深紅の冠 ~鈺神朱冥~

 

 第1話 紅玉 5

 

 

『誰かを呪う暇があったら、大切な人のことを考えていたいの』

 

 

伏黒津美紀。

1つ上の義理の姉。父親だった、伏黒甚爾が再婚した相手の連れ子。

 

義姉の津美紀はいつもそう言って、笑っていた。

でも――。

 

 

――不平等な“現実”のみが、平等に与えられている。

 

 

津美紀は中学を卒業して間もなく、原因不明の“呪い”によって倒れ、寝たきりとなってしまった。疑いようのない「善人」だったのに、津美紀は“呪われた”――。

 

何故、どうして、一体誰が……。

“原因”など、分からなかった。

 

津美紀を目覚めさせるには、“呪い”を掛けた奴を倒すか、そいつに、“解呪”させるしかない。だから、俺は――。

 

 

「虎杖は戻ってくる。その結果、自分が死んでもな」

 

 

さっきもそうだった。受胎から変態した特級呪霊相手に、自分が時間を稼ぐからと――。

 

『頼む……』

 

そう言って、アイツは……。

 

ぐっと、伏黒が握っていた拳に力を籠めた。

 

俺は、何も出来なかった。虎杖アイツを助ける事も、力を貸す事も、何も――出来なかった。

 

最初に出会った時からそうだ。自分の身など顧みず、他者の為に躊躇いもなく立ち向かう。そんなアイツが、俺には羨ましくて、眩しくて――妬ましかった。俺にはないものを、アイツは持っていて、俺にはないものを、アイツは兼ね備えていた。

 

津美紀も、虎杖も、“同じ”だ。

典型的な「善人」。

 

自分よりも、他者が優先。こっちの“気持ち”などお構いなしだ。でも、そんなやつらに俺は――救われていた。

 

いつも。

いつも、いつも――そうだった。

 

だから。

だから、今度は俺が――っ!!

 

 

 

 

 

 

ザ――――。

 

雨の音が酷く耳に付く。伏黒は静かに息を吐きながら、宿儺を見た。あの時――変態した、特級呪霊に斬られて落ちた筈の虎杖の左手が治っている。つまり、宿儺は治癒……反転術式が使えるのだ。

 

宿儺は受肉してる。虎杖とは異なり、“心臓”なしで生きられるとはいえ、全くのノーダメージな筈がない。少なからず、ダメージを受けているはずだ。

凛花の機転と指示で、虎杖の“心臓”は確保した。ならば、後は虎杖の“身体”を拘束するだけだ。

 

拘束したら、虎杖が戻る瞬間に凛花が“心臓”を反転術式で戻す。それまでの間に、虎杖の意識を宿儺より引っ張り上げる。

 

だが、そんな事が果たして出来るのだろうか……?

特級の前ですら、動けなかった俺に――。

 

「……」

 

手が震える。それが、“恐怖”なのか。それとも、“萎縮”なのかは分からない。

けれど。

 

その時だった。

不意に、凛花の手が伏黒の手に重ねられたのだ。

 

「……っ」

 

ぴくんっと、伏黒の肩が微かに揺れる。はっとして凛花を見ると、彼女の深紅の瞳が優しく細められた。

 

『大丈夫よ、恵君』

 

凛花の“神心”で頭に響く彼女の優しい声。その声が、静かに伏黒の心を落ち着かせてくれた。

 

そうだ。俺は、何をビビっているんだ。今度は、俺が虎杖を助けるんだろう!? それに、凛花さんもいる。

 

出来るかじゃねぇ。

――やるんだよ!!!

 

ぱんっ!! と、伏黒が両手を羽の様に重ねた。刹那、彼の下の影が ズズズズズ……と大きくなったかと思うと――。

 

――キエエエエエエ!!!!

 

彼の式神の一柱である、骸骨の面をつけた怪鳥の『鵺』が姿を現す。

 

「ほう」

 

それを見た宿儺が、面白そうに顔を歪ませた。だが、伏黒はそれに構わず、『鵺』が高速飛行で飛んだ方と、真逆の方から宿儺に向かって駆け出すと、一気に距離を縮める。そのすぐ後ろで、凛花が再び、天之麻迦古弓と天羽々矢を現出させる。

 

宿儺は、にやりと笑うと ぐいっと邪魔な前髪をかき上げた。

 

「折角、外に出たんだ。広く使おう」

 

そんな余裕をかます宿儺に構う事なく、伏黒は一気に『鵺』と一緒に宿儺の後ろへと回り込むと、そのままがら空きの背中を狙って蹴りをかました。だが、宿儺はそれを予測していたかの様にあっさりと避けると、そのまま横へと動く。しかし、伏黒は更に後ろを取ると、今度は拳を振りかざした。そして何発も、拳を宿儺にめがけて放つ。

 

だが、その拳が宿儺に当たる事は無かった。そう――完全に動きが読まれているのだ。宿儺はポケットに手を入れたまま、余裕そうに笑いながら、

 

「面白い。式神使いのくせに術者本人が向かってくるとはな」

 

その言葉に、ぎりっと伏黒が奥歯を噛み締めた。

 

本来、式神使いは 式神を使役し戦わせる。術者は後ろで式神に命令しているのが“普通”だ。故に、式神使いを倒すのは、式神ではなく「術者」を狙うのが常識だった。だが、伏黒は式神を扱いながら、自らも攻撃を繰り出していたのだ。

 

普通の式神使いなら、ありえない・・・・・事だった。それ故に、宿儺にとっては“面白い”ものであり、興味をそそられた。

 

「くっ!!」

 

伏黒の攻撃がどんどん速くなっていく。それと同時に、隙をぬって後方に飛んでいった『鵺』が帯電しながら宿儺に襲いかかってきた。式神と式神使いの息の合った同時攻撃。それが、どんどん加速していく。

そして、その合間を埋めるかのように普通の矢の動きとは思えない、凛花の無数の天羽々矢が宿儺に向かって襲いかかってきていた。

 

宿儺は、式神と伏黒の攻撃も避けつつ、凛花の弓も避けなければならなかった。下手をすれば、伏黒の当たってもおかしくないのに、その弓は伏黒の動きに合わせる様に、自在に動いている。

しかし、まだ宿儺には余裕があるのか、その両手はポケットに入れたままだった。

 

――面白い!!

これほど“面白い”者達が、過去いただろうか。いや、ない!まだ生きていた平安の時代ですら、こんな“面白い”者達はいなかった。

 

「はは、ははははは!!」

 

思わず、宿儺が歓喜の声を上げる。それが、余計に伏黒の癪に障った。

更に速度を上げて、地を蹴ると宿儺の顔面目掛けて蹴り上げた。が、それすらも宿儺は横にあっさり避けると、にやりと笑う。しかし、伏黒はそのまま速度を更に上げて攻撃を繰り出していった。

 

「もっと! もっとだ!!」

 

宿儺が、笑いながら煽る様に叫ぶ。

 

刹那、宿儺の後方から『鵺』が襲い掛かる。前から伏黒。後ろから『鵺』。完全に挟み撃ちだった。

 

だが――。

瞬間、宿儺は伏黒の攻撃を初めて・・・その手で受け止めると、そのままぐいっと反転させた。そう――自分がいた場所に。『鵺』に伏黒を攻撃させようというのだ。

 

しかし、式神が術者を攻撃する筈などなく、『鵺』がぎゅんっ! と、音を立てながら、旋回すると、後ろではなく横から襲いかかって来た。それを見越していた宿儺は、伏黒をぐいっと自分の方に引き寄せると、

 

「もっと“呪い”を籠めて――」

 

にやりと、宿儺が笑う。そして、

 

 

「――撃ってみろ!」

 

 

そう叫ぶや否や、思いっきりもう片方の手で伏黒を殴り飛ばしたのだ。伏黒が後方へ吹き飛ぶ。その時だった。伏黒の後方から、嫌な気配を感じた。

 

そちらを見ると、そこには、先程よりも巨大化した呪力で作った天之麻迦古弓で宿儺に狙いを定めた凛花がいたのだ。上空にある無数の矢ではなく、天之麻迦古弓で一本の天羽々矢を引く凛花の姿が。

 

 

 

「――行きなさい!」

 

 

 

凛花の指が弦を離れた瞬間、放たれたのは物理的な質量を持った矢ではなかった。

 

「……っ!?」

 

宿儺の目が驚愕に見開かれる。

飛来したのは、雨夜の闇を白銀に塗りつぶす「極光の筋」。それは空気を切り裂く音すら置き去りにし、宿儺の胸元へ吸い込まれる直前、音もなく「蒼い灯火」へと変貌したのだ。

 

炎は元来、色によって温度が変わる。

赤は最も低く約1500度。黄色は約3500度。白は約6500度。そして――青は約10,000度へと変化するのだ。

つまり、凛花の放った矢は10,000度を超えているのである。そんなものを食らえば、流石にこの身体は焼き切れるだろう。だがそうすれば、虎杖の身体は間違いなく死ぬ。それを承知で、凛花が放ったのだとしたら――。

 

にやりと、宿儺が笑った。そして、さも当てろという感じに両手を開いて見せたのだ。

 

 

虎杖こぞうは死ぬぞ!! お前が、殺すんだ! 女!!」

 

 

宿儺が嘲笑と共に、その無防備な胸をさらけ出す。

だが、凛花は動かない。ただ、深紅の瞳に冷徹な蒼い火花を散らし、断罪の神の如き貌で彼を見据えていた。

 

「言ったでしょう。……無意味だって」

 

その声は、慈悲深い巫女のそれではなく、不浄を断罪する冷徹な神の使いそのものだった。

 

刹那、極光の矢が宿儺の心臓の穴を貫いた。衝撃はない。音もない。ただ、宿儺の胸の奥底から、夜を拒絶するような透徹した蒼い光が溢れ出した。

 

「ん?」

 

一瞬、宿儺が不思議そうに首を捻る。

身体は焼けていない。服の一端さえ焦げていない。なのに――。

 

「な、んだ……この熱さは……」

 

宿儺が己の両手を見つめ、驚愕に顔を歪めた。熱い。内側から、魂の芯から、凍りつくような温度で「存在」を沸騰させられている。それは肉体を焼く火ではなく、不浄な存在そのものをこの世から書き換える「神の残り火」だった。

 

……ほう。俺の内側に触れる不敬はせず、外側から概念ごと焼き潰そうというのか。千年前と変わらぬ、神妻の鼻につく「拒絶」の光よ。

 

自分という存在そのものを認めず、ただひたすらに浄化し、無へ還そうとする道理。それは宿儺にとって、これ以上なく癪に障る、けれど同時に「敵」として認めざるを得ない真っ当な宣戦布告だった。

 

「わざと当たってくれてありがとう」

 

凛花がにっこりと、残酷なほど慈愛に満ちた笑みを浮かべる。ぱちん、と彼女が指を鳴らした瞬間。宿儺を取り囲む空中から、無数の「蒼い揺らぎ」が結実した。それは矢の形を成した浄化の楔。降りしきる雨がその熱に触れる間もなく蒸発し、宿儺の周りだけが、この世のものとは思えない蒼白い結界へと変貌していく。

 

「なにを、した……女」

 

「……」

 

凛花は答えなかった。否、答える理由がなかった。

これは、「賭け」。この“蒼炎”は、人の理にある者には温かな光でしかない。だが、その魂に「呪い」を宿す者にとっては、存在の根源を消滅させるまで止まらない地獄の劫火となる。

 

“縛り”を使って強化するなら、術式の開示をする方が良い。そうすれば、宿儺はこの炎を消すために動くだろう。だが、この炎は消えないのだ。――凛花を殺さない限り。

 

宿儺は気付いているのか、気付いていないのか、首を捻りながらその蒼炎を見ていた。けれど、この蒼炎は確実に今、宿儺の魂を焼いていた。

 

どちらにせよ。

 

じじじ……、と宿儺に向けられている無数の天羽々矢の蒼炎が一層蒼くなっていく。

 

「このまま焼かれていくか、その身体を明け渡すか。選びなさい」

 

凛花がそう問うと、宿儺は面白いものを見たかのように、くっと喉の奥で笑った。

 

「明け渡す? 誰に物申している。こんな焼けもしない炎に何を恐れる」

 

そう言いながら、宿儺は片手を上げてひらひらと返した。それを見た凛花は、にっこりと微笑んだ。

 

「“焼けもしない”ね。……本当にそうだと思っている割には、随分と苦しそうに見えるのは気のせいかしら」

 

凛花がそう言うなり、そのまま指をくいっと曲げた。瞬間、上空にあった無数の蒼炎を纏った天羽々矢が、宿儺めがけて襲いかかったのだ。

 

「……っち、こんなもの――」

 

宿儺が、鏃が肉体に届くより速く、指先から爆発的な呪力を放って矢を払い落とそうとする。だが、放たれた呪力の波動は、蒼炎を纏った矢を通り抜け、虚空を揺らしただけに終わった。天羽々矢は、宿儺の物理的な干渉を嘲笑うかのようにその身を透かし、直角に軌道を変える。まるで磁石が引き寄せられるように、再び宿儺の背後からその心臓を狙って収束していった。

 

「はっ、しつこい女は嫌われるぞ!」

 

宿儺は、回避不能と悟るや否や、今度は呪力で固めた掌で、向かってきた数本の天羽々矢を無理やり掴み取った。そのまま握り潰し、霧散させようとした――その瞬間。

手の中で砕けたはずの矢が、蒼い燐光を放つ蝶のように形を変え、宿儺の指先から腕へと、音もなく伝い流れたのだ。

 

「ちぃ! 面倒な……っ!!」

 

掴めば消えるのではない。触れれば「伝播」するのだ。

天之麻迦古弓も天羽々矢も、凛花が紡ぎ出した純粋な呪力の結晶。物理的な破壊など、最初から通用しない「神域の法」に基づいた術式。

 

「貴方にとって、この蒼炎は『焼けもしない炎』なのでしょう?」

 

わざとらしくそう問うと、宿儺は一瞬顔を歪めた。だが、次の瞬間何でもない事の様に、「はっ!」と声を上げると、

 

「何を言うかと思えば、女。愚かなことを問うな。この俺の何を焼いているというのだ?!」

 

そう言って、宿儺は苛立ちに任せ、胸に深々と突き刺さっていた最初の矢を力ずくで抜き捨てた。それを見た凛花は、「あ……」と小さく声を漏らすと、憐れみすら含んだ溜息を吐いた。

 

「“それ”抜かない方が貴方の為だったのに」

 

凛花が小さく息を吐いた瞬間――世界から音が消えた。宿儺が無理やり引き抜いた「天羽々矢」。その鏃が肉体を離れた刹那、傷口から溢れ出したのは血ではない。今まで燻っていた蒼炎が、一気に宿儺を燃え上がらせたのだ。ただ、宿儺の内に潜む呪いの根源――「魂」そのものを、内側から直接沸騰させていた。

 

「――っ!?」

 

内側から噴き出したのは、この世の闇をすべて漂白するかのような、苛烈なまでの蒼い光。

 

これまで「燻っていた」火種が、宿儺が「拒絶」を示したことで爆発的に燃え上がったのだ。その炎は、やはり服も肌も焦がさない。だが、宿儺の輪郭が、陽炎のように激しく歪み始める。

 

「……あ……がっ……」

 

呪いの王が、初めて苦悶に喉を鳴らす。焼かれているのは、術式の源流、存在の根源。

肉体を反転術式で治そうとしても、その「設計図」である魂そのものが蒼い熱に溶かされ、再構築を拒んでいるのだ。

そこで宿儺は気付いた、この炎の正体に。だから、凛花は迷わず放ったのだ。この身体に。

 

「……これは貴方の肉体を焼く火ではないわ」

 

凛花は冷徹なまでの美しさを湛え、ゆっくりと歩み寄る。彼女の足元、激しく打ちつける雨粒が、宿儺から漏れ出す蒼炎に触れた瞬間に「光の粉」となって消えていく。

 

「不浄を分かち、魂をあるべき場所へ還すための灯火。……貴方という『呪い』が混じっている限り、その熱は決して止まらない」

 

じじじ……と、天を埋め尽くす無数の天羽々矢が、宿儺の絶命を待つように一層その輝きを増した。

 

「は……っ、俺も舐められたものだ」

 

宿儺は、魂を削り取られる激痛の中で、千年前の記憶の底に眠っていた「神妻の姫巫女」の不吉な微笑みを思い出した。

今の凛花の瞳には、あの時と同じ、神聖で、かつ絶対的な断罪の色が宿っている。

 

“浄化の蒼炎”。

 

解除する方法は、ただ一つ。宿儺の赤い瞳が、血走ったまま凛花を射抜いた。

あの女を――。

 

 

「は、はは、ははははは!! ――面白い。ならば、その魂ごと喰らってくれるわ!!」

 

 

宿儺の足元で、アスファルトが爆ぜた。魂を焼かれる激痛を、彼は狂気じみた笑みで塗りつぶす。

 

「――死ねえ! 女!!」

 

直線的に、最短距離で。標的は、この忌々しい炎の起点である凛花の首。この術式を解く方法は一つだけ。それは――術者を殺す事だ!!!

 

 

 

「――凛花さん!!!」

 

 

 

伏黒の叫びがスローモーションのように響く。突き出された宿儺の拳。その風圧だけで凛花の髪が激しくなびき、結ばれた鈴が悲鳴のような音を立てる。自らの首筋に迫る「死」を真っ向から迎え入れるように、凛花は静かにその深紅の瞳を閉じたのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧:2023.12.01

新:2026.03.15