PLATINUM GARDEN

    -Guardian of the Wind-

 

  第1話 風の守護者5

 

 

う……そ……。

 

赤い髪。

抱き締める腕の力。

耳に馴染む、声。

 

忘れる筈がない。忘れられる筈がない。それは――。

 

「――りゅ……」

 

その名を口にしようとした時だった。瞬間、飛鳥を抱き締めていた温もりが、幻のように消える。飛鳥が慌てて振り返るが――。

 

「……」

 

視界に入ったのは、街の風景だけだった。

 

嘘……でも、今、確かにここに居た・・・・・のに……。

 

間違える筈がない。夢でも幻でもない。あの腕も声も、全部……全部、本物だった。飛鳥が声にならない声で、その名を呟く。今、追い掛ければ逢えるのではないか。今、追い掛ければ、もう一度その声を聞けるのではないか。

 

そう思うと、知らず足が彼の消えた筈の方へと向かおうとしたその時だった。

 

 

「飛鳥……っ!」

 

 

ことはの声が響いた。飛鳥がはっとして振り返ろうとした刹那、銀色の何かが、ひゅん……っ!という風の音と共に目の前をかすめる。瞬間、ちりっと右腕に微かに痛みが走った。飛鳥が自身の痛む腕を見ると、制服の袖が破け、微かに覗いた白い肌から赤い血がにじみ出ていた。

 

「ちょ、ちょっと飛鳥、腕!!」

 

ことはが慌てて駆け寄って来ようとするが――飛鳥は素早くことはを突き飛ばすと、自身も半歩後ろへと下がる。瞬間、飛鳥が先程まで居た場所に、再びナイフの刃が振り下ろされてきた。

 

「ちぃ……!」

 

ナイフを振り下ろした“spaltipsスポイルティップ”の男が舌打ちしながら、飛鳥ではなく、ことはの方を見たかと思うと、ことはを狙って襲い掛かろうとしたのだ。

 

「――ことはさん! 店に入って!!」

 

そう叫ぶな否や、飛鳥は思いっきりその男のナイフを持つ手首を狙って蹴り上げた。「ぐぁ……!」という、男の小さな悲鳴と共に、ナイフが宙を舞う。そしてそのまま、からんからんと、地面に落ちた。

飛鳥は素早く、それを誰もいない後方へ蹴り飛ばすと、その足を反転させ、その男を真逆の方向へと蹴り上げたのだ。

 

「が……っ!!」

 

男が一気に後方へ吹き飛ぶ――が、

 

「あ」

 

方向が悪かった。その男が吹き飛んだ方角で丁度 桜が“spaltips”の連中を1人で相手にしていたのだ。その男が思いっきり桜の背中にぶち当たる。瞬間、驚いた桜がよろけた隙を狙って、連中が一斉に襲い掛かって来た。

 

「て……テメーは邪魔しに来たのか!!!」

 

そう桜が叫んだのは言うまでもなく――飛鳥は苦笑いを浮かべながら、「ごめんね?」と言ったが、桜はそれ所ではないようで、聞いていなかった。

素早く、“spaltips”の連中の攻撃を避けながら、反撃している。それは、最早圧倒的と言っても過言ではなかった。あれだけの人数に囲まれても動じる事も無ければ、臆する事もない。明らかに‟場慣れ”していた。

 

と、その時だった――。

 

「――放して! 放してよ!!」

 

声が響いて、飛鳥がはっとしてそちらの方を見ると、店の前でことはが“spaltips”の男の1人に捕まって、ナイフを突きつけられていたのだ。

 

「ことはさ――」

 

飛鳥が咄嗟に、足を引きかけた時だった。ことはを捕まえていた男のナイフが、ぐっとことはの顔に当てられる。

 

「おっと、そこの女動くなよ! フウリンの小僧もだ! 少しでも動いたらこの女の顔にブスっと刺しちまうかもなぁ!!」

 

「……っ」

 

男のその言葉に、ぴたっと飛鳥の足が止まる。迂闊に動けば、ことはに傷をつけかねないその男の行動に、飛鳥がぐっと拳を握り締めた。そんな飛鳥を見て、男がにやりと笑う。

徐々に、桜に群がっていた“spaltips”の一部が、動けない飛鳥を囲む様にしてくる。すると、その内の1人が飛鳥を見て、ふとある事に気付いた。

 

「なぁ、この女もしかしてフウリンの“華姫”じゃねえ?」

 

「マジかー! って事は、こいつ手に入れたら“spaltipsオレら”がここらの“最強”って事になるんじゃね?!」

 

そう言ってはしゃぎだす。

 

「……」

 

飛鳥は、周りの男達を視線だけで見ながら小さく息を吐いた。今、飛鳥の周りにいる男達は5人程度。このぐらいなら制するのは難しくない。問題は――。

ちらりと、少し離れた喫茶ポトスの入り口の前でことはを人質に取っている男を見る。あの男だ。下手にこちらが動けば、ことはを傷つけかねない。それだけは、避けねばならなかった。

 

どうにかして、あの男を――。

 

そう思って、桜の方を見ると、桜と視線が合った。かと思った瞬間だった、桜が突然ことはを捕らえている男の方に向かって、一気に距離を詰めたのだ。

 

「桜く――っ」

 

飛鳥が叫ぶよりも早く、桜は高く跳躍したかと思うと、そのままことはの後ろの男に向かって飛び蹴りをかましたのだ。まさかの桜の行動に、“spaltips”の連中がぎょっとする。だが、飛鳥もその隙を逃さなかった。素早く、周りの5人を回し蹴りで片付けると、ことはの元へ駆け寄った。

 

「ちょっと、桜君! 無茶な事しないで頂戴!! ことはさんが、万が一怪我でもしたらどうしてくれるのよ!!」

 

「ああ!? んな、ヘマするかよ! 大体、ケンカにあんなモン持ち出しやがったあいつらが悪い!!」

 

「それは、そうだけれど――」

 

そう言いながら、地に落ちたナイフを見ると、誰もいない方向へ蹴飛ばした。そんな2人を見たことはが慌てて、

 

「2人とも! 今はそんな事言い合ってる場合じゃ――」

 

その時だった。

 

「おい! なめたマネしやがって――!!」

 

「やっちまえ!!!」

 

“spaltips”の連中が、言い争う2人を見て、全員で囲んできたかと思うと、一気に襲い掛かってきたのだ。飛鳥が慌てて、ことはをポトスの店中へと押し込もうとする。

 

「ちょ、ちょっと、飛鳥!?」

 

「早く、中へ――」

 

「行かすかよぉ!!」

 

その瞬間、飛鳥とことはを狙った“spaltips”の1人が、拳を振り上げてきた。が――すかさず、間に入った桜がその腕を捕まえたかと思うと、そのまま引っ張りその顔面めがけて膝蹴りをぶち当てた。

 

「……っ、桜君、後ろ……っ!」

 

飛鳥の声が響くと同時に、桜が思いっきり後ろ蹴りをかます。蹴られた男が顔面から電柱に突っ込んでいくが、それで終わりでは無かった。次から次へと“spaltips”の連中が、襲い掛かってくる。殴っても蹴り飛ばしても、蛆のように湧いてくるそれらを、桜が捌いていくが、徐々に後退しているのが見て取れた。

 

庇っているのだ――飛鳥とことはを。

 

「ことはさん、ごめんなさい――」

 

「え、ちょ……っ」

 

ことはが言い終わる前に、飛鳥がことはをポトスの店内へと無理矢理押し込めて、入り口を閉めると、そのノブの部分を制服のリボンで横の木と結んで入り口を開けられないようにする。

ガチャガチャというノブを捻る音と、ことはの叫ぶ声が中から聞こえてくるが、無視だ。飛鳥は、ポトスの入り口の前に立ち塞がると、

 

「桜君!! こっちはいいから、動いて――っ」

 

そう叫ぶが、桜は飛鳥の前から動かなかった。今も尚、飛鳥を庇う様に戦っている。

 

「どう、して……」

 

何故。

 

彼には飛鳥を護る義務など無い筈だ。今の風鈴を知っている生徒・・・・・・・ならいざ知らず、彼はまだ風鈴の本当の姿を知らない――知らない筈、なのに……。それなのに、どうして今日初めて会った見ず知らずの飛鳥を護るのか。

 

1人で好きに動けば、先程から見ている桜の実力なら優位になれる筈だ。無理に不利な状況になる理由はない。彼は言っていたではないか――『弱いヤツが強いフリをしているのが、気に入らない』だけだと。先程ことはを助けたのも、意図した訳ではないと。

 

なら、今は?

この状況で飛鳥を庇う理由は?

 

それこそ、無いではないか――。

 

「桜く――」

 

 

 

「うるせぇ!! 知るか!! オレが聞きてーよ!!!」

 

 

 

そう返すや否や、桜は目の前の“spaltips”の男を思いっきり殴り飛ばした。

 

くそ……。庇いながらじゃ、ラチがあかねぇ……。

つーか、なんでオレ、コイツ庇ってんだよ……。

 

庇っても、助けても、誰かの為に何かをしても、ロクな事にならないと知っているのに。それなのに、どうして、飛鳥を――そして、飛鳥の後ろにあるポトスの扉を守りながら戦うのか……。この時の桜には分からなかった。

分からなかったけれど、ここから動いてはいけない――そんな気がした。

 

捨てるのは楽だ。自分の好きに動いて、好きにすれば、それだけ“自由”になれる。けれど、それを手に入れると同時に、何か捨ててはいけないものまで、失ってしまうような――そんな気がした。

最後の最後まで、心の片隅に残っていたものまで、失ってしまうような……。

 

そんなの……。

 

そんなの、人の迷惑など顧みず、自由気ままに暴れるクソ野郎こいつらと――何も変わらねぇじゃねぇか!!

 

「ぐぁ……っ!」

 

桜に殴られた男が、後方に吹き飛ぶ。

息が上がる。身体が重い。誰かを庇いながら喧嘩するのがこんなにきついものだと、思い知らされる。それでも、一歩も引いてはいけない気がした。

 

その時だった。

 

「いっ……」

 

突然、右足首に痛みが走る。

 

「――桜君!!」

 

“spaltips”の1人がまだ隠し持っていたナイフで桜の足を刺したのだ。瞬間、ぐら……っと桜の体勢が崩れ掛かる。そこを狙って、今度はバットを持った男が思いっきりそのバットを振りかぶって来た。

 

「――っ!」

 

桜が間一髪でそれを後退して避けるが、刺された右足がずきずきと痛んで、上手く動けない。後ろへ下がるのが精一杯だったのだ。そして、そのすぐ後ろには飛鳥と、ポトスの扉があって、その中には――。

 

「くそ……っ」

 

やっぱり、他人なんかに構うんじゃなかった……。何やってるんだ、オレは……。

 

「桜君……っ」

 

ほんと、何がしたいんだ……。

 

そう、思ったその時だった。突然、ぐいっと後ろから腕を引っ張られたのだ。桜がはっとした瞬間、後ろにいた筈の飛鳥が桜を庇うかのように前に飛び出した。それを見て、ぎょっとしたのは桜だ。

 

「――この、馬鹿野郎!! 前に出るな!!」

 

桜がそう言って、飛鳥を引っ張って抱き寄せて庇うのと、飛鳥がバットを持った男の腕を蹴り飛ばすのは同時だった。

 

「この、女ァ!!」

 

だが、桜の腕に抱かれていた所為か、浅かった。辛うじてバットを落とさなかった男が、逆上して飛鳥の右腕を掴むと、ぐいっと引っ張ってきたのだ。

 

「……っ」

 

先程ナイフで切られた場所を思いっきり掴まれて、飛鳥が痛みで顔を顰める。だが、男は待ってはくれなかった。そのままバットを思いっきり飛鳥の頭上めがけて振り下ろしてきて――。

 

 

 

「や……やめろぉおおおお!!!」

 

 

 

―――ドカッ!!

 

 

鈍い音と、桜の声が木霊した瞬間――。

 

 

 

「――飛鳥!!!」

 

 

 

「!?」

 

桜の視界に、深い緑色の制服が入った。それは、桜の着ている物と同じものだった。

 

「風鈴の、せい、ふ、く……?」

 

飛鳥を庇う様に咄嗟に間に入った桜の目の前に、見た事の無い風鈴の制服を着た男が桜達を護るように立っていたのだ。

 

「1年か? いてくれて助かった!」

 

「な……っ」

 

桜がその瞳を大きく見開く。すると、桜の腕の中の飛鳥がはっとして、彼を見た。

 

「柊さん……っ」

 

「悪い、遅くなった飛鳥。ことはちゃんとあんたが、危ない目に遭ってるって連絡を受けたんだが、ことはちゃんは――」

 

と、飛鳥に柊と呼ばれた風鈴の男が辺りを見る。

 

「ことはさんは、店の中に無理矢理押し込んだのよ。……後で、怒られそうだけれど」

 

そう言いながら、飛鳥が苦笑いを浮かべる。

 

「そうか、それならよかった。……ああ、あんたらが危ない目に遭ったって事は総代あいつには黙っといてくれ」

 

そう言いながら、柊が自身の肩から覗けている“spaltips”の男のバットをがしっと掴んだ。と、思った刹那、思いっきり引っ張って男の顔面に肘打ちをぶち込む。ゴンッ!という、威勢のよい音と共に、男が地面に沈んだ。

 

「……おい、てめぇら……」

 

ゆらりと、柊が振り返る。その気迫に怖気つくように、“spaltips”の連中が数歩後退った。と、その時だった。

 

「!」

 

ザッ、ザッっと、数人の足音が彼らに近付いてきた。そして、柊の後ろで止まる。柊は、“spaltips”の男が持っていたバットをまるで彼らに見せ付ける様に目の前に持ってくると、とんとんっと手を叩いた。

 

「この街で、こんなもん振り回す事がどれほどの事か……」

 

ギラリと、柊の目が光る。

 

 

 

「――分かってんだろうなぁ!!!」

 

 

 

そう叫ぶな否や、思いっきりそのバットをへし折ったのだ。

 

桜には何が起きているのか理解出来なかった。風鈴の生徒と言えば、毎日喧嘩に明け暮れてる、不良の吹き溜まりの連中。なのに――。

 

何なんだ? どうなってやがる……。

 

なんで……、なんで風鈴が風鈴オレを助ける……っ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.03.16