INNOCENT LYNC
-イノセント・リンク-
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◆ ヴァイオレット・クイーン2
莉紅が去ったあと、シンはドアの方を見た後、カウンターの中にいる坂本を見た。
「あの……坂本さん。あの女は一体……」
“久我莉紅”。彼女はそう名乗っていた。しかも、坂本に懸賞金10億が近い内に掛かるとも、不吉な予言とも取れる発言をしていった。
「何考えてるのか、全然わかんねーし、なんか……気味悪い女ですね」
シンのその言葉に、ルーが首を傾げた。
「……? 心読めばよかったネ」
「ばっか、読めなかったんだよ! なんか、こう鍵の掛かった真っ白な部屋みたいでさ、心も気配も一切読めなかった」
「……」
シンのその言葉に、坂本が一度だけシンを見た。そして、お湯を注いで準備万端だった2つ目のカップラーメンをずずっと食べ始める。
『うまい』
そのカップラーメンは新作で、塩味が利いており絶品だった。次回はもっと多めに仕入れようと坂本が心に決めている時だった。何故かシンが「う~ん」と唸っていた。それを見た、ルーが首を傾げる。
「どうしたネ、シン」
「いや、久我……久我……何処かで聞いたような……」
どうやら、彼女の名字が引っ掛かっているようだった。坂本がそれに気付き、ちらりと先程捨てたゴミ箱の割り箸を見る。もうゴミ箱の中の割り箸は、毒の所為で完全に紫色に変色していた。ふと、シンがその坂本の視線の先に気付く。
「久我……と、毒……? っスか?」
シンがそう口にすると、坂本がこくりと頷いた。
「……?」
だが、答えに辿り着かないのか、シンが更に首を傾げる。その様子に、坂本が「ふぅ~」と溜息を漏らした。
「ちょっ、坂本さん。知ってるなら教えてくださいよ~~。こう、もやもやしてすっきりしないんです~」
『……面倒くさい』
「面倒くさい、言われた!?」
がーんっと、シンがショックを受けたように、涙目になる。そんなシンの姿を見て、ルーがけたけたと笑っていたのだった。
**** ****
―――一週間後・憩来坂町
その日は、よく晴れた日だった。ルーは大きな欠伸をしながら、バイト先の坂本商店への道を歩いていた。スマホを見ると、もう出勤予定時間を2時間もオーバーしていた。だが、ルーは気にした様子もなく、道沿いに猫を発見して、ぱぁっと顔を綻ばせると、猫とじゃれ合いを始めた。と、その時だった。
「こんにちは、シャオちゃん。可愛い猫さんね」
ふと、声を掛けられてルーが顔を上げる。そこには、一週間前、坂本商店に来たあの、白い服の女がいたのだ。久我莉紅である。莉紅はルーと猫を見ると、にっこりと微笑んだ。
「シャオちゃんの、飼い猫かしら?」
そう問われて、ルーは「違うネ」と答えた。実際猫は好きだ。可愛いし、何よりも、親近感が湧く。
「多分、ノラだと思うネ」
「そう……。私と一緒ね」
そう言って、莉紅が猫の喉を撫でた。すると、猫がごろごろと喉を鳴らしている。それを見て、ルーが目をきらきらと瞬かせた。
「オネーサン、凄いネ! もうこの子に好かれてるヨ!」
「お姉さんだなんて、“莉紅”で良いわよ」
莉紅がくすくすとそう言いながら笑う。すると、何かを思い出したかのように、ルーが「あ!」と声を上げた。
「私、バイトに向かってる最中だったネ」
ルーの言葉に、莉紅がその紫蒼玉の瞳を瞬かせる。
「そうなの? 時間、大丈夫?」
実際は既に遅刻しているが、ルーはどん!っと、胸を叩いて。
「大丈夫ネ! 店長優しい。このくらいいつものことヨ」
ルーの自信満々のその言葉に、一瞬莉紅がきょとんとした顔をするが、次の瞬間、くすくすと笑いだした。
「ふふ、太郎君が“優しい”ね。そんな事、言えるのシャオちゃんだけかも」
「?」
莉紅の言葉の意味が分からず、ルーが首を傾げる。すると、莉紅はすいっと立ち上がると、ロングスカートの裾を整えた。
「じゃあ、バイト。頑張って」
そう言って、手を振ってそのままその場を去ろうと歩き出す。すると、ルーは慌てて猫を抱いたまま立ち上がると、
「オネーサン、今日は来ないのカ?」
ここ一瞬間、時々莉紅は手土産を持って坂本商店を尋ねてきた。特に用がある訳でもなく、様子伺いだといつも言っていた。てっきり今日も来るかと思ったのだが――。すると、莉紅は、ぱっと手を広げて、
「ごめんね? 今日は何も持ってないから。それに――今日はあそこには、これ以上近寄ってはいけない気がするのよね」
「?」
「そういう事だから、太郎君と、シン君に宜しく言っておいて?」
それだけ言うと、莉紅はそのまま何処かへ行ってしまったのだった。そんな莉紅の背中を見送りながら、ルーは猫を抱いたまま、
「……変な、オネーサン」
と、ぼやいたのだった。
―――坂本商店
「おっせェよ!!」
ルーが店内に入ると、シンの第一声が飛んできた。だが、ルーはやはり左程気にした様子もなく、けろっとしていて、
「細かいやつネ~~。チョット、遅刻したくらいで」
「2時間は、ちょっとじゃね~~んだよ」
「おしゃれには時間かかるのヨ」
「寝巻きに、ジャンバー羽織っただけだろ。てか、お前……っ! また猫の毛付けて!! 猫と遊んできただろ!?」
ぎゃいぎゃいと、吠えるシンを他所に、ルーは平然としたまま、エプロンを付けた。ふと、カウンターの方を見ると、坂本はいつものように、新聞を読んでいる。ルーは先程の莉紅の事を少し思い出した。
『ふふ、太郎君が“優しい”ね。そんな事、言えるのシャオちゃんだけかも』
彼女はそう言っていた。だが、ルーにはその言葉の意味がやはり理解出来なかった。ルーにとっては、坂本は自分を弾商会から救ってくれた恩人だし、なによりも、今はルーにとっての新しい“家族”だ。そんな彼が「優しくない」とはとても思えなかったのだ。
「店長、さっき……」
ルーが、先程莉紅と会ったことを言おうとしたその時だった。
「お前、どーせバイトした事ね~んだろ」
突然、シンが失礼な事を言ってきたのだ。思わずルーがむっとする。ルーはふふんっと、誇らしげに胸を張ると、
「あるに決まってるヨ」
そう言って、胸をどんっと叩いた。
「パパの仕事の手伝いネ! デカ穴掘って、謎の麻袋埋めてたヨ」
「……」
その麻袋の中身は? とは聞いてはいけないとシンは瞬時に悟った。シンは、しゅぱっとルーから離れると、今だ呑気に新聞を読んでいる坂本に詰め寄った。
「坂本さん、あの女クビにしましょう! ウチの店の“平和な雰囲気”に合いません!」
「……」
坂本は無言のまま、その事については何も言わなかった。するとルーがさも当然そうに、
「この店に、そんな雰囲気ないよヨ、ハナから」
「うるせー!! これから作っていくんだ!!」
元マフィアの看板娘と、元殺し屋の店員と店長。色々、肩書きだけ見ると殺伐していた。すると、突然坂本がゆっくりと顔を上げて――。
「こら、シン。人に対してそんな風に言っちゃぁいけないよ。ルーも遅刻したら、ちゃんと“ごめんなさい”しようね」
「……え?」
坂本のその台詞を聞いた瞬間、シンの思考が一瞬停止する。
「坂本、さん……?」
「どうしたんだい、2人共。鳩が22.LR弾を喰らったような顔をしているよ」
そう言って、「ははははは」と笑っている。
「さぁあ、朝の準備をしよう。シンは外の掃除だ。ルーは肉まんの仕込み、終わったのかな?」
そう饒舌に語る坂本を見て、シンが衝撃の余りぷるぷると震えていた。
「な、何年か一緒にいて、こんなに喋ってんの見た事ねえ……心の中でも無口なのに」
「店長って、意外とおしゃべりネ」
目の錯覚!? それとも、聞き間違え!? そう思う程、今日の坂本は喋っていた。すると、それに驚いている2人を見て、坂本が少し困ったかのように苦笑いを浮かべて、顔をぽりぽりと掻きながら、
「2人共、僕をしゃべる肉塊だとでも、思ってるのかい。失礼だな、殺すよ? 僕だって、血の通った人間なんだ。2人共、いつもありがとう」
「ありがとう!?」
「僕!!?」
いや、喋るとか以前に……キャラ、違くないか……? と、2人が心の中で突っ込んでいたその時だった。不意に、店内へ続く自動ドアが開いたかと思うと――。
「!!?」
さ……。
「おや?」
坂本さんが……2人……っ!?
そう――そこには、坂本がいたのだ。今入って来た坂本は、目の前の坂本を見ると、何事もなかったかのように、すっとその横を通り過ぎた。そして、本当に、何もないかのように、カウンターに入ると、新聞を広げだす。
「え……」
シンとルーが動揺を隠せず、唖然としていると、最初からいた坂本は「あれ?」と声を漏らして、今新聞を読んでいる坂本を覗き見た。
「びっくりした~。ドッペルゲンガーかな?」
そう言ったかと思った刹那――、何処からともなく出したナイフで、新聞を読んでいた坂本を狙うかのように、新聞ごと貫いたのだ。
「!!!!?」
シンが、それを見てぎょっとする。が――坂本は、まったく動揺する気配すら見せずに、そのナイフをあっさり避けると、傍にあったペン立てからカッターナイフを取る。しかし、もう片方の坂本も素早く銃を取り出すと――、
「坂本さ――!」
シンの叫び声と、2人の坂本の動きが止まるのは同時だった。1人はカッターナイフの刃を、1人は銃口を互いの首筋に当てていた。一触即発――そう見えた気がした。
しん……と、辺りが一瞬静寂に包まれる。
すると、最初に得物を仕舞ったのは、カッターナイフを突きつけてる方の坂本だった。すっと、カッターナイフの刃を収めながら、
「久しぶり、南雲」
そう言った時だった。ぱっと銃を持っていた坂本が、黒髪の優男風の青年に姿が変わったのだ。
「まだ動けるねー坂本くん。安心したよ~」
そう言いながら、南雲と呼ばれた青年は銃を収める。だが、シンとルーは、一瞬で姿が変わったその青年を見て、ぎょっとした。いや、それだけではない。シンは心を読めるエスパーなのに、この青年の心は莉紅の時同様、読めなかったのだ。
俺が騙された……っ!? また、心を読めなかった……っ。
すると、ふと、その青年がシンとルーの方を見た。かと思うと、突然「アハハハ」と笑い出したのだ。
「ごめん~まさか、こんなに騙されるとは思わなくって……」
「坂本さん、誰っスか! こいつ!!」
「袋詰めにするネ!!」
そう、ぎゃいぎゃい吠える2人に、坂本が否定はせず、無言で返したのだった。
一通り、笑い終わって満足したのか、青年が改めて、
「僕は、南雲与市。向かいのスーパーの店員で、坂本くんの友達だよ。歳は18」
「えっ……!? 友達……? 若っ」
と、シンが信じていると、ルーがすかさず、
「向かいにスーパーなんか、ナイヨ……?」
『久我と同じで、昔の同期の殺し屋。27歳』
と、坂本が心の中で呟いた。
「ほとんど、嘘じゃねえか!!」
と、シンと、ルーが南雲と名乗った青年をボコったのは、言うまでもない。
椅子にロープでぐるぐる巻きにされた南雲が、カウンターの前にいた。だが、南雲はさほど気にした様子もなく、
「坂本くんに、懸賞金がかけられたよ。額は10億」
南雲のその言葉に、シンとルーが顔を見合わせる。
「このパターンどっかで聞いたような……?」
「聞いたネ」
と、南雲の予想とは反応が違っていた。南雲は「あれ?」と、半分とぼけたような顔をして、
「驚かないんだね」
「そりゃあ――」
一週間前に既に、莉紅から聞いていたからだ。だが、その時は半分冗談かと思ったが……、こうして、新たに別の人からも聞かされると、真実味が増してくる。だが、南雲はやはり、気にした様子もなく、
「先日、殺し屋協会で正式に決まって、懸賞サイトに載るのは明日だけど――耳の早い殺し屋の間では、既に噂されてるよ。あの伝説の殺し屋が復活したって」
と、南雲が真面目な話をしていると、いつの間に頼んだのか、ピザの配達がっやってきた。坂本がいそいそとそのピザを受け取って蓋を開けている。その横で初めて見るピザに、ルーが目をきらきらさせていた。
その時だった。突然シンの思考に『やれやれ、平和ボケした連中だぜ』という、謎の男の声が聞こえてきたのだ。はっとして、今だ去らないピザの配達定員の方を見ると――、男は「ククッ」と嫌な笑い声をあげたかと思うと、
「この俺をすんなり中に入れるとはなぁ!! お前らはもう、板の上のサラミだぜ!!」
そう叫んだかと思うと、両手にピザを切るピザカッターを持って、椅子に括り付けられている南雲の顔に突き付けたのだ。
「おっと動くなよ!! このイケメンが台無しになるぜ!!!」
「なっ……!」
ぎょっとしたのは、シンとルーだ。ちなみに、坂本は呑気にカウンターの中でピザを食べていた。
「オラァ、坂本ォ!! てめ~悠長にピザ食ってんじゃねぇ! こいつ殺すぞ!!?」
そう言って、南雲を人質に取った男が叫ぶが、坂本は気にせず、ピザをもぐもぐと食していた。とろりととろけるチーズが絶品である。そんな、のほほ~んとした。坂本を見てブチ切れたかのように、ピザ屋の殺し屋が、
「テメェ――」
と声を上げようとしたその瞬間。突然ぐいっと首に誰かの腕が回されたかと思うと、そのまま羽交い絞めにされて締められたのだ。
「ほら~言ったでしょ。僕、嘘嫌いだからさ」
そう言って、いつの間に縄から抜けたのか、南雲がピザ屋の殺し屋を締め上げてしまっていたのだ。そして、そのまま締め落とそうとするが――。
「南雲、待て」
坂本の制止が入った。すると、南雲がぱっとその手を離す。それから、坂本を見て、
「もしかして、君さ、まだ殺さずに乗り切るつもり?」
「……」
「そんなんで、相手していけるの? 僕や、それ以外の殺し屋を?」
その言葉に、シン達がごくりと息を呑んだ。その言葉だとまるで――。すると、南雲がにぱっと笑いながら、横に手を振って、
「うそうそ。僕は今回参加しないよ~。“僕ら”は対殺し屋専門の殺し屋だからね。ま、坂本くんならよく分かってると思うけど。あ~君と組んでた頃が懐かしな~!」
そう言って、一瞬だけ昔を懐かしむ様な顔をする。
「南雲」
「ん?」
「今更、俺が死んで、誰が得をする?」
「……さあね。僕らは受けた依頼を遂行するだけだよ」
「……」
「大体ね~、君、引退したのに目立ちすぎ! 中国の弾商会潰したのはやり過ぎだよ。馬鹿なの?」
南雲のその言葉に、ルーが息を呑んだ。
弾商会。それは、ルーの両親を殺した中国のマフィアの一味だったのだ。ルーはその弾商会に追われているところを、坂本やシンに助けてもらったのである。
「……また、あんな奴らも攻めてくるのカ?」
ルーのその言葉に、南雲は小さく首を振った。
「まさか! あんな雑魚もう来ないよ。あんなんアマチュアみたいなもんだし」
あの弾商会を「アマチュア」と言ってのけるこの南雲という男は、どれほどなのかと、シンは思った。
「しっかし、こいつの話聞く限り、あの女の言った事本当だったんすね~。どうします?坂本さん」
「……」
シンの言葉に、坂本は少し考え込んだ。と、その時だった。ふと、南雲が首を傾げた。
「あの女?」
「ん? あ~、一週間ぐらい前からかな、久我莉紅って女がウチに来てて――」
と、シンが言った時だった。一瞬にしてあの笑っていた南雲の表情が変わった。大きくその黒い瞳を見開き、ばっと坂本の方を見る。それから、ずかずかと、カウンターの方へ向かうと、ばんっ! と、思いっきり手を付いた。そして、余裕の無さそうな声で、
「今、この子“莉紅”って言ったよね!? どういうこと、坂本くん!!」
「……落ち着け、南雲」
「――落ち着ける訳ないだろ!!? 僕がこの4年間、莉紅をどれだけ捜してたか……っ!!」
その声音は、焦りと、懇願。そして、希望が入り交じっていた。その時だった。ルーが何かを思い出したかのように、
「オネーサンなら、さっきそこで会ったネ」
ルーの言葉に、南雲が目を見開き振り返る。
「でも、オネーサン、今日はウチには行けない言ってたヨ」
「……っ」
「あ、お、おい!!」
シンが止めるのも聞かずに、南雲は店を飛び出していった。慌てて、シンが追いかけるが――その姿は、もう何処にも見当たらなかったのだった。
2025.08.24

