◆ 月と桜の理 4
「彼女が目覚めた様ですね。趙雲殿」
趙雲が宮城内で諸葛亮に呼び止められたのは紗羅が目覚めた翌日の事だった
「はい」
何処から情報を仕入れてくるのか…
不思議に思いながらも、趙雲は答えた
「で、話はしたのですか?」
「それは――――…」
言葉に詰る
”話”はした
だが、それは諸葛亮の言う”話”ではない事は分かっていた
結局、昨夜は何も聞けず終いだ
それを察したかの様に、諸葛亮はふぅ…とため息を漏らし、羽扇をパサリと鳴らした
「趙雲殿」
諸葛亮がゆっくりと閉じていた目を開ける
諸葛亮が何を言いたいのか…趙雲には分かっていた
だが、あえて口を噤む
「趙雲殿たっての申し出だったから、牢ではなく貴殿の屋敷に招き入れる事を承諾したのです。きちんと”約束”は守って頂かねば」
「―――― 分かっています」
「そうですか…。なら良いのですが」
羽扇をパサリと鳴らす
「趙雲殿」
立ち去ろうとする趙雲を諸葛亮が呼び止めた
すっと横を通り過ぎる
そして、その間際に横目で趙雲を見ながら
「木乃伊取りが木乃伊になる事の無い様に」
そう言い残し、その場を後にした
遠くの方で諸葛亮の立ち去る音が聞こえる
趙雲はぐっと手を握り締めた――――
**** ****
「孔明様。あまり趙雲殿をいじめるものではありませんわ」
諸葛亮の妻・月英は茶壷から茶海にお茶をゆっくりと注ぎながらそう言った
そして、茶杯に入れたお茶を諸葛亮の傍にすっと置く
お茶の良い香りが部屋中に漂う
諸葛亮はゆっくりとお茶に口をつけながら
「別に、いじめている訳ではありませんよ」
と言った
月英はふぅとため息を付き、持ってきたお茶請けの点心も一緒に差し出す
月英お手製の点心だ
諸葛亮は点心に手を伸ばしながら
「時に、月英。例の件はどうなりましたか?」
「孔明様…話をすり替えましたね…」
「気のせいですよ」
諸葛亮は、笑いながらそう答えた
月英は2度目のため息を付き、空になった茶杯にお茶を注いだ
「順調ですよ。次の戦には間に合わせます」
「期待してますよ」
「よぉ!姫さん、目覚めたって?」
呼び止められると同時に、趙雲は馬超にがしっと首に腕を回されが捕まった
馬超がにやにやしている
後の方で姜維が笑いを堪えているのが見えた
趙雲は半ば呆れた様に
「……どこから情報仕入れてくるんだ」
言ったものの、それは自明の理だった
明らかに、あそこで笑いを堪えている姜維が情報源だ
「で?どうよ、姫さんとは?」
にやにやしながら馬超が訊ねてくる
趙雲は、はぁ-とため息を付きながら
「馬超が想像するような事は何もない。……挨拶しただけだ」
「…他には?」
一瞬彼女が泣いた時の事を思い出す
突然、涙を流した彼女…
思わず手が出てしまったが…それを馬超に言えば、からかわれるのは明白だった
何故…彼女は…紗羅殿は泣いたのだろうか…
趙雲には理解しがたい出来事だった
何か気に障ったわけでは無い様だが…いまいち腑に落ちない
気が付くと、馬超が見ている
「……名前を―――聞いたぐらい…だが」
趙雲はぽつりと消えそうなぐらいの声で呟いた
「………………あやしい」
馬超がじーと趙雲を見ている
「なっ…何をする?」
思わず取り乱してしまう
しまった っと思ったがそれを見逃す馬超ではなかった
目を輝かせ、にやりと笑うと首に回していた手で素早く腕を掴み羽交い絞めにする
「姜維!抑えてろ」
「はい!」
姜維までもが、がしっと腕を掴んでくる
「何をするんだ!? 姜維!!」
解こうにもがっちり抑えられた腕は離れない
馬超は満足そうに頷き、にやりと笑った
「さー白状してもらおうか?」
「趙雲殿!観念して下さい」
「馬超!姜維!」
それから、趙雲が解放されたのは数刻後だった――――
◆ ◆
「趙雲様。お疲れのご様子ですね?」
佳葉が心配そうに趙雲に尋ねる
「……ああ」
趙雲は、はぁ…とため息を付き、屋敷の中に入った
今日は一体何なのだ…
馬超といい、姜維といい、諸葛亮殿といい…
はぁ…と2度目のため息を付いた
紗羅は窓の外を眺めていた
日が傾き、庭の桜の樹を一層紅く染め上げていた
風が吹き、木々がざわめく
その度に、紗羅の長い漆黒の髪がさらりと靡いた
不意に扉を叩く音が聞こえてくる
紗羅はゆっくりと扉の方に目をやった
キイ…と音を立てて扉が開き、趙雲が入ってきた
「お加減は如何ですか?」
紗羅は一瞬趙雲の方を見るが、また桜の樹に目をやった
趙雲は少し躊躇いがちに寝台の横の椅子に腰掛けた
「………………」
風がさぁ…と吹く
紗羅の髪が風に靡いた
そっと顔に掛かった髪を手で避ける
長い沈黙だった
いや、そんなに長くは無かったのかもしれない
しかし、趙雲には長く感じた
紗羅を見る
紗羅はまるでそこに何も無いかのように外を眺めていた
「紗羅殿……お聞きしたい事があります」
意を決したように趙雲は口を開いた
それは、ずっと確かめなくてはならなかった事
彼女を保護した瞬間から分かりきっていた事
最も重要で重大な事――――――――
それは――――
「貴女は魏の者ですね?」
一瞬、紗羅の表情が強張る
趙雲はその一瞬の変化を逃さなかった
紗羅は息を飲み、ゆっくりと趙雲の方を向いた
サァ…と彼女の髪が風に靡く
「………………」
長い沈黙――――
「…何故…」
その沈黙を破ったのは他ならぬ紗羅の方だった
「……何故、そうお思いに?」
趙雲はふぅ…と一度息を吐き、そして閉じていた目をゆっくり開けた
紗羅と目が合う
その瞳は臆することなく堂々としたものだった
「貴女の身に着けていた衣装や装飾はこの国の物ではありません。ましてや、呉の物でもありませんでした。それに――――……」
趙雲は少し躊躇いがちに一振りの剣を取り出した
カチャンと音を立てて机の上に置かれる
それを見た瞬間、紗羅はギクッとした
その剣はいつも彼女が肌身離さず持っていた――――あの時、無くしたと思っていた剣だった
母より譲り受けた白をベ-スに青と金の装飾が施された鞘に入ってる見事な細剣
「天をも貫く」といわれた あの男が対をなす様に作らせた2本ある宝剣の片割れ
倚天の剣
「……………」
紗羅は言葉を失った
まさかこの場で出されるとは思ってもみなかったのだ
いや、考えれば分かる事だったのかもしれない――――
自分が蜀に居ると分かった時点で、容易に想像出来た事だ
「この剣は見事な物です。装飾も、造も――――…一介の人間が持てる代物ではない」
「……………」
「貴女は――――……「確かに」
紗羅の言葉が趙雲の言葉を遮る
「確かに、私は魏の者です。 貴方の仰る通り一般兵でもありません」
「紗羅殿…」
大丈夫…
大丈夫……
紗羅は自分に言い聞かせた
『月夜叉』とばれた訳では無い――――と
「……私も、趙雲様にお聞きしたい事があります」
紗羅は趙雲を見据え
「何故、魏の者と知りながら、私を幽閉しないのですか?」
「……………」
「私が、魏の間者だとはお思いにならないのですか!?」
「それは――――…」
止まらなかった
一度関を切った気持ちは収まる事を知らなかった
「私が、蜀の君主である劉備様の命を狙う者ならどうしますか!?」
趙雲表情が一瞬変わる
「魏の曹操の命を受け、劉備様の命を狙っていたら!?」
「その時は――――……」
一瞬、趙雲の周りの”空気”が変った
腰に差している剣がカチャと音を立てる
斬られる――――
そう思った
だが、その剣は抜かれる事無く柄に手を掛けた所で止まっていた
趙雲は無言のまま抜きかけた剣を鞘に収める
「……今日はお疲れのご様子ですね。お暇致します」
そう言って、席を立ち背を向ける
「何故!?」
「何故、その剣でお斬りにならないのですか!?」
「……………」
ガタンと音を立てて、扉に手を掛けた
「……失礼します」
そのまま部屋を退出する
「趙雲様!!」
部屋中に紗羅の声が響き渡った
だが、趙雲は1度として振り返る事は無かった
パタン…と音を立てて扉が閉まる
「何故……」
ポタリ…と涙がこぼれ落ちる
「なん…で……」
ポタリ…ポタリと次から次へと涙がこぼれ落ちた
斬って欲しかった…
『月夜叉』と知られる前に…この身を消してしまいたかった…
趙雲様に憎まれるくらいなら…いっその事死んでしまいたかった…
あの方の剣に掛かって死んでしまいたかった――――
「うっ…うああっ……ああっ……」
紗羅は寝台に伏して大声で泣いた
泣いて泣いて
泣き続けても彼女の哀しみが癒える事はなかった――――……
趙雲様…………っ!!
趙雲は廊下の外灯の下で無言のまま立ち尽くしていた
最後まで離す事が出来なかった剣を持っていた手に力がこもる
『何故、その剣でお斬りにならないのですか!?』
彼女の…紗羅の声が耳に残る
抜きかけた剣…
彼女の発言…それを聞けば本来なら自分は彼女を斬るべきだったのかもしれなかった
劉備を守る為 それがたとえどんな相手であろうと――――
しかし、抜けなかった 抜く事は出来なかった
遠くで彼女の泣く声が聞こえる…
「…………っ」
趙雲は唇を噛み締めた
自分の不甲斐なさが情けなかった
劉備の為に動く事も出来ず、彼女の哀しみを癒してやる事も出来ず
自分は無力だ――――
「くそ…っ!」
ダン!と壁を叩く音が響き渡る
ザザ…と風が凪いだ
外灯の火がボゥ…と揺れる
その火が趙雲の影を伸ばすだけだった――――………
夢主また泣いてます_(‘ω’;」∠)
こんなに泣かす予定ではなかったのですが…
趙雲も辛い所です こんなので心開いてくれるのかねぇ…( ;・∀・)
今回も槍族3人出てきました(笑)
つか、趙雲虐められてる!!?
2008/04/21