朱の刻印-紅櫻緋衣- 

 

◆ 輝き 瞬きの中に 1

 

 

紅い甲冑の青年が静かに馬を下りた

漆黒の髪が風になびき、六銭紋の額当てがキラリと光った

 

「お待ち申しておりました真田様」

 

彼を待っていたのだろう

門番の1人が丁寧に頭を下げた

 

青年―――真田幸村は馬を門番に渡すと、その門を潜った

 

躑躅ヶ崎館―――

 

幸村の敬愛する、甲斐の武田信玄の邸である

 

丁寧な造りの邸の中、侍女が先導する廊下を歩く

何度も来ていて、見慣れた庭が視界に入った

 

大きな城ではないが、この館も雅なものだった

 

「こちらにございます」

 

侍女が一礼し去っている

案内された先は、信玄が良く使う東の大広間だった

 

「お館様。真田幸村、遅参致しました」

 

スッと頭を下げ、幸村は一礼した

すると、広間の上座の方から、「おお!」と信玄の声が聞こえた

 

「幸村か、待っておったぞ」

 

バシッと膝を叩き、信玄はにこやかにそう声を掛けた

 

「失礼致します」

 

幸村は立ち上がると、広間に足を進めようとした所

そこで、ふと足が止まった

 

信玄以外重臣の山県昌景、馬場信春、高坂昌信、内藤昌豊などが居ると思ったが意外にも誰も居なかった

その代わり、信玄の斜め前に少女が1人―――

 

長い漆黒の髪を後ろで束ね、白の千早に朱の袴姿の巫女装束の少女は、幸村の声を聞いて、ゆっくりとこちらを見た

黒曜石の様な真っ黒な瞳に凛とした面持ちが印象的な見目麗しい少女だった

 

少女は、軽く信玄に向って一礼すると、スッと立ち上がった

そして、そのままこちらに向って来る

 

「・・・・・・・・・・」

 

幸村は吸い寄せられる様に少女を見ていた

少女が、横を通り過ぎる時、ふとこちらを見た

 

目と目が合う

 

だが、少女は気に止めた様子も無く軽く頭を下げると、そのまま広間を出ていった

 

「・・・・・・・・・・」

 

思わず、去り行く少女の後姿に魅入ってしまう

 

「幸村? どうした?」

 

信玄に声を掛けられ、幸村はハッとした

 

「あ、なんでもありません」

 

いけない、お館様の前だった

それを失念していた事に恥じた

 

「申し訳ありません」

 

幸村は自分の行動を悔いる様に頭を下げた

だが、信玄は特に気にした様子も無く、来い来いと手招きした

 

その対応に、ホッとし、幸村は広間の中央に座った

 

「ふっふっふ、あやつの事が気になるのかのぅ?」

 

「え・・・・!?あ、いえ・・・・・・」

 

核心を付かれ、幸村はドキッとした

慌てて冷静を装う

 

「あの・・・失礼ですが、彼女は・・・・・・?」

 

信玄の重臣の中には女は居ない

 

侍女とも違う様だし

思い当る節が無かった

 

「綾の事か?」

 

信玄はにやりと笑った

 

綾殿と仰られるのか・・・・・・

 

「あやつはノノウよ」

 

「ノノウと申しますと・・・歩き巫女ですか」

 

歩き巫女とは、情報収集、諜報活動を生業として、各地を回るくノ一の事である

武田の歩き巫女は優秀なくノ一として有名だった

 

だが、実際その姿を見た者は少なく、幸村も目にしたのは初めてだった

 

綾の姿を思い出す

凛とした面持ちも、吸い込まれそうな黒曜石の瞳も、何もかもが彼女の”武器”の様に思えた

 

「ノノウを見るのは初めてかのぅ?」

 

「は、はい」

 

信玄は脇息の寄り掛かり、笑みを作った

 

「綾は、わしが幼き頃より育てたノノウよ。美しいじゃろう?」

 

自慢げに言う信玄は誇らしそうだった

 

「しかし、ノノウは祢津村が滅んだ時に一緒に絶えた・・・と聞きましたが」

 

「そう―――あやつの里は滅んだ。 じゃからわしは孤児じゃった綾を引き取ったのだ」

 

「ノノウとして―――ですか?」

 

「いや?」

 

信玄は首を振った

 

「言い出したのは綾じゃ。 自分には力がある、 恩を返したい――とな。 あやつが14の頃じゃったかのぅ」

 

「では、綾殿は自分から………」

 

くノ一として生きる運命を選んだのか

14の時に―――

 

信玄がにやりと笑った

 

「なんじゃ? 幸村。やはり、綾の事が気になるのかのぅ」

 

どういう意味で問われているか察し、幸村はパッと頬を赤く染め、慌てて手を振った

 

「ち、違います!!」

 

「わっはっはっは!遠慮せんでもいい!そろそろわしも綾に婿をと思っておった所じゃ。幸村なら任せても大丈夫じゃろう」

 

「お、お館様!!」

 

からかわれていると分かり、幸村は頬が熱くなるのを感じた

 

「お、お館様は私に話があって呼び出したのではないのですか?」

 

慌てて話を軌道修正する

 

「おお、そうじゃった」

 

今、思い出したかの様にポンッと信玄は膝を叩いた

 

「その綾からの話じゃ」

 

そう言って、信玄は話を切り出した

 

「駿河の今川、相模の北条と甲相同盟を回復する事になりそうじゃ」

 

「・・・・・・! まことですか!?」

 

「うむ、これで後方の憂いは断った。 今、一番注目するのはどこじゃと思う?」

 

「・・・・・・尾張の織田信長では・・・?」

 

「そうじゃ。 流石、幸村。目の付け所が違うのぅ」

 

「では・・・・・・?」

 

「うむ。わしは上洛する」

 

「!」

 

上洛

それこそが武田の悲願だった

ついに、信玄がそれを決めたのだ

 

「おめでとうございます!」

 

幸村は深々と頭を下げた

だが、信玄の表情は難しそうだった

 

「綾は、反対しおった」

 

「え・・・・・・?」

 

綾殿が反対・・・・・・?

 

「綾はのぅ、理由が必要だと言っておった。 信長を討つ為の”理由”がのぅ」

 

「理由・・・・ですか?」

 

理由など明白ではないのだろうか?

今、信長はこの日の本を飲み込もうとしている

それを阻止する為に、信玄が立つというなら、それは立派な”理由”になるのではないだろうか

 

「いつもは、はっきり言うあやつが言葉を濁しておった・・・綾なら喜んでくれると思ったんじゃがのぅ・・・・」

 

そう言った信玄の表情は悲しそうなものだった

 

「・・・・・・・・・・」

 

「宜しければ、私がそれとなく聞いてみましょうか?」

 

「頼めるか?」

 

「はっ! お館様の御心のままに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広間を退出した頃には、もう外は暗かった

月が昇り、星が空を覆いつくしている

 

幸村は綾を探した

信玄の話だと綾は甲斐に居る時は、この躑躅ヶ崎館に居るらしい

 

綾を探して、廊下を歩いていた時、その姿を見つけた

綾が1人、庭先で空を眺めていた

 

幸村は、警戒させぬ様にゆっくりと綾に近づいた

すると、砂を踏む音で気が付いたのか、綾がゆっくりとこちらを向いた

 

綾は少し、首を傾げた

 

「貴方様は・・・・・真田 幸村様で宜しかったでしょうか?」

 

透き通る様な声が響いた

幸村は綾に近づき、にこっと微笑んだ

 

「はい。貴女は綾殿ですよね?」

 

「・・・・・・お館様からお聞きになったのですね」

 

綾は少しも驚いた様子は無く、ただ静かに納得した様に頷いた

 

「では、私の正体も・・・・?」

 

「はい」

 

「・・・・・・そうですか」

 

そう返すと、綾は静かに空を眺めた

 

「あの・・・・・・」

 

幸村が言葉を発し様とした時、それを遮るかの様に綾が口を開いた

 

「嫌な予感がするのです」

 

「え・・・・・・?」

 

「幸村様が私の元に来た理由は分かります。 お館様に言われて来たのでしょう?」

 

「それは・・・・・・」

 

どうやら、綾にはすべてお見通しの様だ

 

「ですから、”嫌な予感”がするのです」

 

「・・・・・・それは、巫女としての力ですか?」

 

巫女としての先見の力だろうか

 

だが、綾はゆっくりと首を振った

 

「いいえ。私がそう感じているだけです」

 

「今、西に行ってはいけない―――星がそう告げています」

 

そう言って、綾はスッと空を指差した

 

「北極星の北。あの赤く輝く星がお館様の星です」

 

幸村も空を見る

確かに、北極星の北に赤く輝く星があった

 

「あの星が陰った時、星は告げました。今は動かない方が良い―――と。 動けば必ず災いが降り注ぐ――と」

 

「災い・・・ですか?」

 

綾が静かに頷く

 

「もし、このまま上洛すれば、遠からず何かが起こるでしょう」

 

「・・・・・・・・・・」

 

「それは、もしかしたら武田の命運をも左右するかもしれません」

 

「・・・・・・それが、反対される理由ですか?」

 

綾はゆっくりと首を横に振った

 

「それだけではございません。 信長を討つ為には、”正当な理由”が必要です。 ただ闇雲に討てば、逆賊となりかねない」

 

確かに、綾の言い分には一理あった

正当な理由無しに討てば、他から反感を買う可能性もある

ただ、全く理由が無い訳じゃない

この時代、領土拡大の為に戦を起す事など当たり前だ

でも、信玄はただその為に戦を起してる訳じゃないのは分かった

 

綾は、スッと幸村を見た

 

黒曜石の瞳が幸村を見る

それだけで、吸い寄せられる様だった

 

「私は、尾張に向います」

 

「え・・・・・・?」

 

「尾張に向かい、信長を探ってきます」

 

尾張に・・・・・・?

 

確かに、それは最善の策だと思えた

 

「いつ、出立するのですか?」

 

「明朝には立ちます」

 

明朝!?

 

幸村は慌てて口を開いた

 

「しかし・・・・っ、綾殿は駿河と相模から帰ってきたばかりですよね? 1日ぐらい休んでは・・・・・・」

 

「そんな時間は無いと、貴方ならお分かりでしょう?」

 

「それは・・・・・・」

 

綾の言う事は正しい

信玄が上洛を決めた今、そんな悠長な時間は無い

 

「私が長い時間一箇所に留まらないのはいつもの事。気になさらないで下さい。それに・・・・」

 

綾はそこで一度言葉を切った

 

「・・・・・・お館様の考えが変わらないのは分かります。あの方は一度決めた事は必ず成すでしょう。 でしたら、その為に最善を尽すのが私の役目です」

 

誠実な瞳だった

まるで、何かを射抜くかの様に黒曜石の瞳に見つめられ、幸村は言葉を失った

 

綾の意志は固い

信玄に絶対の忠誠を誓うその瞳は、幸村と同じものだった

 

綾の気持ちが分かる気がした

 

きっと綾は信玄が心配なのだ

信玄が何者にも脅かされない様にするのが臣下の勤め

 

グッと幸村は手を握った

 

それを今、綾に教えられたような気がした

 

綾の意志は変わらない

彼女は信玄の為ならどんな危険も犯すだろう

 

誰にも邪魔されない

信玄と綾の絆が見えた様な気がした

 

私は、綾殿を応援するべきなのかもしれない―――

信玄を思う気持ちは幸村も変わらないのだから・・・・・

 

「分かりました。……それなら、少しだけ私にお時間頂けないでしょうか?」

 

「・・・・・・・・・・?」

 

綾は首を傾げた

幸村はにこっと笑い

 

「お手間は取らせません。少しだけ私もお役に立ちたいのです」

 

「・・・・・・・・・・」

 

綾が驚いた様に目を見開いた

2、3度瞬き、少しだけ目を細めた

 

「・・・・・・分かりました。どうすれば宜しいでしょうか?」

 

「ありがとうございます」

 

幸村は嬉しそうに微笑んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸村夢です

やっと、始められましたww
夢主はどうやら歩き巫女らしですぞ?

 

2010/04/25