深紅の冠 ~鈺神朱冥~

 

 第1話 紅玉 20

 

 

―――都内・神妻家本家 “神命の間”

 

 

「アンタの考えなんてどうでもいいんだよ。俺とアンタは違う。アンタには必要ないものかもしれないけどな。俺はそうは思わない――それだけだ」

 

「……」

 

「話はそれだけか? だったらさっさと、凛花を返せ。凛花を何処に隠して・・・やがる」

 

「……」

 

五条の言葉に、零你は微かに紅い目を細めた。それから、くっと喉の奥で笑うと、挑発する様に片手を広げた。

 

「探してみたらどうだ? その自慢の“六眼”で」

 

まるで、「探せるものならば、探してみよ」と言わんばかりの零你の言葉に、五条が眉を寄せる。それから、その碧色の瞳で訝しげに零你を見ると、「はっ」と息を吐いた。零你のそれは、絶対的な自信からくる余裕なのか、それとも、こちらを馬鹿にしているのか――どちらにせよ、愉快ではなかった。

 

「へぇ……視ていいのかよ。あれだけ“神域”を“六眼”で視る事を拒んでいたってのに、随分とこの短期間で心境の変化なんだな」

 

五条がそう言うと、零你は面白い物でも見るかのようにふっと笑いながら、

 

「視えるのなら、視るがいい。まぁ、視えていれば・・・・・・最初から気づいていただろうがな」

 

「……」

 

零你の言葉は、悔しいが正論だった。最初から視えていれば、こんな手間をかける必要も、不安な思いをする必要もなかった。だが、それは対象を“神域”に絞っていなかったからだ。十中八九、零你の言葉からして凛花は“零你の作った神域”にいる。そして、その“神域”への入り口は恐らくこの“神命の間”の何処か――。それさえ分かれば、ある程度の的は絞れる。最悪、術式で部屋を丸ごとぶっ放してもいい。後は……。

 

何か、決定的なものがあれば――。

 

そう思った時だった。

 

 

 

り――――ん……。

 

 

 

何処からか、鈴の音が聞こえてきた。はっとして、五条が手の中を見ると、あの時凛花に渡された小さな鈴が微かに鳴っていたのだ。

 

「凛花……?」

 

何故、鈴が急に……と、思っていると、零你がそれを見て「ほぅ……」と声を洩らした。

 

「……その鈴は、凛花に渡していた“天鈿女あめのうずめ”の鈴か」

 

天鈿女命――それは、歌や舞などの芸能の女神であり、彼女の舞から始まった神道舞踊が、神楽の起源といわれている。そして、天照大御神が天岩戸に隠れた際、岩戸の前で踊り、天照大御神を外に誘い出したのである。

それが、意味するものは――。

 

「“天岩戸あまのいわと”……」

 

五条がそう呟いた瞬間、持っていた小さな鈴が大きく鳴ったのだ。刹那、零你の真横の空間が微かに歪む。それを見逃す五条ではなかった。五条は素早く、呪力を練ったかと思うと、零你がその場にいるのも無視して、その場所に向けて思いっきり、術式を放った。

 

 

 

がががががががが!!!

 

 

 

凄まじい音と共に、何もないその空間に亀裂が入る。すぐさま五条はその亀裂に駆け寄ると、その手で無理矢理こじ開けた。ばき、ばきばき……っ!と壁が破壊されるような音が部屋中に響き渡る。

 

「凛花……っ!」

 

亀裂の奥に見える人影を見て、五条がその名を呼んだ。瞬間、その人影がはっとして、こちらを見る。深紅の瞳を視界に捉えたと同時に、五条は亀裂の中に身を乗り出した。が――。

 

「――駄目っ、悟さん! 入って来ては――」

 

そう、その人影――凛花の声が響いてきたかと思った時だった。突然、どんっと、誰かに背中を押されたのだ。五条が「……っ」と、息を呑むと同時に後ろを見た。そこには、零你が立っていたのだ。

零你は、その口元に微かに笑みを浮かべると、五条の身体が亀裂の中に入ったのを見計らったかのように、入り口を閉じてしまう。だが、五条は構わず凛花に駆け寄った。

 

「凛花! 無事か!?」

 

「悟さん……っ、どうして中に――」

 

これでは、父の思惑通りではないか。そう凛花は思ったが、五条は気にした様子もなく、そのまま凛花の無事を確かめるかのように、彼女の肩を両手で掴むと、

 

「凛花、怪我は? 痛いところは?」

 

「え……? ええ……何ともないけれど……」

 

凛花が頷きながらそう答えると、五条はほっとしたように、「オマエが無事で良かった……」と、呟きながら ぎゅっと抱き締めてきた。そんな五条に、凛花は少しだけ安堵したのか、おずおずとその手を五条に背に回すと、そのまま彼の胸に身体を預けた。

 

「……来てくれて、その……ありがとう、ございます」

 

本当は、ここに閉じ込められている間、ずっと不安だった。真っ暗な闇の中、一人彷徨ってみたものの、距離の概念も、時間の感覚もなく、果てしなく続く「闇」だけが支配する世界。その中に、一人取り残された存在。零你の“神域”の中だという事は、頭では理解していても、心がどんどん「闇」に侵蝕されていくようで――怖かった。

知らず、その瞳に涙が浮かんでくる。

 

「……っ」

 

凛花がそれを悟られまいとするように、五条の背に回した手に力を籠めて顔をその胸に埋めた。と、その時だった。

 

「凛花――」

 

不意にそう名を呼ばれたかと思うと、五条の唇が凛花の瞼に落ちた。突然の五条からのキスに、凛花が驚いたようにその深紅の瞳を瞬かせる。だが、五条からのキスはそれだけではなかった。額や鼻、頬などに次々とキスの雨を降らせてくる。

 

「あ、あの……さと、るさ……んっ」

 

凛花が、恥ずかしさの余り五条の名を呼ぼうとした時だった。ぐいっと顎を持ち上げられたかと思うと、そのまま唇に五条のそれが重なって来たのだ。堪らず、凛花の肩がぴくんっと揺れる。だが、五条は構わず更に深く口付けてきた。

二度、三度と繰り返される内に、強張っていた凛花の身体から力が抜けていく。それでも、五条からの口付けは止まらなかった。次第に、腰を引き寄せられて、ぐっと抱き寄せられると、流石に身の危険を感じたのか、凛花が慌てて五条の身体を押した。

 

「……悟さん……っ」

 

「ん? 何」

 

「な、何ではなくて……その……お父様が……っ」

 

ここは、零你の作った“神域”の中なのだ。つまり、零你には全て視えているという事に他ならない。それなのに、五条は全然気にしないという風に、再び凛花の唇に口付けを落とした。ぎょっとしたのは、凛花だ。なんとか逃れようともがくが、腰をがっちり掴まれていて、びくともしない。そもそも、凛花の力で五条に勝てる筈が無いのだ。

 

「さと……、待っ……お、とう……が、み、て……っ」

 

なんとか、そう声を絞り出すが、五条はくすっと何故か笑みを浮かべると、そのまま凛花の後ろ頭を押さえて、更に深く口付けてきた。

 

「いいんだよ。見せつけてるんだから」

 

「な、ん……っぁ……は、んん……っ」

 

くちゅ、ちゅっと、舌が絡み合う音が響く。凛花の腰に回っていた五条の手に、更にぐっと抱き寄せられる。そのまま舌先を吸い上げられては甘噛みされ、舌を絡ませられていく内に、頭がぼんやりしてくるのが自分でも分かった。次第に身体の力が抜けていき、足に力が入らなくなってくる。だが、五条に腰を抱かれている為か、倒れる事はなかった。その間も、五条のキスが止まる事はない。それどころか、どんどん深みを増していったのだった。

 

やがて、ようやく満足したのか五条の唇が凛花のそれからゆっくりと離れていく。だが、その顔は何処か不満げだ。そう――それはまるで、子供のような……拗ねたような表情だった。そんな五条を間近に見た凛花は、少しだけ驚いたかのように瞬きをした後で、くすっと口元を緩めた。そして、そっと五条の頬に手を伸ばすと、その頬を優しく撫でながら、

 

「悟さん、そんな顔しないでください。別に、嫌だったという訳ではなくて――」

 

「……でも、零你さんに見られるのは嫌なんだ?」

 

「そ……」

 

それは、親にキスシーンを見られるのは、普通に恥ずかしい。五条だからとかではなく、一般的に平気な人の方が少ないのではないだろうか。そう凛花は思うのに、五条は納得いかないようだった。その、まるで駄々を捏ねる子供のような表情に、凛花は呆れつつも、そんな表情も可愛いと思ってしまう。本当に不思議な人だと、改めて思う。思えば、初めて逢った時からそうだった。その時は、こんな気持ちになるなんて、思いもしなかったが――。

 

「と、とりあえず、ここから脱出しないといけないのですけれど……。お父様の“神域”の練度が高すぎて、私の“神域”では打ち消す事が出来ないのです」

 

とりあえず、話を軌道修正しようと、凛花がそう五条に話しかける。すると、五条は周りを少し見た後、「ああ……」と小さく声を洩らし、

 

「これ、“天岩戸”でしょ?」

 

「……! 分かるのですか?」

 

五条の言葉に凛花がそう訊ねると、五条は小さく息を吐いて、持っていた小さな鈴を見せた。それは、この神妻家に来た時に凛花が五条に渡した鈴だった。

 

「零你さんが、この鈴の事を“天鈿女”の鈴だって言ってたからね。そして、この鈴が鍵だった訳だから、この“神域”は“天岩戸”って想像付くよ」

 

「……そうです。正確には“天岩戸”を囲むように、守護の神である“天石門別あめのいわとわけ”と“布刀玉ふとだま”の2柱の“神域”も張られていますので、実質三重になっています」

 

「ふぅん……」

 

五条が今一度周りを見て歩きながら、ちょいちょいっと凛花を手招きした。凛花が首を傾げて五条の方に向かうと、何故かそのままぐいっと腰を引き寄せられる。驚いたのは、他でもない凛花だった。五条のまさかの行動に顔を真っ赤にしていると、突然五条がちゅっと触れるだけのキスをしてきた。

 

「可愛い。赤くなっちゃって」

 

「ちょ……っ、な、なに、を――っ」

 

凛花が口をぱくぱくしていると、五条は不意に周りを見ながら質問をしてきた。

 

「凛花ちゃん、質問です。僕の順転と反転を組み合わせたらどうなるでしょう」

 

「……え?」

 

突然投げかけられた質問に、凛花がその深紅の瞳を瞬かせた。五条の順転と反転――それは、「蒼」と「赫」を指していることになり……。

 

「……順転と反転の無限が衝突して、空間ごと――って、ま、まさか……っ」

 

凛花が慌てて口元を抑えると、五条がにやりと笑った。

 

「正解。じゃぁ、しっかり僕に掴まってて。――虚式」

 

「ま、待っ……!!」

 

 

 

「――“茈”」

 

 

 

刹那、それは起こった。五条の術式をまともに受けた“天岩戸”と他2柱の“神域”が、激しい轟音と共に弾け飛ぶ。途端、爆発的に膨れ上がる呪力に、凛花は五条に抱き着いたまま目をぎゅっと瞑った。そのまま、自分達の身体の周りに強力な結界を張る。それでもまだ凄まじい波動は続いていたのだった。

 

 

 

 

 

どれくらい経っただろうか。ほんの数秒の事だったかもしれないが、凛花には酷く長く感じた。徐々に、その波動が収まっていくと、やがて、辺りが完全に静寂を取り戻す。凛花が恐る恐る目を開けると、眩い光が視界に入り込んでくる。太陽の光だ。

 

「あ……」

 

気付けば、凛花は五条と一緒に“神命の間”――が、あったであろう場所に立っていた。が……そこは完全に瓦礫の山と化していて、部屋の形すら残っていなかった。それを見た凛花が、半分頭を抱えながら、五条の方を見た。五条はというと、清々しいまでに晴れやかな表情をしている。

 

まさか、本当に虚式をぶっ放すとは思っていなかった凛花は、もう何を言ったらいいのか……言葉すら出てこなかった。なにせ、自分達は“神域”から抜け出す為に零你の“神域”を崩壊させてしまったのだ。後から何を言われるか考えただけで、ぞっとしてしまう。

と、その時だった。瓦礫と化したその場所で微かに物音がして、凛花がはっとしてそちらを見る。と――そこにはこちらを窺う様にして平然と立っている、父・零你の姿があった。零你は凛花と五条を見た後、ぼろぼろになっている“神命の間”の惨劇を見て、小さく息を吐くと、

 

「やれやれ、まさかここまでするとはな。……修理費は五条家に送るか」

 

などと、ぼやいていた。だが、五条は気にした様子もなく、ぐいっと凛花の肩を抱くと、

 

「行こっか、凛花ちゃん」

 

そう言って、そのまま零你の横を通り過ぎていく。凛花は、どうしてよいのか分からず、五条と零你を見ながら、慌てて口を開いた。

 

「あ、あの……、お父様……っ。今回は――」

 

「凛花。たまには家にも帰ってこい。……まぁ、五条君を連れてきても構わん」

 

「え……?」

 

まさか零你からの言葉に、凛花が目を瞬かせている間に、五条も呆気に取られたような表情を浮かべていた。が、零你はそんな2人を見ると、ふっ……と微かに笑みを浮かべてみせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ◆      ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――都内・神妻家本家 正門前

 

 

「ご、五条さん……!? 神妻さんも……っ、今、なんかすごい音が聞こえてきましたが、いったい何が――っ」

 

と、神妻家の正門を出ると、丁度迎えにやって来ていた伊地知があわあわしながら、車から降りてきた。だが、五条はけろっとしたまま、その車の後部座席のドアを開けると、凛花を乗せてから、自分も乗り込む。

 

「伊地知――。時間無いから車出して」

 

「え? あ、は、はい!」

 

そう五条に促されて、伊地知が車を出す。バックミラーに映る牧田が、こちらに向かって深々と頭を下げていた。五条は一瞥だけ送ると、そのまま視線を逸らす。凛花は、そんな五条を見ながら小さく息を吐くと、ちらちらとこちらの様子をミラーで伺ってくる伊地知に気付いた。だが、どう説明していいのか分からず、気付かないふりをして、五条に話しかける。

 

「悟さん、この後はどうするのですか?」

 

何気なくそう訊ねただけだったのだが、何故か五条がにんまりと笑みを浮かべると――。

 

「映画のディスク売ってる店かな」

 

「え?」

 

えい、が……?

何故、ここにきて映画? 五条が映画好き――という訳でもなく、「どうして?」としか思えなかった。そう、この時は思いもしなかった。まさか、あんな事にその「映画」を使う事になろうとは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025.05.08