華ノ嘔戀 ~神漣奇譚~

 

 序ノ章 “審神者” 8 

 

 

 

「え……?」

 

沙紀は己の耳を疑った

今、小野瀬は何と言ったか

 

『この僕が、逢わせてあげましょう』

 

りんさんと

あえ、る……?

 

それは、酷く甘美な果実の様に見えた

小野瀬に頼めば、鶴丸に逢わせてくれると言う

 

でも――

 

「……」

 

沙紀は、一度だけその躑躅色の瞳を瞬かせた後、そのまま視線を落とした

 

それでいいのだろうか

そんな風に逢って、鶴丸はどう思うだろうか……

 

沙紀が考え込む様に俯いてしまうと、小野瀬はそっと沙紀の肩に触れ

 

「鶴丸君に逢いたいんでしょう?」

 

「……そ、れは……」

 

逢いたい――

 

「だから、僕が逢わせてあげると言っているんですよ」

 

「……」

 

きっと、小野瀬にお願いすれば鶴丸に逢える

でも、それは正しい事なのだろうか……

どれだけ考えても、正しい“答え”など見つからなかった

 

すると、小野瀬はわざとらしく溜息を付くと

 

「“審神者”殿の、鶴丸君への想いはその程度だったんですかねえ……」

 

「……っ、そんな事……っ」

 

そこまで言い掛けて、沙紀は はっとした

 

私……

 

沙紀のその言葉に、小野瀬がにやりと笑みを浮かべた

 

「そうですよね、逢いたいですよね? だから、逢わせてあげると言っているじゃありませんか。ね?」

 

甘く、そう囁かれ 心がぐらつく

駄目だと思うのに、逢いたい欲求が抑えられない

 

「……本当に、逢えるの……です、か?」

 

沙紀のその言葉に満足する様に、小野瀬話笑って「勿論です」と答えた

 

その時だった

それまで黙っていた山姥切国広が口を開いた

 

「……ちょっと待て。あんたが、そんなこっちに都合のいい話だけを持ってくるとは思えない。条件は何だ」

 

山姥切国広のその言葉に、小野瀬はくっと微かにその口元に笑みを浮かべた

 

「人聞きの悪い事言わないで欲しいなぁ。これは立派な“取引”だろ?」

 

そう言って沙紀を見る

 

「何、簡単な事ですよ。鶴丸君と逢わせる代わりに貴女にはある事をお願いしたい」

 

そう言ってにっこりと微笑んだ

それが何を意味するか位、沙紀にもわかった

 

小野瀬の望みはひとつ

沙紀が“審神者”として過去へ飛び、“歴史修正主義者”と戦う事

 

「……」

 

鶴丸と逢うと言う事は即ち、“審神者”になる事を承諾する事に他ならない

 

でも、このチャンスを逃せばもう二度と鶴丸に逢えない

そんな気がした

 

きっと、りんさんはもう逢いにはきてくれない……

それならば、自分から行くしかないのだ

 

その方法を知るのは目の前の、この人だけ

 

ふと、その時 沙紀の脳裏に夢の中の蒼い衣の青年が思い出された

桜の樹の下で佇んでいた、綺麗な人

あの人は言っていた

 

『―――来てはならぬ』 と

 

それはきっと、この話に繋がる――

そんな気がした

 

“受けてはいけない”

 

危険信号の様に、何かがそう沙紀の中で訴える

 

でも……

 

沙紀はぎゅっと自身の手を握った

 

それでも

そうだとしても……私は……逢いたい

 

脳裏に、美しい銀色の髪に、金の瞳をした青年が思い出される

あの人に――

 

沙紀はすぅっと息を吸うと、静かに

 

「畏まりました」

 

その返答に、微かに小野瀬が笑う

だが、それに反発したのは山姥切国広だった

 

「おい! いいのか!? あんなに、拒否していたのに――」

 

ぐいっと、沙紀の肩を掴みそう訴えかけてくる

沙紀はそんな山姥切国広に にっこりと微笑みかけると

 

「構いません……それは、確かに気になる事もありますが。でも……きっと今を逃したら、りんさんにはもう逢えない気がするので――」

 

そう言った沙紀は少し寂しそうだった

思い詰めた瞳

 

「……っ」

 

そんな顔をされたら、俺は……

 

山姥切国広はもう、それ以上何も言えなかった

ぐっと、拳を握りしめる

 

すると、小野瀬が突然 場の空気を変える様にぱんっと手を叩いた

 

「よし! じゃぁ、全は急げだよね! 行こうか」

 

その言葉に、沙紀と山姥切国広が2人して「え……」と声を洩らした

 

「今から……ですか?」

 

沙紀が恐る恐るそう尋ねると、小野瀬はにっこりと微笑み

 

「そう、今から。今からなら夜には着くでしょ」

 

「で、ですが……」

 

まさか、今からとは思っていなかったのか

沙紀が、戸惑った様に視線を泳がせた

 

すると、小野瀬はにっこりと微笑みながら

 

「時は金なりですよ、“審神者”殿」

 

そう言って沙紀の手を引っ張ろうとした

瞬間、ばしんっと山姥切国広が払いのけた

 

「こいつに触るな。後、俺も行くからな」

 

警戒心むき出しの山姥切国広に、小野瀬は「やれやれ」と声を洩らすと

 

「君も? まぁ、邪魔さえしなければ構わないよ」

 

そう言って、ひらひらと手を振りながら、「外で待ってるよ」と言い残し部屋を出て行った

 

残された山姥切国広は沙紀の方を見ると

 

「大丈夫か? 無理なら日を改めても――」

 

そう言って、戸惑いの色を隠せない沙紀の頭をぽんぽんと撫でた

それで少しだけ落ち着いたのか、沙紀が小さく笑みを浮かべ

 

「ふふ……山姥切さんにこうされると落ち着きます」

 

そう言って、立ち上がった

 

「大丈夫です。それに山姥切さんが一緒ですから……安心出来ます」

 

そう言ってにっこりと微笑んだ

 

「……っ」

 

沙紀の笑顔に、山姥切国広が一瞬固まる

それから、少しだけ被っているぼろぼろの布を深く被り直すと、「そうか・・・」と答えたのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連れてこられたのは、都内の地上何百メートルとある高級マンションの立ち並ぶ、タワーマンションの一角だった

 

小野瀬はセキュリティなど無視した様に、すたすたとエントランスホールに入るとそのままスタッフにロックを解除してもらっていた

完全に顔パスだ

 

沙紀と山姥切国広が、あまりにも場違いな場所に顔を見合す

困惑している沙紀達を見て、小野瀬は首を傾げ

 

「なにしてるんだい? 早くおいでよ」

 

「あ、はい……」

 

言われて、慌てて小野瀬の乗るエレベーターに乗り込む

エレベーターから見える都心のネオンはとても明るく、今まで沙紀がいた世界がどれ程隔離されたものか思い知らされる

 

初めて見る夜景もそうだが、なんだか夜なのに外が明るすぎて落ちつかない

そうこうしている内に、チーンという音と共に、目的の階に着いたようだった

 

降りて、目の前にある大きな扉を見上げる

 

ここに、りんさんが……?

 

ごくりと息を呑む

俄かに、手が震えていた

 

すると、その手に重なる手があった

山姥切国広だ

 

「山姥切さん……」

 

沙紀がそう呟くと、山姥切国広は小さく頷き

 

「大丈夫だ、俺もいる」

 

「は、はい……」

 

握られた箇所が熱い

でも、何だか少し安心出来た

 

その様子を見ていた小野瀬は、小さく息を吐いた後 有無を言わさず扉を開けた

 

ノックもせず、チャイムも鳴らさず開ける小野瀬に、ぎょっとする間もなく手招きされる

沙紀と山姥切国広は顔を見合わせると、少し罪悪感を抱きつつもそれに続いた

 

部屋の中は真っ暗だった

電気が通っていない訳でもないのに、灯りというものが一切付いていない

月明かりだけが照らす部屋

 

鶴丸は本当にここにいるのかと、不安になる

その時だった

小野瀬がリビングの扉を開けた瞬間、その声は聞こえてきた

 

「小野瀬、勝手に入って来るなと何度も――」

 

そう言って、ソファに坐って読んでいたであろう本を置いた人影が振り返った

瞬間――

 

あ……

 

沙紀は大きくその躑躅色の瞳を見開いた

いや、沙紀だけじゃない

その人影も驚いた様に、がたんっと立ち上がった

 

「沙紀……」

 

「……りん、さ、ん……」

 

そこにいたのは鶴丸だった

 

いつもの様な白い和装風の姿ではなく、ラフな黒いデニムに白いシャツを羽織った鶴丸がそこにはいた

胸元のスウェード紐にアンティークゴールドのパーツと、大振りの羽根を組み合わせたモチーフのロングネックレスがきらりと光る

 

「な、んで……」

 

動揺を隠せないのか、鶴丸がその金色の瞳を見開いたまま言葉を切った

が、次の瞬間 沙紀の隣にいる小野瀬に気付き、その表情が一気に険しくなる

 

「小野瀬!! お前っ……!!」

 

今にも食って掛かりそうな鶴丸に、小野瀬が両の手を上げる

 

「おっと、暴力はいけないよー? 鶴丸君。僕は“審神者”殿のお望みを叶えて差し上げただけなんだから」

 

その言葉に、鶴丸がぴくりと反応する

 

「“審神者”、どの……だと?」

 

瞬間、小野瀬がにやりと笑った

そして、突然 山姥切国広の肩をがしっと掴むと

 

「さ、邪魔者は一時退散しようじゃないか」

 

「お、おい!」

 

有無を言わさず、ぐいぐいとそのまま山姥切国広を引っ張って、部屋を出て行ってしまう

 

「あ……」

 

一人、鶴丸の前に残された沙紀は、戸惑いの色を隠せなかった

まさか、一人取り残されるとは思ってもみなかったのだ

 

ど、どうすれば……

 

困惑している沙紀とは裏腹に、鶴丸はぎゅっと拳を握りしめるとふいっと背を向け

 

「何故、来た」

 

「え……」

 

突然投げかけられた拒絶の言葉に、沙紀がぎくりと身体を強張らせる

 

「あ、あの、私は……」

 

そこから言葉が続かない

何故来たのか

 

ただ、逢いたかった

それだけだった

 

でも……

 

じわりと目尻が熱くなる

 

りんさんは、逢いたくなかった……?

 

そう思った瞬間、今まで押さえていたものが溢れだしそうになったのを、必死で堪える

 

駄目だ……

こんな所で、泣いてはいけない……っ

 

沙紀はぎゅっと拳を握りしめると、唇を噛み締めた

 

これ以上、この人を困らせてはいけない

けれど……

 

沙紀は、今できる精一杯の笑顔を作った

今できるのは、笑顔を作る事だけ

 

「私……りんさんに逢いたかったのです……。あんな形でさよならはしたくなかった。でも……勝手に来た事は謝ります。すみませんでした……」

 

笑って

 

「もう、二度と逢えなくても……最後に貴方の姿を見たかった……それで、充分……です」

 

笑って

 

「私――たとえ、小野瀬様のお陰でも、りんさんと出逢えて良かっ……」

 

涙が零れた

これ以上、言葉が上手く紡げない

 

“最後”

“もう、逢えない”

 

そう思っただけで、涙が溢れてくる

駄目だと言い聞かすのに、感情がいう事をきいてくれない

 

その時だった

 

「違う! そういう事を言っているんじゃなくてだな、何故小野瀬なんかを――って……沙紀、お前……っ」

 

「え……? あ……」

 

言われて気付いた

涙を流していた事に

 

「……っ」

 

沙紀は鶴丸に見られまいと、さっと、着物の袖で顔を隠した

 

「見ないで下さい……っ」

 

見られたくない

こんな、醜い感情の自分を見られたくない――

 

「――すみませんっ」

 

それだけ言い残すと、沙紀は踵を返した

もう、ここには……この人の傍には居られない――

 

それでも……それでも、私は――

 

沙紀が部屋を飛び出そうとした瞬間だった

 

 

 

 

 

 

「――沙紀っ!!!」

 

 

 

 

 

 

不意に伸びてきた手が、後ろから沙紀を抱きしめた

 

「……っ」

 

一瞬、びくりと沙紀の身体が強張る

 

「離し……っ」

 

「離したら、きみはもう二度と俺の前に出てこないつもりだろう!?」

 

「そ、それは……」

 

だって

だって……

 

ぼろぼろと涙が次から次へと零れていく

沙紀は、顔を見られまいと手で覆った

 

「だって……りんさんは、私になどもう逢いたくもないのでしょう……? だったら、こんな期待させるような事しないで……っ」

 

こんな風に抱き締められたら期待してしまう

もしかしたらと、思ってしまう

そんな風に考えてしまう自分が嫌で嫌で仕方ない

 

「沙紀」

 

不意に、ぎゅっと鶴丸の抱きしめる手に力が籠もった

 

「……っ」

 

沙紀が息を呑む

 

 

「違うんだ……そうじゃないんだ。俺が沙紀を嫌うなんてありえない。俺は――」

 

 

そこで一旦言葉を切ると、鶴丸は沙紀の肩に顔を埋めた

 

「俺は……俺は、きみがいなかったらここにはいなかった。俺にとっては沙紀が全てなんだ。……だから、沙紀には人として幸せになって欲しいんだ。俺みたいな“人非ざるもの”とではなく、ちゃんと人間の男と――」

 

「そんなの……っ、そんなの私 望んでいませんっ!! 私は……私はりんさんと居られれば、それで充分なんです……っ。付喪神とか人じゃないとか、関係ありません……っ」

 

沙紀が涙を流しながら鶴丸の頬に触れる

 

「今、私の目の前にいる、りんさんが……鶴丸国永が傍に居てさえくれれば、私は……それ以上は望みません……」

 

その言葉に、鶴丸が大きく目を見開いた

 

「でも、俺は刀であって……人じゃない。沙紀とは違う次元で生きている“モノ”なんだ」

 

沙紀は小さくかぶりを振ると

 

「いいえ、私の目の前にいるのは、鶴丸国永という男の“人”です。“モノ”ではありません。 そして、ずっと傍に居て下さったのも――貴方様です」

 

つぅ……と沙紀の躑躅色の瞳から涙が零れ落ちる

 

「りんさん、傍に……いては駄目ですか……? 離れるなんて言わないで……お願いです……」

 

「沙紀……」

 

そっと、鶴丸が沙紀の涙を拭う

 

「泣くな。お前に泣かれたら俺はどうしていいか分からなくなる……」

 

そう言って、その瞳に口付を落とした

 

「……っ」

 

沙紀が息を呑む

そのままぎゅっと鶴丸の背に手を回した

 

ああ……りんさんだ……

 

ずっと、待っていた鶴丸が――今、目前にいる

それだけで、沙紀は充分だと思った

 

想って欲しいとか

好きになって欲しいとか思わない

 

こうして傍にいてくれるだけでいい

 

「俺で……いいのか? 人ではない“モノ”でも――」

 

お前の傍にいていいのか?

そう聞こえた気がした

 

沙紀は小さくかぶりを振り、にっこりと微笑んだ

 

「りんさんが、いいんです。……いえ、りんさんじゃなければ嫌です」

 

「沙紀……」

 

沙紀を抱きしめる手に力が籠もる

 

「……分かった。お前が刀の俺でもいいっていうのなら、傍に居てやる……。いや、居させてくれ――」

 

その言葉に、沙紀は頷く代わりに、ぎゅっと鶴丸の背に回している手に、力を籠めた

 

 

 

と、その時だった

 

「やぁ、どうやら丸く収まったようだね」

 

ぱんぱんとわざとらしく、まるでタイミングを計った様に小野瀬が部屋に現れた

 

「小野瀬……っ」

 

瞬間、鶴丸の瞳が険しくなる

その様子に小野瀬はおどけた様に

 

「鶴丸君、そう殺気立たなくてもいいじゃないか。僕はむしろ感謝されはしても、恨まれる憶えは無いよー?」

 

鶴丸は、さっと自身の腕の中の沙紀を庇うように

 

「お前は油断ならないからな、一体、今回の条件に沙紀に何をさせる気だ!?」

 

その言葉に、小野瀬がにまにまと笑みを作る

その顔が癪に障ったのか、鶴丸が更に険しい顔になった

 

「言っておくが、沙紀は“審神者”にはならせないからな……っ」

 

「それは、鶴丸君が決める事じゃないよね? そこは、“審神者”殿気持ち次第だと思うけど?」

 

「なんだと?」

 

鶴丸が、びりっと気配を一層険しくした時だった

 

「あの……いいのです、りんさん。今回の件で小野瀬様にはお世話になりましたし、私は……」

 

今回、鶴丸に逢わせてもらう条件はまだ聞いてはいない

だが、恐らく、自分に審神者になる様に言ってくるのは間違いないと思っていた

それが、小野瀬の最初からの望みなのだから

 

確かに、あの夢の青年の事は気になる

何故「ならぬ」と言うのか

でも、問うても返ってこないその返事を考えても詮無きことだった

 

だから、もし小野瀬が審神者になる様に強要してきたとしても――

 

そう思っていた時だった

小野瀬は、きょとんとして

 

「二人とも何か勘違いしていないかい? いつ、僕が“審神者”殿に“審神者になって欲しい”という条件だと言ったかな?」

 

「え……?」

 

予想外の回答に、沙紀が首を傾げる

それは、鶴丸も同じだった

いや、逆に余計警戒した様だった

 

「違うって言うのか? なら、一体何を――」

 

「ん? ああ、それ持って来て」

 

そう言うと、後ろから出てきた山姥切国広が、何か布に包まれた長物を持って来た

 

「……?」

 

沙紀と鶴丸が互いに顔を見合わせる

 

「ここに置くぞ」

 

そう言って、山姥切国広は沙紀の目の前にその長物を置いた

 

 

 

  「その子をね、助けて欲しいだ」

 

 

 

 

    そう言って布から出してきたのは、一振のぼろぼろの諸刃の太刀だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、最後に出てきた刀は誰かなー

 

旧:2015.08.27

新:2024.06.30