どくどくと、心臓が酷く脈打っている。
「あ、あれ……?」
が……。
窓の外からは、清々しいぐらい 気持ちよさそうに鳥が鳴いていた。
「信乃……? どうしたんですか……?」
そう言いながら、もそもそと黒い毛並みの犬がベッドの中から這い出てきた。
が、名を呼ばれたであろう少年は、放心したままベッドから半分落ちている。
「信乃――?」
黒い毛並みの犬が不思議そうに首を傾げながら、信乃と呼ばれた少年に近づいた。
「荘介……」
その黒い犬を見た瞬間、信乃と呼ばれた少年が、今にも泣きそうになりながらしがみ付いて来た。
「信乃……? 泣いているんですか?」
「泣いてねぇ!!」
信乃はそう言うが、肩は震えていた。
ぽんぽんと、荘介と呼ばれた黒い犬が信乃の背を叩く。
「信乃……もしかして、また真夜の夢を見たんですか……?」
荘介の言葉に、信乃が ぴくんっ と肩を震わす。
そして、小さくこくりと頷いた。
真夜。
5年前の“あの事件”で死んでしまった、信乃や荘介にとって姉のような存在だった人。
結局、“あの事件”で生き残ったのは、信乃と荘介と、そして……。
「しーの――? 荘介――? もう、朝よ――!!」
カンカンっと、フライパンをお玉で叩きながら、赤髪の美少女が部屋に乱入してきた。
「ちょっと荘介! なんでまだ四白のままなの!? 早く、着替えちゃってよ! って……信乃?」
いつもの様子の違う信乃に気付いたのか、少女が不安そうに信乃を覗き込んだ。
「浜路……ちょっと、まぁ、いつもの事ですよ」
荘介がそう言うと、浜路と呼ばれた赤髪の美少女は「ああ……」と何か納得した様に頷くと、
「まったく……真夜ねーさまの事は、信乃の所為じゃないじゃない! 責任感じる必要なんてないのよ? それなのに――」
すちゃっと持っていたフライパンとお玉を構える。
そして――。
「いつまでも、そうやって めそめそしてるんだったら、耳元で思いっきり鳴らすわよ――!!」
そう言うな否や、カ―――ン!! と思いっきりフライパンを鳴らした。
流石にそれは予想だにしていなかったのか……、
荘介にしがみ付いていた筈の信乃が、その音にやられて、ひくひくしている。
「浜路、お前なぁ~~」
信乃が抗議の声を上げるが、浜路はけろっとしたまま、
「信乃がいつまでも、うじうじ してるからでしょう!? もう! 朝ごはん冷めちゃうじゃない!!」
そう言って、バサッと信乃の頭に着替えを乗せた。
「ほら、さっさと着替えてキッチンに来る!!」
「ほーい……」
信乃が不貞腐れた様にそう返事をすると、浜路がギロリと睨んで、
「信乃~? 返事は……」
すちゃっと、フライパンとお玉を構えると、信乃が悲鳴を上げるよりも早く……。
「“はい” だって言ってるでしょ―――!!!!」
カ―――ン!!!!
というけたたましい音と共に、信乃が「はい――!!!」と叫んだのは言うまでもない。
「ぷはっ!!」
ザバァッという音と共に、信乃が沼の中から顔を出した。
ザーと傍では滝が流れていて、なんとも涼しげな空間を作っている。
「あ~~気持ちいいー! ここんとこシャレにならん位 暑かったしな――あ~天国」
そう言って、沼の流れにゆらゆらと身を任せる。
さわさわと森の木々たちの音が心地よい。
「それにしても、浜路の奴……まだ耳の中がキーンってするぜ」
先程の浜路のフライパンの音が未だに耳の奥に残っている。
だがあの場合、一概に浜路が悪い訳ではないので、責める訳にもいかない。
このやり場のない怒りをどうしてやろうか……。
そんな事を考えていた時だった。
ゴポポポポ……。
突然、沼の奥がゆらりと揺れたと思った瞬間――。
「ん、おお? おわあああああっ!!」
ざばぁあっと、何かが沼の奥底から這い出てくる。
普通ならここで「ぎゃあああああ」と叫び声を上げるのかもしれないが、信乃は“それ”を見た瞬間、はーと溜息を付いた。
「なんだ、ヌシ様じゃん。驚かせんなってば! 折角涼みに来たんだからさ―」
と、出てきた沼のヌシの上でごろごろと横になったまま、普通に話し掛けた。
その時だった、ギョロとヌシが空の方を見た。
何かと思い、信乃がそちらの方を見る。
すると、「ギャァ、ギャァ」という鳴き声とともに、一羽の烏が飛んできた。
「お、村雨!!」
村雨と呼ばれた烏は、そのまま信乃の前に降りてくが――、
「ん?」
何やら、黒いイガイガのまりもの様なものを、そのくちばしで突いていた。
「……?」
信乃が訝しげにそれを見る。
すると、村雨が明らかに自分の喉より大きなまりもを一気飲みしようとし始めた。
「こらぁ!! 村雨!! また変なモン拾い食いしようとしやがって!!!」
そう言って、村雨のくちばしからそのまりもを奪い取る。
すると村雨が抗議する様に、
『信乃―――!! ソレ、村雨ノ!!』
と、羽根をばたばたとばたつかせる。
が、信乃はそれを無視すると、取り上げた手の中のまりもを見た。
「ん?」
すると、そのまりもがぷるぷると動いた瞬間――。
―――ギョロ
「……」
そこにあったのは、赤い大きな目がひとつ。
…………
………………
……………………
「ギャ―――――――――――!!!!」
信乃がそれを、力一杯遠くへ投げ飛ばしたのは言うまでもない。
「ギャー!! ギャー!! 村雨のせいで、何か変なの触っちまったじゃねーか!!!」
『ガ――ン』
信乃と村雨がギャーギャーやり取りしている時だった。
『この村、最近おかしいぞ』
突然、ガマガエルが話し掛けてきた。
だが、信乃はやはりけろっとして、
「なんだよ、今度はガマのじっちゃんまで!」
すると、ガマガエルはゲコッと一度だけ鳴き、
『妖達が、妙にざわついておる。なんか、禍々しい力を感じるんじゃが……』
そこまで言って、ちらっと信乃の隣にいる村雨を見た。
『うむ……お前の“それ”では無いようじゃの』
「……?」
信乃と村雨が互いに顔を見合わせて、首を傾げる。
ガマガエルの言う“禍々しい力”が何なのかは分からない。
分からないが―――。
何かが起きようとしている
そんな気配が、徐々に近づいて来ている。
そんな気がしてならなかった―――。
◆ ◆
「ふん、ふんふん~~」
浜路が歌を歌いながらティーポットにお湯を注ぐ。
こぽこぽこぽ、と新しい湯気が立ち、紅茶の良い香りがじわりと伝わって来た。
不思議と、気分もよくなってくる。
「さぁて、お茶がはいりましたよ~」
そう言って、振り返った時だった。
お世話になっている征先生と蜑崎神父が何やら神妙な顔をして話していた。
「……?」
浜路が不思議そうに顔を傾げた時だった。
「お! 今日のおやつなに?」
信乃が頭を拭きながら部屋に入って来た。
「信乃の分もあるから、頭早く乾かして来て。今日は、新作の紅茶もあるの」
“新作”という言葉に、信乃がぴくっと反応する。
そして、心底微妙そうな顔をして。
「へ、へぇ、新作……」
そう言ったその声は裏返っていた。
そして……。
目の前には美味しそう(に見える)なマフィンやバウンドケーキ。
トッピングには苺のジャムに、サワークリーム。
そして、極めつけは浜路特製新作の紅茶。
結果。
それを食した全員(?)がほぼ死にかけていた。
村雨など、ひっくり返ってピクピクしている。
「――で、本日のお茶……って、コレ、ナニ……?」
信乃の問いに、浜路は澄ました顔でその紅茶を口付けながら。
「サンブリとどくだみと、高麗人参とスッポンの血のブレンド。後、ヒルガオとスイカズラ。身体にいいわよ?」
「……このマフィン、壊滅的な味です……」
流石の征先生にも耐えられなかったのか……頭を抱えている。
が、浜路は容赦なく、
「捨てたら許さないわ」
きっぱりとそう言い放つものだから、
食べるしかないのか……っ!!
そう尋問している時だった。
「おかわり」
「……え”!!?」
強者が出た。
この教会の神父であり、お世話になっている蜑崎神父である。
流石だ……!!
この時、誰しもがそう思った。
浜路以外が。
浜路が上機嫌で立ち上がって、紅茶を淹れに行く。
その時、はたっとある事に気付いた。
「あれ? 荘介は……?」
**** ****
「こんにちは――犬川ですが」
一人の青年が、ある家を訪ねていた。
すると一人の年配の女性が現れて、
「あらぁ、荘介さん! いー所に来てくれたわ」
そう言って、少し困った様に荘介と呼ばれた青年に話し掛けてきた。
と、その時だった。
「こンの、バカ息子が!!」
そう叫ぶ声と、ばきっとという音が家中に響き渡った。
何事かと思い、そちらの方を見ると、
女性のご主人とおぼしき人が、息子であろう少年を殴り飛ばしていたのだ。
「……どうしたんですか、2人とも」
荘介がそう止めに入ると、ご主人は、
「どうしたも、こうしたもあるか!! 今日こそは止めても無駄だぞ、荘介!!」
「……はぁ……」
「コイツはなぁ、学校も行かず山で遊んでばっかり!! 挙句、教科書は全部燃やしてねぇんだと!!」
ご主人のその言葉に、流石の荘介も訝しげに少年を見た。
「焼いた? 教科書を?」
すると、少年はキッと父親であるご主人を睨み付け、
「――そうだよ! オレ、勉強嫌いだし。もう働く!!」
「何、生意気な事言ってやがんだぁ!!? テメエ、まだ12になったばっかじゃねーか!!」
「うるせぇ! クソ親父!!!」
火に油とはまさにこの事である。
流石に見かねた荘介が「まあ、まあ……」と仲裁に入った。
「荘兄!! 教会行ってもいいから、荘兄がベンキョー教えてよ」
「……そうは言ってもね、俺も毎日教えてあげられる訳じゃないし」
「何だよ、イヤなの? じーちゃん神父にならオレから頼むしさ!」
「う――ん……」
そういう問題ではないのだが……。
荘介が答えに困っていると、後ろからご主人が「けっ」と声を洩らし、
「やめとけ、やめとけ! こいつが教会に行ったら、やかましくて適わんだろ!!? それでなくとも、年寄と身体の弱え兄妹抱えてるんだからさ!」
ご主人の言葉に、少年が「はぁ?」と返した。
「身体弱えって、だれの事だよ? 信乃ならこの間、森で見かけてぴんぴんしてたぜ?」
そう言ってふんぞり返った。
が、それに反応したのは荘介だった。
訝し気に顔を顰める。
「森で……?」
「あ……ヤバッ」
しまった! という風に、少年が思わず口を塞ぐ。
そしてその場を誤魔化す様に、
「い、いやぁ~アイツ、チビのくせにすげぇ生意気だよなぁ!」
苦し紛れに出したその言葉に、「生意気なのはテメェだ!!」とゲンコツが飛んできたのは言うまでもない。
**** ****
外はもう、すっかり夕暮れだった。
「母ちゃん! オレ、荘兄を教会まで送ってくるー!!」
「気を付けていっといでよー」
その言葉に、荘介が頭を下げる。
―――道中
「いいよ、健太。俺一人でも。村の外れの教会までは遠いから」
荷物を抱えた荘介がそう言うが、健太と呼ばれた少年は、
「だいじょうぶだって! オレの最近の遊び場は、教会の奥の森ン中だぜ?」
「あの森は危険だから入るなって、あれほど……」
「なんだよ、野犬でも出んのかよ? それともクマとか?」
健太の言葉に、荘介が神妙そうに、
「……そういった“こちら側”の“モノ”なら、まだいいんですけどね」
「……?」
健太が不思議そうに首を傾げる。
「ま、そういうのは、信乃に言った方がいいぜ?」
「信乃?」
「この間も、あそこでよくない連中に絡まれてた。オレよりあいつの方が危ないんじゃン?」
信乃……。
壮介が頭を抱えていた時だった。
「また降りて来てる。何うつるかわからんわ。はよう、隣村に帰ってくれんかなぁ……」
「大塚村は全部燃やされたからねぇ。今も誰も入るなって言われてるし」
「みんな、腐って死んだんだろ? うちの村、大丈夫なんかねえ?」
「ほら、また一緒に居る。荻原さんとこの長男でしょ?」
村人達のひそひそ声が、聞こえてきた。
それは、とても良い噂とは言えなかった。
そしてその原因が自分にある事も、荘介は分かっていた。
だから―――。
「健太、もういいよ、この辺で……」
そっと健太にそう話し掛ける。
しかし健太は、逆にムキになると、
「よくねえ! 教会まで送るって言ったろ! いいんだよ! 村の連中なんて気にしなくても!!」
「……俺は気にしないけど、健太が俺といると学校でまた何か言われるだろ?」
一瞬、健太の表情が曇った。
親すらも気付いていなかった事に、荘介は気付いていたのだ。
だが、健太は強がるように、
「ふ、ふん! 大体、アイツらビビり過ぎなんだよ! 荘兄達がこの村に来てから5年も経つのに……」
「……家も死体も焼かなきゃ、病気がこの村まで飛び火するって話だったらしいですからね」
「らしいって……?」
「俺にはあの時の記憶が余り無いので」
「……そう、なんだ……」
一瞬の沈黙。
だが、荘介はにこっと微笑むと、
「ま、健太がそこまで言うなら、教会までお願いするとします」
と少し明るく言って、また歩き出した。
「でも、森の入るのはどうかな?」
「また、それかよ……」
むーと健太が膨れる。
すると、荘介は胸元から1つの銀のロザリオを差し出した。
初めて見るそれに健太が首を傾げる。
「なに、コレ?」
「お守り」
そう言って、健太の手にロザリオを乗せる。
健太はまじまじとそれを見て、
「オレ、神サマなんて信じてねえぞ?」
すると、荘介はにっこりと微笑んで、
「神様は信じてなくても……、“友達”の俺の事なら信じてくれるだろ?」
健太が一瞬、言葉に詰まる。
“友達”
荘介は今確かに“友達”と言った。
手の中のロザリオを見る。
荘介からの“友達”の証。
「……おう」
健太には、それが嬉しくもむず痒くもあった。
**** ****
教会に帰ると、浜路の笑い声が聞こえてきた。
「ただ今戻りました」
そう声を掛けると、浜路と信乃が「あ……」と声を洩らした。
「お帰りなさい、荘介」
そう言って浜路が荘介の持つ大量の荷物を見て、
「凄い荷物ね、大変だったんじゃない?」
そう尋ねると、荘介はにこっと微笑んで、
「いえ、ここまで健太君が荷物持ちを手伝ってくれましたので」
そう言ってすっと、横にずれると、後の方から健太がひょこっと顔を出した。
すると浜路が、
「そうだったの、助かったわ。ありがとう、健太君」
そう言って、にっこりと微笑んだものだから、健太が一瞬赤くなって、
「あ……いや、オレは……」
と、もじもじしだした。
それを見た信乃が一言。
「……なーに照れてんだよ」
「んだと、信乃!!」
健太がそう突っ込んだ時だった。
突然、荘介がにっこりと微笑んで、
「その前に信乃、少々お話があるのですが……」
「へ?」
信乃がその言葉にきょとんとする。
が、健太はその反面「やばっ」という顔をして、
「……じゃ、じゃぁ、オレ~~か、帰えろっかなぁ~~」
そう言って、後退りし始める。
「……?」
健太のその挙動不審な態度に、信乃が訝しげに首を傾げた。
が……荘介がそれを遮るかのように、
「信乃の“遊び場”につて」
「ぎくっ……」
荘介のその言葉に、信乃が顔を強張らせる。
沼の事か、それとも裏手の森の事か。
だが、この事を知っているのは信乃と村雨と―――。
キッと健太の方を見る。
すると、健太が手を合わせながら去って行くではないか。
け、健太の奴―――!!!!
これはもう決定的だった。
「俺達は少し話し合いが必要なようです。……そうですよね?」
荘介の清々しいまでの笑顔が怖い。
信乃には最早、頷く以外の選択しなかったのだった。
哀れ……信乃。
健太がその日、合掌しながら帰ったのは言うまでもない。
新:2025.05.18
旧:2017.03.19

