桜散る頃-紅櫻花- 

 

 月下の舞姫と誓いの宴 16

 

 

 

「ん………」

 

鳥のさえずりが聴こえてくる

ふと、目を覚ますと窓際に小鳥が止まっていた

 

紗羅はゆっくりと身体を起こすと、そのまま窓の外を眺めた

東から太陽が昇り始めており、辺りがどんどん明るくなっていく

 

紗羅は窓に手を掛けると、そのままがゆっくりと開け放った

瞬間、小鳥がばたばたばたと飛び立っていく

 

朝の心地の良い風が、紗羅の頬を撫でた

 

街の風景は、夜の風景とは一変していた

まだ朝早いというのに、行き交う人々が沢山いる

市も、夜とは違う意味で活気に溢れていた

 

それを見るだけで自然と笑みが零れてきそうだ

 

こんな風に、穏やかな朝を迎えたのは何十年ぶりだろうか

きっと、母が生きていた時以来ではないだろう

 

それぐらい、紗羅の心は穏やかだった

 

これも、全て趙雲のお陰だ

趙雲がいてくれたから、紗羅は今こうしていられる――――

 

そう思うと、何か趙雲の為にしてあげたくて身体が疼いた

 

あ……

 

ふと、ある名案が浮かぶ

が、ある意味それは少々困難な案でもあった

 

でも――――

 

ちらりと、紗羅は寝台の側に置いてある包みをみた

昨夜、莉闇から作ってもらった守護の指輪だ

 

これを渡すだけでは、きっとこの気持ちは収まらない

 

「女将さんに、ご相談してみようかしら……」

 

宿の女将をやっている人だ

きっと、そちらの道にも精通しているだろう

 

そう思うと、何だか早くしたくてしかたがなくなってきた

その時だった

不意に、扉を叩く音が聴こえてきた

 

「はい」

 

紗羅が返事をすると、たらいにお湯を持った女将が入って来た

 

「お客さん、そろそろ起きているころだと思ってね。今日から成都に行くんだろう?行く前にさっぱりしていくのはどうだい?」

 

「あ、ありがとうございます」

 

お湯を使わせてくれると言うのだ

なんとありがたい話だろうか

 

紗羅がそう答えると、女将は衝立の向こうに準備を始め出した

大きなたらいに、お湯が張られていく

 

「ほら、こっちおいで」

 

「え…あの……」

 

一瞬、女将が何を言っているのか分からず首を傾げていると、女将はにっこりと微笑み

 

「旅が無事に行けるように、あたしが背中流してやるよ。うちの宿の旅人さんへのおもてなしなんだよ」

 

そう言って、来い来いという風に手招きしてきた

紗羅は少し戸惑いつつも、その行為に甘える事にした

 

湯帷子を着て、たらいの湯に足を踏み入れると 足の先からじわりと温かさが伝わってくる

そのまま腰を下ろすと、女将が「失礼するよ」といいつつ、ゆっくりとお湯を肩からかけ始めた

 

「熱くないかい?」

 

「はい、丁度いいです」

 

「そうかい、しかしあんた綺麗な肌してるね~ 髪も絹糸みたいにさらさらだよ」

 

「あ、そう…でしょうか」

 

「そうだよ!こういうのを玉の肌っていうんだろうねぇ~」

 

と、何だか女将は嬉しそうに背中を流し始めた

とは言っても、紗羅としては自分の為に磨いていた訳ではなく

すべては曹操の為に磨かれた物だ

綺麗だと言われても、あまり嬉しさは感じられなかった

 

思わず、ぎゅっと湯帷子の袂を握り締めた時だった

 

「ところで……」

 

不意に、また女将が口を開いた

 

「お連れさんは、あんたのいい人かね?」

 

「え!?」

 

いきなり、話しがそっちに変わり紗羅が瞬間的にかぁっと頬を赤く染める

 

「あ、あの…」

 

どう答えていいの分からず、口籠ってしまった時だった

女将はあっはっはっはと笑いながら

 

「お連れさんも、えらい美丈夫なひとじゃないかい!あんたらお似合いだよ!」

 

「……あ、ありがとうございます」

 

なんだか、この手の話を皆振ってくるのはどうしてだろうか

それとも、そんな風に見えてしまう程なのだろうか……

 

なんだか、恥ずかしいわ……

 

紗羅が恥ずかしさのあまり両の手で頬を覆った時だった

不意に女将がぱんっと背中を叩いた

 

「…………っ!?」

 

いきなりだった為、思わずびくりとしてしまう

 

「あ、あの…女将さん?何を――――」

 

「しゃきっとおし!背中曲ってるよ!自信持って!!」

 

「は、はい」

 

いきなりそう言われて、慌てて紗羅は背筋を伸ばした

 

「恥ずかしがることなんてないよ!自信持っていいんだよ。胸張って、この人は私の大切な人です!って、言ってやったらいいさ」

 

「あ、いえ…言うのはちょっと……」

 

勘弁して欲しい……

 

紗羅の反応に、女将がふうっと溜息を付いた

 

「最近の若い子は、本当に恥ずかしがり屋だねぇ」

 

そういう問題でもないのだが

でも、何だか少し自信が持てそうな気がした

 

「ふふ……女将さん、ありがとうございます」

 

素直にそう口にすると、女将は「良いって事よ!」とまた背中をぱしっと叩いた

 

あ……

今ならお願い出来るかしら……

 

逆に、今でなければきっと言い出せない気がした

 

「あの、女将さん?」

 

「んー?なんだい?」

 

片付けをしながら、女将が振り返る

紗羅は、衝立の反対側で着替えながら

 

「あの、少しお願いがあるのですが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ****    ****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

趙雲は馬に荷を括り付けながら、紗羅が宿から出てくるのを待っていた

 

まだ、朝も早い

出来る事ならば、紗羅には無理はして欲しくなかったが、成都までは急いでも半月は掛かる

 

今回の件は、政務と放ったらかしで出てきているし、劉備に許可を取った訳でもない

趙雲としては一刻でも早く戻りたかったが来た時の様な強行軍には出来なかった

 

後、途中に村に預けてきた愛馬を迎えに行かなければならない

そうなると、馬が溢れてしまう為、今回は一頭にした

後は、持ち合わせの路銀の事も考えると、二頭は難しかったのだ

 

でも、これならば紗羅への負担を少しでも減らす事が出来る

今、趙雲出来る最大の誠意だった

 

後は…

 

ぐっと、懐を押さえた

 

その時だった

 

「趙雲様」

 

紗羅が宿の中から荷物を持って出てきた

 

「おはようございます趙雲様。お待たせして申し訳ありません」

 

そう言って頭を下げる紗羅に、趙雲は慌てて首を振った

 

「おはようございます、紗羅殿。いえ、そんなに待っていませんから」

 

そう言って、紗羅の持っていた荷物を受け取る

荷はほんの少しだった

 

とても、旅支度用の荷には見えない

 

「あの、荷はこれだけですか?」

 

不思議に思った趙雲がそう問うと、紗羅は少しだけ困った様に笑みを浮かべて

 

「はい…元々、帰らないつもりでしたし……」

 

紗羅のその言葉に、趙雲ははっとして慌てて口を開いた

 

「あ、すみませんっ」

 

「いいえ、お気になさらずに。今は早く帰って皆さまのお顔を拝見したい気持ちで一杯ですから」

 

そう言って、紗羅がにっこりと微笑む

その言葉に、趙雲はほっとした様に

 

「そうですか、それなら良かったです」

 

「はい、これも全て趙雲様のお陰です。本当にありがとうございます」

 

そう言って、深々と頭を下げる紗羅に趙雲は慌てて首を振った

 

「いえ、私など何も……」

 

そう言う趙雲に、紗羅はゆっくりと首を振った

 

「いいえ、趙雲様のお陰です。あの時、趙雲様が来て下さらなかったら、私は今ここにはおりません」

 

あ……

そこまで言われて趙雲は、はっとした

そうだ、紗羅殿は―――――……

 

あの時、紗羅は死のうとしていた

もし趙雲が現れなかったら、あの剣で首をかき切っていただろう

 

そう思うと、趙雲がした事は正しかったのか――――

今になって不安になる

 

紗羅の意思を無視してこうして連れ帰ろうとしているのではないのだろうか……

彼女は、本当に帰る事を望んでいるのか……

 

その時だった

黙りこくってしまった趙雲の手をそっと、紗羅の手が包み込んだ

 

「趙雲様、私…趙雲様のお姿を拝見した時、凄く嬉しかったのです」

 

「え……?」

 

「もう、死ぬしかないと思っていたのに……成都を出て、母の元で死のうと――――そう思っていたのに、趙雲様のお姿を拝見して、嬉しいと思ってしまったのです。追ってきてなど欲しくないと思っていたのに、会えて嬉しいと…涙が出そうな位に。矛盾…していますよね」

 

「……紗羅殿」

 

「ですから、その……上手く言えないのですが……私は趙雲様がいてくれたからこそ生きていられたのです。 だから、その……私は、趙雲様のものですから、趙雲様が望むものは全て差し上げたいのです。だめ…ですか?」

 

「…え………」

 

駄目かと問われて否とは言えなかった

それぐらい、紗羅の顔は真っ赤で、その蒼い瞳は真っ直ぐに趙雲を見ていたのだ

 

一瞬、脳裏に邪な考えが浮かびそうになるのを、邪念を払う様に趙雲は首を振った

 

こんな時に何を考えているんだ!!

 

それぐらい、紗羅からの「全て差し上げたい」攻撃は凄まじかった

 

“紗羅殿の全てが欲しい”

 

昨夜思った事に嘘はない

だが、無理強いはしたくない

 

ゆっくりでいい

これから、沢山時間があるのだから

 

「その、ありがとうございます」

 

趙雲は、顔が赤くなるのを必死に堪えながら、何とかその言葉を振り絞った

趙雲のその言葉に、ほっとしたのか紗羅が「はい」と嬉しそうに微笑む

 

きっと、紗羅の言った言葉に深い意味はない

必死にそう自分に言い聞かせる

 

ふと、その時紗羅の荷物にあれが無い事に気付いた

 

「紗羅殿…倚天の剣は どうされたのですか?」

 

母の形見だと言っていた

趙雲の預かっている青釭の剣の片割れ

 

それが紗羅の荷物の中には無かった

 

言われて紗羅は「あ、それは……」と少し口籠った

それから、少しだけ苦笑いを浮かべて

 

「もう、必要のないものですから…処分していただきました」

 

「え…ですが、あれは――――」

 

瞬間、紗羅が小さく首を振る

 

「よいのです、もう、私は剣を持つ事はないでしょうから」

 

そう言って、にっこりと微笑むとそっと懐から小さな包みを取り出した

それから、そっとその包みを趙雲の手に乗せると

 

「あ、あの…それで、これ――――なのですが………」

 

そう言う紗羅は、今までにない位顔を真っ赤にしていた

 

「紗羅殿…?」

 

「その……御守りになれば良いと思いまして……」

 

御守り……?

 

不思議に思い、そっとその包みを開けると

 

「あ……」

 

中から出てきたのは、翠玉のはめられた銀の指輪だった

瞬間、紗羅が更に顔を赤らめて口早に

 

「あ、あの……!深い意味はないのです……っ、その、おまじないとかそういう意味では――――」

 

「く、くくく」

 

不意に、趙雲が笑い出した

いきなり笑い出した趙雲に、紗羅が大きくその蒼い瞳を瞬かせる

 

「あ、あの…趙雲様……?」

 

「あ、いえ、すみません…。先を越されてしまったなぁ…と思いまして」

 

そう言って、くつくつと笑いながら懐から何かを取り出す

そして、すっと紗羅に向けて右手を差し出した

 

「紗羅殿、手を」

 

「え……あ、はい」

 

言われて右手を差し出そうとした時だった

 

不意に、趙雲がわざとらしく咳払いをして

 

「あの、出来れば左手で――――」

 

「え……?は、はい、分かりました」

 

意味が分からないまま、紗羅は右手を引っ込めると、左手を趙雲の右手に乗せた

すると趙雲は「失礼します」と言って、何かを左手の薬指にゆっくりとはめ込んだ

 

「あ………」

 

それを見た瞬間、紗羅は大きく息を飲んだ

そのこは、輝く様な天藍石が埋め込まれていた

 

「あの、これ……」

 

紗羅がはっとして顔を上げると、趙雲が少し照れた様に

 

「あ、えっと…私も深い意味はないんですが…その、紗羅殿の瞳の色と同じだったもので…意味は確か…“永遠の誓い”というそうで、昔から“天の石”と呼ばれていた御守りの石だそうです。これで、少しでも紗羅殿を御守りする証になれば――――と」

 

紗羅は、大きくその蒼色の瞳を瞬かせてその指輪をみた

この造形…間違いない

紗羅が趙雲に渡したものと同じだ

 

「……趙雲様も莉闇の店に行かれたのですね……」

 

「え…あ、ああ、店主の名前ですか?確か、そんな名前だったかと――――って、紗羅殿もですか?」

 

「あ、はい……」

 

それを聞いた瞬間、趙雲の顔色がさっと変わった

 

「しかし、彼女の店に行くには――――」

 

あの道を通った筈だ

郊外のあの荒れ果てた道を――――

 

「はい、見ました……私には何もしてあげられませんでしたが…」

 

「言って下されば、一緒に――――」

 

「一人で…… 一人で行ってみたかったのです。それに、莉闇が助けてくれましたから」

 

そう言ってにっこり微笑む彼女に、趙雲がほっと肩を下ろす

 

「そうですか、彼女が……それならよかったですが…。でも、今後危ない場所に行く時は絶対に私に言って下さい。お供しますので」

 

強く、念を押す様にそう言ってくる趙雲に、紗羅はくすりと笑みを浮かべた

 

「はい」

 

それから、紗羅は大切そうに、そっとその左手を包み込んだ

あの時の店主の言葉が脳裏を過ぎる

 

『指輪があるだろ?それを2人で交換すると、永遠に結ばれるっていうんだ!』

 

そんなつもりがあった訳ではない

だが、結果として交換してしまった

 

その事がなんだか、むず痒い様な、嬉しい様な

自然と顔が綻ぶのが分かった

 

「趙雲様、ありがとうございます。大切にしますね」

 

そう言って、微笑むのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ…やっぱり、1話じゃ帰れなかったか…(-_-;)

そんな気は、してたんだよー

 

とりあえず、だ、後1~2話続きます

 

2013/12/14