PLATINUM GARDEN
-Guardian of the Wind-
◆ 第1話 風の守護者4
「あんたに、風鈴の“てっぺん”はとれない――絶対にね」
しん……と、ポトスの店内が静まり返る。ことはの言葉に、飛鳥はただ静かに目を伏せていた。だが、桜は違った。その金と青の瞳を大きく見開き、わなわなと震えていた。
そんな桜を見ても尚、ことは は続けた。まるで、彼に言い聞かせるかのように―――。
「今のままじゃ、てっぺんどころか、風鈴の誰にも相手にされないかも……」
瞬間――。
がたん! と、激しく桜が手を付いて立ち上がった。そして、ことはを睨みつけると、今にも噛み付きそうな勢いで――。
「んなわけあるか!! お前、オレがどれだけ強いか知らねーだろ!」
桜の言葉に、ことはがくすっと笑った。
「確かに、腕っぷしは強いのかもね。それでも――風鈴のてっぺんはとれないわ。だって、あんたは――」
すぅっと、ことはの手が桜の方に向けられる。そして、ゆっくりと人差指が桜に向けられると――。
「―――“ヒトリ”だから」
「……っ!?」
“ヒトリ”
その言葉を聞いた瞬間、桜の脳裏に過去の嫌な光景が思い出された。何も悪い事もしていないのに、指さされて悪者扱いされる。この髪と目を見て、気持ち悪いと罵られる。
誰一人、「桜遥」という人間を認めてはくれなかった。
孤独という、真っ暗な世界に1人残され、苛まれる日々。苦しくて、辛くて―――。だから桜は、1人を選んだ。
誰にも関わらず、誰にも必要とされない。何を言われても、気にしない。そう――まるで、心を殺したかのように生きてきた。
だから、強くなった。強ければ、弱者に苛まれることもない。自分を貫けると――そう、思って……なのに……。
「……ふ、ざけん、な……」
声が震える。いつもなら聞き流しているに違いない。でも……。
『―――あんたは、“ヒトリ”だから』
これだけは、この言葉だけは――。
「オレは……! 誰かに頼らなきゃ勝てねーほど、弱くねェ!!」
ガタ―――ンと、桜が叫ぶと同時に、椅子が倒れた。それでも、桜は無視して大股でことはのいる扉に近づいていく。そして、ことはを無視してその横を通り過ぎる。
すると、ことはが小さく息を吐き、
「物理的な話じゃないのよ。一度――風鈴の子たちに会ってみるといい。そうすれば、きっとわかるわ」
そう言った。だが、桜は聞く耳を持たないかのように、そのままポトスから出ていってしまったのだった。
**** ****
訳が分からねぇ
オレは今までずっと1人でやってきたんだ。それなのに、“ヒトリ”だから、てっぺんになれない? そんな訳あってたまるか……っ!
オレは、今までも、これからもずっと――。
「おーおー。お前から来てくれるとは思わなかったぜー。フーリン小僧」
その時だった。ふと顔を上げると、気のせいか……少し見覚えのある男が目の前に立っていた。一瞬、誰かと思ったが、脳裏に先程ことはを襲っていた男達が思い出された。それ以外にも、後ろに軽く見積もって20人ぐらいだろうか……、ガラの悪い男達がいた。
でも、桜には関係なかった。桜は小さく息を吐くと、そのままその男の横を素通りしようとする。と、男が突然 桜の肩を がしっと強く握った。
「おいおい、無視かよ。人には顔と名前忘れるな、なんて言ってたくせに。テメーは、忘れたのか?」
そう言って、男がにやにやと笑う。
「まぁ、そんなダセー見た目じゃ忘れたくても、忘れられねーぜ。カラコンにメッシュとか、コスプレかよ」
「……」
桜は、ポトスから出た時と同じく、険しい表情をしたまま、男の話には、一切反応しなかった。相手をする気にもならない。無言のまま、やり過ごそうとした時だった。ふと、男がある事に気付いた。
「ん? いや、まて。お前これ地毛か!? 目もカラコンじゃねーじゃん」
男がそう言うと、後ろの集団からも野次が飛んできた。
「え、マジ地毛なの?」
「ネコかよ!」
けらけらと、笑いながらそう言う。すると、男はくっと、まるで珍獣を見るかのような目で桜を見て、
「―――気持ちわりい」
刹那、桜の中で何かが壊れた音が聞こえた気がした。
ああ、そうだ――こっちが正しい……。
一瞬、脳裏に自分を否定しなかった、飛鳥やことはが思い浮かぶ。だが、桜はそれを捨て去るかのように、自虐的に笑った。
『―――気持ちわりい』
そう――これが、普通の反応だ。他者からは、いつも、拒否・拒絶・否定――。それはもういい。諦めた……。でも、せめて自分だけでも、価値があると思いたくて……、目の前の相手に勝てば、自分はそいつより上だと、価値があるのだと……。てっぺんを取れば、より強くそれを感じられると――そう、思っていたのに……。
『あんたに、風鈴の“てっぺん”はとれない――あんたは、“ヒトリ”だから』
ことはの言葉が、何度も何度も頭の中で木霊する。
1人の何が悪い。オレは、ずっとずっと1人で―――。
ぐっと、握っていた拳に力が籠もる。
そうだ。いつも、そうだった。いつもいつもいつもいつも―――。
「殴った相手が悪かったな。頭殴られて黙ってるチームはいねぇ。これはもう、うちとフウリンの戦争―――ぐあ!!」
―――離れていくのは、他人だろ!!!
ぐらりと、桜の拳を顔面で受けた男がそのまま倒れていく。それを見た、後ろの取り巻き達が大きく目を見開いた。
だが、桜にはどうでもよかった。
おかしい……? 妙なナリだと?
そんなの、自分が一番分かってる。でも、その事でオレがお前らに何をした……っ!
これが……。
―――これが、“オレ”なんだよ!!!
「てめぇ! 何してくれてんだぁ!!」
一気に、場が騒然となる。だが、桜はお構いなしだった。殴りかかって来た拳を横に凪って避けると、そのまま、相手の顔面を掴んで膝蹴りをかます。そうしたかと思うと、素早く跳躍し、取り巻き達に一気に襲い掛かった。
ケンカが強ければ……一番強ければ、てっぺんなんだろ!? “1人なこと”となんの関係がある……っ!?
**** ****
―――喫茶・ポトス
飛鳥は、ことはの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、小さく息を吐いた。脳裏に、吐き捨てる様に「弱くない」と叫んで去っていた桜の後ろ姿が浮かぶ。彼はどんな気持ちで、あの言葉を吐いたのだろうか。
まるで、過去の自分を見ている様な錯覚に捕らわれそうになり、飛鳥はコーヒーカップをソーサーごとテーブルに置いた。
「ねえ、ことはさん。どうして、あんな事言ったの?」
その言葉は、自然とでたものだった。すると、ことは は桜の使った皿などを洗いながら、
「……事実だからね」
そう呟くと、何事も無かったかのように、皿を拭き始めた。
「そう……かもしれないけれど――」
確かに、ことはの言う事は正しい。正論過ぎて反論出来ないぐらいだ。でも――。何も知らない今の桜にとっては、酷な言葉ではなかっただろうか……と、思ってしまう。だが、逆に桜には必要な事だったのかもしれないとも思う。
少なくとも、今の桜は見ていて痛々しかった。放っておけないとでもいうのだろうか。いつか、壊れてしまいそうなほど、張り詰めていて、少しの衝撃で全て粉々に崩れてしまいそうだった。
そう――以前の飛鳥の様に……。
「……」
「飛鳥?」
突然、押し黙ってしまった飛鳥を見て、ことはが心配そうに声を掛ける。飛鳥は、ただ静かに、もう一口コーヒーに口付けると、やはり、小さく息を吐いた。それから、
「……大丈夫。なんでもないわ」
そう言って、笑って見せる。だが、ことはにはそれが作り笑いだというのは、お見通しだった。ことはは、苦笑いを浮かべると、飛鳥のカップに追加のコーヒーを注いだ。
「相変わらずの、秘密主義というか、過去に囚われ過ぎなのよ、飛鳥は。もっと、“今”を見てもいいんじゃない?」
「今……」
そう――なのだろうか。でも、そう言われても、どうすればいいのか飛鳥には解らなかった。今でも、過去に囚われている自覚はある。きっと、このさきもずっとこのままなのだろう。忘れられないまま、彼を引きずっていくのだ。
と、その時だった。
『―――飛鳥!』
青い空の下で、満面の笑みを浮かべる梅宮の顔が浮かんだ。
飛鳥の全てを知った上で、その全てを受け入れてくれる人――。申し訳ない気持ちと、心地よい気持ちが入り混じって、どうしてよいのか、分からなくなる。
いっその事全てを忘れ、梅宮を受け入れればどんなに楽だろうか――。そう分かっているのに、わたし、は……。
ぐっと、飛鳥がカップを持つ手に力を籠めた時だった。
――――わああああああああ!!
突然、店の外からざわめきが聞こえてきた。はっとして、飛鳥が顔を上げる。ことはも、驚いて、扉の方を見た。
「なに?」
ことはが、眉を寄せて拭いていた皿を置く。そして、扉の方に向かって行くと、外の様子を見ようと扉を開けようとした。瞬間――。
「……っ、ことはさん!!! 開けては駄目っ!!」
飛鳥が慌てて叫ぶ。しかし――突然、ぐいっと何処からともなく男の手が伸びてきたかと思うと、そのままことはを羽交い締めにしたのだ。
「……っ、ちょっと! なにすんのよ!!」
ことはが、息を吞んで抵抗しようとする。が、完全に後ろ手でがっちり掴まれていて、身動きが取れそうになかった。しかも、男は刃物をことはに突きつけ――。
「おい、ボウズ! 手ぇとめな!!!」
そう叫んで、誰かに見せつけるかのようにしていた。そう――まるで、飛鳥の存在には気付いていないかのように――。
だが、そんな事、飛鳥には関係なかった。すっとその深緋色の瞳を細めると、
「手を離すのは――」
ひゅん……! と、風が凪る音と共に、飛鳥の長い脚が男を後ろから蹴り上げられたかと思うと、ス……パァン! という、音と共にそのまま男が顔面から隣の壁にめり込んだ。
「―――貴方の方よ」
「飛鳥!?」
さらりと、飛鳥の漆黒の髪が揺れるのと同時に、ことはの声が響く。飛鳥は、ことはを背に庇うと、目の前で起きている騒ぎの元を見た。すると、そこでは先程出ていった桜と“spaltips”の連中が戦っていたのだ。
「桜君……?」
どうして、“spaltips”と……?
いや、今はそんな事よりも――。
「ことはさん! 直ぐに一さんに連絡を――」
と、そこまで言いかけた時だった。男達の内数人がこちらに向かって襲い掛かって来たのだ。
「女を殺れ!! フウリンは街のやつ人質に取られっと、動けねーんだよなぁ!!」
そう叫んで、一気に飛鳥に殴りかかってくる。すかさず、飛鳥がことはを背に庇って、反撃しようとしたその時だった。
「―――飛鳥。後ろにも気を付けろといつも言ってる」
え……?
そう思った瞬間、後ろから誰かの手が伸びてきたかと思うと、そのままぐいっと飛鳥を抱き寄せた。そして、まるで彼女を護るかのように、後ろから襲い掛かって来た男を殴り飛ばしたのだ。刹那、赤く長い髪が目の前を横切る。
「……っ」
その髪を見た瞬間、飛鳥が大きくその深緋色の瞳を見開いた。
う……そ……。
赤い髪。
抱き締める腕の力。
耳に馴染む、声。
その全てが、忘れたくとも忘れられない、“あの人”の―――。
「―――りゅ……」
ざっ……!
その名を呼ぼうとした瞬間、ぱっと飛鳥を抱き締める手が離れた。はっとして慌てて飛鳥が振り返るが――もう、そこには誰もいなかったのだった。
続
2024.11.17