桜散る頃-紅櫻花- 

 

 月下の舞姫と誓いの宴 9

 

 

 

鄱陽湖・東岸――――

 

日も沈み月が昇る頃、趙雲は、鄱陽湖の東岸の森に着いた

馬を降り、道なりに歩く

流石に森の中は鬱蒼としており、時折、鳥がバタバタと飛んでいくのが見え

 

「……………」

 

月の灯りを頼りに、地図通りに進む

 

ある程度、進んだ頃だろうか、水の気配が濃くなった

近くに、水がある証拠だ

恐らく、湖畔が近いのだろう

 

だが、光るものなど何処にも見当たらなかった

もし、本当に桜が光って見えるのならば、その気配ぐらいありそうなものだが

 

不意に、何かが目の前を通り過ぎた

 

「………!」

 

それは、はらはらと舞い そのまま趙雲の手の中に落ちた

 

「花…びら?」

 

真っ白な、桜の花弁だった

 

本当に、桜が咲いているのか?

 

未だに信じられず、趙雲は辺りを見回した

花びらが舞っていたという事は、近くに噂の桜の大樹があるのだろう

 

それらしい、木を探す

 

その時、だった――――

 

 

 シャン……

 

ふと、何かの音が聞こえた

趙雲はハッとし、音のした方へ視線を向けた

何だ……?

 

 

 

   シャン シャン……

 

 

 

鈴……?

 

それは、鈴の音だった

何故、こんな場所で鈴の音が聞こえるのか

答えは1つだった

 

誰か、居る――――?

 

趙雲は、まるで鈴の音に誘われる様に、そちらへ足を向けた

ゆっくり ゆっくりと近づく

 

 

 シャラン……

 

また、鈴の音が響いた

 

「……………」

 

気のせいか…先が、俄かに明るい

まるで、何かが光っている様な……

 

趙雲は、ハッとした

江夏の街の酒場の店主の言葉が蘇る

 

 

”桜が光ってるんだよ”

 

 

まさか、本当に――――?

趙雲は、そっと木々の合間から、除き見た

 

 

 

「――――……っ!」

 

 

 

ザァ……

 

視界に入る

 

湖の畔に聳え立つ、樹齢何百年の真っ白な桜の大樹が――――

 

満月に照らされた花びらが一斉に咲き乱れ、妖艶な光を放っていた

花弁がはらはらと舞い、湖に波紋を作る

 

そこだけが、世界から切り離された様な感覚に陥った

 

幻想的――――とも、言うべきか

 

 

  シャラン……

 

 

 

鈴の音だけが響く――――

そして、その桜の大樹の下に居た――――彼女が

 

ゆっくりと両の手を挙げ、孤を描く

その白い四肢が動くに連れて、波紋が広がり、鈴の音が響く

 

舞――――それは、美しい”舞”だった

 

彼女の手がゆっくりと降ろされ、水面に触れると、そこから波紋が広がり、揺れ動く

1歩1歩足を動かすと、桜の花びらが舞い上がり、一層美しく輝く

潤んだ蒼の瞳が動くと、それに同調する様に、指が動き孤を描く

その動きに呼応する様に、鈴の音がシャンシャンと響いた

 

見る者全てを惹きつける様なその舞は、月と桜の下で妖艶に美しく光を放っていた

 

音は無く、ただ鈴の音だけが響く

目が――――放せなかった

 

言葉を失い、声すら出ない

 

ただ、ただ 趙雲はその舞に魅入っていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紗羅は、ゆっくりと手を動かした

舞の締めを括るかの様に、手はゆっくりと孤を描き、真っ直ぐに伸ばされる

指をピクンと動かせば、指に付けていた鈴がシャラン…と鳴き、終焉の音を告げる

足の動きが、ゆっくりになり、そして止まった

髪が揺れ、ふわっと舞う

 

――――………

 

紗羅はゆっくりと瞳を開けた

 

時が止まったかの様な感覚から、徐々に動き出す

全ての物が静から動へ

 

顔を上げ、自分を見下す様に聳え立つ、桜の大樹を見つめる

 

桜咲樹――――

 

全てはここから始まった

そして、終わる

 

あの日、母が亡くなり、あの男に拾われ、全てが狂った

 

サァッと風が吹き、紗羅の頬を撫でる

 

そして、あの男から逃げ、出逢ったのは趙雲様だった

この2ヶ月、一緒に居れて幸せだった

人生の中で一番嬉しかった

でも、私は逃げた

 

自分の気持ちから、趙雲様の優しさから

”月夜叉”という荷が重くて

 

重くて、重くて

もしもの未来に恐れて、趙雲様に拒絶されるのが怖くて、私は逃げた

 

どんなの逃げても過去は変わらない

そこから逃げようとしても、”月夜叉”という事実は消えない

幾人もの命を断って来たこの手も、身体も、感情全てが嘘だと思えたら良いのに……

 

 

紗羅は、グッと唇をかみ締め、そっと桜に触れた

 

この桜の下で舞う事は、母様の願いだった

母様が、ずっと舞い続けた桜の樹の下で舞う――――それが叶えば もう――――

 

「私には、苦い思い出しかないわ……」

 

この桜の下で大好きだった母様が亡くなり

 

そして、あの男に拾われた

 

母様は最期までこの桜に拘った

拘り、拘り過ぎて、病の身体を押してまで舞った

そして………

 

「……………」

 

あの日を覚えている

忘れたくても、忘れられない

 

吹きすさむ風

吹き荒れる桜の花びら

 

その下で命の灯火を使って舞い続ける母の姿が鮮明に過ぎる

 

誰かが、「命を果てる瞬間が一番美しい」と言っていたけれど

 

その時まで、実際は意味がよく分からなかった

でも、初めてその瞬間に出会った時 分かった

これが命を賭した舞なのだと

 

死ぬ瞬間まで、この桜の下で舞うことを選んだ母

母は命を掛けた、この”恋”に

その人を想い、その人の為だけに舞った

 

母様、紗羅は”恋”を知りました

”恋”とはかくも苦しく、切ないものだったのですね

苦しくて、切なくて、心が押し潰されそうです

ただ、その人の為でありたい――――

 

それが、どんなに辛くても

たとえ、それが叶わぬ恋だとしても――――忘れられない

 

”恋”とは人を貪欲にし、欲してしまう

願ってはいけないと思いつつも、願ってしまう

叶わない夢を見てしまったから、願わずにはいられなくなってしまう

 

 

 

 あの人が――――欲しい と

 

 

 

そんなの傲慢だ

単なる、我侭でしかない

分かっている、願ってはいけない 望んではいけない

でも…それでも――――

 

 

紗羅は胸を押さえた

 

 

胸の中が 熱い

身体中が悲鳴を上げる程 熱い

あの人を想えば想う程、熱く 燃え滾ってしまいそう

 

 

これは何なのか

押さえが、利かない

 

それでも、私は……

 

一瞬、脳裏に趙雲の姿が過ぎる

 

微笑み、手を差し出す姿が

 

 

私は……

 

その手を取りたい

そう願ってしまう事は、”罪”なのか――――

 

夢の中の趙雲が優しげに微笑んだ

まるで、手を取る様に――――と

………!

 

思わず、手を差し出しそうになる

だが、触れるか触れないかの所で一瞬、躊躇してしまう

 

この手を取れば…待っているのは……絶望

 

にやりと笑みを浮かべる、あの男の顔が過ぎった

 

駄目だ

取ってはいけない

 

この人を死なせるわけにはいかない

 

紗羅は、ゆっくりと伸ばしかけた手を戻す

そして、今出来る精一杯の笑みを浮かべた

 

取れない

 

 

この手は、取ってはいけない

 

1歩後ろへ下がる

 

上手く、笑えていただろうか

 

また、1歩後ろへ下がる

 

私は、ちゃんと笑えていただろうか

 

知らず、ポロポロと涙か零れた

力なく、首を横に振る

 

 

『ごめんなさい……』

 

ごめんなさい ごめんなさい

私は、もう 行けません

 

夢を見る時間は終わりました

最早、何もかも手遅れなのです

 

私は、夢を見過ぎた

これ以上は、もう――――

 

ツゥーと涙が零れた

その感覚で現実へ引き戻される

 

「もう………」

 

ゆっくりと身体を桜の大樹に預けた

次第に、力が抜けていく感覚に囚われる

 

「いいよ…ね」

 

母との約束は果たした

 

母様は「生きろ」と言われたけど…

 

あの男の元へ戻る気は無い

かと言って、趙雲の元へは帰れない

 

もう、戻る事も、進む事も出来ない

先が――――見えない

 

あの人の手は…暖か過ぎた

あの手を忘れる事なんて……

 

何処へ向かっても――――絶望するだけだ

 

なら、いっそ……

 

紗羅はそっと、倚天の剣を持った

 

生への執着は無かった

元々、いつ死んでも構わないと思っていた

あの男の傍に居た時は、生きたまま死んでいる様なものだった

 

その時が、来ただけだ

 

母様…親不孝な紗羅をお許し下さい

 

倚天をその首に当てようとした

刹那

 

紗羅は、何かに気付いたかの様にハッとして顔を上げた

 

「……………」

 

グイッと涙を拭き、辺りを見回す

 

視線が一点に注がれる

 

何か…居る

 

紗羅は、無言で立ち上がりそのまま、そこへ向かって剣を振り下ろした

 

「何者………っ!?」

 

降ろし掛けた剣が空中で静止する

 

「…………っ」

 

パラッと切られた桜の花びらが舞う

 

そこには、居る筈が無い人が居た

 

一瞬にして、手が震えだすのが分かった

 

 

「ちょ……趙…雲……さ、ま……」

 

そこには、趙雲の姿があった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬の出来事だった

趙雲は微動だにもせず、真っ直ぐに紗羅を見ていた

 

倚天を持っていた手が震える

 

明らかに、紗羅は困惑していた

 

何故、ここに成都に居る筈の趙雲が居るのか

どうして、今更の様に出てくるのか

 

自分は都合の良い幻を見せられてるのではないかと、錯覚に陥らさせられる

 

紗羅は、手で顔を押さえ、首を横に振った

持っていた、倚天が手からすり抜け、カラカラ…と音を立てて落ちる

 

「紗羅殿……」

 

趙雲あゆっくり近づいてくる

 

紗羅は首を左右に振りながら、後ず去った

視線を逸らし、顔を背ける

 

その瞳は、困惑の色を表していた

 

「紗羅ど……」

 

「……んで、………か」

 

声が震えて、音にならない

 

「何で! 何で…ここ、に居る…ん…ですか……」

 

精一杯の虚勢を張った

 

まさか、まさか…ここで、この場所で趙雲に会うなんて……

 

神様は何て意地悪なんだろう…と思った

ここでは、会いたくない人に必ず会わす

どう運命の歯車が回っているのか、もう、分からなかった

頭が混乱する

 

趙雲は、少し躊躇いがちに、手を伸ばしてきた

紗羅に触れるか触れないかの所で、その手が止まる

思わず、紗羅はピクッと身体を振るわせた

 

「貴女を――――貴女が居ないと知った瞬間、知らず馬を走らせていました」

 

それで、追ってきたのだ と

 

信じられない物を見る様な困惑の眼差しで、紗羅は趙雲を見た

それから、フイッと顔を背け

 

「……何を…しに……」

 

言葉が震える

紗羅は、ギュッと目を瞑り胸元を手で押さえ

 

こんな状況なのに、喜んでいる自分が居る

それを、まざまざと思い知らされる

 

胸の奥が 熱い

心臓が、早鐘の様に鳴り響く

 

「何を…しに、こんな所まで……来たのです、か……」

 

やっとの思いで、その言葉を口にした

 

趙雲は、少し躊躇いがちに笑みを浮かべ

 

「話を、しに…来ました」

 

「は、なし……?」

 

紗羅の瞳の色が益々困惑の色になる

一瞬、趙雲を見て、それからまた視線を剃らした

 

息を飲み 自分に言い聞かせる

 

「……話す事、なんて……何も……」

 

何も無い

 

そう言おうとして言葉を紡いだが、それは声にならなかった

腕を握り絞める手に力が篭る

 

立ち去って欲しかった

もう、構わないで欲しかった

 

今、優しい言葉を掛けられたら…

 

 

 決心が揺らいでしまう

 

 

そして、心の何処かでそれを望んでいる自分が居る――――

 

浅ましい

いつから、自分はこんなに弱く、醜くなったのか

 

1歩、趙雲が近づいてきた

紗羅は、首を横に振りながら後退する

 

「駄目…だ、め…です……それ以上、………で」

 

涙が溢れそうになる

それをグッと堪えて、紗羅は言葉を続けた

 

 

「それ、以上は――――「嫌です」

 

「――――っ」

 

不意に、趙雲に手首を捕まれた

繋がった手首から、ジンジンと熱が帯びていくのが分かる

 

「は、放し……っ」

 

「放しません」

 

趙雲の言葉は誠実だった

 

それ故か、ズンと紗羅の心に重く圧し掛かってくる

 

「私は、紗羅殿と話がしたい。伝えたい事が、言いたい事があります。もう、待てません。紗羅殿が話してくれるまで、私はここを動きません」

 

「……………っ」

 

紗羅が趙雲を見た

再会して、初めて真正面から趙雲の瞳を見た瞬間だった

 

紗羅は、少し困惑した表情を浮かべ何か言葉を捜している様だった

だが、趙雲も引く気は無かった

今までなら、彼女が話すまで根気良く待ったかもしれない

だが、今はもう待てなかった

 

紗羅は明らかに動揺していた

もう、頭の中がぐちゃぐちゃで考えられなかった

 

何で!?どうして!? という自問ばかり繰り返す

 

いっそ、全て話してしまえたら…という気にさせられる

駄目だと、それをほんの少しの自制心が押さえていた

 

不意に、ぐいっと引き寄せられた

趙雲の腕が彼女を捕らえて放さないという感じに、グッと力が込められた

 

「だ、め………」

 

紗羅はやっとの思いで、それだけ口にした

 

最早、抵抗する力すら出ない

なされるがままに、紗羅は趙雲の腕の中で呪文の様に呟いた

「駄目です……」と

 

だが、趙雲は引かなかった

グッと抱きしめる腕に力が篭る

 

「私は、紗羅殿の心を軽くしてあげたい。貴女を絶望の淵から救いたい。貴女の恐れる全てのものから守ってあげたい」

 

言葉に魂が宿る

 

「私が、迷惑なら突き飛ばせば良い。この手を振り解けばいい」

 

そんな事、出来る筈が……なかった

紗羅は、力なく首を横に振った

 

趙雲はふわっと笑みを作り

 

「紗羅殿、私は貴女の荷を私に分けて下さい。ほんの少しでも良い。貴女の荷が軽くなるならば、私はどんな事でもしましょう」

 

もう――――限界だった

 

その言葉を合図に、責を切った様に涙が溢れ出す

涙が、止まらなかった

ボロボロと零れだし、次から次へと溢れ出てくる

 

「ちょ、うん……さ……っ」

 

良いのだろうか

もう、全てを吐き出しても良いのだろうか……

 

感情が言葉にならない――――

 

そんな紗羅を、趙雲は優しく抱きしめた

安心させる様に、背をポンポンと叩かれる

 

「とりあえず、これ、食べませんか?」

 

「………?」

 

そう言って趙雲が取り出したのは、赤黄色に熟した李だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2話越しで、やっと再会ですねw

しかし、思ったより夢主が頑固で困りました・・・

サックリ納得してくれれば良いのにー

 

2009/12/29